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越境批評宣言

一般的に、前衛や実験的な人文運動というのは、フロンティアを希求する。その運動は多くの者によって絶え間なく更新され、それが消失するまで続くのだが、ある日ある程度の成功と達成が示され満足されるか、もしくは完全に到達不可能と理解されると、そこに向かう特権性はほとんど消失してしまう。運動は後衛と肩を並べることになり、途端に世界は多元性に満ちることとなる。つまり、それはつかの間の足掻きにしか過ぎない。そのように多くの日和見主義者には見えるのだろう。

 

ボストンが90年代から00年代にかけて、NYや東京と比較しても、豊穣な実験音楽、音響シーンを形成していたことはあまり知られていない。まず、あらゆるものが行き来するがゆえに、地盤を作りにくいニューヨークからは適度な距離がある。そしてアメリカでも珍しく、町全体が歩けるほどの適度な大きさの都市であり、あまりにも多くのものが行き来するがゆえに、長い期間をかけてシーンを熟成できる素地がある。大学町であり多くの学生で賑わうハーヴァードスクエアには、コレクションにおいて、NYのOther Music以上の鋭い品揃えを誇るTwisted Villageというレコ屋が存在していた。そして当然ながら、一般大学や音楽大学においては、相当数の人間や知識が行き来する。

 

そのシーンの中心的な存在は、ソプラノサックス奏者のブホブ・レイニーとトランペット奏者のグレッグ・ケリーの二人であった。Ignotum Per Ignotius,つまり「より未知なものから生じた未知」、というラテン語を、さらに部分的に省略して名付けられたNmperignという、いささか人を食ったような名前のユニットで活動し、またさらにテルミン、テープ、エレキギター、ダブルベース、チェロとエレクトニクス、そしてハウリングヴォイスを操る6名のインプロヴァイザーを加えてBSC(ボストンサウンドコレクティヴ)という名前のグループで活動することもあった。

 

彼らの特徴は、いわゆるアカデミアの枠には治らず、ノイズ、フリージャズ、ハードコア、電子音楽など、ありとあらゆる音楽に隣接しているシーンがあり、その上で実験的な即興を長い間かけて醸成させていたことだ。特に、微弱音や、いわゆる音響的な即興の場面では、日本人からしてみれば日本人のような繊細で、かつ微細で巧みな音量調整ができ、全体を通して聴くと、図らずとも不思議な調和の感覚が見て取れた。

 

(未完も未完です)

文字数:1016

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