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批評をマネジメントする 〜もし批評家養成スクールのマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら〜

1. マネージャー就任

Aが、東京にある批評家養成スクールのマネージャーになったのは、ある日のことだった。それは突然のことだった。ほんの少し前まで、Aはまさか自分がマネージャーになるとは露ほども思っていなかった。それまでは、とある東京にある、私立の文学部に属する一介の大学生にしか過ぎなかったのだ。

ところが、ひょんなことから、思いもよらない理由でマネージャーをすることとなった。そのため、そのスクールの創始者である批評家Xの書いたものはある程度読んでいたが、いわゆる批評というものの営為についてそこまで深くわからないまま、マネージャーとなった。

マネージャーになったAには、一つの目標があった。それは、「批評家を養成する」ということであった。より具体的に言えば、一般的な本屋で誰にでも手に入れることができる程度の商業誌にて、継続してものを書けるレベルの批評家を、志望者の生徒たちをわずか一年弱の間に養成して、デビューさせることにあった。

そのスクールでは年に10数回の授業があり、それは毎回主任講師のZと、毎回新しく招かれるゲスト講師によって講義と生徒の批評文の講評が行われることになっていた。講義の前に、講師たちは課題の内容をサイト上に掲載し、批評家志望の生徒は毎回サイトに批評文を掲載させることになっていた。さらに優秀者3人はネットの動画配信される前提で登壇して、プレゼンテーションを行う必要があり、文章とプレゼンテーションの質によって、主任講師とゲスト講師によって採点され、その順位が付けられるのだ。最終的に生徒の中から、最も優秀なものが、次世代を担う批評家として、商業誌への自作論文の掲載や、スクール内でのトークイベントを企画などのサポートが受けられるとのことだった。

 

2. 批評とイノベーションの近さ

まず、あまりにも急なマネージャーへの就任のため、Aはマネージャーの仕事一般について、そしてその学校が扱う批評というものについてより良く知るために、調べる必要があった。そこでAは家にあった広辞苑を引いてみたところ、隣接する二つの単語が目に入った。

manager: 支配人。経営者。管理人。監督。

management: 管理。処理。経営。

そこで本屋へ行き、『マネジメント』と名のつく本を探しあてた。それは、企業を含めた「組織」の経営全般について書かれていた。そこで購入して家に帰って読み始めた。しかし、それは批評とは無縁の、「企業経営」について書かれた本だったので買ったことを後悔した。しかし、これは組織全般、ひいては批評家養成スクールにもあてはまるものだと考え直し、読み進めていくことにした。

また、Aの周りに、批評が好きでそのスクールのネット上の動画配信や情報をつぶさにみているという、いつもは寡黙な少年Bがいた。Aは批評についてももっと知りたかったので、そのスクールと批評の関係性について聞いてみた。すると、B曰く、そのスクールは存在自体、批評的な存在なのだ、という。一体それはどういうことなのだろうか、尋ねてみたところ、それは既存の学校組織、あるいは専門分野、あるいは文芸批評誌の中で閉じられているのではなく、常に開かれた存在であるが故に批評的な存在なのだ、という風に教えてくれた。Aは、このスクールの生徒になるには、専門分野や学歴、年齢なども関係ない。また哲学や現代思想、映画や漫画や音楽など、多様な分野から講師を招いてくるので、本当にその通りなんだな、と思った。

Aは自分の通っている大学の授業が終わると、ひたすらマネジメントの本を読み進めた。するとこのような文章に出くわした。

イノベーションとは、科学や技術そのものではなく価値である。組織の中ではなく、組織の外にもたらす変化である。イノベーションの尺度は、外の世界への影響である。(262ページ)

イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。イノベーションを行う組織は、昨日を守るために時間と資源を使わない。昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を新しいもののために解放できる。(269ページ)

Aは、いつも大学の授業の様子を見ていて、体系的な学問や授業がしばしば陳腐化し、つまらなくなってしまうのを感じていたため、この定義は言い得て妙であるという風に感じた。そして、Bのいうことも正しいとするならば、批評的であるとは、あるいは批評自体が、『マネジメント』にでてくるイノベーションにかなり近いのではないか、という風に感じ始めた。いわば、そのスクール自体が、新しい価値を創出しているのだ、そんな確信を抱き始めた。

 

3. 顧客の創造

その数日後、批評家を養成するためのオリエンテーションがそのスクールで開始された。個性的な生徒たちの姿があり、世の中にこんなにいろいろなタイプの人が批評に興味があるのか、という新鮮な感動で会場は満ちた。ほぼ満員の教室の場の雰囲気は大いに盛り上がり、主任講師は批評について熱弁を振るい、大いに盛り上がった。

いよいよ学校が始まり、Aにも生徒一人一人の顔も見えてきたので、今度はスクール自体がいかに企業という組織としてしっかりと運営するのか、という問題も考え始めた。そして、顧客の意味を理解する必要性がでてきた。Aは、『マネジメント』のこんな箇所が目に入った。

企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が在野サービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義される。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的である。したがって、「われわれの事業は何か」との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。(23ページ)

 

Aは、顧客である生徒個人の顔を一人一人認識できるほどにはなったものの、動画配信やイベントによって不特定多数の顧客が、この企業を支えていることに関しては、頭でわかっているつもりでいても、彼らの具体的な顔であるというか、個人名が浮かぶことはまずなかった。しかし、そのような日々の中で、著名な批評家でもある校長から、批評には、その成否を判断する観客という共同体が必要である、という話を耳にした。また『マネジメント』の本によって「事業とは何か」を判断するのは顧客の存在であると理解し、その共同体から、事業を、そして批評を見ることの大事さを心に止めることにした。

そこで、顧客を二つに分けて考えることにした。生徒は、主体的に学校に来る顧客ではあるが、多くの人に批評を読んでもらいたいという欲求のある、批評家志望の人間であり、そしてもう一方で、直接的な生徒ではない一般的な視聴者である顧客とは、生徒の出す作品を読み、またそれに対する講師の講評を楽しむ受け手であり、常に一定数おり、彼らのニーズにも答えていくことが事業であり、またそれこそが批評の営みにもなるのだ、という理解に達した。

 

4. 人の強みを発揮すること

白熱した序盤の講義が続くが、批評を書いたことのない者が、その生徒の大半を占める状況であったので、中途脱落者もまた増えた。仕方のないことだが、またそれはあらかじめある程度予想されたことでもあったが、次第に批評というものの書き方が身についている者とついていない者の中には落差が生じてしまう。しかし、これ以上脱落者を増やし、生徒の多様性を減らしてしまうことは、スクールそのものの魅力を減らすことでもあり、顧客のニーズもまた減らしてしまう、ということにもつながる。そんな状況を少しでも更新でき、批評文が書けない人間にもどうにかして書いてもらう方法はないであろうか。Aは、『マネジメント』を開くと、そこにはこう書いてあった。

人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。しかし人は、これらのことゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の強みを中和することにある。(80ページ)

生徒というのは、ある意味で作品の課題が半ば義務付けられている、そのような立場の者であるが、彼らに対しては、彼らの強みを発揮できるような話題を積極的に掘り下げてやり、自信を与えること。課題を難しく感じる者に対しては、なるべく易しく解説し、身の回りにある事柄や自信のある事柄と結びつけて、その人の強みを引き出してやることが重要なのだろう。また、その人の強みが発揮できるように、ある分野の具体的な作品について課題に取り上げるのではなく、皆が日常的に感じたり考えたりする物事を、大まかな課題として与えてやり、その中で具体性をどのように持たせるかアドヴァイスすることも大事である、『マネジメント』を読んだAはそのようなことを具体的に考えられるようになった。

 

5.さらなるイノベーションへ

Aの献身的な努力のおかげで、批評家養成スクールは、優秀な批評家を輩出し続け、その後何年も好評を博すこととなった。しかし、『マネジメント』を片手にAは気を引き締めることを忘れない。単年制のスクールであると言っても、それは一つの組織であるには違いなく、組織はイノベーションを行うために様々な努力を継続していく必要があるだろう。イノベーションとは価値の創出であり、外への影響に他ならない。Aには幾つかの具体的な方法論が浮かんだ。

1.顧客を飽きさせず、さらに増加させるために、ネット上のサービスを多様化する。

2.ネット上で顧客と生徒あるいは講師が直接的なコミュニケーションできる手段を創出し、外への影響を与える。

3.道場破りのようにネット上の顧客を生徒へと突発的に変えるシステムを意図的に導入して、人的な関係性を意図的に変化させることで、外への影響を与えるとともに、批評スクールの新たな価値観を創出する。

 

批評家の育成を目的とするスクールには、絶え間ないイノベーションが必要であり、そしてそれ自体が批評なのだ。『マネジメント』を片手に、Aはマネージャーとしての決意を新たにしたのだった。

 

 

 

 

<参考文献>

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎夏海著 ダイヤモンド社)

『エッセンシャル版 マネジメント 基本と原則』 (P.Fドラッカー著 上田淳生編訳 ダイヤモンド社)

 

文字数:4311

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