イロニーとユーモアのデヴィッド・ボウイ
デヴィッド・ボウイが『ブラック・スター』を世に出したのは、長い休止を経て作られた復帰作『ザ・ネクスト・デイ』のわずか3年後のことである。そのとき、すでに彼の最盛期であった70年代の創造力を取り戻したと評価されたのである。しかし、少なくともボウイにとって、あくまでそれは次の遺作への序章に過ぎなかったと言ってよい。『ブラック・スター』は、単に過去の自作品の集大成などではなく、死期を悟った芸術家による「超越的」な実験作品なのだ。
ボウイはしばしば遅れてきたロックスターと言われる。いわゆるロックの成熟期にはまだ活躍できず、それゆえに起源へと遡行するような確固たるジャンルのプラトン主義者にはなり得ず、常に複数の固有の音楽形式を意識しつつ同時に懐疑し、常に自己言及的に批評性を持って横断を繰り返さねばならなかった。
そのような音楽形式の懐疑は、『ブラック・スター』でも顕著であった。よく知られるように、『ブラック・スター』にてボウイは、ケンドリック・ラマーに霊感を受け、気鋭のジャズ演奏家たちを招集し自作の綿密なデモを指標にプロデュースするという手法を試みた。音楽評論家たちは、そんなボウイをこぞって賞賛したのである。ジャズ演奏家による非ジャズ的なアンサンブルの上で歌うというボウイの試みは新しく、特にそれは同世代のポピュラー音楽家では皆無であった。
しかし、以上の事柄から、ボウイが流行を我がものとする手練れた商業音楽家と思うなら誤解である。評論家たちが演奏家の選択のみを評価したとき、作品で何を意図したかという、今作におけるボウイの「超越的」な視点を隠匿している。彼が『ブラック・スター』でやったことは、今まで彼が作り上げてきたロックや電子音楽の実験に立脚しつつ、新しい精神的態度をもって音楽の<外部>を志向したことにある。そして遺作で越えるべきだったのは、イギリス人がヨーロッパ性と実験性をこの上ないレベルで包含した70年代のボウイ自身の崇高な達成であったのだ。
デヴィッド・ボウイの音楽史の中で、70年代のベルリン3部作(『ロウ』、『ヒーローズ』『ロジャーズ』)に芸術的創造の頂点があったことは論を待たない。クラウトロックとクラフトワークに触発され、ベルリンで欧州人としての自己に目覚めた時期であり、環境音楽という西欧音楽の一つの極を発明したブライアン・イーノと共作された。アトモスフェリックな電子音楽と英国訛りのボウイの歌は、音楽的にはユーロ的なデカダンスと美学に満ちており、英国人がヨーロッパ性を最大限に発揮した作品という意味においてロック史上比肩するものがないのである。しかしその成功ゆえに、その後のボウイの人生にとってそれは「躓きの石」になった。続く80年代はポップスターとして商業的な成功を収めたものの、結局90年代以降はこの過去の栄光はボウイを常に苛まされ、散発的な音楽的成功に終始し、しまいには例えば、99年に発表された『Hours』のジャケットに象徴的なように、50代の年老いたボウイが若い自分を抱きしめるといった、過去の自分でさえ作品に取り込むような手法が散見されるようになる。そして、病に倒れた2003年以降、創作意欲をなくし第一線を退くこととなる。
2013年に10年の休止を経て高々と掲げた『ザ・ネクスト・デイ』においてさえ、過去の自己規定から到底逃れられるものではなかった。例えば、ジャケット自体『ヒーローズ』のそれを白い正方形で中心部を隠蔽するものであった。ここで、ボウイは自身の過去に一種のロマン主義的イロニーを添えて必死に抵抗しているのだ。音楽的には2000年代以降の自身の音楽的達成を同じロック的なバンドメンバーで果敢に止揚しながら、過去の達成に対し“次の日、次の日、また別の日”と遅延的な感覚を歌うタイトル曲と、「Where are we know」では所縁あるベルリンの地名を複数言及した後に、“我らはどこにいるのだろう”と歌う。そこにイロニー的な自己意識が働いているのはあまりに明確である。また。収録曲の「Stars」には、初老にあるボウイ夫婦と、若いボウイに模した女優を対比させているし、ボウイの初主演映画『地球に落ちてきた男』へのオマージュのシーンがあった。いずれにせよ、言い換えれば、それほど彼の70年代の達成度は高かったのである。
『ザ・ネクスト・デイ』によって、かつての創造性を取り戻したと評されたボウイだが、18ヶ月という余命を宣告されることになる。このイロニーの陥穽を脱出するのには、もはや一つの手段しか残されていなかった。それはイロニーに対し「ユーモア」をもって対処することであった。そして、イロニーを振り払い「ユーモア」を持つには、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティが言うように、音楽的形式は、前作まで貫いていたロック以外の何かでなくてはならなかったのである。
フロイトによると、ユーモアとは自我の苦痛に対して、超自我がそんなことはなんでもないよと激励するそのような精神態度のことである。ユーモアの例としては、月曜日絞首台に引かれていく囚人が「ふん、今週も幸先がいいらしいぞ」といった例をあげている。同様に『ブラック・スター』では全体にわたり死にゆく芸術家自身の姿が描かれていて、そのような「ユーモア」が存在する。最終曲の『I can’t give everything away』で明らかに死にゆく自分を表現したかのような“良くみえるようになり、感じなくなる ノーと言うがイエスを意味する”と歌い、また「Lazarus」はそもそも自分の死後の「超越的な」視点で世界が描かれており、そのPVには『地球に落ちてきた男』のPVをまとうボウイの姿があった。
また、ジャンレケヴィッチはユーモアとイロニーの差異をこのように述べる。「峻烈なイロニーは時として、にがにがしく、軽蔑的で攻撃的になる」のに対し、ユーモアは「親切さ、愛情ある善良さというニュアンス」がある。ボウイは遺作にて音楽美学的に新しいイロニーを召喚し新しい音楽美学を構築する必要があった。それはイロニーの思考を極限まで拡張させながら、「ユーモア」という「超越的」な視点によって包摂しつつ突き放し、宙づりすることで初めて可能になるのだ。
ボウイはそのような作業を行うために、まず同郷の先達であるスコット・ウォーカーの美学を接合した。ウォーカーは、60年代にビートルズとその大衆的人気を二分する音楽家だったのだが、シュトックハウゼンを祖とするクラウトロックの影響や、現代音楽に詳しい映画音楽家との邂逅により、硬質で不穏な実験音楽に移行し、非人称的な呟きやノイズに向かっていく。それはまさにロマン主義の純粋化である。クラシック音楽において、ドイツロマン主義音楽がそれを鋭角化させていき、シェーンベルクの無調にたどり着いたのと同様、「シュトックハウゼンへと自己改革したアンディ・ウィリアムズ」と称されるスコット・ウォーカーは、人気アイドル歌手から、最終的に実験音楽の極北に行き着いた。
主にドイツ経由の実験音楽の「翻訳」を経たウォーカーの音楽は、自身の声を音の一要素として後景に置き、不穏なノイズと対置することによって生まれる、「風景の発見」に成功した。超越論的な自己の優位を示す「イロニー」はやがて「内面」を創出し、のちにイギリスの現代ロックの実験性を担保するレディオヘッドなどにも影響を与えることとなった。ボウイとスコット・ウォーカーとの関係は昔から深く、その関係性はボウイがウォーカーの自伝映画を監督することもあったほどいう。
彼らのお互いに対する芸術的な信頼性から、『Black Star』においてスコット・ウォーカーの『Bich Bosch』の「内面」化を指摘するのは容易い。イギリス発のユーロ性と実験性をウォーカーに見出したボウイは『ブラック・スター』の「Tis a pity she was a whore」と「Girl loves me」にて今までのボウイ作品にない特異な裏声の発生でその影響性を示した。そこでは、ボウイの声は奇妙な声のトーンで切断を繰り返したが、それは「ユーモア」をもってして無限に生成する「イロニー」を宙づりするような行為としてあった。
新しい「風景」を内面化するのに成功した音楽作品としての『Black Star』は、その実験性において、まさに70年代の3部作に対等な重要度を持つと言って良いレベルまで高められたと言って良い。
しかし、自己言及を薬籠中のものとしていた晩年のボウイにとって、おはや興味はもうひとつの事象に移行していたはずである。それは、イロニーが宙づりにされた場合、同時に過去にアイロニーとして見えたものは、ユーモアと永続的な緊張関係を持続させられ、それはまるで作品に超越的な「ユーモア」が永続するかのような錯覚にとらわれることになる。『Black Star』がひどく奇妙な作品に見える。それはユーモアの操作によってイロニーが宙刷りされることにより、『Hours』以降、自分自身の若い頃をモチーフに作られた作品群が独特な緊張感を持って我々の前に現前し始め、まるで「超越的」なボウイの自意識が『Black Star』において永続していくような錯覚を我々に抱かせるということにあるのだ。
強烈な音楽作品を残したということ、また永続的な超越性を我々に錯覚させる装置を創出したことにおいて、『Black Star』は大きな成功を収めたのである。
(*)本論考は柄谷行人の『定本 柄谷行人集1 日本近代文学の起源』岩波書店 2004年 を参考とした。なお、フロイトのユーモアの部分はそのまま本書から引用したとことをお断りしておく。
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