いわゆるブラック企業でメンヘラが働くということ -マインドコントロールで鬱は治るのか?ウォーリフィケーション(warification)の可能性-
はじめに
この体験談はフィクションです。実在の人物や団体などとは一切関係ありません。
1.入社式
20xx年、都内某所のホテルにて弊社の入社式は執り行われたが、私が入ったはずの会社とは名前が違う。大学三年の十二月から大学四年の二月までの約一年二ヶ月に及ぶ就活とその失敗を引き摺り、茫然自失状態だった私は諸々の事柄に対して注意力が全く働いていなかった。どうやら私は某グループ系列の会社に入ってしまったようで、それは即ち親会社であるあのブラック企業として有名な株式会社希望ソリューションズ(仮名)に入社したことと全く同じことらしく、事実会場はゆうに百社を超える様々な会社に就職した(はずの?)新卒生で溢れかえっていた。そして私は、私が履歴書を提出した会社で仕事をすることはついになかったのだ。これを子会社Aとする。
会場は絢爛豪華な輝きに包まれており、至る所に豪奢な金の匂いが散りばめられていたが、同時に軽薄さや陳腐さも色濃く漂っていて、私たちが座らさせられた安物のパイプ椅子がそれを表象しているかのようだった。「無駄なことにお金をかける必要はない」と、あたかもこれも洗練された合理主義なのだと言わんばかりに皆一様に体格のいい幹部陣は壇上で演説する。
「結果を残せばこの会社ならいくらでも稼げるぞ!!」
それはきっと本当だろうなと私は思ったが、同時にどこか嘘臭くも感じていた。この時点から既に今に至るまで何らかのマジックに私は囚われているのだろうか。会社のHPには下級社員にかかるコストを徹底的に抑えて、その分成果を出す人間にいかに利益を還元できる仕組みが構築されているかが懇切丁寧に説明されていた。
そう、この世界の唯一のルールは利益至上主義に基づいた、「超実力主義」(ウルトラメリットシステム)。退職金もなく、年次昇給もなく、労働組合もなく、年二回のボーナスも十万円に届かず、三年以内離職率は語るまでもなく。安定から遠く離れて、私はただ、自分が就職できるところで一番過酷な環境に身を置くことで、自身の能力を開発したかったのだ。有り体にいえば、仕事できるようになってかっこつけたかったし、退屈したくなかったし、もっと言えば「やりがい」だの「達成感」だのという幻想に踊らされていた典型的なゆとり世代ということだけだったのかもしれないが、大変なのはここからで、株式会社希望ソリューションズが織り成すめくるめくカフカ的不条理構造の本質は、労働の対価である金銭=インセンティブをめぐるものではなく、労働を自発的に促す動機=モチベーションの設定、すなわちマインドコントロールにあったのだ。
2.入社前研修 前編
入社式の二週間前、株式会社希望ソリューションズの入社前研修は、都内某所から出発し、携帯電話の電波の届かない山奥にて約一週間に渡り、朝昼晩の区別もなく休みなく連続して激しく展開されていったが、研修を受けた新卒生に賃金が支払われることはなかった。(ネットで調べると通常支払い義務があると記載されているが、「自由参加」の場合はその必要はないとのこと。あれは自由参加だったのだろうか。)
この入社前研修のプログラムは実に単純明快極まるもので、まず第一に全力で大声を出すことを求められる。全力の大声……それはもう150%以上の声を出さなければインストラクターの合格は得られないため、皆本当に「全力」で大声を出し、その過程で今までの自分の殻を脱ぎ捨て去らなければならない。そして、全力で大声を出しながら社訓・社歌などを徹底的に暗記暗唱し、「利益/実力至上主義」や「根性論」などのイデオロギーを骨身にずっぷりと染みこませていく。特に、ここでいう「利益/実力至上主義」とは一位以外には価値がないという「絶対的一位至上主義」とも言うべき過激なもので、存在否定に晒されながら私たちは徐々に競争心を植えつけられていった。6名ごとのチームに分かれて競技形式で他チームとのポイントを争いながら、私たちは全力で社訓・社歌を暗唱した。そして、最大のイデオロギー装置とも言うべき、株式会社希望ソリューションズの社内公用挨拶「ウォッス!!!!」を私たちは知る事になる。
カリキュラム以外の時間でも軍隊式の生活様式が徹底していて、入退室時は全力で「ウォッス!!!!失礼します!!!!」、インストラクターと廊下ですれ違うときも全力で「ウォッス!!!!」と言わなければならず、声が小さかったり元気が足りないとその場で何度もやり直しをさせられる。また、非常にタイトなスケジュールを組まれているため、きびきびと迅速に行動せねばならず、食事も会話せず黙々とこなし20分程で片付けることを推奨される。このような軍隊式の生活のなかで、私たちはエネルギーに満ち溢れ主体性と協調性のある素直で行動の早い若者へと生まれ変わっていったのだ。
3.入社前研修 後編
入社前研修のプログラムでは、まず初めに私たちは挙手制でリーダーを決めさせられた。勿論、株式会社希望ソリューションズのイデオロギーは一位以外には価値がない「絶対的一位至上主義」なので、リーダーに立候補しなかった者は主体性がないと厳しく責め立てられる。
私はリーダーに立候補できなかった。勿論やりたかったわけではないが、挙手しなければならないという同調圧力に促され、そしてチーム内に私より適任である別の男の存在を認め、挙手することをやめたのだ。おそらくその男も同じように空気を読んだうえでの挙手だったのだろう。だが、そのあと数時間にも渡るカリキュラムで執拗に繰り返される一位以外には価値がない「絶対的一位至上主義」の存在否定的な洗礼を受け、私ははやくも意識改革の契機に晒されることとなった。チームの正式なリーダーにはなることができなかったが、「俺こそが真のリーダーだ」「俺には価値があるんだ」と思い込み、その結果捻出された圧倒的な大声を活用し積極的にチームを牽引していった。
以降、私はチームの中ではもう一人のリーダーとして認められることとなったが、それにはある重要な理由がある。一日の終わりにその日の日記を書き、翌朝に班の係りに提出しなければいけないのだが、そこで私のメンヘラがバレた。「つらい。もう本当につらい。死にたい。もう無理です。限界です。なんでこんなことしているのか分からない。帰りたい。壊れそう。意味がわからない。ウォッスってなに?本が読みたい。一人になりたい」…なんの躊躇いもなくツイート感覚で延々と書き連ねられた本音に、他の班員たちは戸惑っただろう。だが、「でも、私はこんな私を変えたい。ウォッスとかよく分からないなと思う一つ一つの文化的遺伝子(ミーム)が、カリキュラムを通じて内面化されることで自分を変えてくれると思うので、くじけずに頑張ります。ここで逃げたら、私は一生何者にもなれない」と締めくくられた日記は結果的に班員たちの胸に響いたようで、あまりやる気のなかった者も「こんな考えもあるのかと前向きになれた」と言い、私たちはチーム一丸となってカリキュラムをこなしていった。この時点から、私たちはマインドコントロールに対して「自覚的かつ無自覚に」どっぷりとはまっていったのだった。
プログラムの山場である研修五日目のチーム制30km競歩では、研修生全員が、本気の本気で一位を狙っていた。全員目が野心で血走っていた。30km本気で歩くのは、30kmゆっくり走るよりも、よっぽど遅いがよっぽどしんどい。肉離れや捻挫などで何人も怪我人が出た。私たちの班でも一番やせ細っている青年が足を捻挫し、肩を担いでゴールを目指した。
「もうリタイアをしよう」
「一位とるんだろ!!てめえ簡単に諦めんなよ!!」(※私です)
「おまえ、人一人怪我してんだぞ!!!!」
「もうやめてえ!!」
結局、一位こそすべてだという理論が採用され、私たちは全力でゴールを目指して完走し、結果は二位で終わった。足を捻挫した青年はズタボロの状態だった。その後、自主的に集合した私たちは、なぜ一位になれなかったのかの議論を重苦しい雰囲気の中で繰り広げたが、今となってはあまり内容を覚えていない。たしか、精神論を全力で語り合っていたのではなかったか。精神論だけが、私たちにとって唯一絶対の新しい原理原則であり、一位にならなければ何者にもなれなかったのだから。
その後行われた筆記試験では、私は念願の一位を獲得した。World is mine.この世のすべてを手に入れたと、その瞬間確かにそう思った。事実、一位をとった者には完全な手放しの肯定が贈られる。崇拝と賞賛。最高の麻薬だった。
研修最終日の最後のカリキュラムは、暗く締め切った室内で超大音量の音楽を流しながら班員同士でお互いに良いところと悪いところを本音で叫び合うというものだった。30km競歩をゆうに超える異質さを持つこの儀式は、後日ネットで調べるとカルト教団などで用いられる洗脳の手段だそうで、事実カリキュラム終了後の会場には異様な一体感が、お互いの間にあるバリアのようなものがぐずぐずに溶けた異様な一体感がそこにはあったが、やっている最中には麻痺していて何も思うところがなかったし、皆一様に全力で取り組み、全力で叫び、全力で本音を言いあい、全員が号泣していたのだ。(※アニメ『四畳半神話大系』第五話で描かれたカルト教団がこのカリキュラムを行っているので、興味のある方は参考にして頂きたい)
そして、いよいよ研修の終わりには、全員で円陣を組んでそれぞれの目標を言い合う最後の儀式が待っていた。「何年までに」「どれくらいの役職について」「いくら稼ぐ」、この三つのファクターでそれぞれの目標は語られたが、幾分嘘くさいというか、過酷な洗礼を受けてきてすっかり生まれ変わった研修生であっても、まだ会社で成果をあげることに関して具体的なイメージを持つことができている者は少ないらしく、もっと言ってしまえば一時的に感極まっているだけで本当に出世してお金を稼ぎたいと思っている者は僅かしかいないのだろうと思った。私は、例え洗脳をされてでも、自分が学びたいことのためにいま選択してこの場所にいるつもりであったから、自分のやりたいこと、自分の意志には正直でいたかったし、決して嘘は付きたくなかったから、自分の番が回ってきたとき、周りと同じテンションでこう目標を宣言した。
「絶対に作家になってみせます!!」
周りの人は呆れて笑っていたが、頑張れよと言ってくれた。研修は終わり、東京へと帰ってきた。
作家になる。それが私の夢であって、絶対に譲れない自分の生き方だけれど、そういうナイーブな気質は社会で生きる上では不都合なことが多く、端的に息苦しいのだが、働いていかなければ生きていけないし、まともな社会人にならなければ大人としても扱われないだろうから、私はまともになりたかった。普通に生きていける能力があると自分自身に示したかった。なにより、作家になるということを言い訳にして暮らしたくはなかった。そのために、自分の実力で入れる会社のうち、一番過酷なこの会社を自ら選んだのだった。逃げるわけにはいかなかった。自分は生まれ変わるのだ。鬱を克服してみせるのだ。
4.配属
「お世話になっております!私xx会社のxxと申しますが、社長様はいらっしゃいますでしょうか?あ、左様でございますか。でしたらまた後日こちらからかけ直させて頂きます。それでは、失礼いたします」
子会社Bに配属されて初めての電話営業を終え、受話器をそっと戻したとき、これは迷惑電話だと思って心が折れた。仕事というものはすべからく社会貢献だと思い込んでいたが、どうやら例外もあるらしい。うちの会社は社会悪だ。私はそう思ってしまったのだった。そう思ったらもう受注はとれない。事実、親族や友人からは株式会社希望ソリューションズへの入社を尽く非難されていたのだが、もっとまともに耳を傾けるべきだったかと後悔し始めていたが、会社は今や自分のアイデンティティの一部になってしまっているので、会社の否定は自分への否定にも繋がり、否定されると「そんなこともない」と反発するようになっていった。悪循環だ。
「ウォッス!!!!おはようございます!!!!!!」から始まり、始業時の円陣を組んでの社訓・社歌の全力斉唱を経て、怒涛のテレアポ、怒涛の罵倒、怒涛の賞賛、あまりにも情報量の多い空間を泳ぎながら一日は過ぎていく。特に目標もなく、上司に「いくら稼ぎたい?」と聞かれても「300万」としか答えなかった。休み時間にお道化ながら転職サイトを眺めて気を紛らし、確実に精神は死に向かいつつあった。昼休憩は食事をとることもできず、毎日恋人に電話をして泣いていた。自分の存在にはまだ意味がなかった。
初めの一月が過ぎた頃、まだ子会社Bではメンヘラがバレておらず、新卒は皆一様に受注0件だったことと、趣味がカメラだということが原因で、私は営業を離れCRM(顧客サポート)に回されることになった。営業が迷惑行為だと感じた分、こちらでは頑張った。広告関係の仕事だったので、顧客の店舗を撮影する業務があり、私はカメラマンになることができた。この時より名刺は子会社Cに変更され、私はCRMという名称のかっこよさに帰属意識を覚えた。
写真は本当に好きだったので、一生懸命がんばって働き、業務外でも撮影テクニックを研鑽した。なにかやりがいだとか、働く意味のようなものを見つけた気がした。生きていける気がした。だが撮影は業務の内のほんのひと握りに過ぎず、にも関わらず自分の興味は完全に撮影のみに向いてしまったため、目指すべき会社の利益にそぐわない価値観を形成してしまった。
「いい写真を撮ることこそが顧客満足に応え、会社の満足に繋がるのです!」そう飲み会で上司に力説していた謎過ぎる自分がそこにいた。痛い。
撮影以外の業務では相対的にあまり活躍できず、他の同僚とも馬が合わなかったので、私は徐々に居場所を失いつつあった。そして病んだ。
一冊のノートを購入し、仕事中ストレスがあまりにも溜まるとそこへ「死にたい」と書き殴るようになった。トイレに駆け込み倒れこんだり、Twitterの自虐ツイートも盛況になった。周りから見てちょっとおかしいところがあったのではないかと、彼らの視線を思い返してそう考える。精神科にも通うようになって、処方された薬を飲んでもっとおかしなことになっていった。(精神科の薬は飲まない方がいいというのが持論)
なかでも一番の変化は、「希望」という言葉が嫌いになったということだ。株式会社希望ソリューションズの社名に刻印された「希望」の二文字は私には「絶望」という言葉にしか見えなくなった。日常、生活していて、「希望」という言葉を耳にすると体が震えて吐き気が止まらなくなった。同じことが、無数に存在する関連会社(そのおおよそは研修中の筆記テストの勉強で覚えた)を生活のなかで見かけるたびに起こり、私は街を歩くことが怖くなった。
入社二ヶ月目にして私は干された。営業に戻されるという話になったが、それを断り、グループ内の別の子会社への移籍を願い出た。それからちょっとした転職活動のようなものを経て、子会社Dへと移籍した。なんのスキルも持っていないことが、本当に悔しかった。
5.窓際 前編
子会社Dは、ブラック企業と言われる株式会社希望ソリューションズの中でも、比較的ホワイトと言われる職場で、ここなら頑張っていけるかもしれないとそう思った。さらにその中でも、言ってしまえば凄く暇な、所謂「窓際」の部署に配属された。ここには「ウォッス!!!!」の挨拶はなかった。
移籍時に、なんのPCスキル持っていなかったため、PCスキルを身につけて会社に貢献することを上司に約束していた私は、約束通り頑張っていこうと思ったが、また鬱をこじらせた。窓際だけあって、仕事が恐ろしく退屈でなんの未来も見えなかったのだ。
私は移籍して二週間で体を壊してしまった。恒常的に目眩を煩い、頭は働かず、よくトイレに駆け込んで倒れるようになった。会社近くの病院へいくとメニエールと診断され、休職し絶対安静するよう勧められた。膨大な薬の量を出され、病院から帰ってきた私はコンビニでビールを買い込んだかのような袋をぶら下げて滑稽だった。窓際といっても当時はまだ忙しい時期だったので、約二週間はその状態で仕事を続け、その後一週間休みをもらったが、移籍そうそう休みをもらってしまい、ふがいない気持ちでいっぱいだった。
自宅療養中、もう一生まともに働けないのだろうなと思った。かと言って生活保護だとか、障害者保険をもらえるわけでもなく、ニートのまま許されるはずもなく、一生目眩に襲われながら働き続けて、やりたいこともできないまま人生が終わるのだろうかと本気で思い悩んだ。
結局、セカンドオピニオンとして目眩の専門医を尋ねたところ、メニエールはただの誤診であることが分かった。私には絶対安静が必要なのではなく、運動が必要だったのだ。つまり、運動不足が原因と診断された。その後は医者の指導のもと徐々に生活に運動を取り入れ、薬を一切とることもなく、今尚完全には治らなかったが、すこしずつ目眩は回復していった。
仕事も徐々に慣れ、約束をしていたPCスキルについても、VBAでシステムを独自に組み業務に活かせるレベルになり、自分にすこし自信がついた。お金は特に欲しくなかったので、ここで働いていくのも悪くないかと折り合いが付き始めた。みなし残業制度によって毎日二時間の残業が半強制的に義務付けられていた株式会社希望ソリューションズの中でも、数少ない例外がこの部署で、時期にもよるが当時は定時上がりすることができていたのだ。私は読書と執筆をする時間と心の余裕を手に入れて、その平穏はしばらく続いた。後から聞くと、休憩時間に一人で喫煙ルームで本を読んでいる変な奴だと、他の部署の人間からは思われていたらしいが、そんなことは気にならなかった。
6.窓際 後編
入社して一年が過ぎた頃、執筆活動が本格化し、再び鬱が口を開けた。周りの友人が次々と自殺/自殺未遂を行った。生きる意味のようなものが足りないのだとぼんやりと思った。彼ら彼女らにも、自分にも。
しばらくの間、怒りと使命感に駆られて夢中で書き続けたが、やがてそれにだって意味はなく、誰も自分の書いていることに興味がないのだと悟った。例えばそれは、自分が生きていて欲しいと思う人たちにとっても、自分がその人たちに向けて書いているまさにその人たちにとっても、意味のないものだった。ただ、いつもどおり気にかけたり、いつもいつも気にかけ続けたり、SOSを見逃さないことが何よりも重要で、私にはそれ以上のことはできなかった。
再び空虚な日々が訪れた。自分が生存し続ける意味が一刻も早く欲しかった。
7.栄転
入社二年目にひょんなことから急に栄転が決まった。株式会社希望ソリューションズは一度決めたら行動が早い。
「あなたがxx?」
「はい、そうです」
「この子で決まり、来週から本部勤務。トップダウンだから、拒否はできないけど異論はある?なかったらすぐ手配して」
面談開始30秒足らずで本部勤務が決まってしまったが、少数精鋭の約30名で100ブランド以上のCRMを一括管理する凄い部署だ。営業ではないがコストカットによって莫大な利益を出している。ほぼすべての顧客情報が閲覧できてしまう可能性があるため、仕事の能力だけでなく人格面でも絶対の信頼を勝ち取らないとここに置いてはもらえない。その部長は長年人事部での経験があるため顔を見れば一瞬で人材のレベルが分かるという話だったが、入社二ヶ月で干された作家志望のゆとりなんかを、なぜ問題ないと判断したのかはよく分からなかった。(アマチュア)作家としての自分の一面を、知られたら一瞬でまた左遷されると心の中で怯えていた。
だが一方で本部勤務という栄光は自分の自尊心を強烈に満たしてくれた。こつこつと磨いてきたPCスキルを認められての栄転ということもあって、報われたという思いが強かった。仕事自体は難しいうえにほとんど教えてもらうことはできず、ルーチン以外で命令されることの1/3がメールで「○○やって」の一文だけで説明はあまりされることなく、突きつめて質問していくとそもそもどうやってもできないことだったりして、大変ストレスが溜まっていたが、それでもなにか意味のある仕事をしているような気持ちになれた。
それには部長の途轍もないマネジメントスキルのおかげでもあった。飴と鞭。職場には常に部長の怒号が飛び交い、荒波のように満ち満ちて、最初こそ恐れ慄き、就寝前の静寂のなかでよく部長の怒鳴り声の幻聴を聞いたが、それでも部長の飴は強烈な麻薬だった。ここにいる人間は選ばれた人間であること、仕事と関係なく部長が個人的に好きな人間たちしか置いていないこと、愛していること、株式会社希望ソリューションズの中でもここの部署が重要な位置を占めていて莫大な利益を出していること、利益に結びつかない非効率な悪習は変えていくつもりがあること。これらのメッセージは一歩距離を置きつつも私には強烈に突き刺さってしまった。他の社員に関して、同じく一歩引いて受け止めつつも部長によって自尊心が満たされているように思えた。また、それらの陽性のメッセージとは裏腹の「ただしなにかあればすぐに左遷する」という陰性のメッセージに私は強く怯えていたので、なおさら仕事を頑張った。マインドコントロールだとしても、意味を失いたくなかった。
仕事にも徐々に慣れた頃、転機があった。自分の所属している課の仕事でトラブルが相次ぎ、恒常的にクレームが発生するようになり、上司が次々と降格させられていった。そして、私に白羽の矢がたった。昇格したわけではなかったが、「お前に任せてみたいと思うから、誰のせいにもせずに腹括ってやってみろ」と部長に言われた。死ぬほど嬉しかった。満たされた。
それから数ヶ月に渡って、率先して課の改革を行った。圧倒的に一番提案し、仕事の八割が自分から提案したものになり命令されることがほとんどなくなった。上司からは「任せた」、の一言だけになった。
私は愛想笑いなんかしたくないし、器用に物事をこなせる方でもなく、小説が好きであまり現実に価値を見出していないような、決して無難な人材ではないけれど、課題解決能力に関しては図抜けたものを秘めていたようで、自分に何か人に認められるような能力がきちんとあって、それをちゃんと認めてもらったことが嬉しかった。私にも居場所ができたのでした。
それでも、私は文章を書いて、意味を与えられるのではなく、自分で意味を見つけたいと思いました。「生活の時間と本の中で流れている時間の乖離が進むと、人は本を読めなくなる」というツイートをどこかで見かけましたが、まさにそのように仕事が忙しすぎて本が読めない状態が続いていたのです。私は文章を書くために会社を辞めました。最後までしあわせに働けました。部長は「いつでも戻ってきていいからね」と、私に言ってくれました。
8.マインドコントロールで鬱は治せたのか -ウォーリフィケーション(warification)の可能性-
鬱は結局治ってません。今でも生きていくことの意味を探しています。書きたいことは何か、何を書くべきか、自分の文体は何かを探しています。なにがそんなに辛いんだと馬鹿にされるかもしれないけど、生きていくのはしんどいです。それでも、もう手放してしまったにせよ、かつてちゃんとそこに自分の居場所があって、そこで大人として認められていて、いつでも戻ることができる可能性があるというのは、本当に救われるし、勇気が出ることなのだと思います。就活時代にあれだけ書けなかった履歴書も、今では自信満々に埋めることができます。これでも結構マシになったのです。
「自分でわかるだろう」と言ったストーン医師は、続けてファットにこれまでだれも言ってくれなかったことを言った。「君が権威だからね」と。ファットは、ストーンが自分の――ファットの――精神的な生を回復させてくれたことに気がついた。(フィリップ・K・ディック『ヴァリス』1981年・早川書房・山形浩生訳)
いま、権威はどこにあるのか。「大きな物語の終焉」(リオタール)や「第三者の審級の衰退」(大澤真幸)と言われるように、それは現代では非常に見えづらくなっているのでしょう。例えばSNSで無限にお互いを承認しあう人たちがいたとして、彼ら彼女らが一向に満たされないのは、互いに権威を与えることができないからなのではないか。そして、企業は時に権威を創出し、従業員を権威へと接続して承認する。ただし、無条件にではなく、会社の求める人物像を演じ続けているうちにだけ。そのような企業はブラック企業と通常呼ばれているような企業であり、ここで語られている手法は通常マインドコントロールと呼ばれているようなものではないだろうか。だとすると、その危険性――特に精神的に不安定な者がそこに帰属する際の――を十分に認識しつつも、「ブラック企業」や「マインドコントロール」とラベリングして一様に切り捨てるのではなく、むしろ有用な部分を抽出したうえで積極的に見習っていく必要があるのではないだろうか。一時の修行だと思って、あえてそこに一旦飛び込んでみることも、人によっては必要なのではないだろうか。物語に参画すること。
「ゲーミフィケーション(gamification)」という言葉がある。ざっくり説明すると、労働をゲームの隠喩として捉えることで前向きな労働意欲を引き出すための環境設計という意味になるが、株式会社希望ソリューションズでもこの考え方は応用されていて、例えば営業成績は「円」ではなく「ポイント」として言い表されていた。だが、ここで行われているのは(機能しているのは)実際には「ゲーミフィケーション」のその先、仕事を(暗黙のうちに)戦争の隠喩として捉える「ウォーリフィケーション(warification)」なのだ。
そもそも、今労働をゲームつまり虚構として捉えることになんの意味があるのだろうか?「ゲーミフィケーション」の企業におけるまともな成功事例を身の回りで聞いたことがあるだろうか?「現実(からの)逃避」という言葉があるが、大澤真幸は『不可能性の時代』(2008年)で、現代社会を特徴付けているのは極端な虚構化と現実への逃避であり、その二つのベクトルのなかで「虚構の時代(1975年~1995年)」が引き裂かれることで、「不可能性の時代(1995年~)」へと突入したと述べている。「ゲーミフィケーション」するまでもなく労働は虚構化=ゲーム化されていて、人々はそこに意味つまり現実の不在を感じてはいないだろうか。ならば労働を再び現実化させることが必要だろう。
労働に対して(暗黙のうちに)戦争の隠喩化を促す「ウォーリフィケーション」においては、文字通り職業上の一般名詞が戦争のそれに置き換えられる。「部署」は「部隊」となり、「ノルマ」は「ミッション=使命」となる。そして、「ウォーリフィケーション」の最たる特徴は、まさに軍隊式の規律によって会社生活が一切の遊び=ゆとりなくデザインされ、倒すべき敵=ノルマ=ミッションに対して「生か死か」の究極の二択にも似た「全肯定か全否定か」の二択を社員に突きつける点にあるだろう。このとき、労働は薄っぺらな虚構ではなく、(逃げ込むべき)鮮烈な現実のものとなる。さらに、労働が「ウォーリフィケーション」(=戦争の隠喩化)される前に、ポイント制度などによって「ゲーミフィケーション」(=ゲームの隠喩化)されているという点に注目して頂きたい。虚構化された労働が、一旦「ゲーミフィケーション」(=ゲームの隠喩化)されたうえで、「ウォーリフィケーション」(=戦争の隠喩化)されることで再度現実のものとなるとき、ここで与えられるリアルは「戦争のような現実」ではなく「戦争ゲームのような現実」なのだ。この差が大きいのは、まさに敵=ノルマ=ミッションを倒したときに得られる全肯定が様式化=ゲーム化=虚構化されているからこそ手放しで受け取りやすく、また再び敵=ノルマ=ミッションを倒そうとする正のスパイラルそのものがどこまでも「ゲーミフィケーション」の力学に沿っているからである。これこそがまさに権威を創出し従業員を権威へと接続する「ウォーリフィケーション」の構造である。
以上の議論で私は意図的に「権威」と「意味」を混同させて論を進めた。なぜならその二つは非常に似ているばかりか、互いに互いの成分を模倣し一時的に代替しあおうとする性質があり、今日では通常主に「意味」や「承認」という言葉とごっちゃになって用いられているように見えるからだ。「権威」とは共同幻想、「承認」とは対幻想(二者関係)、「意味」とは自己幻想の領域に他ならず、人の身体はそのどれとの接続を欠いても持続的に存在することは不可能ではないだろうか。だから、人は(ある程度の)社会的成功と、親友や恋人等の一対一関係の獲得と、自己実現をもって満たされるのだろうし、そのためにはもしも世界のどこにも権威を見つけられないのなら、権威を獲得するために一旦ブラック企業に勤めてみて、そのあとに自己実現を目指して違う道を探してみてはいかがだろうか。とにもかくにも私は現在求職中で、それなりに元気でやっています。
文字数:12004