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「智」の核分裂 KHへの手紙

 核爆弾の炸裂とともに始まったこの国の戦後をあなたが四〇年近くも生き長らえたという事実は、今でもわたしを驚かせるばかりです。はたしてあの戦争とはあなたにとって果敢な文明理想とその世界観の表現でしたか1。あなたが三度に渡って戦地へと赴いたのは、世界史を画する大遠征への同行だったのでしょうか2。日本の命運は天壌無窮の皇運によって担保されているはずでした3。けれども、この国は身包みを脱いだ大博打のような戦いにたしかに敗れたのです4。偉大な破壊、その驚くべき愛情5。ときに無力な者たちにとって戦争は甘美なものでもありました。それは贅沢な死と破滅の大宴会をこの国にもたらした6。自分一個の終末観と、時代と社会全部の終末観とが、完全に適合一致した、稀に見る時代でした7。
 抑圧された者たちにとって終戦が解放であったとするなら、戦争を否定したかったあなたは戦後に言葉を発する権利など持ち合わせていなかったはずです。それでも、あなたは現在においても未だこの国における批評という営為の象徴であり続けている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか――8。終戦後、あなたはそう言い放って一切の責任を引き受けることから逃れた。しかし俗に開き直りとして受け取られたこの発言は、戦前の筆跡を消し尽くすのではなく、むしろあなたの一貫性を強調するもののようにわたしには思えます。戦後は続くよ、どこまでも9。70年余が経った今なお、断絶点としてあの戦争が顧みられるのなら、わたしたちはあなた――小林秀雄が残した<無智>における戦前と戦後の連続性を検討することで新たな歴史が追り出してくることに注目するべきなのかもしれません。

戦時下においてあなたは従軍記者として何度も大陸に赴き、社会時評を記しています。戦争へと突き進むこの国をあなたは決して否定しなかった。そして西洋から借りてきた思想や観念――ヒューマニズムやマルクス主義を片手に、「事変」を論難する思想家を痛烈に批判しました。彼らは別に戦況の見透しや実情に即した見解があったわけではなく、ただ批評みたいなことを喋りたかったに過ぎません10。事実が思想を追い越し、先きへ先きへと進む時局下において11、出来上がってしまった<智慧>とか思想とかいうものは、本当のことを言えば暇人の玩具でしかないのです12。日本は正義の戦をしているか、という様な考えを抱く者は歴史について何事も知らない13。歴史を審判する歴史から離れた正義とは空想の生んだ鬼のようなものでしかない、とあなたは言いました14。自国民の団結を顧みない様な国際正義は無意味である15――このように書くとき、あなたはほとんど戦争を肯定していたのではないですか。
 戦争の性質の未聞の複雑さ、その進行の意外さは万人の見るところだったように思います16。たしかに、国民の大部分が行ったことも見たこともない国で、宣戦もしないで、大戦争をやり、新政権の樹立、文化工作、資源開発を同時に行い、国内では精神動員をやり経済統制をやるといったことは世界史において初めて登場した事態でした17。この未曾有の「事変」に応対する思想をこの国は持ち合わせていなかった18。歴史は学者のいうように合理的解釈論で揚足取りをできるものではなく19、その渦中に巻き込まれつつ理解するほかありません。

あなたは西洋拝借の思想で戦争を批判する者だけでなく、戦争をナショナリスティックに扇動した者たちまでをも批判の対象としました。彼らの唱える神州不滅の原理もまた、観念的<智慧>に過ぎないというわけです20。なぜ日本主義者は、陳腐な漢語など矢鱈に使って怒鳴り立てねばならないのか21――日本主義者も、西洋の<智慧>で反戦を語る人間主義者もあなたにとっては同じ穴の貉にしか見えなかった。あなたの思想的態度は一貫していて、文壇に足がかりを得ることになった批評文でも観念的な「智慧」――意匠は徹底して批判の対象 されました。色んな主義を食べ過ぎて腹を壊してはいけないというわけです22。
 この徹底的な既成の<智慧>への批判を顧みるとき、戦後にあなたが言い放った言葉は決して戦前からの掌返しなどではないことが明らかになるように思います。<智慧>の観念性とその危険を理解していたからこそ、「無智だから反省しない」という放言がありえたのでしょう。戦争が終った時には、必ず若しかくかくだったら戦争は起らなかったろう、戦争はこんな風にはならなかったろうという<智慧>に頼った議論が起こることがあなたは予め分かっていたのではないですか23。しかし、そのような後智慧では対処することのできない、生きて知るほかない歴史の必然性というものの恐ろしさをあなたは知っていたのです24。

一つの問いが頭をもたげます。あなたは日に日に進行していく歴史をただ肯定するという、実に消極的な現状肯定の思想を戦前/戦後と貫通して語っただけだったのでしょうか。後年の批評家がいうように、小林秀雄という批評家はこの戦争を前にして何ら語るべき言葉を持たなかったのでしょうか――25。
 ここであなたという批評家が備えた、特異な論理的不整合性に目を向けないわけにはいきません。議論を急げば、あなたの思索は語義矛盾によって戦前/戦後で連続していた一方、あの敗戦によってやはり断絶してもいた。いささか両義的な物言いかもしれません。しかし、あの戦争の最中において、あなたは非論理性の猖獗をきわめ、ほとんど分裂症のように一つの言葉を二重の意味で用いるという矛盾に到達していたように思います。その矛盾とは現実はなれした観念=<智慧>を批判する一方で、「事変」に対応しうる未だ見ぬこの国独自の自生の思想もまた、<智慧>という言葉で表現するという分裂です。

戦争は、まさしく非常時と呼ぶにふさわしい出来事ですが、非常時の思想などというものはなく、わたしたちには平常時に慎重に叩き上げた思想によってそれに応じるしかない26。その思想とは日々の生活を生きる人々の底流に流れる緩慢な<智慧>だと、あなたはそう表現しています27。ここでいう<智慧>が先に述べた日常生活から遊離した観念的<智慧>とは別物であることは疑いようがありません。ここで<智慧>のダブル・ミーニングをひとまず棚に上げ、まずはこの歴史を生きるなかで生成されるという、もう一つの<智慧>の相貌を捉えてみたいと思います。
 あなたはこの生活に根差した<智慧>を、思想家や学者ではなく、「事変」に黙って処した国民の裡に見出します28。この国の人々は複雑な単純な伝統の下に<智慧>を育み、これを明治以後の急激な西洋文化の影響の下に鍛錬したことによって一種異様な聰明さを獲得しかけていました29。しかし、日本国民は国運を賭するほどの大事件にぶつかりながら、この生活的<智慧>を言い表すのに、貧寒な言葉しか持ち合わせていませんでした30。そして、当時の思想家は一人もこの<智慧>について正確に語ろうともせず31、借り物の思想(観念的<智慧>)を振り回すばかりだった32。

この行なうばかりで語らない生活的<智慧>がどのようなものか、あなたは歴史の最突端――大陸の果てで、ほとんど血肉化する寸前まで辿り着いていたように思います。三度目の大陸への渡行であなたが目指したのは「満洲国」でした。満洲国――振り返るまでもなくその建国の背景にある東亜協同体論とは、書物のなかにしか存在しない理念であり、同時に歴史の辻褄を強引に合わせる観念的<智慧>によるものでした33。あなたの思いは満蒙開拓青少年義勇隊の訓練所を視察するにあたって確信へと変わります。最初に視察した孫呉訓練所にあなたが見て取ったのは第一に物資の欠乏でした。満足な防寒も施されていない訓練所で教官たちはただ精神論――観念的<智慧>を説くばかりです。この観念的仮構にふさわしく、同地の指導者は皆このような<智慧>に囚われていました34。
 一方で、満洲国であなたはこの新奇な事態に応対する生活的<智慧>の萌芽も発見することになります。それは孫呉訓練所の次に視察した開拓村――瑞穂村で遭遇した、生活に根付いた思想を生成する農民たちの姿です。瑞穂村では、村落内に居る日本人と満人小作人とは極めて円満に行っているし、他の満人部落との関係も悪くはなかったのです35。なにより学校も、病院も、寺も、神社もすべてが準備されていました36。この開拓村では子供は五十人も生まれ、爺さんも婆さんも生活しています37。彼らの姿は満洲国であなたが初めて目にした、根強く生活している日本人でした。瑞穂村の様子にあなたは大きく空仮なアイデアリズム――観念的<智慧>の敗北を感じることになります38。満洲に夢を描く者は失敗するが、最もリアリスティックである農民という階級が最も着実な思想の歩を踏しめ39、生きながら学ぶ<智慧>の相貌を獲得していたというわけです。

 しかし、その生活的<智慧>の相貌もまた言語化されないうちに消失してしまったことに、小林秀雄という批評家の悲劇が位置しているように思います。この瑞穂村における自生の<智慧>もまた観念的仮構に過ぎなかったことを、戦後のわたしたちはその痛切な顛末とともにによく記憶しています。瑞穂村含め、満洲国における開拓村とは結局のところ現地民からの収奪によって手に入れた土地であり、その日常的生活とは侵略の事実を糊塗することによって成立していたものに過ぎませんでした。終戦後に瑞穂村は現地民の襲撃に合い、数百名の死という代償を払うことになります。ここにあなたが血肉化しようとしていた、生活的<智慧>の破綻があります。あなたは日本的現実を反映した<智慧>を生成する契機を永遠に失ってしまった――。
 あなたが亡くなってから、もう三〇年以上が経ちます。もしかしたらわたしたちはこれまで一度たりともこの社会から生成される思想を体得したことがないのかもしれません。あなたが戦後に言い放った「僕は<無智>だから反省しない」という言葉は、もはやその意味を同定することが不可能のようにわたしには思います。その<智慧>とは日本を戦争へと駆り立てた/盲信的に否定した観念的<智慧>のことでしょうか。それとも、核爆弾が炸裂し、戦争に敗れたこの国であなたが放擲してしまった<智慧>とは、わたしたちが自らを語るために歴史を生きるうちに学ぶ思想のことだったのでしょうか。もしそうであるなら行為から自生する思想を結実させることなく、戦争に敗れ去ったこの国にどのような<智慧>の萌芽がありえるのでしょうか。

あなたの放言は、やはりこの国の思想的相貌を描出していたのかもしれません。もしそうであるなら、あなたがこの国の批評家として未だ象徴的存在であることは少しも不思議なことではなかったのです――。

◆出典は下記URLにて

https://docs.google.com/document/d/12OnlFmVFqlukxDuh_JtEl-d1FajqCIQ8Movo0dzi_H8/edit?usp=sharing

※引用は原著から一部改変、変更して使用しているものもあります

文字数:4576

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