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ヤツらは辺境で歌い踊る

 映画において西漸運動は逃亡の歴史だった。
 19世紀末、トーマス・エジソンの発明に始祖を持つこのメディアは瞬く間に世界へと伝播する。映画は無法地帯において育まれた。メリエスが開発したトリック撮影は翌月には剽窃され、瞬く間に贋作が世界中に流通する。
 1908年、業を煮やしたエジソンはMPPC(モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー)を設立して撮影機の規格を特許として申請、その認可を得た。この男には発明王より実業家の称呼がふさわしい。エジソンによる特許取得の意味するところは、小規模な映画制作者の死であった。この新奇な媒体を利用しての渡世を企む有象無象の興行師にロイヤリティを払う懐の余裕などなかった。ならず者たちはMPPCが威勢をふるうニュージャージーから逃走、自由を求めて辺境たる西部へと進む。20世紀初頭の合衆国において映画の中心地はまぎれもなく東部であり、西部とはまさに暫しのあいだ延命された無法地帯であった。映画の殿堂「ハリウッド」など後世の神話にすぎない。

 東から西へ――初期映画史は水平の運動に貫かれている。この大陸を股にかけた移動の最中において映画表現はデヴィッド・ウォーク・グリフィスを嚆矢として第一の完成をみることになる。映画の父と称されたこの作家は東部(ニュージャージー)に本社を持つバイオグラフ社でそのキャリアを積み重ねていった。グリフィスはやがて初期映画史で最大の興行収入を記録する『國民の創生』(1915年)を撮り上げる。本作は史上初めてホワイトハウスで上映された映画作品であり、なによりその人種表現においてきわめて「東部」的作品であった。中心地・東部において映画表現は第一の達成をみる一方、荒涼たる西部(ハリウッド)には徐々に資本が集積しはじめていた。
 秩序はつねに辺境において塗り替えられる。『國民の創生』よりおよそ10年、1920年代末期において、私たちは東西を辿る映画史的運動の終焉をみることになる。

 1927年、『ジャズ・シンガー』の公開によって映画は「音」の魅力に憑りつかれた。トーキーは映画のすべてを一変させ、辺境たる西部はそのパラダイム・シフトに東部よりも早く反応する。翌年には中西部からニューヨーク行きを断念してハリウッドへと渡ったウォルト・ディズニーが『蒸気船ウィリー』を発表した。『ジャズ・シンガー』を公開したワーナー・ブラザーズはトーキーの成功によって規模を拡大、その他のハリウッドメジャーもその地歩を固め始める。なにより記憶されるべきは1927年とはアカデミー賞の創設された年であり、覇権はもはや東部から西部へと移行しつつあった(グリフィスがキャリアを積み上げた「東部」にあるバイオグラフ社は時を待たずにワーナー・ブラザーズに買収されることになる)。
  『國民の創生』から『ジャズ・シンガー』『蒸気船ウィリー』へ――私たちは辺境たる西部への中心の移行を映画史において目撃する。だが、この水平運動の背後に垂直の問題系が貫かれていることは後年の批評において絶えず見落とされてきた。「黒」の表象――ブラックフェイスの照応によって、映画史的運動はまったく新たな相貌を伴って私たちの前に立ち現れることになる。

 
  『國民の創生』はその伝説的興行収入の傍ら、ある論争的側面を備えていた。南北戦争を材に採った本作はグリフィスの思想を反映した歴史修正をともなう映画でもあったのである。合衆国を二分した内戦において南軍側の大佐として戦った父を持つグリフィスは、白/黒の人種差別意識を強く継承していた。『國民の創生』において黒人は粗野で野蛮な存在であり、南部の無垢な白人はその脅威に絶えずおびやかされる。南北戦争後、奴隷制の廃止によって横暴となった黒人を懲らしめる英雄的存在としてKKK(クー・クラックス・クラン)を描いたことで、本作は多くの抗議活動を生んだ。
 だが、『國民の創生』で最も本質的な差別行為であったのは、そのように露悪的に描かれた「黒人」が黒人ではなかったという事実にあることは言を俟たない。同作において科白のある主要な黒人は、すべて白人が肌を黒く塗ること(ブラックフェイス)で擬装して演じられていたのだ。黒人にすら「黒人」を演じさせない徹底的抑圧のもとに、映画表現の達成は記録されている。

 擬装された「黒」の表象――焼いたコルクを粉砕し、ペースト状にして顔に塗るブラックフェイスは辺境たる西部を一変させた『ジャズ・シンガー』においても刻銘されている。しかし、その位相は『國民の創生』とはいささか異なっていた。
 まず『ジャズ・シンガー』はそこで鳴る「音」からして黒い。ユダヤ教会における先唱者(歌い手)を父に持つ男が、伝統に背いて黒人音楽の歌手として立身出世をするというのが『ジャズ・シンガー』のストーリーである。少年時代から主人公はシャッフル(アフリカ系アメリカン特有の足を摺る踊り)を踏み、黒人音楽から派生したポップスであるラグタイムを歌ってみせる。なにより主演を務めたアル・ジョルソン自身がヴォードヴィルで黒人音楽を歌う歌手としてすでに名声を獲得している存在であった。

 では、なぜ『国民の創生』と『ジャズ・シンガー』を貫く南北の問題系が、「ブラックフェイス」の表象において顕わになるのだろうか。グリフィスは白人の役者に顔を黒く塗らせて「黒人」として擬装させていた。観客にとってその隠匿された差別行為を見分けることは難しい。
 だが、対照的にもう一方の『ジャズ・シンガー』においてジョルソンは、自らその顔を黒く塗りつぶす過程をカメラの前に逐一映し出すこととなる。同作は終幕においてヴォードヴィルでのパフォーマンスが描かれるのだが、そこで披露されるミンストレル・ショーとはまさしく「ブラックフェイス」による芸事である。ミンストレルとは白人が顔を黒く塗っていることを知った上で、観客が類型的な黒人キャラクターによる芸を愉しむというパフォーマンスなのだ(意味のない発話をしながらおどけた踊りをする「ジム・クロウ」や、燕尾服を着こんで伊達男を気取る「ジップ・クーン」などが知られている)。

 スクリーンで白人たるジョルソンの顔がみるみる黒く塗られていく様は、いわば「黒」の仮構性を露呈させているといえるだろう。『國民の創生』が白/黒の絶対的な区別を前提とした、南部の白人的価値観の一つの表れであったとするならば、『ジャズ・シンガー』は二項対立における「黒」が白人によって措定された対象であり、その二分法が恣意的であることを明らかにしたのである。
 ブラックフェイスのジョルソンが歌う「Mommy」は映画史における有数の記憶として今なお引き継がれている。『ジャズ・シンガー』は東西の映画史的運動の終焉にとどまらず、南北(白/黒)の問題系への一つの解答でもあった。

 
 だが、私たちは決してここで問いを手放してはならない。はたして『ジャズ・シンガー』は南北問題――白/黒の二項対立を突き崩すものとしてだけ、その価値を判断していいのだろうか。議論を急ごう。問題は、南北にはない(そして東西にも)。ジョルソンのブラックフェイスはいわば辺境的想像力の一形態として捉えられるべきものではないだろうか。

  『ジャズ・シンガー』は先述したように白/黒の二項対立を突きくずす作品だが、その可能性は決して「黒」の仮構性を露呈させることのみにとどまらない。シャッフルを踏み、そしてラグタイムなど黒人音楽を自家薬篭中のものとしているジョルソンは、実のところ決して「白」というステータスではくくれない出自を有している。ジョルソンはユダヤ系移民一世のシンガーであり、作品設定と同じようにユダヤ教の先唱者を実父に持っていたのだ。また制作会社であるワーナー・ブラザーズを興した四兄弟もまたユダヤ系移民であり、『ジャズ・シンガー』は白/黒に収まりきらない要素――ユダヤ性を強く内包している。
 同作において顔を黒く塗ってブラックフェイスに変貌するのは「白人」ではない。異端であるユダヤ人移民がシャッフルを踏み、黒人音楽を歌う作品――ユダヤとアフリカの異種混淆こそが『ジャズ・シンガー』の真の相貌であった。
 辺境において異端は異端と交わり、中心を収奪する。

 辺境的想像力は同じく西部への覇権移行を確定させた、ディズニーによる『蒸気船ウィリー』においても看取することができる。同作でミッキーマウスが奏でるのは、日本ではフォークダンスでお馴染みの「オクラホマ・ミキサー」であるが、じつは同曲の別名は先述したミンストレルでの類型的黒人キャラクターの名前でもある「ジップ・クーン」(!)なのだ。
 都会風の話し方を気取り、燕尾服を洒落込んで着込む自由黒人を面白おかしく演じるのが「ジップ・クーン」の条件である。ミッキーマウスはミンストレル芸人のように白い手袋をし(「黒」を強調するための衣装である)、燕尾服の形態に似たしっぽを持ち、黒人音楽を奏でる道化であった。その内部に「白」を持ちながら外形部は「黒」に染まっているこのキャラクターは、動物とミンストレル上の(白人の擬装による)「黒人」キャラクターが異種混淆する、きわめて辺境的な想像力の産物といえよう。

 辺境において秩序は溶解し、異端における混淆が発生する。東西の映画史的運動の背後で貫通していたことは南北(白/黒)の問題系ではなく、異種混淆的想像力の有無だった。
 しかし、すべての辺境は再領土化の危機から必ず自由ではない。私たちがその後の歴史で目撃したように、ハリウッドやディズニーは西部を覇権の中心地へと完全に変容せしめてみせた。異種混淆が必ず辺境において発生するのであれば、私たちが次にあらたな異端の相貌を目にすることになるのは辺境たる「東部」においてであった。ここで辺境性の東西運動は完全に反転する。

 
 西から東へ――1982年、映画はサウス・ブロンクスに生まれた新たな異端音楽をその記録に捉える。『ワイルド・スタイル』の公開だ。
 HIPHOPというカルチャーの礎となった映画と聞いたとき、そこにどのような「色」を想像するだろうか。恐らくあなたは「黒」と答えることだろう。しかしOPの後、グラフィティアートが映し出される中でスクリーン上方から降りてくる男――リー・ジョージ・キュノネスの肌の色は「茶」だった。ラップ、ダンス、グラフィティというHIPHOPの構成要素を規定した本作は、東部たるサウス・ブロンクスを舞台としており、同時に異種混淆的な表現にあふれている。HIPHOPはその後、N.W.A.によって白/黒の対立が前景化され南北問題を再燃させることとなるわけだが、出自を辿ってみれば、その色は決して「黒」だけには集約できない。

 リー演じる“ゾロ”はヒスパニック系の移民であり、夜な夜な操車場に潜り込んでは電車両をスプレーで染め上げている。クラブへ行けばDJがプレイするなかで、黒人のラッパーたちがシャッフルを踏みながらマイクを握っている。本作ではブレイク・ダンスが象徴的に描かれるが、このダンスは作品にも登場するプエルトリカンの踊りに出自を持っているのだ。『ワイルド・スタイル』はその他にもドミニカ系の移民も登場しており、まさに異種混淆的文化をそのカメラにドキュメントとして捉えているといっていい。

 中心たる西部・ハリウッドからみれば『ワイルド・スタイル』はその作品形態もまた異端であった。本作は初めて商業的に成功(全米で公開された)したインディー映画なのである。後にインディシーンを形成するスパイク・リーやジム・ジャームッシュもこの頃には一本も映画を撮っておらず、シーンの揺籠たるサンダンス映画祭もない時期に本作は公開された。70年代において中心たる西部・ハリウッドが迷走の時代に突入していたなか、辺境たる東部――サウス・ブロンクスでまた別の秩序が新生したのである。

 ラテン系やアフリカンの混淆だけではない。当時のサウス・ブロンクスには英国のパンク・シーンからザ・クラッシュのフロントマンであったジョー・ストラマーや、マルコム・マクラーレンも接近していた。マクラーレンはアフリカ・バンバータのもとに赴き、ブロンクスでの経験から「Buffalo Gals」を制作している。
 この辺境において「白」は中心たる権威を剥奪され、「黒」や「茶」と混淆した新たな想像力をつくり出す。もはや白/黒の二項対立は雲散霧消し、そこには多様な色が塗り重ねられる――あらゆる異端やよそ者が混じりあう場だけがあるのだ。『ワイルド・スタイル』はあらたな辺境――東部から生まれた異種混淆的表現を捉えた最初の表象といっていい。

  「南北問題」とは二項対立を前提とした問いである。辺境とはその混淆性から中心の秩序を内部から収奪する表現の震源地だ。アル・ジョルソンに、ミッキーマウスに、リー・ジョージ・キュノネスに私たちがみるのはそのような白/黒の対立を脱臼しつづける想像力のありようである。その辺境的想像力のメカニズムを理解したとき、デトロイトにあらわれたEMINEMを、実業における辺境たるサンフランシスコに現れた異端の「白人」ギークたちを、私たちははじめて正統に歴史に位置づけることが可能になるだろう。
 連中は、いつだって辺境から秩序を解体する。

◆参考文献
ヒップ アメリカにおけるかっこよさの系譜学』(2010年)ジョン・リーランド著、篠儀直子・松井領明訳、スペースシャワーネットワーク
アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(2011年)大和田俊之著、講談社

文字数:5560

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