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終戦の歌、災禍の音

 私たちは誰もあらかじめハッピーバースデー・ソングの意味を知らない。記憶が相貌を結ぶかぎり幼いころを思い起こしてみれば、おそらく最初に私が誕生日を祝った他人は4つ年上の兄だった。6歳か7歳の私は明かりを落とした居間で、両親にうながされるままにショートケーキをかこんで歌った。幼心に「ハッピーバースデー」が意味するところは感得していた。しかし「ディアー」と「トゥー・ユー」の「トゥー」は私のなかで歌詞として意味をなしていなかった。「Dear」は「でぃあ」であり、「to」は「つー」という音にすぎなかった。それでも私はハッピーバースデー・ソングを問題なく歌い終えた。兄がろうそくに息を吹きかけると、家族の姿が消えて視界は一つの闇にとらえられる。
 音楽にはふしぎな機能がある。たとえ歌詞を理解していなくても誰かと一緒に歌うことでそこに共同体が立ち上がる。

   

 革命を通過したばかりのフランスにおいて、オーストリアへの宣戦布告に際して作曲された歌――それが『ライン軍のための軍歌(Chant de guerre pour l’armée du Rhin)』である。革命の狂騒、そして戦争下という時代が要請した同曲は猛々しい言葉に満ちている。「汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで」「奴らは我らの元に来て我らの子と妻の喉を掻き切る」――マルセイユ連盟兵がパリに入城した際に口ずさんでいたこの歌はやがて『ラ・マルセイエーズ』として流行した。
 かつての施政者をギロチンにかけ全く新たな「国体」を立ち上げるにいたった当時のフランスは、同曲にその共同体像を仮託してみせた。貴族や僧侶などの特権階級ではなく「自由・平等・友愛」をスローガンに掲げる市民による共同体――「フランス」の国歌として『ラ・マルセイエーズ』は現在もなお歌い継がれている。「歌いながらの革命」とも呼ばれたフランス革命だが、同曲がオーストリアという外敵を前にして新たな「国体」における集団凝集性を高める効果を担っていたことは疑いえない。共同体は歌のもとに立ち上がる。
 この国においても共同体の輪郭をなぞるものとして歌が機能したことがある。諸外国からの圧力に端を発し明治維新にいたる幕府統治の終焉は、日本という「国家」の創出をみちびくことになった。それはまったく新たな共同体の姿だったといっていい。この国の近代以前――江戸期においては藩による実質的な治世が行われていたために、パトリオティズム(愛郷心)とナショナリズム(愛国心)は乖離していた。「日本」という国家における共同体(国民)意識の醸成は、中央集権型の権力構造を志向していた明治政府にとって喫緊の課題だったといえる。
 渡辺裕が『歌う国民』において指摘しているように、明治政府は国歌の制定のみならず早々に音楽取調掛を開設し、音楽教育をつうじて言文一致の浸透や集団としての統率性――あるべき「国民」像を日本全土へと普及させていく。なかでも文部省の手によって制作された唱歌集は、健康や道徳といった価値観を「ことば」によって明記して国民に浸透させる機能をもっていた。

 歌――この「ことば」を持つ音楽はその旋律によって感情移入を惹起するだけでなく、思想信条までを明文化して共同体の結束に寄与することが可能なのである。それは決して「音」だけの楽曲では達成されることのない意味や価値観を伝達する音楽だといえよう。歌は「ことば」によって意味を伝えるが、音だけではそこで表現されるものをどう受け取るかは聴取者に委ねられる。限定的な意味をもつ「ことば」がなければ、音楽はたちまち多義にひらかれるのだ。

  

 しかし、この国はかつて共同体の境界を不明にした「歌」をその歴史に残している。
 一九四五年八月一五日正午、あるラジオ放送が日本全土(および台湾や満洲などの占領地)に流れた。「玉音放送」はあまり知られていないことだが、ラジオアナウンサー(和田信賢)の発話によって始まり、そして終わる。天皇による詔書朗読は「重大な知らせ」であることを伝え聴取者に起立を乞う放送と、前後の国歌、詔書の内容ほかを解説する放送にはさまれていたのだ。
 後年の研究で明らかになったことだが、玉音放送を聴いていた国民は決して天皇の「ことば」をすみやかに理解できたわけではない。天皇の発話に涙してその場に崩れ落ちる国民の姿は多分にフィクションの要素をふくんでいるのである。彼らの多くは詔書朗読の後に行われた和田放送員による詔書の解説と再朗読によって「敗戦」を理解したと伝えられる。換言すれば、国民にとってアナウンサーの発話は内容を理解できる「ことば」として響き、天皇の「ことば」はその意味を確定することができない日常言語以外の何かとして響いたのだ。

 では、なぜ国民は天皇の発話を理解できなかったのだろうか。まず大前提として当時の国民は昭和天皇の「声」を知らなかったことがあげられる。天皇の肖像(御真影)はほとんどの国民の知るところであったが、その肉声を知る者はごく一部の側近と政府関係者に限定されていた。いまでは周知のとおりだが天皇の声は異様に高く、そして独自の抑揚をともなう。決して万全とはいえないラジオ放送という環境下で聴いた場合に、国民がその発話の意味をとれなかったであろうことは想像にたやすい。漢語めいた詔書の文体もまた理解を妨げる一因として機能していた。
 なにより、天皇の発話と日常言語との乖離は抑揚と音域だけにはとどまらない。詔書の朗読は独特なリズムによって構成されており、聴取者にそれを強く意識させる要因は類韻に似た響きにこそある。玉音放送には短く母音で韻を踏む言葉がたびたび繰り返されるのだ(押韻とはこの国において長歌短歌の形式が成立した奈良時代より「歌」に不可欠な要素の一つでもある)。
 例をあげてみよう。冒頭に登場する「臣民(sin-min)」や「米英支蘇四国(bei-ei-si-so-si-ko-ku)」では、それぞれinとieおよびioといった母音の組み合わせを連続するように繰り返している。なかでもinの響きは天皇の主語である「朕(tin)」と相俟って朗読全体を規定するリズムを構成することになる。
 また先に特徴としてあげた漢語めいた文体ゆえの熟語の多用も韻の発生を招いている。同じく冒頭部の一文のうちに「康寧(kou-nei)」と「共栄(kyou-ei)」が密接した位置に配される(ou-eiの韻)。この一文には他に「拳々(ken-ken)」と「宣戦(sen-sen)」での短い韻の繰り返しがある。漢語調の文体が朗読に独特のリズムと韻を与えているのだ。これらは詔書の全体をつうじて看取できる傾向である。

 日常言語から乖離した天皇による詔書の朗読は、その抑揚・リズム・音域から一種の「歌」として日本全土に鳴り響いた。その歌は「ことば」で成り立っているのに限定的意味を伝えることがないという多義性にひらかれた「歌」だった。つまり、玉音放送でその前後に挿入された国歌――共同体の輪郭をなぞる歌とはまったく異なり、天皇の詔書朗読は共同体の解体を露顕する「歌」として機能したのである。それは当時、玉音放送の告げた敗戦を愛国者が「屈辱」として受け止め、一方で知識人が「解放」として迎え入れた断絶を表しているかのようだ。戦後の礎としてこの国に鳴り響いた歌はその意味不確定(多義)性においてその後の日本が抱え続けることになる分裂を予見している。

  

 開国から敗戦まで、この国における「音」と「ことば」の象徴するところをみてきた。ここでいよいよ時計の針を現在まですすめることにしよう。私たちはそこで天皇の「歌」からはじまった分裂の戦後において、一つの音楽によってふたたび共同体の輪郭をなぞることが可能となる。議論を急げば、それは本来「ことば(意味)」を持たないがゆえに多義性に開かれているはずの「音」のもとに共同体が立ち上がるという新奇な事態において達成されることになるのだ。
 時計の針を2011年3月12日にあわせてみよう。なぜ3月11日ではないのか――問いに先回りして答えておくとここで扱うことは津波や地震といった災害ではない。この国の「音」と「ことば」を問う上では3月12日に鳴った15回の緊急地震速報の旋律について考えるべきなのだ。後に一部誤報であることが明らかになるこの速報とともに、地震が誘引した津波への警報がTV画面に繰り返し表示された。ここで、そのとき画面下部に映し出された日本列島はまさにその輪郭をなぞるように(!)津波警報によって完全に覆われていたことを思い出さなければならない。緊急地震速報のサイレンが鳴り響くなか、私たちは未曾有の大震災のもとに共同体(列島)の形を否応なく強烈に意識せざるをえなくなったのである。
 当然のことながら緊急地震速報のサイレンには「ことば」が存在しない。多義に開かれているはずの「音」によってのみ構成されているにも関わらず、伊福部達(伊福部昭の甥である!)の作曲によるこの「音」はたった一つの意味に収斂する。戦後、半世紀以上続いた平穏の時代や国家の境界を曖昧にさせる交通と情報技術のグローバル・ネットワーク化によって私たちが失いかけていた共同体の相貌を、この「音」はふたたび抽出してみせたのである。それはちょうど玉音放送での天皇の「歌」が多義的であり共同体の崩壊を顕示せしめたことと、あらゆる意味で反対の事象だった。

  

 「ことば」であるのに意味を確定できず「音楽」的に聞こえてしまう玉音放送と、「音」であるのにただ一つの意味を持つ緊急地震速報――。
 だが、これら二つの曲を対比しても私たちは結局のところこの国における「音」と「ことば」を美学的に考えることなどできない。国歌、玉音放送、緊急地震速報はすべて私たちの輪郭を私たち自らがどのように描くかという根源的問題に根ざしているからだ。この国における音楽をめぐって続けてきた思索は、つまるところ私たち自身が日本という共同体をどのように規定しているかという問題に行き着くのである。それは巨視的な視座を必要とする一方で、同時にきわめて個人的な問いでもある。

 かつて幼少期に歌ったハッピーバースデー・ソングはこの国に生きる者にとって意味を解さない歌であったはずだった。やがて私たちは歌詞の意味を知る大人たちに囲まれて、いつしか自然とあの歌を歌うようになっていく。そう、あのとき兄のいた居間には、クラスメイトといた教室には、恋人といたレストランには、たしかに一つの連帯が存在していた。戦前には決して話してはいけなかった「ことば」で私たちは今、共同体の輪郭をなぞることができる。たとえ意味を知らずとも、それでも英語で歌うことが連帯を追認するための行為として成立するのだとしたら、今この共同体は一体いかなる相貌をしているのだろうか――。
 列島を覆った津波警報のテロップはもう誰も心に留めてはいない。はたして、私たちはハッピーバースデー・ソングを裏声で歌うべきか否か。

◆参考文献
渡辺裕『歌う国民――唱歌、校歌、うたごえ』(2010年)中央公論新社
佐藤卓巳『増補 八月十五日の神話: 終戦記念日のメディア学』(2014年)筑摩書房

文字数:4586

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