印刷

いかに自分を好きになるか?

 「衝動のやうにさへ行はれる/すべての農業勞働を/冷く透明な解析によつて/その藍いろの影といつしよに/舞踊の範圍にまで高めよ」と宮沢賢治はいう。踊るように仕事をこなしていくためには、衝動をすみずみまで行き渡らせるのでは足りない。「冷く透明な解析」をともなって、仕事は、いやそれにとどまらず日々の活動は、いよいよステップを踏みはじめ、リズミカルになる。その意味でいえば、一般に「仕事術・整理術」と呼んでいるジャンルの自己啓発書は、わたしたちに「冷く透明な解析」を授けてくれる舞踊指南書だ。

 たとえば、デビッド・アレン『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』は、毎日膨大量のタスク処理に忙殺されている読者に向けて、GTD(Getting Things Done)の用いる5つの「ステップ」を伝授する。はじめに、身の回りや頭のなかに見え隠れしているタスクを、思いつく限り全部出してInboxにまとめておく(①収集)。これは目下取り組んでいるものや後回しにしているものだけでなく、漠然といつかやりたいことも等しくタスクとしてしまう。収集が済んだら、一つ一つのタスクを吟味しよう。いくつかの問いをぶつけながら、タスクからとるべき行動を洗い出していく。「今すぐやるべきか?」「そのタスクを完了するのに行動はひとつか?」「他の人に頼らないといけないか?」などなど(②処理)。さて、すべてのタスクを処理してみると、それぞれ次にとるべき行動が浮かんでくる。やる日時が決まっていればカレンダーに書いておき、そうでなければリマインダーにひとまとめにしておく(③整理)。とるべき行動が一つに収まらないときはプロジェクト化して、行動のセットとしてタスクを再構成する。そして整理がすんだら、できるタスクからどんどんこなしていく(④実行)。

 まずこの4ステップが基本的な流れだが、GTDがその方法をうまく引き締めている秘訣は、最後のステップ(⑤レビュー)にある。大まかにまとめれば、ここではGTDを実践する人に、ここまで処理・整理してきた全てのタスクを、定期的にすべてinboxに入れ直すことを促している。要するに、タスク処理の一連の動作のなかに、タスクの見直しも組み込んだ、ということだ。レビューを伴うことで、5つのステップを通してタスク処理に周期がうまれる。また、このレビューのステップは、タスク処理だけでなく、この指南書にとっても効果的なステップだ。GTDに限らないどんな方法論も、それを人間が行う限りにおいてなんらかの取りこぼしが起きてしまうものだが、そうした手続き上のミスをリカバリーするのに、レビューのステップは単純ながら効果的に作用する。レビューまで身につけてうまく回していけば、実践する人は次第に、この本が手許になくてもよくなってくるわけである。真に踊るためには、舞踊指南書から手を離して踊らなくてはいけない。考えてみれば当然のように思われるが、仕事術・整理術だけでない多くの啓発書は、どのような方法であれその最終到達地点として、必然的にその本が「読まれなくなる」ことを目指しているのだ。『はじめてのGTD』も例外ではない。指南書という負荷を最後に外すことで、「ストレスフリー」はついに実現する。

 *

 彼女がこの本に出会っていたら、どうだったろう。彼女とはリンデ、本谷有希子『自分を好きになる方法』の主人公にあたる女性である。63歳のリンデに、GTDが注入されていたらどうだったろうか。

 公園で主婦の会話を盗み聞きしたのをきっかけに、リンデもメモ帳とボールペンを用意して「今日やりたいこと」をリストアップしてみる。その日は最終的に12のやりたいことを書きつけることになるのだが、はじめのほうはなんだか頼りない。やりたいことリスト作成を思いついたきっかけのタスクを書いておくはいいにして、それ以外の「銀行に行く」とか「便利屋にダンボールの回収してもらう日取りを決める」とかいったタスクは、どちらかというと、「しなくてはいけない」タイプのタスクだ。もっともこれは今日やりたいことのリストだから、やりたいの前にカッコつきで(これが終わったら楽だから)と隠れていると思えば、わからなくもない。ちなみにリンデも、あとになってくると「きれいな字を書けるように、なんらかの具体的な手を打つ」とか「どこかいったことのない国に旅行してみる」とか、だんだんやりたいことを書くようになってくる。

 GTDの師、デビッド・アレン曰く「inboxには入っているものは、あなたがあなた自身に課した “約束” である。[…]事業戦略を立てようと自分に言い聞かせて、それをやらなければ、あなたは罪悪感にとらわれる。」──マイナス感情をうまく解消するには、うまいこと約束が果たせるよう、うまくタスクを整理することが肝心である。自分が自分に課した約束がまちがっているかもしれないし、正しかったとしても状況の変化で叶えられなくなってしまうかもしれない。やはりレビューもこれに貢献する。タスクを再整理することは「約束を見直す」ことなのだとアレンはいう。リンデは、次のように反論する。「もし何もできなくても、まったく落ち込むことはない。自分に何かを期待するなんて、ほんとうに気力と勇気のいることなのだから。」それとともに「もしこれらを今日中に済ませてしまえたら、自分のことが好きになるだろう[…]でもほんとうは、こういう期待を自分に課したこと自体が、大事なのだ」と自分を鼓舞する。GTDの師範代は嘆くことだろう。負荷を課すこと自体に自分への期待があることは、否定しないかもしれない。しかしプレッシャーを課すにしても、それは最後に取り払われるべき暫時のプレッシャーなのだから、自分に与えている負荷そのものを、過剰に讃えてはいけない。そんな場合ではない、次のステップにうつるべきだ。

 だが一方で、リンデは師範代に対して嘆いている。何一つタスク処理ができないかもしれないとリンデが恐れているのは、相変わらず彼女が「自分のことを臆病で怠惰な人間だと思い込んで」いるから、だけではない。リンデが「自分を好きになるだろう」となんとなく予言してみたとき、同時に彼女は意識しないで、そうやってやりたいことが全部済んだあとで、自分が好きになってくるようなことはない、と反語的に言っていたのだった。彼女はそれを、経験的に知っていた。ある経験が再起してくる。16歳のとき、大人しい友達と決別して念願の賑やかなニッキたちのグループと一緒にお弁当を食べたときの、すれちがった会話のこと。

 自分から出てくる言葉や行動が、必ずしも幸せに結びつきえないことを、彼女は経験させられる。離婚したかつての夫もまた、彼女の経験的な気づきを別の側面から支えた。だいたいのことを要領よくこなし、またサクサクと決断をこなしていく夫。クイズ形式で会話を展開しだしたとき、リンデの答えから不機嫌な思い出を蒸し返して口論になりかけたあとでも、夫はクイズを続ける。まるでクイズ形式に乗るほうが、二人で会話することよりも楽しいことであるかのように。

 あるいは、それも自己啓発のある側面だ、と言ってみる。思いつきでやりたいことリストを書いたような、ぎこちない踏み出しのステップでさえ、それが紛れもないステップである以上、いちおうは踊っているのである。むしろリンデが恐れているのは、踊ることそのものへの恐れ──方法に乗っかるがゆえに、求めている目標にいつまでもたどり着くことができないこと、それだった。自分のことをほんとうに理解してくれる人をリンデはいつのときも求めていたが、それは自分の側から方法をたてて近づいていくことができない。しかし、できることといえば自分からなんらかの言葉を紡ぐ以外にないし、そうやって行動するしかない。その狭間で彼女は焦り、おびえている。

 ひとしきりおびえるとともに、別の経験が立ち上がってくる。3歳のお昼寝の時間、ダメと言われていたのに腕にある大きなホクロを布団に隠れて触っていたところを先生に怒られていたとき、「触ってないよ」とトウ君が唐突に嘘をついてかばってくれたことが、リンデの恐れと重なる。自分の紡ぐ言葉とは遠く離れたところから、なんの前触れもなく善意がやってきたことを、彼女は覚えている。それから、洋服のリフォーム店に立ち寄ったとき、彼女は店員に些細な相談をして冷たく叱られてしまう。彼女の踊ることの恐れは、こんど踊ることをやめることの勇気へと変化していく。ステップを踏まなくとも目標にたどり着くことはできる。だから彼女はそのあと、自分から待たせてしまった配達人がもう家に来てるのではないかと、気をもむことをやめる。

 リンデは「今日やりたいことリスト」の最後に、「どこか行ったことのない国に旅行してみる」と書きつける。このときリンデは、その日決行したライフハックを降りてしまった。むろん今日一日でできることではない。ただGTD的な観点からは、これもれっきとしたタスクに含まれるので、もっと洗い出したあとで処理することができるし、そうするよりほかない。レビューだってしたほうがいい。だがリンデはそうしない。彼女が「冷く透明な解析」をできるときは、あらゆる方法を捨てたあとで現実を眼差してみるときなのだ。そのとき、思いもよらないところから、思いがけない幸福が投げ込まれてくるかもしれない。ただしそういった幸福はハプニングのようにしか訪れない。ステップを踏むことをやめてみるとき、はじめてその訪れに出くわすことができる。

 *

 ところで、『自分を好きになる方法』をほんとうに自己啓発本だと思って手に取る読者が、いったいどのくらいいるだろう?──いうまでもなくこれは小説だし、書店員がよほどなにかを企むでもない限り、この本は小説の棚に(小説の並ぶ文庫の棚に)並んでいるはずだから、純粋に自己啓発を期待して手に取ってみたら開けてびっくり、なんていうハプニングはおこらない、のかもしれない。試しに啓発本の棚に置いてみたら、そんなハプニングはおこるだろうか。 思いがけずリンデの半生に付き合わされてしまう経験が、この小説を別のかたちで体現してしまうとしたら、その延長線上で誰かを啓発してしまうとしたら、これもまた自己啓発書ということになるだろうか。

文字数:4224

課題提出者一覧