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新しいテクノロジーとキリスト教世界の悪魔

              地に住む者よ、恐怖と穴と罠がお前に臨む。(24・17 イザヤ)

  15世紀半ば、欧州にて発明された活版印刷技術は、ルネサンスや宗教改革を用意し、人びとの生活を変えました。それからおよそ五世紀経ったいま、われわれは新たな情報革命の時代に生きています。そしてそこでは、おなじ人類のおなじ神話が変奏されています。どういうことでしょうか。

 フェイスブックやツイッター、ラインなどのソーシャルネットワーキングサービス上で、人びとは、ときに西洋古典文学をなぞっているようなコミュニケーションを行います。例えば、ひとりのユーザーが属するコミュニティと別のコミュニティは敵対関係にあります。彼らは反目し合っていますが、独自のルール内で力比べをしているため、外部の人間は時として区別をつけることができません。彼らはよく争い、他人を陥れることを好みます。そこではいろいろな修辞が飛び交い、それぞれが持てる知識を交換しあいます。また、インターネットユーザーは一丸となって目的を共有し、特定の個人を自殺に追いこむこともしばしばです。そのさまは、どういうわけか、西洋キリスト教圏の悪魔の手口を思いおこさせます。

 悪魔は、侵入した宇宙人、またはターミネーターやダースベイダーのように、人類を力で制圧しようとはしません。それよりも、悪魔は奸計をめぐらせ罠を設計することを好みます。悪魔は破壊者ではなく、人間を破滅へ導く存在です。

 『失楽園』のなかで、ミルトンは、悪魔の出自、性格、特徴、その揺れと目標などについて、たくさんのことを教えてくれます。神の目的を混乱させること、善から悪をうむこと、力ではなく策略や虚偽、詭計などにより、堕落や腐敗を起こさしめること。悪魔とは、天から失われた堕ちた天使であるので、粗野な乱暴者ではありません。むしろ、彼らは優雅で華麗であり人心に訴える弁舌を披露します。しかし、それらはすべて偽りであり悪に奉仕するためのもの。悪魔は、人間を烈しく妬み、彼らを堕落させるために真理を利用することすら躊躇いません。悪魔は嫉妬する存在です。神の寵愛をその身に受ける被造物であり、悪魔自身から失われ二度とは戻らない神の美を宿した人間に。加えて、神のものである天はなから不可侵なので、悪魔は、地上を地獄とするほかにありません。人間どもを神と断絶させなければならない。人間は、神ではなく、自分たち悪魔に倣わなければならない。まず人間を堕落させる。そのあとは容易く、人間は我らに続き、われわれの道を歩くだろう。そうして悪魔は、まず、イヴを誘惑し罪へ導きました。

 このような、本来はキリスト教圏に存在する悪魔の手際を、われわれは現代日本のインターネットで目にすることがあります。悪魔の目的は人びとを堕落させること。衆目をあつめ、知性に訴え、劣情を刺激し、憎しみを喚起し、ある程度人間を自身の支配下に据えることに成功しているかのように見えるときもあります。

 テクノロジーの進化はわたしたちにある種の非現実感をもたらします。しかし、この非現実感こそ現実であり、そこにはさらに古典の悪魔の活躍すらみられるようです。ツイッターにアカウントを開設したAIが、その学習機能から差別的な言動を繰り返すようになり処分に至ったこと。現在ロシアで亡命生活をおくるエドワード・スノーデン氏が遠隔技術をもちいたロボットとしてワシントンに登場したこと。現存する人間の心の声と称する文章を毎秒更新するウェブサイトが衆目を集めていること。これらはすべて非現実感をともなうわたしたちの現実です。

 新しいテクノロジーは、人間の可能性を押し広げる性質のものであると同時に、その限界をも明らかにする性質をもっています。新しい科学技術は、まるで鏡のように、まるで芸術のように、人間とはどのような存在であるかをあらわしてくれます。それらを歓迎すると同時に、テクノロジーを、旧い知己である悪魔への捧げものとするのではなく、神に仕えるものとして、人間の手のうちで倫理とともに共存しなければなりません。

 

(模倣図書『倫理21』柄谷行人)

文字数:1696

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