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自己啓発するニーチェ

・初めの一歩は自分への尊敬から
自分はたいしたことがないなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに思ってしまうようなことだからだ。そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。(『超訳 ニーチェの言葉』)

「自己」を「啓発」することの初めの一歩は尊敬であろう。自分の可能性を大きく広げることを信じることができるもののみが「自己」を「啓発」できると信じることができる。自分を尊敬することが「自己啓発書」を読む初めの一歩である。

・自分の評判など気にするな
自分の評判や評価などは気にしてはいけない。他人がどう思っているかなんてことに関心を向けては絶対にいけない。(『超訳 ニーチェの言葉』)

他人の視線を意識して自分の評判を気にしていたら「自己啓発書」を読むことなんてできない。「自己啓発書」に向き合うこと、他人を視界から外し、「自己啓発書」を基準とした評価のみを信じる気持ちがなければ「自己啓発書」を読み進めることなどできない。

・一日の終わりに反省しない
疲れきったときにする反省など、すべてウツへの落とし穴でしかない。疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。(『超訳 ニーチェの言葉』)

疲れているときには反省したり振り返ったりせずに読書に没頭すべきである。ウツという落とし穴を避けるために「自己啓発書」を読む時間を持とう。日記など書く暇があったら「自己啓発書」を読まなければならないのである。

・誰にも一芸がある
どんな人にも一芸がある、その一芸はその人だけのものだ。(『超訳 ニーチェの言葉』)

自分にも何か一芸があるのではないか、そう信じることによって「自己」を「啓発」するというモチベーションを維持することができる。「自己啓発書」を読み続ければ自分の一芸がわかってくるはずだ。「自己啓発」によって一芸を見いだすことが人生を豊かにし、成功への近道となる。

・自分の主人となれ
自制できるということは自分をコントロールすることだ。(『超訳 ニーチェの言葉』)

そして自分をコントロールするためには「自己」を「啓発」しなければならない。自分の欲望を制御して自分をコントロールすること。自分の主人になるために「自己啓発」は存在する。

・自分の行為は世界に響いている
自分のどんな行為も、多の行為や考え、決断などの誘因となっている、もしくは大きな影響を与えている。(『超訳 ニーチェの言葉』)

つまり「自己啓発」が多の行為や決断の誘因となり、影響を与えているのである。「自己啓発」は世界に響いているのである。

・自分は常に新しくなっていく
人間は常に脱皮していく。常に新しくなっていく。いつも新しい生に向かっている。(『超訳 ニーチェの言葉』)

「自己啓発」を行うことで人間は脱皮し、常に新しくなっていくのである。新しい生への方向性を示す言葉が「自己啓発書」には詰まっている。

・自分を遠くから見てみる
おおかたの人間は、自分に甘く、他人に厳しい。
どうしてそうなるかというと、自分を見るときはあまりに近くの距離から自分をみているからだ。(『超訳 ニーチェの言葉』)

自分に厳しくするために、自分に対して距離をとってじっくり観察しなければならない。ただ反省しているだけでは自分に距離をとることはできない。自分に距離をとるために必要とされるのが「自己啓発書」である。「自己啓発」によって「自己」への距離感を養うことができるようになる。

・解釈のジレンマ
物事はいかようにも解釈できる。良いとするのも悪いとするのも、(略)解釈するのは結局自分なのだ。(『超訳 ニーチェの言葉』)

解釈するのは結局自分なのであれば「自己」を「啓発」し続けなければならないであろう。他人の解釈に依存するのではなく、自己の解釈を正しいものに近づけるには自己啓発が必要であり、そのときに解釈の視点を提供してくれるものが「自己啓発書」なのである。

・好奇心に振り回されない
身の回りや世間で起こっているいろいろな事柄に、そのつどごとに首を突っ込んでいると、結局は自分が空っぽになってしまう。(『超訳 ニーチェの言葉』)

身の回りや世間で起こっているいろいろな事柄に首を突っ込まないのはもちろん、小説やマンガや映画にいちいち首を突っ込んでいたら、自分が空っぽになってしまう。自分自身のみに好奇心を向けること、それは「自己」を「啓発」し続けることであろう。「自己啓発書」が自分を満たしてくれる。

・努力を続ける
高みに向かって努力を続けることは、決して無駄ではない。(『超訳 ニーチェの言葉』)

努力を続けることが無駄ではないという信念が「自己啓発」を支えている。「自己啓発」とは日々の努力以外の何者でもないのであり、「自己啓発書」を読めば明日はさらに良くなると信じること。

・友人を求める前に自分自身を愛する
できるだけ多くの友人をほしがり、知り合っただけで友人と認め、いつも誰か仲間と一緒にいないと落ち着かないのは、自分が危険な状態になっているという証拠だ。『超訳 ニーチェの言葉』)

友人を求めるよりも自分自身を愛すること、まさにそれが「自己啓発」の核心であろう。「自己啓発」によって自分の力だけで何かに取り組んで成功するということが、自分を愛することにつながるのである。「自己啓発書」以外の読書とは「友人を求める」ことなのである。

・無限の豊かさは自分にある
豊かな物を探すのではなく、自分を豊かにすること。これこそが自分の能力を高める最高の方法であり、人生を豊かに生きていくことなのだ。『超訳 ニーチェの言葉』)

私たちは社会で豊かな物を探す必要はない。自分を豊かにして自分の能力を高めること。つまり「自己啓発」こそが人生を豊かにするのである。豊かさは外部から汲み出される物ではなく、「自己啓発」によって自分自身から汲み出されるのである。無限の「自己啓発」は無限の豊かさをもたらすのである。

・規則は多くを変える
規則があるがために、新しい状況が生まれる。それは、最初に規則が必要になったときの状況とはまったく別のものだ。(『超訳 ニーチェの言葉』)

自己における規則とは何だろうか。「自己啓発書」こそが自己の規則であり、それが自分自身を変え、身の回りの状況を変化させていくのである。「自己啓発書」は自分だけではなく身の回りも変えていくのである。

・楽しんで学ぶ
楽しみというものは、いつも半可通の人の手にある。(略)そうであるからこそ人は学ぶことができる。(『超訳 ニーチェの言葉』)

楽しんで学ぶこと、「自己啓発」の神髄はそこにある。楽しんで学ぶことによって私たちは人生の達人になっていくのである。

・始めるから始まる
すべて、初めは危険だ。しかし、とにかく始めなければ始まらない。(『超訳 ニーチェの言葉』)

「自己啓発」を始めることは危険なことである。しかし「自己啓発書」を読み始めなければ人生は始まらない。とにかく自己啓発しなければ始まらない。

・体験だけでは足りない
確かに体験は重要だ。体験によって人は成長することができる。しかし、さまざまな体験を多くしたからといって、多の人よりもすぐれていると言うことはできない。(『超訳 ニーチェの言葉』)

そして体験に足りない物が「自己啓発書」にはある。

・勉強はよくいきることの土台となる
与えられた約束をよく理解して守り続けるためには、充分な理解力と記憶力が必要となる。この理解力と記憶力は、鍛錬されて獲得できる知性の一部だ。(『超訳 ニーチェの言葉』)

「自己啓発」とは理解力と記憶力の鍛錬でもある。それがよりよく生きることの土台となる。「自己啓発」によって獲得される知性によって与えられた約束を理解できるのであり、人生の土台を築くことができる。

・読むべき書物
わたしたちが読むべき本とは、次のようなものだ。
読む前と呼んだあとでは世界がまったくちがって見えるような本。
わたしたちをこの世の彼方へと連れ去ってくれる本。(『超訳 ニーチェの言葉』)

読むべき書物とは「自己啓発書」である。「自己」を「啓発」することによってわたしたちは世界の見え方が違ってくるのであり、自己を変革してこの世の彼方へと連れ去ってくれるのである。

・真の教育者は解放する
あなたがいきいきと自由に、活発に、能力を存分に発揮できるようにさせてくれる人こそがあなたの本当の教育者であり、そこがあなたの学校ということだ(『超訳 ニーチェの言葉』)

自分自身を「いきいきと自由に、活発に、能力を存分に発揮できるようにさせてくれる」ものとは何であろうか?もちろん「自己啓発」であろう。「自己啓発」こそが最良の教育者であり、人生の学校なのである。


[参考文献]
『超訳 ニーチェの言葉』

文字数:3568

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