世界には空洞しかない
《世界には愛しかない/信じるのはそれだけだ》
欅坂46「世界には愛しかない」
《俺は空洞/でかい空洞》
ゆらゆら帝国「空洞です」
新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』に対する苛立ちを論じてみることにする。その苛立ちは目の前にあるにもかかわらず、そこに辿り着くには大きく迂回する必要があるようだ。その迂回は「空洞」の周りを巡り、苛立ちに満ちた道のりとなるであろう。どうやら、いま目の前にある様々な苛立ちを経由することで初めて『君の名は。』に対する苛立ちを語ることが可能になるらしい。
1.空洞は苛立つ
2016年10月3日、AKB48の島崎遥香がグループからの卒業を発表した。2009年にAKB48のオーディションに合格した島崎は2010年の「AKB48シングル選抜総選挙」において、正規メンバーとなる前だったにもかかわらず28位という驚異的な順位でランクインし、将来の中心メンバとして未来を嘱望されることになった。しかしその後の歩みは順調ではなかった。あまり表情を表に出さず「やる気がない」といった印象を周囲に与えること、そしてその後に島崎の代名詞ともなるファンへの「塩対応」が相まって、徐々に同期の他のメンバーにそのポジションを譲ることになる。次の年の総選挙ではランクイン圏外に甘んじる結果となった。それでもその群を抜くルックスと「塩対応」を逆手に取った独特の存在感により、2015年に発売されたAKB48のシングル曲『僕たちは戦わない』においてセンターポジションを獲得、シングル選抜総選挙でも上位の常連メンバーとなる。
島崎遥香の特徴はその「空洞」とでも表現すべき特異な佇まいであろう。ダンスや歌で存在感を発揮するわけでもなく、ファンとの握手会でもファンとの交流を拒否するような態度を見せ、あたかも内面など存在しないかのような表情や振る舞いを見せる。本人もそれを自覚していており何度も「自分はアイドルに向かない」と公言し、2014年のAKB48握手会におけるファンによる傷害事件の後には握手会も休みがちとなり、その活動もますます空洞化していくことになる。実はその「空洞」に最も苛立っていたのは本人なのであろう。AKB48を卒業することにより「空洞に苛立つ少女」の物語はまもなく区切りを迎えようとしている。
2.存在の空洞化に苛立つ
2016年8月8日、かねてから自らの位を生前に皇太子に譲る「生前退位」の意向を示していた天皇がその気持ちを「お言葉」として国民に表明した。高齢を迎えて日々の公務や国事行為の遂行が困難になっていることがその主な理由とされているが、「生前退位」の実現に向けて皇室典範の改正や憲法の解釈変更の可否、天皇の意向の表明によって政治が影響を受けることの是非について議論が続いている。いくつかのマスコミの世論調査においては多くの国民が「生前退位」に賛成であることが報じられており、今後は「有識者会議」において天皇の国事行為の「負担軽減」や「生前退位」の実現に向けて何らかの方向性が示されることになるであろう。
明治に制定された「大日本帝国憲法」においては日本の「元首」と定められていた天皇の地位は、第二次世界大戦後の日本国憲法においては「象徴」と改められ、天皇制はその地位を「空洞化」させて再出発した。東京の中心における「空洞」のような外観の皇居に居を定め、「空洞」としてその役割を果たしてきた天皇の「お言葉」で示された「その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。」という言葉に、我々は「存在の空洞化に苛立つ」姿を見ることができるであろう。
3.空洞の出現に苛立つ
突然の地下の空洞の出現に多くの都民そして国民は苛立っている。計画当初から環境汚染を不安視されていた築地市場の豊洲への移転は、移転直前になって誰もが予期しなかった「空洞」が出現し先行きに暗雲が垂れ込めることになった。豊洲市場はベンゼンなどの有害物質による土壌や地下水への汚染が確認される工場跡地ということがあり、環境汚染対策として敷地内の表土を削った上に4~5mの「盛り土」が実施されることが計画されていた。ところが主要な5棟に関しては盛り土が実施されておらず、地下に配管などを通すための「空洞」があることが明らかとなったのである。そして2016年8月31日に都知事に就任したばかりの小池百合子知事は、築地市場から豊洲市場への移転について延期を発表した。その後の東京都の調査によっても「盛り土」が実施されなかった明確な原因や責任者がわからないという信じがたい状況が明らかになり、そのことに対して苛立ちを隠さない小池知事の去就をマスコミは連日大々的に報道し続けている。
東京都における不透明な意思決定のあり方や多額の税金がつぎ込まれる工事に対する監視の杜撰さ、豊洲市場における実際の汚染の科学的な分析などのあるべき議論はすべて「空洞」が覆い隠すような状況となっている。「空洞」への苛立ちは冷静な議論を妨げるのである。合理的な判断や冷静な意思決定を阻害する「空洞の出現への苛立ち」のみマスコミと我々を支配している様が見られる。
4.不可視の文字=空洞に苛立つ
富山市議会での政務活動費の不正に富山市民は苛立っている。事の発端は2016年6月15日の市議会において、市民の反対を押し切って議員報酬の引き上げを可決したことであった。これに後押しされた北日本新聞が議会のあり方を検証する連載を行う中で、白紙の領収書を利用したとみられる政務活動費の不正受給が続々と明るみに出ることになった。議会においては不正受給が発覚した議員の辞職が止まらず、ついには議長まで議員辞職する事態となった。富山市議会の空洞化はとどまることを知らないようだ。
白紙の領収書がすべての不正の原因であった。あたかも盛り土を行うかのような議員報酬の引き上げがすべての発火点となり、「空洞」の領収書による不正を明るみに出し、議会は完全に空洞化し市民はただ苛立つしかない様子だ。白紙の領収書とは文字や数字が「不可視」の文書であり、富山市議会で起きていることは、富山市民が「不可視の文字=空洞に苛立つ」という事態であろう。
5.そしてすべての空洞と苛立ちが集結する
新海誠監督によるアニメ映画『君の名は。』の勢いが止まらない。10月中旬の時点で興行収入が150億円を超え、誰もが全く予期しなかった大ヒットを記録している。都会に住む男子高校生と田舎に住む女子高校生の「入れ替わり」を主軸とする「愛」の物語に多くの若者は感動し、何度も映画館に足を運ぶリピーターも多いようだ。一方で本作に対し、これまでの新海誠ファンの「苛立ち」の表明が後を絶たないのも事実である。
本作の物語を要約すると、「空洞に対する苛立ち」の伝搬であると言えるのではないか。少し足早にその物語=伝搬経路をたどってみよう。まず本作は「空洞に苛立つ少女」の物語として始まる。田舎にある神社の娘として生まれ育った少女である三葉は、何もない田舎暮らしや伝統的な様式のみで形骸化しているように見える神社のあり方に苛立ち、都会に育つ男子高校生である瀧の生活にあこがれを抱くようになる。それは「空洞に対する苛立ち」と表現できるものであろう。
一方、東京に住む男子高校生である瀧の物語とは何であろうか。バイトや同級生とのカフェでの会話を楽しみそれなりに充実した生活を送っていた瀧は、三葉と入れ替わることによってこれまで感じたことのない充実感を味わうことになる。お互いが入れ替わった生活において三葉に苛立つようなそぶりを見せることがあるが、それは本当の苛立ちではなく、内面における充実感の裏返しなのである。そして突然、瀧は三葉との入れ替わりが起こらなくなることに気付く。入れ替わりが起こらないということは以前と同じ生活に戻っただけであるはずなのに、瀧は生まれて初めて「存在の空洞化に苛立つ」ことになるのである。その苛立ちに気付くことによって、つまり「空洞に対する苛立ち」が瀧に伝搬することにより、瀧は三葉を求めて三葉の故郷へ向かうことを決断し、物語が大きく動き出すことになる。
記憶のなかの美しい田舎の風景を求めて三葉を探そうとする瀧は、彗星の落下によって「空洞」となってしまった村の存在、そして三葉の死を知ることになる。それは瀧にとっては突然の「空洞」の出現であり、本論の文脈においては「空洞の出現への苛立ち」とも表現すべきものであろう。「空洞に対する苛立ち」の伝搬が彗星の飛行と重ねあわされるかのように物語は展開し、突然悲劇的な様相を帯びる。
そしてラスト直前、感動的でありまた奇跡的でもある「カタワレ時」の三葉と瀧の出会いのシーンにおいて、「空洞」のような盆地の縁でお互いに走り寄り、なかなか出会えない苛立ちのなかで奇跡的にお互いの姿を確認する。そして互いの名前を忘れないよう、ペンでお互いの手に名前を記すのであるが、その文字は消えてしまう。「不可視の文字=空洞に苛立つ」ことが本作において最も感動的なシーンにおいても重ねあわされる。
ここまで物語の水準において「空洞に対する苛立ち」の伝搬を追ってきたわけであるが、映画『君の名は。』において前作までの新海誠ファンを最も苛立たせるものとは何だろうか。新海監督は『君の名は。』の制作の過程で東宝のスタッフが入った「脚本会議」を何度も繰り返したという。その脚本会議でのスタッフからの「無神経」「気持ち悪い」といったダイレクトな意見を受け入れることで、自身の脚本をブラッシュアップしたという。結果として映画は大ヒットすることになるのであるが、一方で新海誠の持ち味は「空洞」となってしまったのではないか。「空洞に対する苛立ち」の伝搬が極めて魅力的な物語を形作りながら、スタッフの「苛立ち」によって新海誠の本質を「空洞化する」という反転を起こしてします。そこに新海誠のファンの苛立ちはある。
タイトル『君の名は。』に含まれる『。』とはもちろん「空洞」を意味するのである。
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