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「私のいない高校」=「私しかいない高校」

「私」とは何?この高校=小説には「私」はいないの?「私」を生み出すにはどうしたらいいの?

私が高校教師になって初めてクラスを担当したときの緊張感をよく覚えている。何年たっても新年度の緊張感は変わらない。そして今年は新二年生の普通科クラスを担当することになった。二年生を担当するのは何度目だろうか。新入生や受験を控えた3年生と比べて気楽な気もするが、今年のクラスはいつもの年とは違う緊張感がある。この4月から、カナダからの留学生を迎えなければならないのだ。

わたしが留学先の日本に到着したときはちょっと肌寒かったかな。ママの言う通りにコートを持ってきて良かった。ずっと留学に興味はあったんだけど、さすがに出発の前の日の夜はなかなか眠ることができなかった。留学先は日本の国際ローゼン学園。日本といって思い浮かぶのは、富士山、京都ぐらいかな。これから暮らすところは確かチバというところらしいけど、どんなところなのかな。

これが「私」?「私」は2人いるの?なんか一人称が嘘くさい。
「私」を生み出すにはどうしたらいいの?高校=小説に歴史を持ち込むこと?それとも高校=小説を横切る現実と遭遇させること?

私が担当を務める二年生には修学旅行が待ち構えている。これまでであれば修学旅行といえば煩雑な事務作業が待ち構えており、面倒だと感じるところなのかもしれない。ところが、今年はこれまでになく強い決意のもと使命感を持って修学旅行を迎えようとしていた。校長がアメリカ人となったこと、カナダから留学生が旅行に同行すること、そして修学旅行の行き先が広島と長崎に決まったこと。世界で唯一の被爆国として留学生に広島や長崎を見せることが使命感の正体であった。原爆の投下から50年を過ぎてその風化が心配されているが、被爆地の悲惨さを生徒に伝え続けることが原子力の平和利用に繋がるというのが私の信念だ。

わたしが日本に向けて出発するとき、スリーマイル島の原発事故の特集番組をテレビでよく見かけた。わたしは留学準備で忙しかったからあまり覚えてないけど、パパやママがよく話題にしていたような気がする。1999年は1979年の原発事故からちょうど20年、わたしが日本の国際ローゼン学園に留学した年は事故から20年目だったんだよね。事故があったのは確か3月28日だったかな。わたしが国際ローゼン学園に初登校したのは3月27日。そういえばあと1ヶ月後にはクラスのみんなで行く旅行があって、行き先は広島と長崎らしい。もちろん広島と長崎のことはよく知ってる。
そうそう、わたしが日本に滞在中に国際ローゼン学園があるチバの隣にあるイバラキで、重大な原子力事故が起こったんだよね。トウカイムラというところで日本初の臨界事故が起こったといって、テレビのニュースが大きく報道していた。心配したカナダの両親や友達が連絡してきて大変だったよ。

これが「私」なの?なんか「私」の輪郭がぼやけてる。高校=小説に書かれていないことがあるんじゃないの?

私のクラスで留学生を受け入れると聞いた時、重荷に感じたのは事実である。留学生にどうやって接したらよいかよく分からなかった。しかし、留学についていろんな人から話を聞き勉強するなかで、留学生を送り出した国際交流団体の「設立精神」を学び、次第に国際交流の使命感も芽生え始めた。
第一次世界大戦の反省から発足したその団体は、「異文化体験」による国際交流が「真の他国理解」につながるとの理念に基づいて活動しているそうだ。留学生を迎える日本の生徒たちが、彼女と接する中で他の文化を尊重する気持ちを育み、彼女にも真の日本文化を学んで帰国してもらうためにはどうしたら良いか。授業で日本文化を勉強してもらうことも大事だけれど、日々の学校生活の中や部活動、修学旅行を通しての体験に基づいた交流が大事だと思う。そういった一人一人の気持ちが世界大戦を繰り返さない世界への近道のだ。

 わたしが学校に初登校する直前、ユーゴスラビアでNATO軍の空爆が始まったとのニュースが日本でも大きく報じられてた。3月24日だったかな。カナダはNATOの一員だし、コソボ紛争の悲惨な状況ことはよく知っていたから空爆にはもちろん賛成。私の家族も友達もそんな感じだと思う。この話を担任の先生に話したら微妙な表情をしていたね。真の他国理解とか何とか言っていたけど英語で言われても良くわからない。先生は電子辞書を使って懸命にコミュニケーションをとろうとしていたけど、結局何を言いたかったのかな。

「私」がなくなったの?高校=小説からはいろんなものがなくなった。「私」以外にも。

私のクラスの高橋麗奈から電子辞書の紛失について相談を受けるということがあった。留学生のナタリーが疑われたのは事実だ。私の心にも疑いの気持ちがあったことは事実だ。異国からの留学生に対する偏見に基づく誤解を招く結果となったことは残念だ。ナタリーの母国が実はカナダではなくブラジルであったというイメージがこのことに影響しなかったとはいえないだろう。

わたしのクラスのタカハシレナさんの電子辞書の盗難騒ぎがあった。クラスの中でわたしのことを疑う雰囲気があったことはもちろん気づいていた。異文化理解のための電子辞書がなくなって留学生のわたしが疑われるなんて。

「私」はきっと2人いる。高校=小説には2人組ばっかり。どの2人が「私」なの?

私が留学生ナタリーとの言葉によるコミュニケーションに苦労したこともあり、4月20日にナタリーの通訳兼相談役として、ポルトガル語がわかる2人に学校に来てもらうことにした。卒業生の児玉杏里とPTAの役員から紹介された今泉多恵。

わたしが目覚めたときに飛び込んできた、アメリカのコロンバイン高校での生徒2人による銃の乱射のニュースにはびっくりした。4月20日のことだった。確かにカナダでは銃に関するニュースは日常茶飯事で慣れていたけど、同じ年代の多くの生徒がなくなった悲しいニュースだった

「むかしむかし、むかしむかしのそのむかし、おじいさんとおばあさんが、住んでいました。おじいさんは、山へ行きました。おばあさんは、川へ行きました──」カセットテープ聞こえる私の声をわたしが聞く。

2011年1月7日 『群像 2月号』において青木淳悟が『私のいない高校』を発表
2011年3月11日 東日本大震災が発生、福島第一原子力発電所でメルトダウンを引き起こし、日本最大の原発事故となる。

「私」はどこにいるの?「私」はメルトダウンしてしまったの?

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