ざっくりとネット情報に照合できる世の中ですので、その行為や関係性の誤りを短時間に確認することはできます。自分の得た情報の信憑性はネット内の信頼度に左右される場合が多いと思います。

しかし思考とは情報の積み重ねだけで構成されるものではありません。特に音楽の場合自分で聴いて得た音に対する感覚を最優先するべきだと考えます。そこでは、必ずしも文字で得た情報と合致した感覚を得るわけではありません。評判はいいのに自分ではそう思えない。そういうことはよくあります。では自分は、まちがっているのだろうか。この音楽にピンとこないのはどこかが鈍くなっているのだろうか、と考える人もいることでしょう。果たして音楽を聴くにあたって、よい感覚や悪い感覚というものはあるのか。また、音楽の聴き方に正解/不正解、王道/邪道というものはあるのか。

ということを考えてみたいと思います。そこでみなさんの経験や見聞のなかで、誤解や失敗のおかげで(自分にとっての)正解により近づけた、あるいは理解がより深まった、あるいは思いがけない展開を招いて興味が増した、という例を挙げ、そこでの“誤解やしくじり”がどのように作用したのかを考察してほしいのです。できれば経過報告ではなく、人間にとってまちがえるとはどういうことなのか、その意味を論じて下さい。もちろんこの論考に、正解/不正解はないと思います。おもしろい/つまらないという判定はできると考えていますが。

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