今回のテーマは「映像」と設定されています。映像がデジタル化し、加えて動画サイトなどの普及によってそれらが遍在する今日、ジャンルを越えたイメージ(映像)全般を論じる言説も急速に存在感を増しています。とはいえ、映像とそれをめぐる言葉が「過剰流動化」しつつある一方で、120年以上の歴史と慣習に支えられた「映画」というジャンルが、なおも思考と感性を活性化させる重要な軸としてあり続けていることも、また事実です。

さて、「昭和90年代」、という今季の批評再生塾のコンセプトになぞらえていえば、「批評の世紀」=「昭和」とは同時に、「映画(批評)の世紀」でもありました。小林秀雄がデビューした昭和初年代とは、震災復興の都市開発によって映画館が国内に急増し、トーキーが現れた時期です。また、70~80年代に絶頂に達した「批評」の一翼を担っていたのは、いうまでもなく蓮實重彦でした。

ただ、2000年代以降≒平成時代の文化批評のなかで映画批評が占めているプレゼンスはもはや高くない。かつて安井豊という映画批評家が「現代のハリウッド映画では物語よりも構造が先行している」といって、85年=昭和60年からの10年間を「キャメロンの時代」と名づけたことがありましたが(『ロスト・イン・アメリカ』)、その時代の終わりにあたる95年=昭和70年はまた、ネットが普及しだす「動物の時代」(東浩紀)の始まりでもあったわけです。

批評とともに「映画(批評)の世紀」の黄昏でもある「昭和90年代」、問われているのは、はたして「映画(批評)」は再起動できるのか、それとも、「その先」の批評的想像力が拓けているのか? ということでもあります。

そこで、以下の課題を提示します。

 

「現在(2015年)の映像メディア環境を踏まえ、映画、テレビ、アニメーション、ゲーム、メディアアート、ネット動画……など、なんでも具体的な映像作品や事象をひとつ以上挙げて、今日における「映画的なもの」と「映画的でないもの」との違いを指摘し、自分が考える両者の価値までを簡潔に論じること。またそのさい、(映画・映像史に関する知識をいっさい知らない)異星人の「観光客」に向けて説明するようなつもりで書いてほしい」

 

些末な「学術的」知識に拘泥するよりは、ドーンと大きなヴィジョンを打ちだし、わたしが自分の批評文で参照したくなるような、ブリリアントな原稿を期待します。

課題提出者一覧