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「批評は韻を踏みうるか?」に関する報告 – 2016年1月7日

【資料1】

吉田雅史(以下、吉):今回議論の対象とするのは東浩紀、市川真人、大澤聡、福嶋亮太の4名による共同討議『昭和批評の諸問題1975-1989』です。まず一つ目の論点として、この共同討議の終盤に、「越境」あるいは「越境性」という言葉が頻出することに注目したい。最後の2ページだけでも合計11回も言及されます。そして80年代に顕著となった批評の対象としての文学の喪失、あるいはマルクス主義といった大きな物語の失効に触れています。批評対象としての文学を失った批評は、何を対象とすべきかという話です。前半では、文学以外の対象を扱う例として、吉本隆明の『マス・イメージ論』(1984年)が度々取り上げられている。そこでキーワードとなるのは「越境」ですが、これは単に多様なジャンルを跨いで対象を選択すれば良いという話ではない。ある対象を論じることで、その対象の外部へと「越境」して論じることになる。そのような「越境性」を如何に担保し伸張できるか。そこで今回この共同討議を対話形式で考えるにあたり、前述の状況を考慮して所謂文学ではなくヒップホップという批評の対象として取り上げられることの稀有なジャンルの住人である、ラッパーのMA$A$HIさんをお迎えしました。MA$A$HIさん本日はよろしくお願いします。

MA$A$HI(以下、M):こちらこそよろしく。早速だけど今の吉田くんの説明に補足するなら、批評の「越境性」を考えるときにマストなことの一つは、扱う対象の外部に議論を展開できる方法を探ること、つまり批評の中に多様性なり偶然性を持ち込むかという点だよね。そのとき持ち込まれる「偶然性」というのは、ヒップホップにおけるキーターム。

吉:音楽で「偶然性」というとケージが想起されるところもありますが。

M:ラップにおいて韻を踏むとは、押韻というルールの下で正に「偶然性」を呼び込むリリックの書き方であるし、ビート制作におけるサンプリングも「偶然性」をフルに逆手に取った制作スタイルだからね。前者については、九鬼周造の論文「日本詩の押韻」がよくサンプリングされるけど、彼の中心テーマの一つである「偶然性」を韻の面から見ると、韻を踏むとは、意味の必然性が全くない二つの言葉が、音的な共通点により「偶然」つながれること。この時、接続される二つの言葉は、品詞が異なっていたり、意味の面で隔たりが大きい方が、押韻の妙を味わうことができる、つまりドープであると。たとえば名詞の後に動詞が来ることが共通している「夜発った」と「虚無買った」よりも、その順序を逆にした「夜発った」と「飛ぶラッパー」の方が相対的にフレッシュな踏み方だということ。

吉:なるほど。トラック制作面でもその考え方が当て嵌まるということですか。

M:サンプリングベースのトラック制作では、AKAIのMPCシリーズなどのパッド付きサンプラ―を叩きながらビートを組むのが一般的だけど、叩き方に正解はなく、これは「偶然性」を呼び込むツールとして捉えることができる。単純なパッドのミスタッチや、アナログのツマミでパラメータをエディットする際の誤操作などの結果、思わぬループやリズムのグルーブが生まれるという。

吉:そこはギターや鍵盤での曲作りとは大きく異なる部分ですね。

M:イエス。そんな楽曲制作方法にまつわる「偶然性」との関わりだけじゃなく、そもそもサンプリングという手法が持っている、全く異なるジャンルのフレーズ同士をコラージュする面白さもある。サンプリングベースの楽曲はジャンルの「越境性」をベースとしているということ。ここでのポイントは、ヒップホップの側からサンプリングネタとしてのジャズやソウル、ファンクなどをアップデートするケースがあること。ラップが詩や俳句をアップデートするケースも同じ。

吉:共同討議で頻出している「越境」が対象やジャンルの外部にはみ出して影響力を持つという意味であることに対応していると。

M:間違いない。

吉:それから、批評対象としての文学の喪失を踏まえてヒップホップを対象の一例として見たときには、東さんの『動物化するポストモダン』(2001年)のデータベースの議論をどう見るかも重要かと。

M:韻とか、既存曲からのフックの引用とか、トラックのサンプルネタ、ブレイクビーツのネタ、リミックス、ブレンド/マッシュアップとか「萌え要素」や二次創作に還元できるシンボルで溢れてるね。そもそも大ネタやブレイクビーツはライブラリー化されてるし、ヒップホップの出自が引用を前提としているしね。

吉:ここではその余裕はありませんが、『アゲインスト・リテラシー』(2015年)の大山エンリコイサムさんによる「動ポモ」を媒介としたグラフィティ考察や、増田聡さんの議論も踏まえて、精緻な議論が必要ですね。ここにはヒップホップはオタク文化なのか、ヤンキー文化なのかという問題があり、アメリカで誕生したヒップホップが元来抱えている物語やその背景にある社会構造と、日本のそれが醸造してきた物語の違いという論点があります。

 

吉:それから共同討議のもう一つのポイントとして取り上げたいのが、吉本隆明の扱いです。もちろん吉本に触れることなくして昭和の批評は語れないにしても、一つには「批評空間」の外部を考える上で、加えて「越境」ということを考える上でも改めてその仕事を見直す必要があると。

M:ここでも特に言及されているのは『マス・イメージ論』だよね。

吉:そうです。しかし賛否両論というか、文章自体は「読めない」という指摘もあり、福嶋さんは吉本を「99パーセントくだらないことを言っていても、1パーセントすごく輝かしいことを言う」と 評している。

M:個人的にはそこもラップと重なるね。ヒップホップというジャンルのもつ自家中毒的でイルな美学も影響しているけれど、リリックの意味内容は、基本的に外部の聴衆に対しては99パーセントがくだらなく聞こえる音楽ではないかという疑問がある。しかしだからこそ、1パーセントのパンチラインが一般にも刺さるという。特に洋楽はそもそも言語の問題でくだらないも何も意味を理解できていない。その中で自分なりに意味の取れたフックなり分かりやすい英語のラインがパンチラインとして残る経験があるのではないか。

吉:それにしても『マス・イメージ論』と聞くと、いとうせいこうの『MASS/AGE』(1989)やECDの『MASS対CORE』(1995)などが想起されるのでは?

M:「MASS」「IMAGE」と「MASS」「AGE」で韻も踏んでるしね(笑)。あくまでも日本語のカタカナ語として韻を踏んでいて、英語だと異なる発音になるのも示唆的だ。ついでに言うなら、マスの内側にいて歌っている『MASS/AGE』と、マスを外側に置いた『MASS対CORE』への変遷も興味深い。

吉:詩的批評の系譜は手に余ると大澤さんが言及されていることに補足するなら、近代詩でも戦後詩でも基本的に詩人は批評も書いていた訳じゃないですか。

M:西脇順三郎から戦後の「荒地」詩派、吉本隆明、北川透、入沢康夫、大岡信らの詩論なんかね。

吉:当然彼らの詩作品の中にも批評的視点が入っているわけで。こう言ってしまうと身も蓋もありませんが、とてもラップっぽく見える詩が多く書かれた時期が存在しますよね。

M:間違いない。初期の吉増とか吉本も含めた「荒地」クルーなんかも優れたリリックとして読めてしまう。たとえば吉増剛造の「疾走詩篇」(1970年)の「街角または/ワクのはずれた一篇のロマン/濡ればしる、赤・バガボンド/魂ハシル/ああ/影ハシル、このトーキョー/地下鉄はこの爛漫の春、樹皮からふくらはぎを出す」ってラインとか。ベースは五七調なんだけど、「赤」「バガボンド」とか、「ああ」「影ハシル」みたいに二と五に分かれてて、それぞれに隣接する「魂ハシル」と「このトーキョー」も五。「魂(タマシイ)ハシル」は七だと思いがちだけど、「タマ」と「シイ」はそれぞれ一音。「マ」の「m」が子音の中でも鼻音といって前の「タ」に接続して曖昧に発音することが可能なこと、「シイ」の「イ」は「シ」と同母音で伸ばせば良いだけなので「タマシイハシル」は五音にハマる。すると2拍のビートに五音を休符を挟みながら乗せるフロウになって、文字通り「疾走」感に溢れてる。「(バガ)ボンド」と「トーキョー」や「春」と「出す」で韻も踏んでるし。

吉:なるほど。当時韻律で言葉を疾走させるという感覚は、ヒップホップで言うところの正にビートに乗せる感覚と同義ですからね。

M:それから両者の類似点は、羽織っている空気感の問題。戦後の喪失感の上に立って、そこから外の世界を見据えるときの好戦的で独りきりの視線は、ラッパーの一人称に親和性が高い。「リアル」に対する意識の持ち様と言ってもいいかも。

吉:「荒地」詩派のそれまでの詩人たちに対する批判的な態度と、いとうせいこうからメジャーフォース的なヒップホップやJ-RAPに対するキングギドラのそれは類似していますよね。今で言えばたとえば中尾太一など、様々な押韻を取り入れたリリックと錯覚する様な詩篇も存在しますが、ラップのリリックと詩篇を並べてみたときに、日本語の現代詩の大部分はどうしても韻を踏んでいない点で違いが出てきますよね。

M:その点については、ラッパー目線からすれば、リリックの和訳を鑑賞する体験だと取ることもできる。翻訳では当然オリジナルの英語にある押韻は反映できないわけで。

吉:なるほど。吉本隆明は、日本に古代から存在する七五調の音韻律はある種自然条件のようなもので、自分の内面を捕まえて表現するにはその音韻律を破壊するのが必然であり、その意味で頭韻や脚韻を踏むのはどうしても陳腐に見えてしまうと言う。一方で先ほども説明いただいた九鬼周造の「日本詩の押韻」のような、日本語の押韻の可能性を開くような試みもありますが。

M:そうそう。九鬼が自身で韻を踏んでいる詩篇のサンプルを作ってるじゃない。あれがドープ。文字通り「偶然性」という作品では、2文字ずつ踏んでいるんだけど「平行直線の公理/望み通り」「これは人生の幾何/なんとか解いてくれまいか」とかもう完全にラップにしか見えない。

吉:二重韻を踏んでいる訳ですが、1930〜31年の仕事ですからね。非常に早い。

M:早すぎるよ。日本最初のMCでしょこれは。テクストが声に乗せられることを要請している。

吉:それについてはこれまでも言及されていますが、本当にそうですね。

M:この時点では基本2文字ずつ踏んでいるけど、日本語ラップではギドラから走馬灯クルー、韻踏合組合にアイスバーン等の活躍で5文字も6文字も踏む世界に突入する。しかもさっき言ったように踏む語の距離が遠ければ遠いほどドープなわけで、品詞を変えるだけでなくて漢字とカタカナ語、口語と文語、標準語と関西弁、日本語と英語を往来する韻が入り乱れる。

吉:語と語の距離を遠ざける想像力が求められるわけですね。しかし一方で押韻にそれほど拘っていないように聞こえるアーティストもいますよね。

M:今は本当にスタイルが多様化してるからね。ざっくり言うと元々ギドラ〜走馬灯クルーのようなガチガチに踏む派と、ブッダブランドのようなバイリンガルスタイルがあって、それぞれが枝分かれして今や各MCや作品毎の個性になっている。フリースタイラーも同様。一時期は韻を踏んでいなければ認められないといった風潮もあったけど、今は英語圏のように最低限踏んでるのは今更議論するまでもない共通ルールになったから、そこから先はどのスタイルをチョイスするかの問題。スキルを見せつけたい曲ではガチガチに踏めば良い。Meiso、OMSB、5lack、Fla$hBackS辺りが日本語と英語をどのように使い分けて、自分のスタイルとして、あるいは特定の楽曲のスタイルとして踏み分けているか見てみると良く分かる。

吉:共同討議の話題に少し戻すと、福嶋さんが言及されている『初期歌謡論』(1977年)で吉本が言っているように、『古今集』で一旦「音数の定型の制度がすみずみまでゆきわた」り、同音や類音が散見されるようになった、つまり音韻律と押韻を含めた「韻」への視線は『古今集』で徹底され、その後現代詩で一部を除いてほとんど死滅し、日本語ラップで再生したと見ることはできないでしょうか。

M:そうだね。韻だけで見ると、詩とラップのクロスオーバーが起きている。今の日本は、韻について考えている人の数が最も多い時代と言える。明らかにヒップホップの影響で。ゼロ年代からフリースタイルを軸にした盛り上がりは継続している。さらに2012年から始まった「高校生ラップ選手権」の盛り上がりなんかもあって、学校の休み時間にフリースタイルを輪になって行う「サイファー」が出来ることは珍しくないし、スポーツの一種みたいな形で楽しまれている。競技人口も低年齢化が進んでる。フリースタイルバトルの集客も伸び続けている。

吉:都築響一の『夜露死苦現代詩』(2006年)でも、今やコンビニの前にたむろする中高生はコピーしたお気に入りのアーティストのリリックシートを片手に韻の踏み方を議論している様子が言及されています。しかも彼らは、最低でも3文字以上で踏まなければならないとか、同じ品詞で連続で踏まないとか、実践的な言葉への向き合い方をしている。詩を取り巻く状況に劇的変化が起きている訳です。加えて現代詩側からの視点で言えば、2010年前後には詩人の佐藤雄一が詩のサイファーを企画し、谷川俊太郎も参加するなどの盛り上がりを見せました。詩人の朗読とMCのフリースタイルが渾然一体となるイベントで、正に「越境」の一例と言える。

 

吉:今回の共同討議での時間軸の括り方である1975~1989年ということで言えば、日本のヒップホップの興隆以前の話であり時期にズレがあるわけですが、その辺りはどうでしょうか。

M:確かに日本では90年代に入ってからの盛り上がりがダントツで、その象徴がJ-RAPに対するカウンターとして機能した、ECDやキングギドラ、ライムスターやブッダブランドによる野外イベントである96年の「さんぴんCAMP」であり、そういう意味では80年代はその対立構図へ向けて土壌が準備されるフェーズ。

吉:東さんが先日イベントで仰っていたことですが、批評の世界でも80~90年代は新しくてエッジの効いた表現が潤沢に登場した時代だったが、95年のオウム事件で一気に転回してしまいある種の教条主義的なものに飲み込まれて行く。この辺りの流れは様々なジャンルに通底しているのではないか。

M:確かに。日本のヒップホップにおいても同じような流れは見える。1985年のいとうせいこうや近田春夫らの試みを端緒に、それらを束ねるレーベルであるMajor Forceレーベルなどが当時の先端的な表現として輸入し、その後は新奇なJ-POPとして湧き出てきたJ-RAPがメジャーシーンに現れた。それらに対するカウンターの盛り上がりがさっきも触れた96年の「さんぴんCAMP」に結実するわけだけど、この10年間でエッジィな試みが更新され続ける。しかし「さんぴん」のステージ上でキングギドラが薬害エイズ事件に言及していることにも象徴されるように、社会的なメッセージ性のある楽曲が力を持ち始める。そして「押韻」の面から見ても、95年リリースのキングギドラのファーストアルバム『空からの力』で固い押韻の模範が提示され、ある意味で「教化」されるわけだよね。サイプレス上野はこのアルバムを「やっと渡された教科書」と称している。リリックの内容について、Zeebraは小林よしのり著『ゴーマニズム宣言』からの大きな影響も認めている。つまり内容においても形式においてもアメリカのヒップホップを日本語訳した教科書がようやく整備され皆がフォローするようになる。そしてその動きの背景には95年オウム事件以降の社会状況があったわけで。ある意味では、アメリカのヒップホップのようにストリートや、ラディカルな政治的、人種的対立といった状況を持たなかった日本にも、語る対象が顕現し始めたとも言える。

吉:オウム事件以降、特に超越性や神秘性を含むような多様な表現が忌避されるようになった社会状況と、模範通りの作品作りが志向されてそこから零れ落ちるものは淘汰されたヒップホップが置かれた状況は、パラレルだったのではないかという見立てですね。

M:そう。そういった「教科書」に沿って全体のレベルをゲインする試みをしばらくキープした後、2000年代に向けてはその教科書からハミ出し、降神を始めとする日本でしか生まれ得ないアーティストや、あるいはレペゼンするフッドを押し出したスタイルを模索する動きが目立ち出すよね。90年代後半からTha Blue Herb、Shing02、イルマリアッチ、オジロザウルスみたいに、それまでの東京一極集中から地方性を押し出したアーティストが現れる。

吉:ゼロ年代にそれが一つの方向性を規定すると。

M:その流れがRAMB CAMP、SCARS、stillichimiyaなどを始めとして連綿と続く。そして東京一極集中型が崩れると共に、アーティストとオーディエンスの同質性も崩れて行ったんじゃないかな。つまり最初東京中心のシーンにおいてはオーディエンスも半分はアーティストのクルーの一員のような存在だったのが、地方に広まるとともに新たなオーディエンスを獲得するようになる。それがさっきのオタク文化か、ヤンキー文化かって論点とも関係しているんじゃないか。

吉:今回の共同討議の起点である1975年と日本のヒップホップ史の起点とは10年の隔たりがあるけれど、当然それぞれの時期毎に時代背景を共有しているわけで、今後の「ゲンロン2」以降の90年代の討議との連関性にも着目したいと思います。

 

吉:最後に、四人の共同討議でそれぞれが順番に話をしてゆく形式面から何か感じたことはありますか。

M:シンプルに、フリースタイルのサイファーだよね。ゲンロンはリアルタイムのトークイベントに重要性を見出している場でもあるから、それぞれの論者とトークイベントの関係を、楽曲作品とライブもしくはフリースタイルに擬えることができる。フリースタイルがレジェンド級のMCは逆に、腰を落ち着かせて書いたリリックがワックだったりすることが良くあるけど、たとえば東さんなんかはフリースタイラーとしても、そして勿論ロジカルな文章、つまりリリシストとしても、両方ドープだよね。それから個人的にはリリシストとしての大澤さんにも共感する。今の時代にはレアな、オールドスクールマナーに徹底的に拘ったレトリックを駆使するスタイルには、クラシックへのリスペクトを感じるからね。

吉:しかも東さんは対談や鼎談の場を、自らの論を飛躍展開する場として捉えているようなところがある。つまりジャンル違いの対談相手とのリアルタイムでの対話という「偶然性」を取り込むことで、自らの思想的なテーマや概念をフリースタイルでブラッシュアップさせ、異なる文脈へ「越境」させ飛躍させるわけです。

M:それはさっき九鬼周造を引き合いに出して説明したけど、ドープな「韻を踏む」ことで、品詞や意味内容の距離の遠い語句が出会い、さらに楽曲が思いもよらない方向へ展開してゆくのと同じことが起きていると言える。

吉:なるほど。本日はMA$A$HIさんとの対話を通して正に文脈の「越境」を感じる場面が数多くありました。自分と相手の議論の中に母音や子音を見立て、「韻を踏む」ことが対話の醍醐味だと確認するとともに、一方で当然ながら互いに基盤とする言語ゲームに隔たりがあるために、議論が平行線を辿るケースも見受けられました。交わる必要のない無数のサブジャンルという平行線に埋め尽くされた昨今の社会において、批評はどのような座標を撃ち抜き、その対象から流れる血の色に、世界へのつながりを見出だせば良いのか。この問いへの回答の端緒を開くため「越境」「押韻」「偶然性」などの鍵概念が提出されました。今後もこのような試みが継続できるよう活動したいと思います。本日はありがとうございました。

M:こちらこそ。

 

【資料2】

当時MA$A$HIと対話した時点での僕の興味は、彼とどうやって予測不能な議論を展開できるかにありました。つまり自分が完全にコントロールできるわけではない、自身の中に措定した他者との対話の中で、どのように思いがけなく議論を展開できるのか、即ち「韻を踏めるのか」を自らの論を通して試みること。イエス。そして、この他者であるアルターエゴと自己との差異を如何に際立たせられるか、如何に自己の外殻を押し広げ管理可能な別人格を醸造できるかという点にです。そう、あった。目論見はその意味では成功し、彼は僕の外殻を文字通り越境してしまいました。うんうん。それが少なくとも現在の僕の認識です。つまり今この身に起きていることを正確に記述する術は未だ見つかっていないのですが、分かっているのは、彼はあちら側にいるらしいということです。つまり僕の意識の外側に。しかし彼の声は確かに聞こえている。聞こえているよ。だから、聞こえてる。この意識の内側に響いている。内側に。すみません。この音声を僕以外の人が聞く可能性もあると思うので言っておくと、僕がさっきから相槌のようなものを打っているのを不思議に思われるなら、それは少なくとも僕の頭の中では聞こえているMA$A$HIの声に応答しているからなのです。だが、どうしてもできないのは、できないのは、そう。できないのは、その声が語る内容を文字にすること。どうやらその権利はこちら側にはないらしいのです。そうだ。この行間に、つまり文章の隙間に、エコーしているのは、間違いなく彼の声であるわけですが。それは書けない。つまり、内容は。その、中身をね。すいません。そうそう。僕の言っていることは狂気じみているでしょうか。きっとそうでしょう。僕がこれを録音しているのは、MA$A$HIの声が、僕の声を録音した音声ファイルに残される可能性を考えたからです。そう、君の声だ。間違いない。つまり僕が今襲われているのは、極めて短時間毎に人格が交代するような状況である可能性を。いや、本当に。思ってるんだよ。ホントに。少し黙ってもらえるかな。これは単なるモノローグなのか、本当にダイアローグなのか、確認する必要があるのです。柄谷はモノローグを対話とは呼びません。『探究Ⅰ』の中で、対話と呼ばれるべきなのは、「自分と異なる言語ゲームに属する他者との対話」だけだと述べています。僕の疑似的な対談はモノローグであり対話ではなかったのでしょうか。いや。まだ分からないからね。本当、本当に。僕の試みは、柄谷の言うところの異なる言語ゲームを前提とする他者との対話でした。そうそう。えーと。うん。自身の考えていることを他者の言語ゲーム上にプロットすることで、その考えの展開を誘引するのが狙いでした。その試みがどのような末路を辿りつつあるのか、その経過はこの音声を録音したファイルによって確認できるはずです。僕が、そう。僕がね。君ではないからね。僕がね。この録音ソフトの停止ボタンをクリックし、続いて再生ボタンをクリックしさえすれば。

 

【資料3】

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【各資料についての覚書】

*【資料1】について

これは吉田雅史のPCに残された2つの音声ファイルのうち、保存日が早い(2016年1月1日)方のファイルの音声を書き起こしたものである。吉田は明らかに声色を使い分けており、内容からも対話形式であることが明白であるため、「吉田雅史」と「MA$A$HI」の対話という形で書き起こしを行った。

 

*【資料2】について

吉田雅史のPCに残された2つ目の音声ファイルを書き起こしたテクストである。当該ファイルが保存された日付は2016年1月6日である。書き起こしにあたり、彼が自ら説明している通り、頭の中で聞こえている「MA$A$HI」の声に対して相槌を打っていると考えられる箇所は斜体としている。

 

*【資料3】について

吉田雅史の筆跡によるメモの画像である。日付は記されてない。このメモは【資料1】の中で言及されている九鬼周造による詩篇「偶然性」の書き写しに、吉田がコメントを付け足したものだ。「偶然性」は、3編存在する九鬼の論文「日本詩の押韻」の付録の「作例」として収録されたものだ。【資料1】およびこのメモで書き写されている「偶然性」は、1931年10月に岩波講座『日本文学』に発表された「日本詩の押韻」に収録のものである。その後1941年に岩波書店から刊行された『文芸論』収録の「日本詩の押韻」は全面的に改稿されており、「偶然性」も例外ではない。メモのうち、下線が引かれた5箇所を確認したところ、これらは全て『文芸論』収録にあたり改稿された箇所であった。その5箇所について以下変更前と変更後の行を記しておく。

①(4行目)前:「いや、基本要求を撤回した?」後:「否、基本要求を撤回した?」

②(7行目)前:「それが果して二直角?」後:「果して二直角?」

③(14行目)前:「お前と俺、俺とお前」後:「軌跡と軌跡の俺とお前」

④(18行目)前:「なんとか解いてはくれまいか」後:「なんとか解き方はないか」

⑤(26行目)前:「二人で拾った阿古屋珠」後:「二人で拾った真珠珠」

上記の5箇所のうち、③については上記の写真でも確認できる通り、特にコメントが残されている。このコメントが韻を踏んでいることや、その文体からあるいは「MA$A$HI」による筆跡というべきかもしれない。何れにしてもその内容を解釈すれば、吉田雅史は彼自身、つまり「吉田雅史」と「MA$A$HI」の関係を「偶然性」の中の詩句である「平行線」に擬えている。この「平行線」は原則文字通り交わることがないわけだが、「偶然性」を媒介にすることで、この2本の「平行線」が出会い交わることが有りうるということを、1931年の版には含まれていた「お前と俺、俺とお前」という句が示しているという。即ち「お前と俺」は「MA$A$HI」側からの視線、「俺とお前」が「吉田雅史」側の視線で、双方が並置されることでその逆も然り、最終的にはこの一行こそが「二本」の平行線が「一本」に絡み合っている様子を示していると吉田は解釈する。

しかし1941年の版の九鬼自身による改稿により、この部分は「軌跡と軌跡の俺とお前」という一方の側からの視点しか持たない表現に書き換えられてしまう。これにより、この詩の本来の含意が崩落しまうことに吉田は失望と憤りを表明しているのだ。九鬼に鼓舞されたその試みが九鬼自身に裏切られたと言わんばかりに。しかしそれでも吉田の「偶然性」に賭ける試みが無に帰したわけではない。

吉本隆明は、ある作品の肝となる部分、その作者による制作の動機を「入射角」と呼んでいる。つまりこの「吉田雅史」と「MA$A$HI」という2本の平行線は「越境」という概念を「入射角」とし、「偶然性」を契機に互いに平行な関係に「角度」をつけるという試みだった。この九鬼の詩のメモが【資料1】の対話の契機となったのか、それとも【資料2】の結果を鑑みて残されたものなのかは定かでない。

私たちはこれら3点の資料を前にして、始めは単なる試みであったこの2本の平行線の対話が、やがて本当に互いから独立してゆく様を目撃したのだろうか。少なくとも、今はそのように理解しておく他ない様に思われる。これらの資料は確かにいま、目の前にあるのだ。しかし私は未だに、この私の中に「吉田雅史」と「MA$A$HI」が眠っているという事実を、どうしても、信じられないでいる。

 

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