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会社人とは「演じる葦」であるか 〜オレゴンにて/から考える〜

西洋性と優先的に結びつけられた現今の近代性は、いずれみずからの影の部分に突き当たらざるをえないということである。

(ピエール・ルジャンドル『西洋が西洋について見ないでいること』)

 

1. 未知との遭遇

アメリカに入った最初の日本人は誰であったか。1841年のジョン万次郎のエピソードが良く知られているが、それより以前にアメリカへ辿り着いた日本人がいた。そこから遡ること7年、1834年1月、ワシントン州のフラッタリー岬に一隻の日本の千石船が漂着したのだ。鳥羽から江戸を目指していたこの千石船「宝順丸」は、14ヶ月に渡って漂流し、14人の乗組員のうち生き残ったのは、音吉、岩吉、久吉のわずか3人だった。3人は漂着後、インディアンに発見、救助された。このような未知との遭遇の場面において、言葉も通じない相手に対し、どのように振る舞うかが生死を分かつといっても過言ではないだろう。

結果生き延びた彼らは、当時のイギリスの国策会社であるハドソン湾会社のフォート・バンクーバー(現在のオレゴン州ポートランド)の責任者で「オレゴンの父」と呼ばれたジョン・マクラフリンの働きもあり、その後オレゴンのメソジスト伝道会の学校に保護された。彼らはそこで1年以上に渡り英語教育を受けるが、このときの彼らの印象は「非常に勤勉で向学心が強く、急速の進歩をみせた」ということだ。

このような日本人の「勤勉さ」はアメリカを始め海外との比較においてことあるごとに言及される。そして周知のように日本が経済大国へ発展するのに重要な要素の一つであったと言えるが、このことによる弊害やネガティブな方向に利用される例も見られる。たとえばブラック企業の問題は、まさにこの「勤勉さ」を雇用者が巧みに悪用する例とも言えよう。

昨今のブラック企業がその被雇用者にもたらす大いなる不条理。彼らはまず第一に、企業側にとって理想の社員像を洗脳に近い手法によって「無意識的」に「演じさせられる」こととなる。一方でまた、自身を守るため、正常な意識を保つために、本来の自分とは異なる人物を「意識的」に「演じる」ことを余儀なくされる。「演じる」理由はふたつある。一つは、雇用者側、上層部へのアピアランスのためである。上司上長からの評価のため、ブラックな企業理念に染まった厳しい会社人を演じるのである。そしてもう一つは、そのような働き方をする自身の正常な意識を保つため、自身を守るために、本当の自分とは切り離された人物像を作り上げ、演技に没入するのである。またこの「意識的」な演技つまり「ロールプレイ」は、特に営業の現場の研修でも短期間の効果を生み出す手法として多く用いられている。

ブラック企業の社員としての生は本来的な生ではなく、あくまでも「ロールプレイ」で生きられるものなのだ。そしてこの感覚は何もブラック企業の被雇用者に固有のものではない。終身雇用をベースとしたかつての日本の企業モデルにおいても、突出せずミスをしないことが第一に必要であり、過度に目立つことのない「右に倣え」の会社人を「演じる」ことに変わりはないのだ。

ハンナ・アーレントは著書の『人間の条件』の中で「仕事」と「労働」の概念を区別した上で、そのバランスが崩れていることに言及している。芸術家や職人の技のような創造力を伴う「仕事」が衰退し、すぐに消費されてしまうモノを産み出す、体を動かすだけの「労働」が優位に立っていることを指摘する。また、大量消費社会においては、過剰に新しさや刺激に価値を置いた商品を次々と提供することで経済を回していることが、共通世界の解体につながる危険信号だとしている。もはや必然性からは遠く切り離された労働者たちは、しかし生計のためどこへも逃避することは叶わず、従って自らを「演者」と見做すようになるのだ。

 

2. ロールプレイは何者を演じるか

人類にとって「演じる」ことのルーツは古代の祭祀などに求めることが可能だが、一方、現代のアメリカから発生した「ロールプレイング」の様式が存在する。ゲームデザイナーのゲイリー・ガイギャックスは「ロールプレイ」とは「想像上のある役柄を演じること」であり、「自分が現在(または未来永劫)決してなることができない何者かを演じること」であると定義している。ブラック企業が理想とする社員を演じることとは、まさに「自分が決して<本当には>なることができない何者か」を演じることであろう。

ガイギャックスは1974年に世界最初のテーブルトークRPGである『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を生み出した張本人であり、「ロールプレイングゲームの父」とも呼ばれている。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は「テーブルトーク」の名の通りルールブックに定められた基本的なシステムに基づき、実際のゲームはゲームマスターと呼ばれる進行役とプレイヤーとの「トーク」によって進められる。プレイヤーは自分のキャラクターになりきり、他のプレイヤーたちと協力しながらサイコロを用いてダンジョンを探索し、敵と戦ったり宝物を探したりする。自分の姿さえも見えないゲーム内で、全てはプレイヤーの「自分が決してなることができない何者かを演じる」「想像力」にかかっているのだ。

TRPGのプレイ風景を実際に目にすれば、プレイヤーやゲームマスターの威風堂々とした語り口や、しばしば非常に鍛え込まれた話術により、いかにこの「想像力」が重要であり、そしてまた「演じること」「なりきること」が徹底して行われているかが直ちに理解されよう。この情熱を伴った「真摯さ」は、会社人を演じる際の逃げ道のない「無力さ」と逆説的に共鳴する。どちらも「演じていること」に迷いはなく、外側からその内心を窺い知ることは決してできない。会社のチームミーティングにおいて「上司」という「ゲームマスター」に次なる目標値を掲げられ、その達成に向けた戦略を説明する「社員」としての「プレイヤー」たちの立ち位置は、その本来の自己からの距離の遠さにおいて極めて酷似している。

アメリカから輸入されたTRPGが日本においては直接的には根付き辛かった一方、コンピュータRPGの形式においてはキャラクターや物語の享受に力点を置いて定着することになる。1981年にはコンピュータRPGの元祖として高明な『ウィザードリィ』や『ウルティマ』がアップル社のApple II用に発売される。日本においては一人称視点の前者よりも、自身のキャラクターを目視可能な見下ろし視点の後者に倣ったゲームの人気が高く、周知のように『ドラゴンクエスト』シリーズも『ファイナルファンタジー』シリーズも見下ろし視点を採用している。

自身のキャラが目視できるアクションRPGの興隆も考え合わせれば、一人称型を好まない日本人の特性と、まさに一人称としての主人公を演じるTRPGが定着しなかったことに相関性が見出せるだろう。演じるのが苦手であるということは、演じる自分のコントールが効かないということである。換言すれば、日本人は「個=自己」と「役=ロール」の相対化が不得手であり、このことは、演じていること自体を忘れ、その役に没入してしまうことを誘引する。

ブラック企業が理想とする社員を演じさせる際にも、このような特性が濫用されている。ブラック企業の専門家である今野晴貴によれば、他に選択肢があるにも関わらず、ブラック企業だと知りながらもやりがいを求めて入社してしまうケースが意外に多いという。彼らはエリート校出身で、ハードな体育会系の部活などで実績を残していることが多く、「死ぬほど働いて自己実現する社員」を自ら演じようとしてしまうのだ。

 

3. 演じるロールモデルが演じられる

「ロールプレイ」についての考察を更に駆動するため、「ロール」について別の角度から光を当ててみよう。アメリカにおいては、社会的に手本となるような役割を演じる「ロールモデル」という言葉が頻繁に耳にされる。芸能人やアスリートなど、メディアに露出する人間にそのような役割が期待されることも多い。しかしこのような「規範」となることを期待される人物は、時として非常に「個性的」と思われる人物であることが多い。通常、ロールモデルをランク付けする際は、性別、人種、活躍分野ごとに見る場合が多いが、その区別のない例として、アメリカのランキング発信サイトである「TheTopTens」が公開している「子供のためのロールモデルトップ20」から何人かランクインしている人物を見てみよう。1位はテイラー・スウィフト、2位は両親、4位は神、6位はエマ・ワトソン、8位はアリアナ・グランデ、9位はエイブラハム・リンカーン、10位はスティーブ・ジョブズ、11位はビヨンセ、12位はJ.K.ローリング、14位はバラク・オバマ、19位はマイケル・ジャクソン、20位はエミネムといった具合である(なお、6位と12位は『ハリーポッター』に起因するランクインであろうが、彼女らの国籍は勿論イギリスである)。

非常に雑多なランキングであるが、ここに挙げられた名前を見れば分かるように、彼らは非常に個性的な人物であるとともに、俳優やミュージシャン、あるいはビジネスマンとしてそもそも特定の役割を「演じる」ことを要請されている。同時に、まさに一般大衆の生き方の規範として、目標として真似される、つまり「演じられる」側にも立っているのだ。

私たち日本人は、このランキングの20人中、約半数を何の説明もなく共有できるだろう。逆の場合、またはその他の国のランキングの場合はどうかを想像してみれば、これが如何に特異なことであるか明白である。そして日本の場合は単に「好きな有名人」ランキング、あるいは「上司にしたい有名人」「父親にしたい有名人」など、ロールモデルとして自己を投影する存在ではなく、あくまでもロールモデルと自己間のコミュニケーションを前提とする。彼らは何を教えてくれるのか、そして自分は彼らとどのようにコミュニケーションを取るのか。即ち自分が「どのような理想的な人間になるか」ではなく、「どのような理想的なコミュニケーションを取れる人間になるか」、他人からどのように見られるべきなのかが問題となるのだ。これは「KY」や「コミュ障」という言葉が乱用される私たちの社会状況を鑑みれば火を見るより明らかであろう。

 

4. 反転する像

アメリカにおいて、このような個性的な人物が「ロールモデル」とされ、自らの役割を「演じる」ような状況は何故発生しているのだろうか。周知のように、「右に倣え」の日本的教育に対して、アメリカのそれは個性を重視すると言われている。この違いを考えるには、「個人」というものを双方がどう捉えているか見る必要がある。アメリカ、ひいてはヨーロッパにおいては、それまで自己の存在を他者との絆、つまり家族や忠誠などに求めてきたが、12世紀に「個人」という考え方が成立する。「告解」によって自分の内面と向き合いつつそれを他人に語ることとなり、「個人」意識が形成されるのだ。日本には、明治17年に「individual」に対して「個人」という訳語ができる。しかし社会学者の阿部謹也が指摘するように、日本では「個人」は「世間」の枠に縛られ、また「世間」に馴染むよう教育され、本来の自由を享受しえない。日本人は初対面の相手とまず名刺交換をし、その所属や地位で相手が属す「世間」を知ろうする。その上で出身地や出身大学などを知り、自分の「世間」との関係の中で今後も付き合う必要があるかどうかを判断するのである。

この「世間」は、丸山真男が講演『「である」ことと「する」こと』の中で比較している、目的のために結ぶ関係、つまり会社や政党に典型的な「する」社会に対する、出生、家柄、年齢、身分などの素性が尺度になる「である」社会とも共鳴する。丸山は日本の近代化が、「である」から「する」への単純な移行ではなく、「である」論理の上に依存しながら「する」論理が機能した点を指摘している。近代日本に「する」社会である会社の制度が流入したとき、私たち日本人はそれを受け止めつつも「世間」との二重生活が必要であった。つまりある意味では「演じる」ことが近代化の条件の一つだったのである。

アメリカにおいては、個人と社会の間に横たわる「世間」は本当に存在しないのだろうか。「世間」そのものを代補する存在はなくとも、「バーベキュー」がその機能を補完してはいまいか。日米における職場の同僚や上司との距離の測り方を比較すれば、その役割は明らかである。日本においては、物理的に「二人きり」=「サシ」になり、更に酒の力を借りて初めて「右に倣え」の「会社人としての演技」から解放されて素を出すことが可能となる。一方のアメリカにおいては、「世間」なき社会を補完する「バーベキュー」が半公共性を担保し、「個」を維持したままの「演技のない」素の人付き合いを可能たらしめるのだ。

ヨーロッパからアメリカに引き継がれた、イギリスの国策会社であるハドソン湾会社を代表とする近代的企業とその内部の人間関係、つまり会社人の「演じ方」はそのまま日本にも輸入されたが、アメリカと日本のそれは、まるで水面に映った「影」=「reflection」のように「反転」しているのである。

 

5. オレゴンにて/から出会う他者性

日米の「反転」した像を考察するためには、冒頭の問いをも「反転」させる必要があるだろう。「アメリカに入った最初の日本人は誰であったか」を反転させる。新たな問いはこうだ。日本に入った最初のアメリカ人は誰であったか。英領カナダ時代のオレゴニアン、ラナルド・マクドナルドがその人である。彼はフラッタリー岬に漂着した3人の日本人のことを聞きつけ、日本に興味を持ち始める。スコットランド人とインディアンのハーフだった彼は容貌の似ている日本人に感情移入したこともあり、当時鎖国状態の日本への密入国を試みる。1848年、ボートをわざと転覆させ漂流者を「演じて」北海道利尻島に上陸する。1853年にペリーが開国を迫る5年前のことである。

このように、日米互いのファーストコンタクトはオレゴンにて/から成されたのである。

ロラン・バルトは『表徴の帝国』の中で、日本のお辞儀という「礼儀」に対して、いっさいの「世間的な価値」と絶縁した「率直でぶっきら棒で飾らない間柄」こそが、相手の「個人的な価値」を最も尊重することだというのが西洋のモラルであり、「無作法」であることが「真実」であることだと言っている。「礼儀」を尊重する態度を「演じる」必要はなく、「ありのまま」の「無作法」であることが逆にモラルに適った行動であるというわけだ。

バルトの指摘に呼応するように、日本から遥か彼方に漂着した音吉、岩吉、久吉の3人は、漂流の事実を「ありのまま」の形でアメリカに受け入れられ、逆にアメリカを出発したマクドナルドは、漂流者を「演じる」ことで、日本に受け入れられた。このように、オレゴンにて/から成された日米のファーストコンタクトにおける「演技」のあり方もまた、「反転」していたのだ。

漂流当時わずか14歳の見習い船員であった音吉は、当時の身分社会において、漂流事故がなければそのまま水夫となっていたはずである。しかし運命の悪戯により、最終的にイギリスからマカオに送られ、ドイツ人宣教師の日本語教師を勤め、驚くべきことに聖書の日本語訳まで手伝っている。ヨハネ伝とヨハネ書を日本語訳し、初めての日本文の聖書制作に貢献したのだから、戸惑いもあったであろう。しかし聖書の翻訳者としての「演技」を要請された音吉は、ガイギャックスの言う通り、要請通りにまさに「自分が決してなることができない何者か」として仕事をすることで、「自身の中の見知らぬ自分」=「他者性」と出会ったのである。アメリカ代表として日本を目指したマクドナルドもまた、そのような「他者性」を求め海を渡ったのだ。

それをどんなに忌み嫌ってはいても、会社人としての「演技」に乗ることもまた、自身の「他者性」と出会うことにほかならない。終わりなき演技の日々に耐えかね舞台の降板が頭をよぎるとき、私たちは、そのように開かれている可能性の意味を、もう一度熟考する必要があるのではないだろうか。

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