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その日にそこで考えたこと

――土曜日だったので皇居に隣接したその美術館には多くの来訪客がみられ、ことに外国人客の多さが目についた。彼らはみな白色人種で、英語、そしてフランス語が耳に留まった。そのような時間と場所で戦争画を、それもフランスと日本を横断した画家が、米英との戦争を描いた戦争画を見る。それは戦争と現在地との距離と、その距離を介して両者が地続きであることを同時に思い起こさせる、奇妙に捻れた体験だった。だがもしかすると、その奇妙さの原因は、そもそも戦争画の方に含まれていたのかもしれない。それは絵画がもともと、書かれた地/時点と見られる地/時点を、隔てつつ繋ぎ、繋ぎつつ隔てるということだけではなくて、その日その場所で見た藤田嗣治の諸作品が、どれも地と図の輪郭――隔たりについて描いた作品のように思えたからだ。
その日の特別展ではまず、1929年の『自画像』が展示されていて、次に『五人の裸婦』(1923)と『タピスリーの裸婦』(同年)が目に入った。その日の前後にいくつか読んだ藤田についての文章によれば、そこで用いられる「乳白色の肌」が彼の特徴であったらしい。確かに二つの絵の中の裸婦たちは、わずかに陰影を付けた「乳白色」で描かれ、そこに頬や乳頭、口紅のほのかな赤さが際立っていた。しかしその赤さ以上に際立って見えたのは、むしろ背景の布だった。『タピスリーの裸婦』は題のとおりタペストリーを背景にし、シーツの上に裸婦が、足を伸ばし、脇を見せる格好で座っていた。傍らには猫がくつろいでいる。『五人の裸婦』のほうでは、解説によると人間の五感を示しているという裸婦たちが、ベッド(やはり同じ模様の猫が同じ姿勢でいる)とそれを囲むカーテン、そして無造作に置かれた布の上に配置されていた。そしてこれらの絵の布には、いずれも鮮やかな花模様が書き込まれている。結果として、むしろ裸婦の「乳白色」がキャンバスの地で、布のほうが描写の対象であるような感覚――それはちょうど、向かい合った人間の顔の図が、壺の絵の地に反転してしまう有名な騙し絵に似ている――が訪れる。後で読んだ文章によれば、この布が背景の地ではなく対象の図になってしまう描き方は、藤田が針仕事を得意としたことに関係しているらしい。
そして目を凝らすと、その反転しあって見える地と図は細い、しかし確かな輪郭線で仕切られていることが分かり、その日はじめに見た『自画像』との連続性が感じられた。画面左に置かれた机に筆を持って向かい、顔だけをこちらに向けたその自画像で最も(画面中央で首をもたげ、こちらを見下ろす猫と並んで)印象的だったのは、目耳鼻口、筆、それを持つ手、なにより服とその皺を構成している、細く際立った線だったからだ。その印象はやや後に置かれた、南米旅行に取材した作品群、とりわけ『ラバスの老婆』(1932)の前に立った時にも、老婆を包む布の皺、そして彼女の顔に刻まれた皺から喚起された。藤田嗣治は「乳白色の肌」と同じくらい、線と輪郭の作家だと思った。
だから階段を降り、戦争画の前に足を進めて戸惑いを覚える。藤田が描く戦争画からは、「乳白色」も、線も、輪郭も、消え去っていた。はじめにそのことが知覚されたのは、『アッツ島玉砕』(1942)を目にした時だった。アラスカ半島とカムチャッカ半島を繋ぐアリューシャン列島に位置する島での、アメリカ軍の日本軍の戦いを描いたその絵で、両軍は全く描き分けられていない。乱闘する兵士たちはみな一様に土色の軍服を纏って、土色の顔をし、土色の地面に立ち、伏していた。その土色は画面上四分の一を占める背景、それ自体島のように盛り上がった波を立てる昏い海と空にまで染み出し、土色の靄をかけている。反対に、犇めき合い倒れる兵士たちの体の起伏と服の皺は、地面全体が土色の海になってしまったかのような錯覚をもたらした。あたかもその絵では全てが土、つまり地で、それゆえ背景の海と等価であるような、図のない絵として、『アッツ島玉砕』はあった。そして当然のように、その兵士たちの体と服の皺に、あの細く明確な輪郭線は見られない。そこでは、隔たりは失われている。だが戸惑いはそれで終らなかった。その日、戦争画を展示した区画はさらに続いたが、そこにある絵の大半から、全く同じ印象が感じられたのだ。たとえば『〇〇部隊の死闘――ニューギニア戦線』(1943)、『血戦ガダルカナル』(1944)、『サイパン島同胞臣節を全うす』(1945)、『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』(同年)。これらの絵画は一様に、土色を基調にして人の群れを描き、背景には昏い空か海(あるいは両方)があり、地面には文字通り土に還ってしまったかのような屍体が、しかし生者と区別できない服を着て倒れていた。どの絵でも、画面の輪郭は全て土=地に飲み込まれる。それらを連続して見ると、個々の絵のタイトルに付けられた固有名詞(その多くは隔てられた島である)にもかかわらず、それらの絵が全て同じ土地で起きた、ただひとつの戦闘を描いた絵であるように思えてくる。輪郭が解け、全てが地になるという効果は、ひとつの絵の中だけでなく、一連の戦争画の一連の戦場を、地続きにしてしまう。
だから展示を一通り見て、改めてその日の目当てだった絵『ソロモン海域に於ける米兵の末路』(1943)の前に戻った時、その絵の奇特さに思い当たった。その絵が土­=地、島ではなく、海を描いているという単純な事実に気付かされたからだ。その日、はじめにこの絵を見て奇異の念を抱かなかったのは、直前に見た『アッツ島玉砕』と同様に、土色が基調となっていたからだった。この絵に描かれた「ソロモン海」は、アッツ島の背後の海と同じように、土色の靄で覆われている。だが二度目は、その点に逆に違和感を覚える。土=地、島ではなく海を描いているなら、この土色は、どこから来ているのだろうか。
絵に依拠するかぎり、画面右下を占め、右上に船首をむけた小舟と、それに乗る七人の男たちからといえそうだ。左端の男は、画面奥の水中にいるらしいサメ(五つの背びれが並び、一匹は海面に飛び出している)の方に顔を向けている。その手前の仰向けの男は船尾を枕に、絶望したように右手で顔を覆い、すがるように左手を上げている。やや右に、座った男が三人。顔を左にやや俯かせ、どこともなく中空を眺めているのが一人、顔を左奥に向け、やはりサメを見ているらしいのが一人、舟の真ん中で下を向いている(その目線は影になっていて追えない)のが一人。その右にはこの絵の中で最も目立つ、仁王立ちの男(目の高さと向きは丁度、サメのいる高さと方向に一致する)がいて、その足に跨がれ、頭を船首にむけ、足とこちらに向けた顔以外を白い布に包まれた男が眠っている(あるいは死んでいるのかもしれない)。その男たちの肌は、先ほどまで見てきた戦争画と同じ土色をしていて、例えばその日、隣で絵を見ていた外国人客(もっとも彼はフランス語を話していたが)とは似ても似つかず、タイトルに反して「米兵」と日本兵という隔たりは、この絵にも存在しないように思えた(絵自体に書かれた原題には「敵」の末路とあり、国籍は指定されていない)。それは同時に、この絵も兵士たちの輪郭をなし崩しにしたあれらの島での乱戦と、地続きにあるのではないかという考えをもたらす。実際この男たちもまた、人々の輪郭が失われる戦場から漂流してきたに違いないのだから。つまりその絵では、諸々の島での戦いで背景だった海に、漂流者たちによって戦闘の土色がもたらされ、その事自体が図になっているように見える。それは『アッツ島玉砕』とは違う形で、地と図の区別を失わせてしまうだろう。じっさい、中景に盛り上がる波や遠景の水平線の起伏を見ていると、それらは島の稜線の影にしか見えなくなってくる。すると地と図について考える頭の中に、文字通りの地図が思い浮かぶ。「ソロモン海」という名は、「ソロモン諸島」という図の、地であることに由来する名だったはずだ。そして『アッツ島玉砕』とその類作で、戦いは島=図で起こっていた。しかし『ソロモン海域に於ける米兵の末路』では、まるで戦場であることを免れた外部=地など無いかのように、海に戦争の色が差す。地と図の輪郭は失われ、隔たりは溶け、地続きという言葉自体が意味をなさないような、漫然とした土色が充満していた。
だから『ソロモン海域に於ける米兵の末路』は、しばしば言及されるのをやはりその日の前後に見た、テオドール・ジェリゴー『メデュース号の筏』(1818-1819)やウジェーヌ・ドラクロワの諸作品とは、異なる感触を持っていた。藤田も明らかに参照したそれらの作品でも、海はそこに落ち、倒れる人間のイメージを介して死と結びついていたが、それは漂流そのものの恐怖を描き、海そのものの恐怖を宗教に接続したものだった。そこにもちろん、あの土色の靄、戦争の影はない。一方で藤田の絵の海は、あらゆる人とあらゆる場所を等しく同じ色に染め上げてしまう戦争によって、地と図の輪郭が溶融してしまった極点としてあった。だから背びれだけを見せるサメは、どこにでも潜み、いつ飛び出してくるか分からない、偏在化した戦争の恐怖の寓意に見えてくる。ある者はそれを恐ろしげに眺め、ある者は目を覆い、ある者は目を反らし、ある者はうなだれ、ある者はそれを見据え、ある者はそれに背いて眠り込む。一見して、仁王立ちしてそれを見据える者の勇ましさが際立った。だがすぐに、その男がサメを見据えているように見えるのは、単に彼の目線とサメの位置が、画面上で同じ高さにあることから来る錯覚にすぎず、彼がそのサメを見据え損ねていることに気付くと、その恐怖は、確たる輪郭を持たず、形として見据えられないからこそ恐怖なのだと思い至る。戦争は輪郭を、隔たりを消失させるだけでなく、それ自体輪郭を持たない。
しかしここにもやはり、奇妙な捻じれがあると思った。その戦争は、互いの輪郭線、国境を巡って起こったものだからだ。藤田の描く乱戦で、銃剣が、もっぱら剣として使われていたことを思い起こす。相手の輪郭を直に貫くその感触は、むしろ相手の輪郭を強く意識させるだろう。そんなことを思ったのはあるいは、土色に包まれ、米兵と日本兵を描き分けないその絵を見ることで、隣で同じ絵を見る外国人客との隔たりを意識したからかもしれない。隣にいる彼と、この戦争画、どちらとの隔たりの方が近いのかの判別はつかない。だが藤田の絵が示していたのは、その輪郭が構成する地と図は、いつでも入れ替わりうるということだった。

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