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Make Yourself a Hero――ヒーローの仮面の下で

 

まずブラウザのバックボタンを押し、受講生一覧から筆者が最初に提出した論考の題名を確認し、その後に本稿へ戻ってください。

いかがでしたでしょうか。そこには『「君はヒーローになれる」――スマートフォンとルネサンスのあいだで』と書いてあったはずです。その論考では、アメコミのスーパーヒーローが西洋の神話の英雄(ヒーロー)の模造(コピー)であり、複製芸術たる映画と親和性を持つことが論じられていました。
この論考を紹介したのは、本論がその続編として書かれているためです。『「君はヒーローになれる」』という題は「」が示すとおり、(誰も指摘してくれませんでしたが)ある作品の台詞の引用となっています。その引用元は『週刊少年ジャンプ』で連載中の堀越耕平によるコミック、『僕のヒーローアカデミア』といいます。
2014年7月から連載が開始され、今年のジャンプ35号(7月27日発売)で連載一周年を迎えた『ヒロアカ』は、常にトップ近くの位置に掲載(ジャンプの掲載順はアンケートの人気順です)され、niconicoが主催する「次にくる漫画大賞2015」で1位に輝くなど、同じ2014年に終了した岸本斉史『NARUTO』に替わるジャンプの看板作品と目されています(岸本は堀越との対談の中で、同作が「『NARUTO』の位置に、バシッと収まった印象がある」と語っています)。余談ながら本稿執筆時のジャンプ最新号も『ヒロアカ』が表紙と巻頭を飾り、一周年記念人気投票の結果発表がされました。
『ヒロアカ』はタイトルの通り、「ヒーロー」を育成する「アカデミア」を舞台とした、学園モノのバトルマンガです。そして主人公の「緑谷出久」は、ヒーローになる才能を著しく欠いている。つまり、よくある設定です。例えば上の『ナルト』は、「忍者アカデミー」の落ちこぼれ生徒が忍びの長「火影」を目指すという、完全に同一の構図を持っています。しかしこの設定のベタさにもかかわらず/ゆえに『ヒロアカ』は、おそらくは図らずも、ジャンプのバトルマンガが持つ構造を批評的に抉出している。そしてそこには、アメコミのスーパーヒーローが関与している。本稿が(ヒーロー論の続編として)書かれる理由はそこにあります。

では、その設定を詳しく見ましょう。まず、出久が住むのは、「個性」と言われる超能力(いわゆる「能力バトル物」の「スキル」)が、人口の8割に発現した世界です。しかし上で示唆したとおり、出久は誰よりもヒーローに憧れているにもかかわらず、全く特殊な能力を持たない「無個性」であることが幼少時に発覚しています。
そのような状況の第一話、出久は憧れのヒーロー「オールマイト」に遭遇し、彼が「敵(ヴィラン)」に負わされた怪我の影響で力を維持できなくなっていることを知るとともに、ヒーローの道を諦めるよう諭されます。しかしその後、同級生がヴィランに襲われている現場に出くわた出久は、無個性ながら泣き笑いで救助に向かう。その姿に胸を打たれたオールマイトは、体に鞭打ち命懸けで敵を撃退した後、緑谷少年の勇気を評して言います。「君はヒーローになれる」。
そして二話以降、オールマイトは自らの個性が、唯一人に譲渡されその度に強くなる個性「ワン・フォー・オール」であることを出久に明かし、その力を継承させます。結果、出久は(放つ度に腕が折れるものの)個性を手に入れ、ヒーローアカデミアに晴れて入学ができるわけです。出久は知りませんが、引き換えにオールマイトはますます衰弱していき、最近(本稿の三週前)ではその死が近いことが示唆されています。
この内、『ヒロアカ』最大の特徴は、最強のヒーローであるオールマイトの存在、特にその風貌です。出久に作中で「本物だ!〔……〕画風が全然違う!」と言わしめるように、彼は顔の陰影が極端に強調された、アメコミのパロディ画風で描かれるのです。無論、他のキャラクターが濃淡の薄い、デフォルメされた和製マンガの画風で描かれる以上、彼の存在は極端に浮いています。するとさらにもう一つ、奇妙な点が浮かび上がってきます。オールマイトが浮くということは逆に、作品世界自体は日本に設定されている、ということです。
本作ではオールマイトの画風を始め、「ヴィラン」というアメリカ風の悪の呼称、主人公に向けられる罵倒「ナード」(スクールカーストの底辺)、アルファベット表記される擬音など、枚挙に暇がないほどアメリカ(ン・コミック)に対するリスペクトが散りばめられています。にもかかわらず、例えば「渋谷」に行くために「甲府から新宿行き新幹線」に乗り込む描写が(日本地図とともに)あり、あるいはオールマイトの事務所の住所は六本木ヒルズのものです。この作品の舞台はアメリカではなく、ファンタジーの異世界でもなく、現代の日本であり、主要な登場人物は全員日本人なのです。
以上の二点を総合すれば、『ヒロアカ』の設定は下記のようになります。現代の日本は、最強のスーパーヒーローであるアメリカ的存在、オールマイトに守られていたが、その力が衰えを見せ始める。出久は、戦闘能力を持たなかったが、オールマイトによってO(ワン・)F(フォー・)A(オール)を与えられる。彼は自身には強大すぎる力をなんとか制御し、それを自身の力として昇華していく――この作品世界と出久とオールマイトの関係が、戦後の日本とアメリカの寓意として読めることは明らかでしょう。この時、スーパーパワーが「個性」と名指される本作の特徴が活きてきます。それは戦闘力であるとともに、文化的な特徴=個性(キャラクター)でもあるからです。
それだけではありません。オールマイト自身がもとは無個性であったことが、2015年24号(5月11日発売)の時点で明かされています。つまり『「君はヒーローになれる」』で示した、アメリカという神話を持たない=無個性な国に捏造されたスーパーヒーローの模造性が、オールマイトにも現れているわけです。彼もまた「本物」ではなく、OFAの継承は、個性を持たないこと自体を個性とすること、そのものの継承であるのです。

しかし、日米の構造の寓話として読める、という点は、『ヒロアカ』が持つ批評性の半面でしかありません。むしろより重要なのは、先述のとおり、この作品の構造が極めて普遍的(ベタ)なものであることです。先に挙げた『ナルト』との類似はその理由と意味を知る鍵です。主人公「うずまきナルト」が落ちこぼれから脱する切掛けは、彼の中に封じられた「九尾の狐」から得られる膨大なエネルギー=「チャクラ」でした。かつて忍びの里を襲撃し壊滅寸前に陥れた九尾を、ナルトの父が、その日に生まれた赤子の臍に封印したのです。
ここからは、「九尾のチャクラ」とOFAの類似点、落ちこぼれに外部から与えられた強大な力という一致が見られます。そしてこれは、チャクラとOFAに限った話ではありません。ある時期以降のジャンプマンガにおいて、主人公の持つ特殊能力は、かなりの割合で後天的な「外付け」のものなのです。
連載中のバトルマンガに絞りましょう。『ワンピース』の主人公「ルフィ」がゴム人間になったのは「悪魔の実」を食べたからであり、『トリコ』の超人的な嗅覚と筋力は「グルメ細胞」という宇宙から来た細胞によって得られたものです。『BLEACH』の主人公「黒崎一護」は「死神代行証」を与えられ悪霊「虚」と戦う力を得ますし、『ワールドトリガー』で人類が用いる武器「トリガー」は侵略者「ネイバーフッド」の技術によって作られたものです。一見例外に見える『HUNTER×HUNTER』の「念」能力(自身の生命エネルギーを用いる)ですら、修行による内的な開化ではなく、相手の「念」による外的な開化によって主人公「ゴン」に齎されます。[i] つまりジャンプバトルマンガの主人公にとって、戦闘能力はほとんど常に、「外付け」の力としてあるわけです。
そしてここにこそ、『ヒロアカ』の批評性の本質があります。この作品はその設定の王道(ベタ)さにより、ジャンプの王道バトル作品に見られる「外付け」パワーを持つキャラクター全てが、意識的にせよ無意識的にせよ、力=個性を持たない国日本の特徴(キャラクター)を反映してしまっていることを白日のもとに晒すのです。
このいささか突飛な論が詭弁でないことは、力の「外付け」化の切断線に位置する鳥山明『DRAGON BALL』を見れば分かります。その内容は、異星から来た戦闘民族である「孫悟空」が地球への侵略者を撃退するというものですが、この設定には既視感があるでしょう。オールマイトという異国的な(alien)ヒーローが日本を守るという『ヒロアカ』の構図と、「サイヤ人」という異星人(alien)が地球を守るという『DB』の構図は、明らかに重なっています。しかしこの類似は、実は間接的なものです。両者を媒介するのは、アメコミヒーローの本家本元、『スーパーマン』に他なりません。彼もまた、異星人(alien)であるが故に特別な力を持つのでした。[ii]
彼は「クリプトン」という星の住人でしたが、星が危機に瀕した乳児期、カプセルに入れ地球へ送られます。直後に星は崩壊、彼は地球で育ての親に拾われ地球人として育てられた後、スーパーパワーによって地球の危機に立ち向かうのです。
ここで上の段落の経歴は、「クリプトン」を「惑星ベジータ」に変えさえすればそのまま悟空のものです。つまり『DB』は明らかに、『スーパーマン』のパロディになっています。中華風の名前に隠されたアメリカ文化が、ここにも存在したわけです(cf.速水健朗『ラーメンと愛国』)。『DB』の前の連載『Dr.スランプ アラレちゃん』において「スッパマン」なるパロディを登場させた鳥山が、この類似に無自覚なはずがありません。そういえば彼もまた、アルファベットによる擬音を好みました。
『DB』は国民的な人気を得た後、1995年に連載を終えます。そして1997年に連載が開始された『ワンピース』(前身となる読み切り『ROMANCE DAWN』は1996年)から、戦闘能力の「外付け」化が始まるのです。これは、異国のヒーロー『スーパーマン』の模倣が「国民的」な人気を誇る、その「外付け」的状況を物語の設定に反映したものに他なりません。
その「外付け」作品の中で、やはり『ナルト』の位置は重要です。そこで描かれる「忍び」は日本的なモチーフでありながら、史実の忍者とはむしろ関係がありません。それは単に、忍者は火を吹かないし分身もしない、という意味では無く、『ナルト』における忍者の造形が、「チャクラ」や「フォーマンセル」といった用語、あるいは色も形も様々な髪と瞳(ナルトは金髪碧眼です)や洋服に代表されるとおり、徹底して多(無)国籍的であるということです。つまり同作では、古今東西の要素の「外付け」が「忍び」=日本的なものに回収されるのです。『NARUTO』は過剰な「外付け」自体を「日本」の個性として提示し、結果「クールジャパン」の先駆けとして、世界中で読まれることになりました。
この点で『ヒロアカ』は、『ナルト』の描く「擬似日本」からは、むしろ一歩遡行したと言えます。東浩紀によればそれは、「アメリカの影響から抜け出そうとして作り出された一種の虚構」であるからです(『動物化するポストモダン』)。しかしその遡行ゆえ、『ヒロアカ』は「外付け」パワーの起源を見出しました。新聞に次いで複製(コピー)されるジャンプ紙面において、日本とアメリカの関係は、主人公(ヒーロー)とその能力としてたえず縮小再生産(コピー)されていたのです。そして無個性自体を個性とする限り、それは元祖無個性の国たるアメリカの影(コピー)でしか有り得ない。『ヒロアカ』が立ち向かっているのは、自身が刔出したこの危機なのです。

[i] もう一つの例外『ブラック・クローバー』は、魔法が一般的な世界において魔力を持たない(『ヒロアカ』・『ナルト』と完全に同型です)主人公「アスタ」が、魔力を無化する能力を発現します。これもまた無個性自体の個性化の一変奏といえます。

[ii] 無論これは、アメリカにとって英雄が異国の存在であることに関わります。

文字数:4995

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