受賞のことば

  1.  僕が「東浩紀」、「佐々木敦」という名前を知ったのは、阿部和重の小説の解説者としてでした。当時高校生だった僕はもちろんお二方が主催する企画に参加するなど夢想だにせず、まして阿部さんご本人に評価を頂いての受賞ができるなど、夢のまた夢でした。だから批評再生塾は僕にとり、文字通り夢のような企画だったという他ありません。このような結末を迎えられ、重畳の至りです。
     しかしその個人的な夢以前に/以上に、この塾には「批評の再生」というより大きな目的があります。その意味でまだなにも終わっていないし、なにも始まっていないとさえ言えます。批評再生塾第一期生の今後に、そして今後の批評再生塾に、引き続きご注視下さい!
     (横山宏介)

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私たちはそこにはいないから

序 わたしのいない場所の複数

2016年3月4日、『僕だけがいない街』の連載が完結した。同じ年の1月からアニメ放送が開始され、来たる3月19日には実写版映画の公開が予告されていた、その矢先のことだった。人気の絶頂のただ中でのこの作品の連載終了は、2015年度の末に、漫画史上のひとつの切断線を残すことになるだろう。三部けいによるその漫画の連載が始まったのは、その四年ほど前、2012年7月のことだった。
ところで、この『僕だけがいない街』連載開始の二ヶ月前には、ある奇妙な偶然がおこっている。第二十五回の三島由紀夫賞において生じた、「酷似するタイトル」を持つ二つの作品のあいだでの決選投票がそれだ。当時のウェブニュースを引けば、それらは「酷似するタイトルが示すように、「私」という存在の希薄さは共通するが、まったく印象の違う2作」であるという。この一節が暗示するように、両作の「酷似したタイトル」以外の要素があまりに異なっているために、その類似は単なる偶然として受け入れられ、二者併せて論じられる機会もほとんど無いまま、一過性の椿事として忘れられていった。それらの二作品のタイトルは、『私のいない高校』と『わたしがいなかった街で』という。
青木淳悟の『私のいない高校』と柴崎友香の『わたしがいなかった街で』、この両作が『僕だけがいない街』とも「酷似するタイトル」を持つことは、改めて指摘するまでもないだろう。「私(わたし)」が「いない(かった)」「場所」というタイトルの偶然の一致をみた二作が同じ賞を争ったことは、もし三島賞の発表があと二ヶ月遅ければ、「偶然とは思えない」と捉えられていたかも知れない。実際今から振り返ってみると、2011年2月(『私のいない高校』)、2012年4月(『わたしがいなかった街で』)、2012年7月(『僕だけがいない街』)と、僅か一年半にも満たない期間に、立て続けに発表されたこれらの作品たちは、小説と漫画という二つの世界を貫く、同時代的な現象として見えるのだ。
2010年代の初頭に、時系列で中央に位置する『わたしがいなかった街で』を蝶番とするように類似した題名を持つ作品群が、小説と漫画というジャンルの垣根を超えて、はかったように同時に現れた。この偶然にしては出来過ぎている(と判断してよいだろう)現象を扱うために、本稿ではその紐帯を強調し、これら三作品を『私がいない場所三部作』と暫定的に呼称しよう。『私がいない場所三部作』の出現が、この年代をどのように象徴しているのか、あるいは象徴していないのか(つまりいかに偶然とは思えなくともやはり単なる偶然にすぎないのか)、この問いが本稿の出発点である。

序にあたる本章では、作品の各論に入る前準備として、『三部作』の共通点、すなわち「私がいない場所」というタイトルが、どのような問題を喚起しうるかを検討する。結論から言ってしまえば、それらはいずれも「反実仮想」というテーマを持たざるをえない。これはある意味では至極当然のことだ。わたしたちは「わたし」である限り、「私がいない場所」に「いる」ことは出来ない。である以上、「私がいない場所」については空想を巡らせるしかないからだ。
逆に言えば「わたし」と「場所」は本来、不可分な関係にあった。その関係の根源性は、例えば聖書にまで遡ることができる。

たとえわたしが自分について証しをしたとしても、わたしの証しは真実である。なぜなら、わたしはどこから来たか、またどこへ行くかを知っているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこから来たか、またどこへ行くかを知らない。(ヨハネの福音書)

後に「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか」という(そのフレーズ自体はゴーギャンの絵画に由来する)ステレオタイプとして流布するこの一節からは、「わたし」の「証し」=アイデンティティが、「どこ」=場所に結びついていることが読み取れる。そして両者を取り持つのはその「知」である。
だとしたら『私がいない場所三部作』の小説作品ふたつが、いずれも「日記」を重要な装置としていることは見逃すべきではないだろう。それはかつて「わたし」を名乗っただれかがどこかにいたことを「知」るための「証し」となるからだ。『わたしがいなかった街で』の「わたし」は、実在したSF小説家「海野十三」の「日記」を読みふけり、「わたしがいなかった」往時を思い描く。『私のいない高校』では、作中に「日記」こそ姿をみせない(「いない」)が、作品自体が『アンネの日記 海外留学生受け入れ日誌』というやはり実在のノンフィクションを下敷きとし、それを虚構化したものである。
「日記」、それはだれかがどこかにいたことの記録=記憶として、それを「知」らせる媒体である。したがってそれは「高校」や「街」という「誰か(わたし)」がいた「場所」を、必然的に想起させることになる。そしてその想起は「私がいない場所」に「わたし」が「いた」可能性を示すだろう。

日記に書かれたその声が響いていたのがどこなのか、目の前の風景と比べてみても確かなことはわからない。〔中略〕しかし、ここにも焼夷弾は降ってきた。それを知ったとき、自分も焼夷弾の炎に追いかけられている気がした。(『わたしがいなかった街で』pp.64-65)

だから『私がいない場所三部作』はどれも、多かれ少なかれ「反実仮想」的な色彩を持つ。そしてその特徴が最も強くあらわれるのは、『僕だけがいない街』である。同作では「日記」の変奏として、『文集』=手記や『ニッポン 昭和の重大事件史』という書籍などの他者の「記憶」の集積が、自分が経験しなかった「記憶」を知る「反実仮想」への媒介になる。そして同作では、まさにその「反実仮想」を現実化することが、主人公に課せられた使命となるのだ。詳述は後に譲るが、ここでは同作がいわゆる「タイムループもの」、同じ時間を何度も繰り返し、試行錯誤によって(最善の未来への)脱出を試みる作品群の流れに属していることを指摘しておこう。批評家の東浩紀は「ループもの」の主人公の立場がコンピューターゲームのプレイヤーと一致していることに着目し、これを「プレイヤーの視点のリアリティ」自体を物語化した作品形式として「ゲーム的リアリズム」と名付けた(『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)。『僕だけがいない街』においても主人公の「悟」の視点は、前の失敗の記憶を保ちつつその選択肢を排除し、ハッピーエンドのルートを模索するゲームのプレイヤーのそれと重なる。
このことを踏まえると、その東浩紀が2015年に「ぼくたちはまだ昭和の引力のなかで生きているように思われる」という問題意識から、「昭和90年代」という観点を提出していたことは象徴的である。『僕だけがいない街』の悟がジャンプするのは、他ならぬ昭和の終わりの年、「昭和63年」だからだ。そして彼は、その年代をループする。つまり同作は、昭和が終らない作品なのである。正解のルートを探し当てた時にはじめて、彼は「昭和」から脱出するだろう。そしてその作品は、昭和91年3月4日、昭和90年代最初の年度とともに完結した。
そして「昭和」と『私がいない場所三部作』との結びつきは、『僕だけがいない街』に限ったことではない。悟がまさに囚われたような「昭和」のループに、文学もまた陥っているいう指摘が、昭和90年代の批評において現れているのだ。同時代の現象を昭和初期の反復として捉える視点が、複数提出されているのである。
例えば批評家の渡部直己が2015年に発表した「移人称」という概念(「移人称小説論――今日の「純粋小説」について」)。一人称で語られた小説が三人称へと「越境」し、逆に三人称で語られる作品が「私」の自意識に「狭窄」する。2010年代以降頻繁に見られるようになったこの叙法の起源を、彼は横光利一が提唱した「四人称」に求めている。彼は昭和9年に発表した小説『紋章』においてこれを用い、そして昭和10年の『純粋小説論』で理論付けをした。そして渡部が「移人称」の例として提示する「今日の「純粋小説」」の中には、他ならぬ『わたしがいなかった街で』が数えられているのである(青木淳悟もまた別の作品で取り上げられている)。
それだけではない。同じく批評家の佐々木敦がその「移人称」を巡る対談に触発されて書き始めたという、現在『群像』誌上で行われている連載のタイトルは、『新・私小説論』なのである。これは言うまでもなく、小林秀雄が昭和10年に発表した『私小説論』のパロディーである(実際連載の二回・三回は『私小説論』論に割かれている)。だとすれば文学の領野においてもまた、まさに「タイムループもの」のように、円環する時間が繰り返されている。
これらを踏まえた上で本稿を貫く問いは、昭和80年代の後半に矢継ぎ早に発表された『私がいない場所三部作』はなんらか昭和という時代に一線を画するものだったか、あるいは未だ私たちは、昭和という時代の円環の中に囚われたままか、というものである。渡部の指摘に従うなら、その指摘に『わたしがいなかった街で』の名がある以上、後者、ということになるだろう。したがってまず検討するべきは、時系列においても「酷似したタイトル」においても中心をなす、その作品である。

第一章

『わたしがいなかった街で』には「わたし」がいる。同書では「わたし」による一人称の語りが採られるからだ。むしろ、そこで語られる物語において「いな」くなるのは、「わたし」以外の人物の方である。
なにせ冒頭から、「一九四五年の六月まで祖父が広島のあの橋のたもとにあったホテルでコックをしていたことをわたしが知ったときには、祖父はもう死んでいた。」と、いなくなった者の回想から語りが始められるのだ。そしてその語りはすぐに、離婚により夫がいなくなったのを機に「わたし」が引っ越しをする物語上の現在へと継がれる。その手伝いに来ている友人の「有子」もまた夫との離婚と死別を一度ずつ経験していて、母も早くになくしている(物語の終盤では今度は彼女が引っ越し、「わたし」の前からいなくなる)。そして引っ越したばかりの「わたし」のもとに、十年前に写真のワークショップで知り合って以降断続的な交流が続いている「中井」から、同じく参加者の一人だった「クズイ」が「行方不明」であることを知らされるのだ。
以降作品は、この「クズイ」を不在の中心とし、「わたし」と中井、それに中井が偶然知り合ったという「クズイ」の妹、「葛井夏」の日常を描き始める。「クズイ」の父はやはり離婚をしているため「クズイ」と夏は異母兄妹であるが、夏の母もすでに「クズイ」の父とは別れており、作中に彼はいない。さらに読み進めると、「わたし」の父もすでに故人であることが明かされる。
このように『わたしがいなかった街で』では、「クズイ」の行方不明を一応の(というのは取り立てて彼が捜索されるわけではないからだ)中心とし、その周囲をいなくなった他者たちが彩る。にもかかわらず、なぜタイトルは『わたしがいなかった街で』なのか。それは「わたし」が、「わたしがいなかった街」のことばかり考えているからだ。その例えば次のような形で行われる。

リモコンを操作し、別のドキュメンタリー番組を見た。
白黒の粗い映像。衝撃を受けた街の建物は破壊され、ところどころではまだ炎が上がっていた。崩れ落ちた建物の陰に上半身が押しつぶされた人、道路の端に瓦礫や焼けた車と同じように焦げて転がっている人、持てるだけの荷物を引きずり黙って歩く人たち。そのそばを装甲車に乗った兵士たちが次々と通る。兵士たちも初めて見る心を奪われているように見える。どこに行っても大勢の人、死んだ人もまだ生きている人も、たくさんいた。
なぜ、わたしはこの人ではないのだろう、と思う。殺されていく人がこんなにたくさんいて、なぜ、わたしは殺されず、倒れて山積みになっている彼らではなく、それを見ているのかと、思う。同時に、死体を足先でつついて確かめている彼ら、抵抗する気力を失って不信に満ちた目をカメラに向けて歩いて行く人々を機関銃を携えて見張っている彼ら、家に火を放ち手榴弾を投げ込む彼ら、ではないのか。(『わたしがいなかった街で』pp.96-97)

『わたしがいなかった街で』にはこのような戦争の「ドキュメンタリー」を「わたし」が再生するシーンが幾度も挿入され、克明に描写されるその情景は、36歳のOLである「わたし」の日常を描く物語内容の中で、異様なまでに際立っている。ここで「ドキュメンタリー」が、序で言及した海野十三の「日記」と同じ役割を果たしているのは見やすいだろう。「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう」という「反実仮想」が、ここではより明らかな形で提示されている。これら「ドキュメンタリー」と「わたし」が省みる自身の生活の対比こそ、この作品の物語内容の最大の特徴であると言っていい。
そして物語形式の最大の特徴も、正確にこれに一致する。渡部直己が指摘する「移人称」がそれだ。『わたしがいなかった街で』では「わたし」を語り手とするのにもかかわらず、「わたしがいな」い場所のことが度々、三人称の語りによって描写され(その際の「越境」先はほぼ葛井夏である)、しかも物語の全体はその「わたし」ではない視点によって閉じられる。つまり「わたし」はしばしば、実際に「いな」くなってしまう。タイトルが『わたしがいなかった街で』であることの理由はこの点にも求められる。
物語内容と物語形式、これら二つの特徴はいずれも奇妙だが、どちらも「わたしがいなかった街」のことを想起する点で一貫しており、その意味で『わたしがいなかった街で』はタイトルと併せて、全体のプロポーションの取れた作品であると言える。そしてこのことは、冒頭で取り上げた他人がいなくなってしまうという事態の頻出にも関わる。いなくなってしまった者は当然、「わたしがいな」い「街」には「いる」(いた)はずだからである。そのことは故人について、純粋な形であらわれる。

祖母と祖父が大阪の病院で死んで、そしてその骨がここにあることを、わたしは知っているけれど、彼らがどこで生まれたのかは知らない。〔中略〕祖母と祖父がどこで生まれて、どんな暮らしをして、たぶんそれなりにドラマ的なこともあるに違いなかったが、それを知ってしまうと、なんというか彼らの人生が一つのまとまりになってしまうのを、おそらくわたしは、まだ受け入れられずにいる。映画やテレビドラマのようにまとまって納得してしまうことが怖かった。(『わたしがいなかった街で』pp.112-113)

ここで「映画やテレビドラマ」が、「ドキュメンタリー」の対立物として提示されていることは見やすいだろう。「ドキュメンタリー」や「日記」と異なり「一つのまとまり」をなすそれらには、「反実仮想」が入り込む余地がないからだ。「わたし」の行動(「ドキュメンタリー」の再生)とその周囲(他人がいなくなること)、そして物語形式(「移人称」)が、正確に一致する。
しかしそれらが正確に一致するがゆえに、これらの一貫した奇妙さがなぜ要請されているのかという問いはますます深まる。より率直に言い換えれば、なぜこの小説では「わたしがいなかった街」を巡る「反実仮想」が問題化されているのだろうか。
その考察の足がかりとして、渡部の前掲書に興味深い記述がある。彼によれば、「移人称」小説では「携帯電話」が決して繋がらない、というのだ。「移人称」を採る小説においては「ほんらい繋がるはずのないものを繋ぐのは、ハンディなその通信機器でもなければ、「想像」「直感」といったメンタルな紐帯でもなく、みずからのこの叙法でなければならない」がゆえに、「虚構上には逆に、ほんらい繋がるべきはずのものが繋がら」ないと看破する渡部が、唯一の例外として挙げる(のみで済ます)のが『わたしがいなかった街で』なのである。そして同作における最初の人称の移動は、他ならぬその「ハンディな通信機器」を通して行われる。

夜になって、中井から電話がかかってきた。今日は大阪城に行ったという。〔中略〕京橋の方からではなく森ノ宮駅側の入り口から入って植木市を見て、公園の中へ歩いて行った。濠端で体操みたいな動きを練習している女が三人いた。外濠の柵の前で、高い石垣のほうを向いてもたもたと動いていて、ジャージにTシャツの後ろ姿が三つ並んでおかしかったので、なんかコンテストにも出はるんですか、と聞いてみた。(『わたしがいなかった街で』p.46)

一見して分かるとおり、引用一文目では「わたし」に一致していた焦点が、二文目以降では中井の視界に一致しており、「電話」が焦点(人称)移動のトリガーとして機能している。そして続く場面で、それはさらに「ほんらい繋がるはずのないものを繋ぐ」ことになる。

「平尾さん〔「わたし」〕、わかる? 道徳みたいな感じって。どこの学校行くのか、なんの仕事するのかも神様に相談する言うてたで、その子は」
携帯電話に耳をつけたまま、わたしは冷蔵庫を開けて黄色い光の中からペットボトルのお茶を取り出して飲んだ。
「わかると言えばわかるけど、心底納得するほどわかったとは言われへん」
「おれも似たようなもんかなー。相談って言うてもなあ、向こうがなんか答える訳じゃないやろ? 答えるんかな? それが神様がおるってこと?」
中井が聞く前に、女が聞いた。あの音、なんですか。(『わたしがいなかった街で』p.47)

 

中井が大阪城で出会ったキリスト教徒の女性との会話を、「わたし」に聴かせる一節だ。引用冒頭の会話から続く「わたし」と中井との会話が、引用末尾でキリスト教徒の女性によって引き取られるという事態は、現実の「携帯電話」の機能を明らかに逸脱している。つまりここで「携帯電話」は空間のみならず、時間をも繋いでいるのだ。言うまでもなくこの接続は、物語世界内ではなく、物語世界外で起こっている。この場面では、「電話」こそが「叙法」を繋いでいるのである。
つまり他の「移人称」小説はともかく(本論の目的は「移人称」一般の検討ではない)、『わたしがいなかった街で』では「通信機器」が「移人称」が生じる、最初の切掛けになっている。だとしたら、本作における「移人称」は横光利一のそれとは異質なものであるはずだ。言うまでもなく、彼の時代には「携帯電話」は無いからだ。そして同様に、「通信機器」がつながらない他の「移人称」小説とも一線を画する。『わたしがいなかった街で』のそれはむしろ、テクノロジーと反りが合う。実際この形式に呼応するように、『わたしがいなかった街で』には、「通信機器」の「液晶画面」が頻出するだろう。
それは例えば電子書籍化された海野十三の「日記」を表示する「iphone」=「携帯電話」の「液晶画面」であり、なにより「ドキュメンタリー」番組を映す「三十二インチの液晶画面」である。つまり『わたしがいなかった街で』における「反実仮想」は、叙述のレヴェルでも虚構のレヴェルでも、「通信機器」=テクノロジーと密接な関係にあるといえる。
だとしたらその「反実仮想」が要請される理由もまた、テクノロジーとの関連から考えるべきであろう。そのとき、中井が「わたし」に言う、「この十年ぐらい世界中のっていうか、裏側みたいなんとか〔……〕見てきたと思ってたけど、よう考えたら全部液晶画面見てただけやった、って。なんもかも、いっしょのちっちゃい画面やった、ってなると思うねんな。」という言葉は重要である。これは裏を返せば、「液晶画面」に映された時点で、あらゆるものは「いっしょ」になるということを示している。ではなぜそれらは「いっしょ」なのか。それらは全て「わたしがいなかった」場所の物事だからである。海野十三の「日記」も、戦争の「ドキュメンタリー」も、そして「わたし」の前からいなくなった人も。

夜、パソコンを開いて、随分会っていない知人たちのブログを辿ってみた。ソーシャルネットワークサービスというものに、しかも複数登録している人も多くて、それぞれの場所で、知人同士が、知人と誰かが、やりとりしている。〔中略〕知らない人のこういうやりとりを見ていると会ったこともないその人に一方的な親しみを感じるようになったりするが、知っている人の書き込みは、彼らといっしょにいた時間からどんどんと離れていく自分を実感させる。〔中略〕長らく会っていない人たちが毎日いろいろな経験をし、誰かと次々に言葉を交わし合うのを見ていると、わたしにとっては、知っている人さえもテレビみたいに画面の向こう側の、自分には関わることのできないところへ移動していくように感じてしまう。(『わたしがいなかった街で』pp.66-67)

「画面」に映されることによって、人は「自分には関わることのできない」ものになってしまう。より踏み込んで言えば、「液晶画面」に映されることで、いなくなってしまった故人と同一視される。だから行方不明になった「クズイ」が一時帰国した時に、「わたし」は直接会えず、中井のメールに添付された画像を介して、「携帯電話」の「液晶画面」を通してしか会えないことは象徴的である。そのメールを送った同じ「液晶画面」にはその後、「京橋の空襲の慰霊碑と大阪城公園の機銃掃射跡の画像」が映し出される。「行方不明」に(いなく)なった人と、死者の残した痕跡が、同置される。「だとしたら、会うことがない人と、死んでしまった人と、どこが違うのか。」
そしてここにこそ、同書が「移人称」で書かれなくてはならなかった理由があるだろう。すなわち、紙面という「画面」に載った瞬間に、「わたし」もその他の登場人物も、「いっしょ」であること。同作では「ブログ」を含めた「日記」=紙面もまた、「液晶画面」を通して読まれていたことを思い起こそう。
『わたしがいなかった街で』を読む読者にとって、「わたし」はわたしではない。である以上「わたし」も中井や葛井夏らと同じく、ここにはいないものとして読まれる。読者にとって『わたしがいなかった街で』はまさに、わたしがいなかった街で起きた出来事だからだ。丁度海野十三と外国の兵士と「クズイ」とが「いっしょ」であったように、登場人物たちは不在である点で「いっしょ」である。「わたし」は語り手として特権的であり、同時に登場人物として特権的ではない。だからこそ『わたしがいなかった街で』は、一人称でありながら同時にその特権を排除する、奇妙な人称で書かれたのである。
このとき、「わたし」が自分の生もまた「画面」に映されたものと同質であることに気づいたのが、他ならぬ昭和の終わりの日であることは偶然だろうか。彼女は「昭和が終わった時にテレビがみんな自粛で何日かCMなしでニュースかクラシックか環境映像みたいのばっかり流れてた」のを切っ掛けに、「今までテレビで見てきたものはなんだったのか、ぐらいの衝撃」を受け、「一九八九年一月七日からの数日の間に、わたしは周りの世界が張りぼてみたいに見えるようになった。映画のセットみたいに、朝起きたら取り壊されてぜんぶなくなっているこもしれないものが、とりあえず今は目の前にあるのだと思った。」のだという。ここで「映画のセット」という表現に留意しよう。それは祖父の生についての「映画やテレビドラマ」という表現に呼応する。日常が「映画のセット」のように見えてしまっては逆に、「映画」という「一つのまとまり」を成す虚構は成立しえない。だから「わたし」は、「日々の中にあることが、ばらばらに外れてきた」と漏らす。「わたし」は「わたし」であるにもかかわらず、他人や故人と同様に、その生を断片的なものとして把握する。『わたしがいなかった街で』が表象する「昭和」の終わりは、平たい「画面」を介して「わたし」と他の登場人物が、権利上平らかに成ることである、
そして「移人称」が提示する特権的であり/特権的ではないという「わたし」の二重性は、「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう」という「わたし」の問いと、完全に軌を一にする。「わたし」は「わたし」として特別である、けれど「この人」と入れ替わりえた特別でない存在でもある、にもかかわらず「わたし」は特別な「わたし」でしかない、けれど……。無数の「ほんらい繋がるはずのないものを繋」ぎ、「いっしょ」に映す「液晶画面」はこうして、終わらない「反実仮想」を引き起こす。それは究極的には、「わたし」はそもそも「いなかった」かもしれない、という可能性へと行き着くだろう。

祖父が爆心地にいたかもしれない、と知った瞬間から、いくつかのパターンの祖父とその後が思い浮かぶようになった。祖父も祖母も死ぬ。祖父は死んで、祖母と母は生き残る。呉の空襲に遭う。母は生き残って成長するがわたしの父と出会わない。
偶然がそのどれかを選んでいた場合、わたしはいなかった。別の誰かが、わたしの代わりに存在していたかもしれない。(『わたしがいなかった街で』pp.55-56)

だが、これらの「反実仮想」にもかかわらず、「わたし」は「わたし」でいる限りどうしても存在してしまうし、「わたし」としてしか存在しえない。このアポリアから脱却するために、「わたし」は叙法の上で、実際に「いなく」なってみせる。だから『わたしがいなかった街で』における「移人称」は、「ハンディなその通信機器」によって繋がれたものであると同時に、「想像」という「メンタルな紐帯」でも繋がれている、二重に例外的なものである。と同時に、「反実仮想」の究極系として、「わたし」の視点を「越境」する。他人に、故人に思いを馳せ、そこに一体化するように、「わたし」はいなくなってしまうのだ。そしてこの「わたし」の不在化は、『私がいない場所三部作』の二作目にも通底する。『私のいない高校』に移ろう。

 

第二章

 

『私のいない高校』には「私」がいない。同作は登場人物たちを三人称で語る透明な語り手を採るからだ。かといって、それは自在に登場人物の内面に立ち入る「神の視点」を取るわけでもない。語り手の視点は「国際ローゼン学園」の「二年菊組」のクラス担任である「藤村雄幸」(作中ではもっぱら「担任」と表記される)に寄り添っている。その冒頭は以下のようなものだ。

一九九九年七月
【もうすぐ夏休み】
千葉県に山がないと指摘されると、その時間に初めてこれを知ったというものがクラス中に続出した。誰からともなく口を開き、生徒たちは素直にそれに驚くようでも、また感心しているようでもあり、全体に気分の高揚している様子が伝わってきた。
「どこにも山がない」と知り、「何で山が――?」と疑問をいだき、「山ってどんな――?」と興味を持って話していた。さらに多くの反応があり、挙句の果てが土方理恵による「山梨県」との発言であった。(『私のいない高校』p.3)

この引用からも分かるとおり、「担任」に寄り添うといっても、ことさらにその心内が描写されるわけではない。むしろ阿部和重との対談で青木が「教室の中の生徒も先生も留学生も等質に描く」ことを目指したと語るように(「『私のいない高校』――キャラクター化する無名の存在たち」)、その「担任」の視点はクラスの全体をまんべんなく観察するためにこそ要請されている。
では、その視点から語られることは何か。文字通り何でもない、何でもない日常である。同作では『わたしがいなかった街で』以上に、事件らしい事件が一切起きない。そこではカナダからの(実はブラジルと二重国籍の)留学生「ナタリー・サンバートン」(作中ではもっぱら「留学生」と表記される)を受け入れることになったクラスの「担任」が、そのための調整に奔走する様子が描かれる。出来事としては授業の他に定期テストや健康診断や部活動があり、作品の一応のハイライトとして修学旅行があるが、そこでも特別な事件が起きるわけではない。いずれも高校の日常の一部もしくは延長といったふうなのだ。
しかしまさにそれゆえに、『私のいない高校』は「もっとも不可解な小説」(豊崎由美)である。なぜ、この日常が語られているのか、これを語っている「いない」「私」とは誰なのか、なぜ三人称で語られるにもかかわらず、日付の付された「日記」形式で書かれているのか。これらの疑問が次々に湧出する。そしてそれについて考察していった時、「酷似するタイトルが示すように、「私」という存在の希薄さは共通するが、まったく印象の違う」はずであった『私がいない場所三部作』の小説二作品が、じつは通底する問題を扱っていたことが分かるはずだ。
そのための足がかりとなるのは、やはりこの作品が『アンネの日記 海外留学生受け入れ日誌』を「フィクションとして改変・創作したもの」、いわゆる二次創作であることだろう。だがここで「二次創作」という言葉が、それが最も人口に膾炙した東浩紀の用法とはズレることに留意しておこう。東が用いるそれは「オリジナルのマンガやアニメのキャラクターが、読者や視聴者によって異なった設定や人間関係を与えられて作られる創作物」を意味するのに対し(『ゲーム的リアリズムの誕生』)、『私のいない高校』では逆に、(ほとんど)現実と同じ「設定」と物語(というよりも日々の出来事)に、架空の人物である異なった「キャラクター」が投入されるからだ。
こうして見た時、『私のいない高校』が『アンネの日記』に対して持つ関係が、『わたしがいなかった街で』の「わたし」が「液晶画面」の向こうに対して持っていた関係とパラレルであることが分かる。「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう」と問う「わたし」は、「この人」が体験する日常へと「わたし」という別のキャラクターが投入されることの(不)可能性を問うていた。その問いは「反実仮想」として提示され、その叙法上での解決として「移人称」が採られていた。
この構図を踏まえると、『私のいない高校』の全体を、やはり一つの「反実仮想」として捉えることができる。現実には実在の人物たちが過ごした『アンネの日記』の出来事を、別の(架空の)キャラクターたちが体験しているからだ。さらに言えば、『私のいない高校』の独特な三人称は、『わたしがいなかった街で』で採られていた「移人称」(一+三人称)から、「わたし」=「私」という一人称が取り除かれた(いなくなった)ものであると読めるだろう。
したがって『私のいない高校』は、一個の「反実仮想」として書かれている。だが一方で、それは「現実」としても読まれるよう書かれていることを指摘しておかなくてはならない。そのことは上の引用のような、日付の付された「日記」形式が示している。それはあたかも、自身が「海外留学生受け入れ日誌」であるかのように日付を持ち、しかも次のように、現実の出来事に紐付けて書かれるのだ。

二十、二十一日
〔中略〕
この日の放課後にはまた別の方面から、校務でブラジル大使館に行くかもしれないという教員の話を聞いたりと、このところやたらとブラジルのことが話題に出てきた。担任自身にしても、これまで「あのカナダからカナダ人が来た」との意識が強かったものが、最近ではブラジルへの関心がぐっと高まっていた。「もちろん応援するのは日本だが――」としながら、先日来から二十歳以下の日本代表チームが勝ち進んでいるサッカーのワールドユース選手権では、「小野伸二君」などのメンバーに注目する傍ら、強豪国ブラジルの活躍にも大いに期待していた(『私のいない高校』pp.60-63)

つまり『私のいない高校』は、「反実仮想」と「現実」、二つの異なるベクトルを持った小説である。そのことは三人称を用いて語られる「日記」という矛盾した形式に端的にあらわれているだろう。この小説が「もっとも不可解な小説」であることも、この両義性に求められる。一体、なぜこの小説は、このようなパラドキシカルな構造をしているのか。
ここで再び、『わたしがいなかった街で』において海野十三の「日記」が「反実仮想」の媒介となっていたことを思い起こそう。だとすれば「日記」体で書かれる『私のいない高校』もまた、さらなる「反実仮想」の媒介となることを企図しているのではないか。『わたしがいなかった街で』では、「日記」や「ドキュメンタリー」が「一つのまとまりになった」「映画やテレビドラマ」と対比されていた。そして『私のいない高校』には、「一つのまとまり」を撹乱するための要素がそこかしこに散りばめられているのだ。
それは例えば、ここまでの引用でも見られるような、台詞末尾における「――」の多用である。それによって会話の展開がぼかされ、その全体は想像の余地の残るものになる。あるいはより重要なこととして、『私のいない高校』が何でもない日常を描いていること、つまり劇的な展開のなさがあげられるだろう。一例として、作中では三度生徒の所持品が紛失するが、それは結局「出てくるのを待つ」という形で処理され、犯人の発見という解決によって「一つのまとまり」として完結することが回避される(結局それが「出てくる」のは作中最後でなくなる「PHS」のみである)。そしてこの拡大相似形として、『私のいない高校』自体も「映画やテレビドラマ」のような物語を持たないことは先に述べたのとおりだ。
そこにさらに、次のような『私のいない高校』の「不可解な」特徴を付け加えることができる。同書は「日記」として書かれているにもかかわらず、時折次のような、文脈とは関係ない台詞が挿入されるのだ。以下は日付としては四月の「二十九、三十日」、「担任」が休暇を取った日の記述だ。

今回は臨時休暇を取っていたし、母親の「療養」が目的だったので、、担任は旅先で土産を買っていなかった。大久保主任には母親の様子を尋ねられて恐縮し、クラスの「学活への顔出し」や留学生の面倒を見てもらったことに対する礼を述べた――

五月前半
「ナタリーは百円二百円のものしか買おうとしないんだよね」
「おい、そんなこと言うもんじゃない。おまえらみたいな浪費家とは違うの。まったく。それで、その土産品はいくらくらいするものなんだ?」
「千円以上する。分かんない。千五百円とか。」(『私のいない高校』p88)

この直後には「【家庭訪問】一日」と継がれ、通常の「日記」体へと戻る。このような脈絡の無い「不可解な」会話の所属は、読み進めていくとそれに対応するエピソードが登場することで一応は解決される(例えば上の会話は五月「十一日」に語られる、修学旅行の土産として「「千円以上する土鈴」というのを留学生が欲しがって」おり「担任はすぐにこれをプレゼントすることに決め」るというエピソードに対応する)。だがそこでも、会話そのものは登場しないことに留意しなくてはならない。この事態は翻せば、「日記」のあらゆる記述の裏に、描かれていない、登場しない会話があったことを暗に示すだろう。それはちょうど、作中「出てくる」紛失物と出てこない紛失物があることに似ている。つまり「日記」が無数の会話を取りこぼす、「一つのまとまり」たりえないメディアであることが露呈するのだ。
だが、この「不可解な」会話の働きはそれだけではない。ここで述べただけ機能なら、その会話は後から示されてもいいはずである。にもかかわらず『私のいない高校』の上のような会話は、必ず事前に提示される。だがこのことはよく考えれば、「日記」の持つ性質に抵触する。「日記」が書かれた時、その会話はまだ生起していないはずだからだ。
佐々木敦は『わたしがいなかった街で』の海野十三の「日記」について、「『日記』という形態の特殊なところは〔……〕当然ながらその時々のものでしかないので、それ以後に起こるだろう出来事にかんしては、多少は予想出来ることもあったりはするとしても、それがそのまま現実化するとは限らない」ことにあり、「日記はフィクションではないのだから、それを書いている誰かは、未来を知っているわけがない」と述べる(『シチュエーションズ』)。これは「日記」が「一つのまとまり」をなしていないことと対応する。一方で、対置される「書いている誰か」が「未来を知っている」「フィクション」は、「映画やテレビドラマ」と同じく「一つのまとまり」をなしている。そして『私のいない高校』の「不可解」な「未来」の会話は、明らかに後者に対応する。
つまり『私のいない高校』は「日記」=「まとまり」の無さと「フィクション」=「まとまり」の両方の性質を持っており、上のような会話の挿入はその両者を明示する。そもそも初めに引いた冒頭部分の日付は「一九九九年七月」であり、同書はその後の作中の時系列(三月~六月)より「未来」の出来事から書きだされていた。あるいは作品の終盤、六月の校内一斉清掃の折り、年二回ある清掃の「十月のほうは最大の学校行事である文化祭の準備の一環であり、二年生はクラスで模擬店と展示に取り組むのでその活動場所を中心に念入りに掃除した。」という一文から、文化祭当日の「「どこの組のもんじゃ!焼きの店」は高校生活の中でも思い出深い体験として生徒達の心に刻まれた」という未来へと飛躍する記述も同断である。細かいところでは「担任はこのときまだ個人で携帯電話を持つ必要を感じていなかった」というような描写もまた、「未来」を「一つのまとまり」として確定したものとして示している。『私のいない高校』が語られるのは、全てが完了した後である。
言い換えれば同書は、「一つのまとまり」=完了した未来を前提に、それを「一つのまとまり」ではない形式=「日記」で示している。このことはやはり、『わたしがいなかった街で』の祖父に関する記述を想起させる。

祖母と祖父がどこで生まれて、どんな暮らしをして、たぶんそれなりにドラマ的なこともあるに違いなかったが、それを知ってしまうと、なんというか彼らの人生が一つのまとまりになってしまうのを、おそらくわたしは、まだ受け入れられずにいる。映画やテレビドラマのようにまとまって納得してしまうことが怖かった。(『わたしがいなかった街で』pp.112-113)

祖父の人生は既に完了し、「一つのまとまり」をなしている。が、それは「わたし」には断片的にしか提示されない。そしてそのことが、「わたし」に「反実仮想」の余地を生むのだった。だとしたらこれと一致する構造を持つ『私のいない高校』は、故人についての言葉と同じ言葉で書かれている。
このことに気づいた時、『私のいない高校』のあの「不可解な」会話は反転し、完了してしまった過去からもたらされた幽霊の言葉のように響く。あるいは物語が終わってから書き記される、一頁を超える「【人名、登場順】」のリスト。「藤村雄幸」や「ナタリー・サンバートン」のみならず、苗字やアダ名でしか登場しない教師や生徒、先の「小野伸二」を始めとする実在の人物、「コロンブス」や「紫式部」といった古今東西の歴史的人物にいたるまで、作中登場した全ての人物名を同一の紙面上に並べられるそれらは、墓石や慰霊碑の記名を不可避的に連想させる。それは同時に、すべてを「いっしょ」に並べるあの「液晶画面」の姿にも似るだろう。あるいは表紙に書かれたまっすぐにこちらを見つめ返す白い肌の女子高生の姿さえ、遺影に見えてくるというのは言い過ぎだろうか。
だがこのように見た時、生徒たちの修学旅行の行き先が「ヒロシマ」――「わたし」の祖父が暮らしたあの広島――であり、「ナガサキ」であることは、単なる偶然や修学旅行の「お約束」ではなくなる。もしそうならば物語開始より前、エピグラフの位置に引かれた「不可解な」会話が、修学旅行中の「【ブラジルの碑、平和へのメッセージ】」からのものである必然性がないからだ。『私のいない高校』は碑に始まって、碑に終わっている。
この修学旅行について阿部和重は、生徒は、「修学旅行で自分が住んでいるのではない土地に行き、擬似的に留学生の心理に重なっていく」と述べる。そこで彼らは、「見学の対象でしかないもの」としての「形式化してしまった歴史」に触れるだろう。ここで「形式化」とは、完結した「フィクション」として「一つのまとまり」をなすことと同義である。そして結尾に置かれた「人名リスト」=「慰霊碑」によって、その「心理」は『私のいない高校』の読者にも重なっていく。阿部によれば同作は、「無名の存在、無名の声だったものが、漢字の固有名を与えられることによってキャラ化するというアクロバチックな試み」であり、「たった一回、漢字の名前を登場させることによって、実にあざやかにキャラクターを浮かび上がらせる」、「青木淳悟が発明した新たなキャラクター小説」であった。「固有名」は「無名の存在」を、「キャラクター」として、一個の人格として提示する。だが、虚構の人物は定義上実在しないのだから、「キャラクター」はあらかじめ、故人としてしか有り得ない。である以上、その生は既に完結し、「一つのまとまり」をなすかに見える。
しかし『私のいない高校』は、「日記」形式の記述の奥に取りこぼされる「キャラクター」の虚構の生があることを、私達がそれを断片的にしか知り得ないことを、「現実」と「フィクション」の二重性によって示し、その「まとまり」=「形式化」をすんでの所で回避する。これはちょうど、「反実仮想」をする「わたし」が祖父の人生の「まとまり」を拒否したのと同型である。だから『私のいない高校』を読む体験は、故人に、故人が過ごした何でもない日常に思いを馳せることと似ている。
そしてここから翻って、「キャラクター」の断片的な日常に触れた私は「一つのまとまり」として「形式化」する以前の、故人たちの「歴史」を「仮想」できる。歴史に埋もれた「無名の存在」たちにも「固有名」が、「形式化」から逃れる日常があったことを、想像させる。ちょうど「わたし」が「ドキュメンタリー」を再生し、戦地の日常を思い浮かべていたように。ここにおいて、『わたしがいなかった街で』と『私のいない高校』は共鳴しあう。
こうして『私がいない場所三部作』の小説二作は、「私がいない」場所の日常を、いかにして「私」が体験しうるかという「反実仮想」の問題意識によって貫かれている。それは究極的には、故人と戦争、すなわち完結してしまった歴史の問題に行き着く。そもそも「反実仮想」とは、「私」が経験しなかった現実の想像という点で、歴史とは切り離せない。『私がいない場所三部作』の最後の一作、『僕だけがいない街』は、正面からこのテーマを引き受けた作品である。

第三章

『僕だけがいない街』には「僕」がいるが、途中でいなくなってしまう。この作品は『私がいない場所三部作』の他二作とは異なり、明確な事件と物語を持っている(したがって本章は作品の「ネタバレ」抜きに語ることができない。真犯人の名は伏せるが、同作を未読の読者は注意されたい)。その進行の過程で、「僕」がいなくなってしまうのだ。
そのこと意味を述べる前に、まずは序盤の筋を簡単になぞろう。同作の主人公、29歳の売れない漫画家「藤沼悟」は、何か事件が起きる際、その原因となる出来事が確定する前の時間(通常、事件の一~五分前)にタイムトラベルする「再上映(リバイバル)」という名の能力を持つ。例えば自動車が子供を轢く事故が起きそうになると、その子供が横断歩道を渡る前の時間にジャンプする。これによってトラブルの原因を排除し未然に防ぐことができるが、この力は基本的に本人の意志でコントロールすることはできない。しかし、母親の「佐知子」が殺害されその濡れ衣を着せられた際に、彼は能動的に「再上映」を発動することを試みる。その結果彼は、18年の時を遡り、小学生五年生だった昭和63年へと戻ってしまう。その年に発生し、トラウマとして忘却していた連続誘拐殺人事件の真犯人が、自身の正体に気づいた佐知子を口封じのために殺していたからだ。小学生に戻った悟は失敗と「再上映」を繰り返しつつ、真犯人をあばいて過去と現在の二つの事件を阻止するべく行動する。
ここで連続誘拐殺人事件の真犯人が、必ず「身代わりの犯人を用意する」ことは見過ごすべきではない。その犯人によって、現在(2006年)では悟が、過去では当時悟が慕っていた青年「ユウキさん」が濡れ衣を着せられ、前者は警察に追われ、後者は死刑確定囚として服役している。だがそのような内容的な重要さ以上に、ここで重大なのはその形式的な意味である。「身代わりの犯人を用意する」、とは、自分ではないものが犯人になる、ということであり、さらにいえば自分が犯人ではなかった歴史を作り上げることだからだ。言い換えればこの手口は、「反実仮想」を現実化することなのである。その意味で、真犯人が作中最後に仕掛ける手口が、「スケジュール表に細工を施」すことであることは象徴的である。真犯人は「再上映」とは違った仕方で、歴史を「反実仮想」に書き換える。
だからこそ悟は、「再上映」を用いて真犯人の犯行を阻止し、真犯人の手が加わらなかった歴史を取りもどそうとする。『僕だけがいない街』は、悟と真犯人とのあいだでの、歴史の主導権を巡る物語なのである。物語の最終版に悟が真犯人と対峙した際、本人以外で彼だけが「再上映」の能力を信じることの理由もここにある。彼は悟とは違った仕方で、しかし悟と同じ視点に立っているからだ。
このように悟の目的は母親が死なない歴史という「反実仮想」を現実化することにある。それは悟にとって、クラスメイトだった「雛月加代」(最初の被害者)と友人の「ヒロミ」(三番目の被害者)を救うこと、そして「ユウキさん」の冤罪を回避することも意味する。加代が失踪する前月へと「再上映」で飛んだ悟は、彼女の事件が回避されれば佐知子も助かると考え、虐待を加える母親から加代を引き離し、彼女に寄り添って「ひとりぼっち」を解消しようとする。途中一回の失敗を挟んでこの目論見が功を奏すまでに、単行本で四巻、ちょうど全体の半分が費やされる。
逆に言えば、『僕だけがいない街』の残り半分は、(未だ真犯人は捕まっていないものの)歴史の改変が成功した後、「反実仮想」が実現した後の出来事を描いている。そしてその「反実仮想」の世界(以下「反実世界」としよう)は、二重の意味で「僕だけがいない街」となる。一つは悟が過ごしてきた街とは異なる歴史を歩んだ街という意味で、もう一つは文字通り「僕だけがいない」まま歴史を歩んだ街という意味で。悟は真犯人によって川へと突き落とされることで、十五年の時間を、植物状態で過ごすことになるからだ。
したがって構造上でも内容上でも、「反実世界」には「僕だけがいない」。これが本作のタイトルの意味である。そしてここに、さらに仕掛けが一つ施される。植物状態から目覚めた際、悟は本来自分が属していた歴史の記憶と歴史改変に努めた記憶、つまり「再上映」にまつわる記憶を全て失ってしまうのだ。すぐに友人の「ケンヤ」の手記によって加代を救い出したことが伝えられるが実感は伴わず、もとの歴史と「再上映」の記憶は失われたままである。つまり「僕だけがいない街」では、それまでの悟はいなくなってしまう。その証左として、これを機に一人称が「俺」から「僕」に切り替わる。
このことは、『わたしがいなかった街で』における「反実仮想」が「移人称」として実現した時に、「わたし」がいなくなってしまったことを、「反実仮想」である『私のいない高校』で「私」がいなかったことを思い起こさせる。「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう」という「わたし」の問いが、ここでも響く。「わたし=僕」は、同時に二つの歴史を歩むことが出来ないという当たり前の事実が、ここでは「反実世界」と「記憶喪失」という装置をつかって突きつけられる。
この当然の事態は悟にとって、もとの世界で唯一自分を信じてくれたバイト仲間、17歳の女子高生「片桐愛梨」によって象徴されている。悟は二度目に「再上映」を行使する際、それによって「アイリとの現在の関係」が「消滅するのは覚悟していた」と言い、加代の救出によって「反実世界」が確定した際も、アイリの姿を浮かべつつ「きっともう戻らない 「あの2006年」はもう無い」と確信する。真犯人に対する悟の勝利は、「あの2006年」と引き換えに、そこを生きた「僕」の記憶と引き換えにしか、手に入らない。
しかしこのような図式を裏切るように、その「僕」は最終的に記憶を取り戻す。その切掛けは、彼が「反実世界」において愛梨と遇会したことである。言うまでもなく「反実世界」の愛梨は悟とは初対面だが、彼はその遇(再)会を機に「「僕だけがいない街」の始まりはきっとあの娘がいた時間だ。」という確信を持ち、記憶を取り戻すべく彼女との(三度目の)再会を目指すようになる。そして自分の足が覚えている道を辿って再び愛梨を目した彼はその瞬間、もとの世界と「再上映」を巡る記憶、真犯人と、事件が未だ終わっていないことを思い出し、愛梨に声を掛けずに立ち去るのだ。悟は自分に「二重の記憶」があることに気づき、「僕」は同時に二つの歴史を歩む。この事態は何を意味するだろうか。
この時悟が、愛梨を事件に巻き込んでしまったシーンを背景として彼女に出しかけた手を引っ込めることに注目しよう。この描写からは、声を掛けないという選択が愛梨を巻き込まないための措置だということが分かる。そしてこれは逆に言えば、事件が解決しさえすれば、再び愛梨と声を交わすことが出来る、ということを示してもいるだろう。つまり記憶を取り戻したことにより、事件を解決することの意味が「反実仮想」を現実にすることから、愛梨との関係に象徴されるもとの世界を取り戻すことに反転する。いや、世界自体が既に反転している以上、それは再度の「反実仮想」によって、もとの世界と「反実世界」の折り合いをつけること、換言すれば、歴史を弁証法的に統合することに他ならない。だから最終話で事件の全てが終わった後、再び悟は愛梨と出会うだろう。
だとしたら『僕だけがいない街』では、「再上映」によって単に「反実仮想」を実現させることでは無く、加代と愛梨に象徴される二つの歴史(ルート)を同時に歩むことこそ最終的な目的になっており、それは「記憶喪失」とそこからの復活、「僕」をいなくして再びあらしめるというアクロバットによって実現する。『わたしがいなかった街で』が「移人称」によって、『私のいない高校』が三人称の「日記」によって、物語形式の面で挑戦していた一人称(「私」)と三人称(「私がいない」)の融合を、『僕だけがいない街』は内容の上で解決する。
そしてこの時、愛梨が2006年の時点で17歳、すなわち「平成生まれ」(しかも元年)であるという設定が活きてくる。前述のように「昭和63年」をループするこの作品にあって、「あの娘がいた時間」たる「2006年」を象徴する彼女は、「平成」もまた象徴しているのだ。悟が植物状態に陥った際に、佐知子は「時間の中に閉じ込められている」ようだともらしていた。「反実仮想」を成し遂げてなお、真犯人を捕まえて愛梨と再会しないかぎりは、悟は昭和という「時間の中に閉じ込められ」たままなのである。だから上で述べた歴史の弁証法的な統合とは、昭和と平成の、トラウマなしの接続を意味していると言っていい。
こうして『三部作』の小説作品が両者とも「戦争」を介して社会史へと接続されていたように、『僕だけがいない街』においても、やはり違った仕方で、悟の個人史が社会史へと接続される。そもそも加代が被害者となった連続誘拐殺人事件は、『ニッポン 昭和の重大事件史』という作中の年表に載るほどの重大事件であった。一度目の「再上映」による歴史改変の失敗の際に、もとの世界に戻った悟は、同書によって自身が少し歴史を変えた(事件の発生日を一日ずらした)ことを知る。彼の行動は、予め社会史にひも付けされていた。
だが、悟の歴史が接続される宛先はそれだけでは無い。彼が「再上映」で飛ぶ先が、「昭和63年」であることに再び留意しよう。同年に起こった連続誘拐殺人事件、これは明らかに、現実における宮崎勤の事件をモチーフにしている。あるいは悟の職業が漫画家だというメタフィクショナルな設定を介して、彼の立場が現実の三部けい本人と重なることを考えても良いかもしれない。これらの装置を介して、読者が作中に読み込む「反実仮想」の可能性は、常に現実へと送り返される。
この『僕だけがいない街』の形式は一面では、非常に危うい戦略である。作中の確定死刑囚である「ユウキさん」が宮崎勤のメタファーと取れ、現実には2008年に既に死刑が執行された彼が、冤罪だった可能性を描いているように読めるからだ。だがこの読解は、端的に短絡的である。確かに彼の部屋にはいわゆる「ロリコン」もののビデオ(と、警察によるそのフレームアップ)など宮崎を連想させる要素があるが、裕福な家庭環境などはむしろ真犯人が宮崎に近い。つまり周到に、明確に宮崎にあたる人物は存在しないようになっている。そもそもフィクション作品に過度に現実との紐帯を見出す事自体が、ナンセンスといえるだろう。
だがそれでも、連続誘拐殺人事件自体があの連続誘拐殺人事件を下敷きにしていることは疑いえないだろう。そして『僕だけがいない街』の全体がそれを巡る「反実仮想」であることも同様に確かだ。言い換えれば『僕だけがいない街』は、現実の『ニッポン 昭和の重大事件史』を巡る、引いては「昭和史」を巡る「反実仮想」=偽史の構築を目指した作品であると言える。そしてその作品は「平成」へ、愛梨のいる世界へと脱出することで、平成28年3月4日に完結した。
ではなぜ「昭和」を巡るこの「反実仮想」は必要とされ、そしてなぜ、悟は平成へと脱出することが出来たのか。その分析は、『僕だけがいない街』を超えた、『私がいない場所三部作』全体に関わる問題である。章を改めよう。

終章 あいついだ日本の「私」

本稿はここまで、2010年代の前半に相次いだ、『私のいない高校』『わたしがいなかった街で』『僕だけがいない街』の三作を、『私がいない場所三部作』として、同一のテーマを持った作品群として論じてきた。その結果、「反実仮想」すなわち「私がいない場所」へといなくなってしまった者の生を巡る想像力、そしてその戦争や重大事件といった社会史、それも昭和史への接続が共通項として見出された。その『三部作』が2016年3月4日、昭和91年3月4日、平成28年3月4日、完結した。
終章にあたる本章での課題は、その「反実仮想」的な想像力がどこに由来し、どのような可能性を持つのかを確定することである。その過程で、それが「昭和」にどのような一線を画し得たのかが明らかになるだろう。
とは言えその考察のための手がかりは、既にここまでの章に散りばめられている。「反実仮想」の第一の要因として、『わたしがいなかった街で』において論じた「ソーシャルネットワークサービス」と「液晶画面」に代表される、テクノロジーの問題はやはり無視出来ないだろう。『私がいない場所三部作』が現れる七年前にあたる平成16年には「mixi」が、三年前の平成20年には「Twitter」が、それぞれ(日本での)サービスを開始している。
言うまでもなく、これによって人が「別の誰か」の生にアクセスする機会は、飛躍的に増えた。それが「わたし」のものであったかも知れない人生のパターンの増加であると同時に、「わたし」の前からいなくなってしまった潜在的な故人の名の増加であることを第一章で示しておいた。さらにその「液晶画面」は、「わたし」の名をもそこに連ねてしまう。この「液晶画面」が第二章で見た『私のいない高校』の「人名リスト」にも響き合っていることもまた、先に述べたとおりだ。
ここではさらに、より具体的な例として、フリー記者古田雄介の仕事を紹介しておこう。彼は「反ウェブ論死んでからも残り続ける「生の痕跡」」(2013)において、所有者の死によって更新が途絶えてしまったブログを含む「ソーシャルネットワークサービス」アカウントを紹介しつつ、このように述べる。「死に際に人の一生が凝縮されるとするならば、多くの人の人生を学びたいときはインターネットを覗けばいい。そう断言すらできる状況だ」。当然ながら「ソーシャルネットワークサービス」よって他人の生に触れる数が増加すれば、それに比例して更新が途絶える数も増加する。つまり(「いなくなってしまった」ことの比喩ではなく)、文字通りの故人に触れる機会が、テクノロジーによって増加している。言うまでもなく、そのことが最も前景化したのは2011年3月11日における、東日本大震災によってである。その時、津波が迫ってくるのを「実況」する多くのTwitterアカウントがあったことが報じられ、そして現にその日付で更新を止めたサイトが無数にある。『わたしがいなかった街で』の初出は、震災からちょうど一年後の、震災特集記念号であった。
無論ウェブサイトの更新停止の理由が、本当に所有者の死であることが確かめうる場合は稀である。だからこそその更新が止まった時、読者はその身に起きたことを、想像するしかない。その意味でもやはり、「ソーシャルネットワークサービス」は、人を潜在的な故人にする。こうして、「反実仮想」が要請される。上の古田の記事はちょうど『私がいない場所三部作』と同時期に発表され、その内容を一冊の本にまで増補した書籍『故人サイト』は、他ならぬ2015年に出版されている。『私がいない場所三部作』はあきらかに「ソーシャルネットワークサービス」と同時代的な現象である。
そして二つ目の要因は、二章で触れた「形式化してしまった歴史」である。そこでは「ヒロシマ」「ナガサキ」に代表される「戦争」についてこの語を用いたが、ここでは昭和という時代の全体にまで敷衍できるだろう。ここで「形式化」とは、「映画やテレビドラマ」のような「一つのまとまり」をなすことと同義である。「一つのまとまり」をなすこと、すなわち、故人として完結してしまうこと。つまり「反実仮想」の二番目の要因は、昭和が故人になり、終わってしまったこと自体にある。
どういうことか。本稿の見地からすると、故人という取り返しようもなくいなくなってしまった生に対する向き合い方は二つある。一つは「一つのまとまり」として完結し「形式化」されたその生=死を受け入れること。そして今ひとつは、「一つのまとまり」にならない断片的な生の情報から、「反実仮想」を行うことである。だが、昭和という時代については、前者のスタンスを取ることが出来ない。その理由はあまりに単純である。その大文字の歴史の中には、さらに無数の個人の歴史があるからだ。しかも、その時代は端的に長過ぎた。実際問題として、「昭和」という時代を「一つのまとまり」として生きた個人は極めて稀なはずである。その結果、一口に「昭和」言っても、人によって昭和何年代を想起するかは異なり、しかもその時代をどのように表象するかはさらにまちまちだろう。換言すれば私たちは不可避的に、「昭和」の全体を、自らが知るその断片から構築し直すしかない。「昭和」を思い描くことは、必然的に、大なり小なり「反実仮想」的でなくてはありえないのだ。例えば、「昭和90年代」という「反実仮想」も含めて。
ここにこそ、『僕だけがいない街』が、「昭和」を巡る一つの「反実仮想」として提示されていた理由がある。それがいかなるものとして提示されようと、もはやその時代の全体像は、つねにすでに「反実仮想」でしかありえないからだ。これに関連して、社会学者大澤真幸の以下の記述は示唆的である。彼は『不可能性の時代』(2008)においてまさに「ループもの」に横溢する「反復のモチーフ」を典拠として取り上げたのち、このように述べる。

われわれの社会は、今、終わりということへの感覚を、鈍化させていきている。〔中略〕終わりの感覚が終わったときに、何が困るのか? 偶有性への思い(他でもよかったのではないか、他でもありえたのではないか)がいつまでも解消されず、現実を「必然(これしかないこと)」として引き受けることができなくなるのだ。(『不可能性の時代』p.211)

この引用において、「偶有性」が「反実仮想」に、「必然」が「一つのまとまり」に対応するのは見やすいだろう。ある出来事を「一つのまとまり」として纏める尺度である「第三者の審級」(大澤真幸)が撤退したがゆえに、すべての「反実仮想」=「偶有性」が、相対化される。だからこそ、悟と真犯人の間の戦いも、いずれが描く歴史が生き残るかという抗争として行われるのだ。
真犯人は最後に悟と対峙する際、自分も悟も善悪という「物差しの外側の人間」であるとし、自分が「認めない物差しで裁かれることを拒否」して「自分自身の手で「終わる」ことを選択する」と、悟とともに心中しようとする。これは大澤の「第三者の審級が摩耗していく(相対化されていく)傾向に対抗して、あえて第三者の審級を再構築しようとすれば、〔……〕「終わり」ということを真に徹底したものにすること、要するに、全的な破局をもたらすこと」へ行き着くという見解に正確に一致する。「一切の肯定的な善をも措定せず、すべてを否定したとすれば、これを相対化することはできない」からだ。大澤はこの純粋な「否定」として「第三者の審級」がネガティブに回帰してくる時代を「不可能性の時代」と名付けた。真犯人はまさに、この「不可能性」を体現し、「善」を否定して「終わり」へと突き進む。
では、それに対峙する悟は何を体現しているのか。彼もまたループに「終わり」をもたらそうとする点では、真犯人と同じ立場に立っている。これを考えるためには、そもそもなぜ「不可能性」が要請されるのかを見ればいい。『不可能性の時代』はこう書き出される。

現実は、常に、反現実を参照する。われわれにとって、現実は、意味づけられたコトやモノの秩序として立ち現われている。意味の秩序としての現実は、常に、その中心に現実ならざるものを、つまり反現実をもっている。すなわち、現実の中のさまざまな「意味」は、その反現実との関係で与えられる。「意味」の集合は、まさに同一の反現実と関係しているがゆえに、統一的な秩序を構成することができるのだ。(『不可能性の時代』p.1)

この記述を見れば明らかだろう。真犯人の「不可能性」に対して悟が担う「反現実」、それこそが「反実仮想」に他ならない。
このことはもちろん、悟が平成へと戻る手段が、「再上映」による「反実仮想」であることによる。物語開始時の時系列においてかれは、「昭和63年」の事件のトラウマを抑圧することで、逆説的にその時代に縛られたままだといえるからだ。『僕だけがいない街』はそのトラウマを断ち切り、新しい時代へと踏み込むための治療録としてある。悟が「再上映」によって昭和の「反実仮想」をやり直し、その上で愛梨=平成を選んでいたことを思い起こそう。彼にとって「反実仮想」こそ、「現実の中のさまざまな「意味」」を測るための「物差し」なのである。
そして悟が持つこの能力を、語りの形式の上で実現したのが『私がいない場所三部作』の小説二作である。「再上映Re-vival」。再生すること。生き直すこと。『わたしがいなかった街で』の「わたし」は「わたしがいなかった街」の「ドキュメンタリー」を絶えず再生して「反実仮想」し、『私のいない高校』の「キャラクター」たちは現実の「日記」を、「反実仮想」として生き直す。
昭和がなきものとなった今、その時代のように「理想」や「虚構」を「第三者の審級」として、現実の尺度とすることはできない。かといって「不可能性」に身を委ねても破滅しかない。だとしたら、互いが互いの歴史を参照項にし、その「反実仮想」から自らの現実を測るしかないだろう。いまやだれもが「物差しの外側の人間」であると同時、誰もが誰もを規定する「物差し」である。そしてそれを可能にするテクノロジーが、「ソーシャルネットワークサービス」として現れてきている。
だがそれは同時に、用いるものを各々の生へと閉じ込めもする、両義的な装置である(cfイーライ・パリサー『閉じこもるインターネット』)。共通する「物差し」が消失した時、人は容易に自身が表象した歴史へと「閉じこもる」。その徴候の最たるものが、「歴史修正主義」だろう。だが「閉じこもり」は、右にも左にも起こり得る。
だからこそ、「反実仮想」が、自分の歴史とは異なる歴史を想像することが、「私がいない場所」へと思いを馳せることが、過去の歴史を参照することが、要請されるのだ。『私がいない場所三部作』は、「反実仮想」という同時代的な現象を象徴する書物たちである。私たちはそこからしか、未来に踏み込むことは出来ない。昭和90年代、平成はリバイバルする。

 

【参考文献リスト】
青木淳悟『私のいない高校』2011講談社
柴崎友香『わたしがいなかった街で』2012新潮社
三部けい『僕だけがいない街①~⑦』KADOKAWA
『ヤングエース 2016 1~3月号』KADOKAWA

東浩紀『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』2006新潮社
『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』2001講談社
『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』2007講談社
『弱いつながり 検索ワードを探す旅』2013幻冬舎
安藤宏『自意識の昭和文学 現象としての「私」』1994至文堂
『「私」をつくる 近代小説の試み』2014岩波書店
大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』2009筑摩書房
『不可能性の時代』2008岩波書店
小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』2009新潮社
佐々木敦『シチュエーションズ 「以降」をめぐって』2013文藝春秋
『ニッポンの文学』2016講談社
三浦雅士『私という現象』1996講談社
古田雄介『反ウェブ論 死んでからも残り続ける「生の痕跡」 新潮45 eBooklet』2013新潮社
渡部直己『日本小説技術史』2012新潮社
『小説技術論』2015河出書房新社
イーライ・パリサー著 井口耕二訳 『閉じこもるインターネット』2012早川書房

青木淳悟 阿部和重「『私のいない高校』――キャラクター化する無名の存在たち」
青木淳悟「楽しかった修学旅行」
青木淳悟 保坂和志「小説の境界を超える小説」
佐々木敦「新・私小説論」
朝日新聞デジタル「「私」の不在 軽妙に切実に 三島賞競った好対照な2作」

 

文字数:27236

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