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無名の座談会

無名 今回の座談会では、「近代日本の批評」(『季刊思潮』(1975))「現代日本の批評」(『ゲンロン』(2015))の「批評の歴史を総括する」という試みを、「固有名の継承」という問題系だったと解釈し、座談会という形式の持つ可能性について考えていきたいと思います。

無名 そしてやや特殊な記述として、以降の発言のほとんどは「近代日本の批評」「現代日本の批評」あるいはそれ無名の対談・座談会の発言の引用で構成されています。

無名 まずは、ぼくたちの出発点でもある「近代日本の批評」の評価から話したいのですが、今回昭和編を読んであらためて気がついたのは、独特の「非歴史性」です。たとえば、柄谷や浅田もまた、それぞれだれかに見出されたはずですが、この共同討議ではそのような彼ら自身の歴史性には言及されない。

無名 つまりは、90年代に影響力を持ったこの討議そのものが、批評史の多様な過去を平坦にし、村上隆風に言えば、「批評なるもの」全体を「スーパーフラット」にしてしまうような働きを持っていたのではないか。

無名 非歴史的であり、データベース的でもありますね。おっしゃるように、あの討議では執拗に「切断」や「断絶」の話がされる。

無名 しかし、ここで振り返ってみると、そもそも大正的なものからの切断をクローズアップすること自体、ある意味で遠近法的にいまにはね返ってきて、つまり裏を返せば、いまわれわれが大正的なものに対応する何かを切断したいということを言っているとも言えるわけですね。

無名 つまり、切断はあったけれど、実はその実現は先送りされて今日に至っても解消を見ていない。

無名 ざっくばらんな印象を言うと、柄谷と蓮實のツートップが、89年の批評のスコープをかなり狭くしていたというのが、いま振り返るとよくわかる。

無名 ぼくも若いころは『探求Ⅰ』の議論にかなり影響されました。

無名 どうでしょう。ぼくとしてはそういうふうに読んだことはないな。

無名 ぼくは『批評空間』という雑誌に関しても、まさに「勝手に読んでいる」読者でしかなかった。

無名 ぼく自信、あまりひとのことは言えない。

無名 えっと、少し整理しませんか?

無名 ぼくも今、そう思っていたところです。この形式は単純に読みにくい(笑)。

無名 発言者が「無名」しかいないわけですが、これだと、無名という人物の独り言なのか、脳内会議なのか、ある種の匿名座談会なのかも判然としない。

無名 何人の参加者がいるのかもわからない。

無名 そもそもなぜ発言者の名前が統一されているかと言えば、座談会による「固有名の継承」を考えた場合、もっとも継承される固有名は座談会紙面にもっとも頻出する名前、つまり座談会参加者であるからです。今回はその特性を一度まっさらにした状態の座談会を行おうという試みです。

無名 「近代日本の批評」が後世に継承させた固有名の最たるものが「柄谷行人」という固有名です。「現代日本の批評」で、「近代日本の批評」に対する批判の多くが柄谷へと向かっていることからもそれは言えるわけです。

無名 付属の年表を見ても、座談会参加者四人の名前が大きく扱われている。

無名 プラトンの著書によってソクラテスの名前が継承されることと、これはよく似ている。プラトンの著書には発言者の名前が記述されているわけではないけど、ソクラテスの弟子たちは隙あらば師匠の名前を口にしている。

無名 固有名からはじめると、構造がみえなくなってしまう。そして、歴史は物語になってしまう。

無名 逆に固有名をとって歴史をみると、それは構造になります。実際、ぼくは『世界共和国へ』では、そのような、構造としての世界史を考えています。異なる交換様式が組み合わされた構造、そして、その変容として、歴史を見るわけです。

無名 お、今の発言は柄谷さんですね。自著として『世界共和国へ』に言及している。

柄谷 しかし、形式的な構造だけでは、歴史は存在しない。たとえば、シュメールやギリシャ、ローマ、中国、といった固有名であらわされる単独性がないならば、歴史は存在しないでしょう。

無名 だから、構造と、単独性、この二つの契機がともに必要なんですね。

無名 ともあれ、やはり今回の形式では固有名による単独性は不明瞭にならざるを得ない。二つ前の発言者が「柄谷」となっていますが、その次の発言も柄谷さんの発言からの引用だし、『世界共和国へ』に言及する一つ前の発言も同様です。そもそも「柄谷」と書かれているだけでは、その人物が「柄谷行人」であるかはわからない。

無名 普通、座談会では話者の最初の発言をフルネームで書き、二度目の発言以降を略称で書きます。そういうルールも今回は意図的になあなあになっている。

無名 しかし座談会において固有名が宿るのが発言者名だとすれば、これは単に単独性が不在な状態であり、それは前述の通り、歴史となり得ない。

無名 座談会のテーマが「継承」であるわけですから、歴史から離れていくことは望ましくない。

浅田 では今後は、発言には発言者名を記述することにしましょう。どうも、浅田です。

三浦 わかりました。話を戻しますと、「近代日本の批評」の昭和編では、いわばマルクスーアルチュセール的な視点から、客観的な構造変化を追いかけてきて、とくにそのなかで、大正的なものからの切断をはじめとするいくつかのメルクマールをあげている。

蓮實 そこで柄谷さんは、自身の歴史観について、大文字の歴史というような外部性を設定せず、もっと相対的で、したがって偶然的なものとして「歴史」を見ている、と語っている。たとえば柄谷さんが、ある時期にでてきたということは、突発事故だという考え方もありうるわけです。事故というのは偶然的なものです。

事故 柄谷は「事故というのは、システムの統禦しがたい記号の生産」と言う。つまり事故という言葉に込めている意味合いが、構造と対になっている単独性であり、自分は単独性を持つ固有名であると言っている。

単独性 昭和編の最後に「(いずれ)われわれ自身の仕事が批評されるだろうと思います」と柄谷が語るのも、自分たちが歴史上の事故=単独性であるという自負を持っているからでしょう。

現代 しかし、この座談会の冒頭でも触れたことですが、「現代日本の批評」では確かに柄谷行人についての批評が少なくないわけですが、同時に「近代日本の批評」の営為については非歴史性があると指摘されている。

スーパーフラット かろうじて三浦雅士だけが自分の来歴を語るのですが、蓮實、柄谷、浅田は、批評史全体の傍観者のような立場で話していて、どの時代からやって来たんだという感じになっている。

ゼロ年代 東浩紀は「現代日本の批評」で、ゼロ年代の批評の特徴、つまり「前提知識がゼロでも読めるサブカルチャー批評」の萌芽が、「近代日本の批評」の「切断」「平坦さ」にあると指摘している。「現代日本の批評」が同じ轍を避け得ているという点を判断するにはまだ時期早々という気はするけれど。

佐々木 そもそもこの座談会自体、そういう罠にはまっている可能性は大いにある(笑)

座談会 「現代日本の批評」の意図は、「近代日本の批評」の成果を継承することです。しかし継承とはどのように行われるのか。その鍵となるのが、柄谷行人が言う「構造と単独性」です。

構造 行きつ戻りつといった感じで進んでいますね。改めて「構造」が歴史として伝わっていくということについて考えてみますが、それは「翻訳」ということではないかという気がします。

言文一致 翻訳のことでいうと、スタンフォード大教授のインドラ・リーヒが、ひとことで言えば、翻訳が近代日本文学をつくり出したということを書いています。もちろん、著者が言うように、それは日本に限られた話ではないんです。普遍的にどこでも起こっている。

近代日本文学 手塚治虫が『バンビ』から『ジャングル大帝』をつくり、ディズニーがそっくりの『ライオンキング』をつくったことも、まんが界では一つの歴史だし、コミケの二次創作が結局は度の過ぎない限り許容されているのも同じことで、「コミックスやDVDの海賊版やコピー商品をつくること」と、「誰かが作ったものをパクったり参考にしつつその上にまた誰かが何かをつくっていくこと」は区別すべきだし、後者はかなりのところまで、許されてもいいと思う。

ハリウッド たとえばアメリカ人といっしょに、ぼくが原作の作品の映画をつくるのはまさに「翻訳」です。多重人格のキャラクターが登場する作品なんですが、彼らは「お前の言う多重人格は、玉ネギの皮を一枚ずつ剥いていって最後に出てくるようなものか」と聞く。ぼくは「外がラッキョウのかたちをしていて、なかが何もないんだ」とか言ったもんだから、六時間ぐらい延々と衛星回線で論争する。最初は「何もないというのは、禅か」とかわけのわからないことを言っているんだけど、そのうちハリウッドではとりわけ9・11以降、「アイデンティティ」がリアルな問題になるという話しをはじめて、で、ぼくのほうはその作品を書いたきっかけとなった、14歳の子どもが人を殺した事件の話をする。そこまで自分のバックボーンを語ったうえで、最終的に「アイデンティティがある」というシンプルな結論を出すことは危ういのではないか、しかし、「ない」というニヒリズムもよくないのではないか、という作品のテーマ上の合意ができあがって互いにI understand.って言う。サブカルチャーのつくり手がこういう議論をすることがじつは「逐語的」的な「翻訳」と同じことのように思います。
現代思想 柄谷さんや浅田さんの仕事について言えば、70年代から80年代にかけてフランス現代思想を日本に輸入するような仕事をしたわけですが、さらに掘り下げると、輸入と言っても、フランスの思想をそのまま受け入れるわけではなく、翻訳してローカライズする過程がある。70年代は世界的にそれが行われていて、ニューアカはそのひとつだと考えられる。

専門家 ところが皮肉なことに、90年代の日本では、むしろデリダやドゥルーズを「正確に」読む専門家たちが力を持っていきます。デリダであれば、たとえば高橋哲哉や鵜飼哲です。彼らはフランスに長く留学していて翻訳もたしかに先行世代より正確です。けれど、それゆえと言うべきか、それを自分たち流に読み替えることはないわけです。

70年代 でも、70年代から80年代にかけて、フランス現代思想をよくわからないままに換骨奪胎しようとしていた時代こそが、本当の意味で世界性があったんじゃないかと思います。あの時期の日本人の努力はもっと評価していい。

坪内 訳語もテンションで押し切る(笑)。

磯崎 大胆に海外の思想を翻訳しているからこそ、世界性があった。翻訳にこそ世界的な同時代性があったのに、90年代になるとアカデミックな研究になって、むしろ閉じてしまう。

新現実 2008年に柄谷行人と東浩紀の名前が大きく表紙にならんでいる雑誌があって、大塚英志の「新現実vol.5」なんだけど、表紙は単なるイメージ操作で、実際には柄谷行人と大塚英志、東浩紀と大塚英志の2つの対談が掲載されていた。ともあれ、そこで柄谷と大塚はしきりに翻訳の重要性について語っている。

偽史 大塚英志と言えば、福嶋亮大も使っていた「偽史」という言葉があるけど、現代の歴史的トピックは少なからず偽史的ですよね。領土問題とか。

大きな物語 75年から89年というのは、要はマルクス主義が力を失っていった時代でもある。マルクス主義と結びつけてさえいれば、文学について語っていても、美術や音楽について語っていても、自動的に世界について語っていることになっていた。ところがマルクス主義が失効すると、その枠組みが壊れてしまう。それこそが75年から89年にかけて起きた危機の本質です。そこで新たな総合知の足場として要請されたのが越境性であり、柄谷さんの言う「交通」だったのだと思う。

砂漠 そしてその危機はいまも続いていて、そのなかで、批評の越境性をどう回復するかが課題です。翻訳の示す問題もそのように捉えるべきです。

記号 最初に述べた「固有名の継承」というのも実は翻訳です。相手の辞書にない言葉を、ローカルに落とし込んでいく。それは地域間、ジャンル間、あるいは時代を超えて行われていく必要がある。

戦後 同じような感覚をぼくは日本国憲法のなかにもっています。日本国憲法は英文でも書かれていますよね。英文で日本国憲法を読んでいくと、weは二重の使われ方をしているんです。一つは、「国民」「日本人」としてのweですが、もう一つは「普遍的な私たち」としてのweという語法が併用されている。そもそもGHQは、いくつかの草案を起草するなかで、主語をどうするかという問題にすごく悩むんで、それ自体は占領軍の鼻もちならなさなのかもしれないけど、草案をみると、彼らのなかにはnatural people、つまり自然人という主語を使おうとしていた人さえいる。

純粋言語 そこでのweの二重性というものも、固有名をローカルに伝えること、批評の越境性の難しさを示している。

読者 その難しさをどう解決するのか。「近代日本の批評」「現代日本の批評」の内容にはほとんど触れていないかたちとなりましたが、何が近代的、現代的な批評にとっての問題なのか、その輪郭を描くこととなりました。問題は近代から現代まで継続しており、依然として解決はしていない。これから書かれる/読まれる批評は、このことを意識せざるを得ないのです。

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