印刷

二人称的身体論 ―「IT」と呼ばれるマイケル―

「THIS IS IT」の初演を目前に控えた2009年6月25日、マイケル・ジャクソンは急死した。その21年前に、ジャン=フランソワ・リオタールは、浅田彰との対談の中で、こんな会話を交わしている。

リオタール ナチズムの神話は基本的には国家=民族の神話であり、現在、国家=民族の神話はもはや動員力を失ったと私は思うのです。現在、巨大な同一化の対象となるのは、国際的な存在、肌の色の定かならぬ存在です。
浅田 マイケル・ジャクソンのような。
リオタール まさにその通り。

唐突にポップスターの名前が登場する。
二人の思想家が第二次大戦以降の国家的表象について語っている最中であるにも関わらず、彼の名前は軽妙で重たさを感じさせない。まるでそこで名前を呼ばれることが自然なことのように、その名は口にされている。
引用の中で、リオタールは「まさにその通り(Exactly)」と応えている。その応答はこのようにも言い換えられるはずだ。
「これ(巨大な同一化の対象)とは、それ(マイケル・ジャクソン)です」
つまり「THIS IS IT」と。

マイケルがいなくなってしまった以上、私たちは「THIS IS IT」の全貌を見ることは適わなくなった。完全な「THIS IS IT」が永久に失われてしまったことは私たちにとって大いなる痛手だが、しかし私たちには『THIS IS IT』(2009年)が残されている。
「THIS IS IT」のリハーサル風景を記録した映像を編集した映画『THIS IS IT』から私たちが得られるものは数多い。マイケル・ジャクソンというポップスターが、どれだけのスタッフに慕われているか。彼らの間でどのような会話が行われてきたのか。そして、マイケルがどれ程の情熱をもって幻想的で蠱惑的なステージを作り上げていったのか。
それらはマイケルのファンのみならず、多くの人々の胸を打つことだろう。
そしてまた、この映像作品にはマイケル・ジャクソンの身体と声による表現力が鮮明に描かれている。それはリオタールが図らずも指摘する「巨大な同一化の対象」の秘密にも通じている。
その秘密を探求する為の問い掛けは、次のように表すことができる。

「THIS IS IT」とは何のことか?

この問いはマイケルの身体と声との関係を巡る考察に繋がっている。彼の代表曲「スリラー」(1982年)を例にとって考えてみる。
「史上最も売れたアルバム」としてギネス記録に登録されているこの曲は、人種やジャンルの壁を越えた音楽の創造という意味で、記念碑的な位置づけがされている。そして革新的な映像作品としても歴史に刻まれている(彼の死後に、「スリラー」のフィルムはアメリカ議会図書館で永久保存されることが決まった)。
その映像の筋立てを要約すると、次のようになる。レイトショーの上映館から抜け出たカップルが夜道を歩いていく。街には光の当たらない場所が数多くある。いつしか、街の墓場や下水道からゾンビたちが姿を現し二人を囲んでいる。カップルの女性が恐怖をこらえながら恋人(マイケル)を振り向くと、なんと彼の顔が不気味に変色している。彼もまたゾンビだった!
そしてゾンビたちと一糸乱れぬ調和の取れたダンスを踊り始めるマイケル。このダンスがすごい。死者の緩慢な動きと、生者の俊敏な動きとが交互に表現され、死者による生命に満ちたダンスが現前している。
物語上の進行としては、マイケルがなぜゾンビ化したのか、などよくわからない部分もあるが、そんな些事を忘れさせるパフォーマンスだ。しかしそもそも、マイケルは「変身」の欲望に取りつかれた男であるという見方もできる。
マイケル自身が制作総指揮を務めた映画『ムーン・ウォーカー』では、撮影所でファンに追いかけられるマイケルがウサギのぬいぐるみを着ることで、なぜかクレイアニメの人形として描かれる場面がある。他にも、マイケルは車やロボット、果ては宇宙船にまで変身している(一応、設定的にはマイケルは通常の人間ではなく「月の使者」ということになっており、変身能力もそれに所以している)。
マイケルが執拗に身体を変化させることの意味とは何か。そこには「名指し」の力が働いている。『ムーン・ウォーカー』では身体の変化が繰り返されるとともに、マイケルが誰かに「マイケル!」と呼ばれるシーンも頻出している。前述の撮影所の場面に加えて、ロボットに変身した彼は、もはや肌が白いとか黒いとか考えるのがむなしくなる程に光り輝いており、誰かに言われないとそれがマイケルであると認識するのは難しい程だ。
そしてその通り、ロボットとなった彼を子供たちは「マイケル!」と呼ぶのだ。ロボットでも宇宙船でも、彼は子供たちに「マイケル!」と呼ばれることでマイケル足り得ている。

ここから導き出せる彼が映像作品で用いる身体的表現の特徴は、
①マイケルは変身的表現を多用する。
②変身後のマイケルは誰かに名指されている。

となる。

この特徴は「スリラー」にも当てはまる。
まず①は既に見てきた通りだ。マイケルはゾンビに変身する(加えて言えば、劇中劇で彼は狼男にも変身する)。
それでは②はどうか。これもまた該当する表現が映像の中に存在する。
「スリラー」の歌詞を見ると、二人称的な呼びかけが多いことに気づく。

You try to scream but terror takes the sound before you make it.
(君は叫ぼうとするけど恐怖のあまり声が出ない)
You start to freeze as horror looks you right between the eyes.
(恐ろしい魔物にじっと見つめられ、君は凍りつくように)
You’re paralyzed.
(麻痺させられる)

厳密には、歌詞の後半で一人称も登場するので、全てが二人称で展開されているわけではないのだが、しかしこの曲が二人称的な視点からの「呼びかけ」の要素を持っていることは事実だ。つまり「スリラー」における②の「名指し」とは、マイケルが自ら歌う言葉によって行われている。
彼がゾンビと化した後、大勢のゾンビとともに一しきり踊ると、カメラが集団中央のマイケルをアップで捉え、高らかにこう宣言するマイケルが映し出される。

That this is thriller, thriller night.
(今夜はスリラーナイトだ)

この曲で最も印象深いマイケルの叫びだ。この言葉は歌詞通りの意味と同時に、ゾンビと化したマイケルに対する「名指し」の役割も持っている。
マイケルはここで変身した自分自身こそが「スリラー」だと宣言している。変身後のダンスと、歌詞の内容が表現するものがここにおいて一致する。
『ムーン・ウォーカー』や「スリラー」に見られる、この「変身」と「名指し」による身体と声の表現の一致はマイケルの表現の本質でもある。再びリオタールの言葉を借りるなら、それは「黒くもあり白くもあり、男でも女でもあり、野性的でもアンドロイドのよう」な身体なのだ。
ここでは、それを「二人称的身体」と呼ぼう。それは何者でもない者に変身することが可能でありつつ、名指されることで何者にでもなることができる。
この「二人称的身体」が持つ「名指し」の特徴を捉えた言葉が「THIS IS IT」である。「二人称的身体」は何者でもなれる、つまりあらゆる身体と名前をそこに代入することが可能であるという意味において「IT」なのだ。

最後に、映画『THIS IS IT』に少しだけ触れてこの文章を終わりたいと思う。この映画でも「スリラー」の映像は収録されている。しかしリハーサル映像の編集の為、曲とパフォーマンスは明らかに非同期的になっている。それはつまり、「名指し」が行われる以前の表現とも言える。
マイケルの持つ「二人称的身体=IT」は、彼の活躍する映像の中を探せばいくらでも見つかるだろう。しかしその「名指し」の行為自体は常に瞬間的な営為である。つまりそれは「THIS IS IT」と歌う瞬間である。皮肉なことではあるが、彼の死後によって発表された映像作品は、それまでの映像作品とは逆に、その「THIS IS IT」の瞬間を引き延ばして作られた作品と言える。

文字数:3314

課題提出者一覧