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アメリカを飲み込む「アメリカの影」と、「麦わらの一味」の海洋冒険

インターネットが現代社会にもたらす困難への対抗策が、少年マンガに描かれていると言われたら、あなたは信じるだろうか?

1960年代のアメリカで運用されたARPANETから始まったパケット通信ネットワークは、インターネットの誕生を経て、今や全世界的に広がっている。パソコンからスマホまで、多様な情報端末が普及した現代において、インターネットの恩恵は計り知れない。しかしまた、インターネット以降の世界だからこそ生まれる困難が生じていることも事実だ。
例えば、私たちは歴史上の出来事を調べるのに、わざわざ図書館へ行く必要がなくなった。自宅でも出先でも、情報端末さえあれば簡単に調べ物ができる。知りたいキーワードをgoogleの検索窓に打ち込むだけで、幾つもの情報が画面に表示されるだろう。しかし、ここには落とし穴がある。

奇妙な話に思われるかもしれないが、インターネットは情報へのアクセスを容易にすると同時に、難しくもしている。ある事実について調べてみると、互いに矛盾した複数の情報が見つかることが往々にしてあるが、そのどちらがより正しいかを判断する材料をインターネットで発見することは難しい。
例えば、「インターネット 起源」でgoogle検索すると、ARPANETの開発経緯について、アメリカが核戦争に備えて軍事目的で研究していたネットワークであるとする説と、核戦争とは全く関係ない研究だったとする説が、どちらも簡単に見つかってしまう。

佐々木敦は、『未知との遭遇』(2011年)で「インターネットという「セカイ」は、いささかパラドキシカルな形で、一種の「無限」めいたものを生み出すことになる」と書いている。情報アクセスを容易にするインターネットが、逆説的に目的の情報へのアクセスを困難にしてしまう。ここに現代社会が直面する、インターネットの困難性を見ることができる。
この困難は、アメリカという国の性質と深く関わっている。
広大な大陸にハイウェイを施設することで発展した自動車社会アメリカとは、端的に言ってしまえば、A地点とB地点を結ぶ直線的経路で構成された社会と言える。この性質が、移動のみに限定された性質ではないことは、1993年に当時の米大統領ビル・クリントンの元で、副大統領アル・ゴアが打ち出した通信ネットワーク構想である「情報スーパーハイウェイ構想」という名前からも明らかだ。この構想は、全米の情報インフラの整備を目的としていたものだが、そこで参照されるイメージは、米大陸全土を覆うハイウェイなのだ。

多くの人々が利用する検索機能は、目的の情報へのアクセスを劇的に短縮する。それは、前述のようなハイウェイ的な思想、対象と対象を線で結ぶ思想に支えられている。インターネットはその思想をあまりにも過剰に現出させてしまった。結果として、私たちを肝心の情報から遠ざけている。
私達と情報の間に立ち現れる、過剰なハイウェイ思想による困難は、日本だけでなく、アメリカ自身を含むインターネット社会全てを飲み込む「アメリカの影」である。

だが、私達は気をつけなくてはいけない。ここで批判すべきは直線的経路の発想、ではない。現代のインターネットを始めとする情報インフラは既にその発想の上に成立している。その抜本的変革は現実味が薄い。
ではハイウェイ思想が生み出す「アメリカの影」を克服する手段はあるのだろうか。
そのヒントは少年マンガにあった。

多くの読者はここで参照される作品を意外に思うかもしれない。それは誰もが知っている作品でありながら、こういった媒体で取り上げられ批評されることがあまりに少ない。
その作品は、少年ジャンプに連載中の『ワンピース』(1997年~)だ。

「海洋冒険ロマン」と銘打たれたこの作品は、海賊王を目指すルフィを船長とする「麦わらの一味」の長い冒険を描く国民的少年漫画である。それのどこが「アメリカの影」と関係しているのか、不思議に思われる読者もいるかと思われるが、この漫画、実は「インターネット以降」の世界を明瞭に描いているのだ。
注目すべき観点は幾つかある。文芸評論家の市川真人は、「文芸2.0」(2012年)の中で「同作品が影響力を拡大してきた十五年とは、携帯電話とPHSの普及率が五○%を超えWindows98の登場前夜でもあった一九九七年から今日に至る期間であり、社会や言説の構造が隠喩的な一極集中から換喩的な隣接構造へと変化してきた期間だ」と書いており、『ワンピース』の表現にインターネット以降の現実が埋め込まれていると指摘している。
このことは、作中の世界観からも読みとることができる。
まず、単行本十二巻(2000年)の「偉大なる航路編」以降に登場する「記録指針」という特殊なコンパス。「偉大なる航路」とは作中に登場する特殊な海域であり、「記録指針」はこの海域に点在する島と島の時期を記録し、次の島への航路を指し示す。作中に登場する海賊のほとんどがこの「記録指針」を頼りに航海を続けている。
点在する島と島が航路によってリンクする世界観は、インターネットのわかりやすい暗喩として機能している。多くの人々が「偉大なる航路」を目指して海に出た時代を、作中では「大海賊時代」と呼称しているが、これもネットトラフィックの増加ともにインターネット普及が進む現実の出来事と併走している。(2000年末に日本ではフレッツADSLの本格提供が始まり、2001年に急速に普及している)
そして、「偉大なる航路」のネットワークの終着点=最後の島「ラフテル」は幻の島とされている。ネットワークで繋がっているはずの場所に、誰もたどり着けていないという構図は、インターネットに立ち現れる「アメリカの影」を連想させる。
実際、インターネットの情報が人々からある種の事実を遠ざけるのと同様に、大量に出版された『ワンピース』考察本は、読者を「ラフテル」から遠ざけている。謎についての考察とは、つまりは事象を解説する一本の道を引くことだ。だが過剰に引かれた道同士が重なりあい混じり合ってしまえば、道がどこへ向かっているのかもはや誰にもわからない。どれだけ考察が進んでも、結局は作中で描かれるまで何が正しいのかは不明だ。

ところで、最後の島「ラフテル」についての考察は数多く提示されていて、その中の一つが正しい答えを導き出している可能性も少なくない。このように過剰な考察本に圧迫された状況は、漫画自体のおもしろさを損なうことはないのだろうか? もしも物語上の重要な謎が、既に考察によって明かされてしまっているなら、読者の物語への興味は減じるのではないか。
『ワンピース』について言えば、それは杞憂と言える。それは読者からの考察に対する、作者尾田栄一郎の距離感から窺える。
『ワンピース』の単行本には、「SBS」という読者からのハガキコーナーがあり、読者からの質問と、それに対する尾田の回答が載せられている。ボケとツッコミを意識したネタ的コミュニケーションが展開されることがほとんどだが、時折物語上の謎や仮説が指摘されることがある。尾田はそういった内容のハガキを「取り上げて紹介する」が、「明確な回答は避ける」ことが多い。
「SBS」での読者とのやりとりもネットワークを連想させる(紹介されるハガキには、ほかのハガキを意識したものも多くあり、ハガキ=読者同士が繋がり合う状況が成立している)。つまり尾田は、読者のネットワークに曝されながら作品を書くと同時に、あまりに突っ込んだ質問には、そのネットワークから距離を置くような態度を維持している。
ここに『ワンピース』という作品の本質が読みとれる。ここで行われていることは、「ネットワークからの離脱と合流」だ。
読者のネットワークと戯れつつ、致命的な質問からは離れ(離脱)、次の質問ではまた読者の相手をする(合流)。尾田は、作品の緊張感を安易に壊すような真似を避けている。この態度が、インターネット的な過剰な考察への対抗力となっている。

「麦わらの一味」が「記録指針」を使って冒険をしていることは、これまでの構図と重ね合わせて考えることができる。ルフィに限らず、この世界の海賊たちは「ラフテル」を目指して海を進むわけだが、しかしよく考えてみれば「記録指針」が指し示す島を順番に進んでいけば、それだけで「ラフテル」には到達できるのである。これもまた、検索すれば直線的に答えにたどり着くハイウェイ思想=インターネットの暗喩としてある。
読者にしてみれば、これでは結論が最初から提示されているも同然だ。しかしそのことで『ワンピース』のおもしろさが減じているとも思えない。
実は「麦わらの一味」は全然「記録指針」通りの航路を進んでいない。病気の航海士を医者に連れて行く為や、空に島があるのを確かめる為など、色々な理由で彼らは直線的に「ラフテル」を目指していない。
このことはとても重要だ。
つまり「麦わらの一味」は「偉大なる航路」というネットワークを冒険しつつ、そこからの「離脱」と「合流」を繰り返しているのだ。

インターネット社会を覆い尽くす「アメリカの影」は、過剰なハイウェイ思想によって立ち現れる。「離脱」と「合流」は、その根元にある、情報へ一直線にたどり着こうとする思想を無効化するのではなく、解きほぐすものだ。それらは決してインターネットの対立概念を生み出すものではない。
東浩紀が『弱いつながり』(2014年)で提示した「旅の中で検索ワードを探す」という考え方もまた、ネットワークからの離脱と合流のプロセスを、インターネット社会に持ち込む提案として読むことができる。東は前掲書の中で、インターネットから距離を置きながら観光することを「現実を知る。でもそれは記号を離れることではありません。現実に戻ることではありません」と書いている。記号と現実(インターネットと現実)が不可分であるということは、つまりはネットワークからの「離脱」と「合流」は二つで一つのプロセスなのだ。
これは言い換えれば、寄り道の思想でもある。同様の考えは『ワンピース』と同時期に連載が始まった『ハンター×ハンター』(1997年~)にも描かれる。主人公ゴンが、父親ジンから「寄り道を大いに楽しめ」という助言を受ける場面がそうだが、ここでは「楽しむ」という内面的な問題が扱われている。ゴンや周囲の人物の内面描写が丁寧に描かれる『ハンター×ハンター』に比べ、ルフィの内面をほとんど描かない『ワンピース』は、ネットワークそのものを描いている漫画と言える。
ロシアの思想家であるミハイル・バフチンは、近代以降の人間の自我と葛藤を描いたドストエフスキーの作品を「思想小説」と呼び、その作品の中での思想の扱いを「描写の原理ではなく、描写のライトモチーフでもなく、(中略)描写の結論でもなくて、描写の対象なのである」(『ドストエフスキーの創作の問題』(2013年))と指摘している。
この謂いに従うなら、『ハンター×ハンター』でのネットワーク(からの離脱と合流)の問題が、描写の結論(内面の問題に決着をつけるための言葉)として現れているのに対して、『ワンピース』におけるネットワークの問題は、描写の対象(描かれる世界そのもの)として描かれている。だからこそ、過剰なハイウェイ思想=インターネットがもたらす、困難=「アメリカの影」と、その困難を踏まえつつインターネット以降の想像力を手放さない営為(離脱と合流)を同時に描くことに成功している。

『ワンピース』の物語の主軸の一つに「歴史の本文」という古代の石碑が登場する。現在までに作中で明かされた情報によれば、「歴史の本文」に刻まれた情報を「ラフテル」まで運ぶことが物語上、重大な意味を持つようだ。そして「歴史の本文」は、「記録指針」の航路から外れた場所で見つかる場面も描かれている。
ルフィたちの冒険は、つまりは「ネットワーク(航路)からの、離脱と合流(冒険)」の繰り返しと言える。彼らの冒険こそが、過剰なハイウェイ思想の困難を回避して、ネットワーク上に存在する目的地へとたどり着くことができる。彼らが「歴史の本文」の情報をネットワークの終端「ラフテル」へと運ぶことは、この「海洋冒険」の本質を象徴するエピソードとなっている。

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