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「ポスト昭和」における「外部」を考える ~昭和元前73年から、昭和90年へ~

1/ポスト昭和を考える手がかり

2015年/平成27年/昭和90年、1月20日。YouTubeで公開された一つの動画の中で、テロリストは日本政府に人質の身代金として2億ドルを要求した。この動画から始まった、ISISによる日本人人質事件は、日本のみならず世界中を巻き込んで様々な主張や混迷を呼び続けることとなった。現代日本でこの事件について考えることには深い意味があるという確信があるが、ここでその事件のすべてについて語ることは不可能だ。だからここでは、一つの象徴深い事象を取り上げて、それがいかに「ポスト昭和」的であるかどうかを考えていくこととする。それは「#ISISクソコラグランプリ」と呼ばれた一種のインターネット的狂騒である。
「クソコラ」とは、荒い画像や拙い技術で作られたコラージュ画像などの総称である。一般的なクソコラで扱われる素材は、アニメやキャラクターの画像や、国内のニュースなどで話題となった人物画像であり、遠く離れた地のテロリストを素材とした「クソコラ」が大量にネット上に出現した光景は、国内外に関わらず、多くの人々に好悪入り交じった複雑な感情を覚えさせた。
この事象から描出できる「ポスト昭和」の想像力とは何か。論旨を先回りして言葉だけを書き出すと、それは「現実のおばけ」的な想像力となる。
次の章からは、昭和の始まりに見られる「外部」の現れについて考え、そしてまた昭和の終わり(昭和90年代)に戻り、「現実のおばけ」的想像力の具体例として、「#ISISクソコラグランプリ」、物語評論家さやわかの主著『十年代文化論』、現代アート集団カオスラウンジによる「キャラクラッシュ!」展を分析していく。

 
2/昭和の始まり(昭和元前73年)~黒船来航~

昭和という時代の出来事で、日本史に最も深く刻まれている事件といえば、「敗戦」をのぞいて他にないだろう。明治時代から続いた大日本帝国の、植民地主義が導く拡大路線は、1945年/昭和20年で挫折することとなった。いわばそれが「敗戦以前」の昭和であり、終戦後、つまり「敗戦以降」の日本の社会は、この挫折の経験に強く規定されている。敗戦の失敗をやり直さんとする意志(産業分野や軍事分野で諸外国に負けない力を取り戻そうとする動き)や、ポストモダン的な内部と外部の相対化の態度(日本文化と海外文化を同列に扱おうとする動き)は、どちらも敗戦のショックによる反動と言える。昭和という時代を「敗戦以前/以降」と区分してみても、結局は敗戦の相手=アメリカとの関係をどう捉えるかという問題に立ち返ってしまう。それが「昭和」という時代だ。だとすれば、「ポスト昭和」についてどう考えればよいだろうか。それにはまず、「昭和」の始まりに遡って考える必要がある。そしてここで問うべき「昭和」とは、天皇の世代交代によって規定される年号ではなく、「アメリカとの関係性に規定された時代」としての「昭和」でなくてはいけない。その始まりとはどこだろうか?

1926年の昭和元年から遡ること72年前、1853年/昭和元前72年/嘉永6年。江戸浦賀湾に4隻の軍艦が姿を現した。その船に乗っていたのは、鎖国中の日本との国交を結ぶために海を渡ってきた、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊を率いたマシュー・ペリー提督だった。日本人なら誰もが知っていると言っても過言ではない「黒船来航」だ。現代でも、国内のある分野に強い影響を与える海外からの物事を指して「現代の黒船」と呼ぶことがあるが、日本史上の黒船もまた、当時の日本に決して無視できない影響を与えていった。それは「植民地主義」というリアリティだ。幕府は当時の諸外国の動きを、限定的ではあるもののオランダなどから仕入れていたが、その情報に現実味を感じていなかった。ペリーが蒸気船を率いて日本を目指していることを知っても、まともな対策は何もせず、現場責任者に情報を伝えることすら怠った。そんな日本が、「黒船」という実物のリアリティにやられたのが「黒船来航」の大きな意味である。黒船来航を機に、日本は幕末へと突入していき、そして明治の新政府になってからも、幾つもの戦争を経て、遂に昭和20年の「敗戦」へとたどり着いてしまう。だが、「昭和」という年号がそこで変わることはなかった。先ほどの通り、「敗戦以降」の日本は、植民地主義の反動を進んでいくこととなる。
では、「昭和」の始まりは昭和元前73年だとして、「昭和」の終わりとは、つまり「ポスト昭和」の始まりとはどこだろうか?

 
3/昭和の終わり、ポスト昭和の始まり(昭和90年) ~「現実のおばけ」~

テロリストの畏怖行為に対して、ネット上で冗談のようなコラージュ画像で対応するという珍事「#ISISクソコラグランプリ」は、しかし世界各国のメディアで取り上げられ、好意的な解釈も少なくなかった。完成度も低く、制作段階では明らかにメッセージ性が低いと思われるコラージュ表現が、なぜここまで表現としての強度(?)を持ちうるのか。
1989年/昭和64年/平成元年。この年に、昭和という年号の終わりを印象づけるように亡くなった文化人として、手塚治虫という人がいる。言わずと知れた、日本固有のマンガ表現を切り開いた漫画家だ。マンガ評論家の伊藤剛は、主著『テヅカ・イズ・デッド』で、手塚の漫画を参照しながら、「マンガのおばけ」という言葉を導き出している。手塚の漫画(『地底国の怪人』)に登場する、うさぎ姿の亜人間が人間に変装する姿を例にとり、線だけで構成される漫画表現の特殊な手法として解説している(モノクロ漫画では、うさぎの肌が白いことを読者は気にしない)。漫画のもつ、視覚的な虚構を逆手にとったリアリティの表現方法が、「マンガのおばけ」という言葉の示すものだ。
「現実のおばけ」は、「マンガのおばけ」の延長としてある。「マンガのおばけ」が漫画という表現の嘘くささを逆手にとったように、「現実のおばけ」は、現実の映像の嘘くさい部分を逆手にとっている。身代金要求動画は、ナイフを向けられた時の人質の反応や、影の向きなどから、素人目にも合成っぽい見た目になっている(ただし、合成を否定する専門家の声もある)。つまりあの動画は「現実の映像ではない」「嘘くさい映像」のように見えるのだ。その特徴は、「クソコラ」によって強化されている。国外にまで届く表現の強度を担保しているのは、おそらくその現実感の無さ(テロリストの恐怖=現実の恐怖を無化している)なのだろう。
この二面性には、慎重にならなくてはいけない。現実を無化するその表現は、例えるなら、「虚構というレンズ」で現実を覗いているようなものだ。日本のネットユーザーは、その「レンズ」を扱う(現実を無化する)ことに抵抗が薄いと言えるかもしれない。そしてまた、テロリストたちも「現実のおばけ」として世界に自分たちの映像を公開し続けていることも忘れてはいけない。彼らのプロパガンダ映像もまた、自分たちの現実を無化させることで世界中の若者を抱き込もうとするものである。

 

4/「現実のおばけ」が、見ている。

「昭和」とは、アメリカという「外部」と出会うことでは始まった時代だ。
そして「ポスト昭和」とは、「現実のおばけ」を通して「外部」と出会うことで始まったと言えるだろう。
そう、出会った相手はテロリストではない。私たちは、もっと不確定な現実と出会ったのだ。「虚構のレンズ」を通して出会い続ける「外部」とは、もはやアメリカでもなければ、国ですらないかもしれない。しかし私たちは、今後も自分たちの作った「現実のおばけ」を通して(あるいは他の誰かの作った「現実のおばけ」を通して)新たな「外部」と出会うことになるだろう。

最後に、「現実のおばけ」について考える際に参考となる具体例を、簡単ではあるが二つ挙げてこの論を終わりにしたいと思う。
一つは、さやわかの主著『十年代文化論』だ。この本では、10年代の若者文化を考える中で、「残念」というキーワードを提出する。「残念な美人」「残念なイケメン」といった語義矛盾を含む表現(言い換えれば、捏造っぽい)を消費する若者たちの動向は、身近な日常やコンテンツに、「現実のおばけ」的な想像力を向けていると言える。この本では、「残念」というキャラ的な振る舞いが、現実の犯罪という悲劇を招いてしまうことも指摘しており、「現実のおばけ」的な想像力の危険性にまで示唆が行き届いている。
もう一つは、カオスラウンジによる「キャラクラッシュ!」展だ。これは、彼らが長年アトリエとして使ってきた湯島の古民家の取り壊しに際し、その家屋の内装や外装、敷地を含めてすべてを展覧会として再構成したアート作品でもある。カオスラウンジの制作の歴史や、湯島という土地に建つ民家の記憶についても鑑賞者に感じ取らせる、ある種の偽史体験アトラクションのような会場は、その最奥に据えられた作品「にがびゃくどう」でクライマックスを迎える。詳細な解説は字数の関係上省かざるをえないが、「二河百道」という仏教説話を踏まえつつ、原発事故の象徴としてのナマズのキャラクターと「出会わせる」その作品は、キャラクターをモチーフとした現実離れした作品群を通ることで、原発事故=人類史的事件の記憶に出会わせるという構造をとっている。単に現実を無化する表現ではなく、そこから鑑賞者に現実の強度を改めて突きつける見事な作品だ。
「現実のおばけ」的な想像力は、ともすれば無自覚に現実の重みを消してしまいかねない。「ポスト昭和」を生きる私たちは、その扱い方を習熟しながら、そこから現れる続けるであろう「外部」と接する必要があるだろう。

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