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記号から考える時間

 

 

『浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる』はそのタイトルの通りに漫画の物質的な側面を前面化させている。「凄まじい原稿量、圧倒的な画力、比類なき物語性」というキャッチコピーには、「描くこと」の物質的側面が、物語性よりも先に触れられている。

浦沢の代表作といえば『MASTERキートン』『MONSTER』『20世紀少年』などのサスペンス物である。彼はこれまで、そのストーリーテラーとしての能力を発揮し、数々の傑作を作り上げてきた。だが上述のキャッチコピーでは、物語性という言葉は、原稿量と画力の次に並んでいる。そこには様々な理由があり、展覧会企画者の意図があるのだろう。例えば、漫画評論家の伊藤剛が監修を務める『「描く!」マンガ展』もまた、「描くこと」の物質的側面を中心に日本の漫画文化を紹介する

企画である。二つの企画には、漫画批評における同時代的な意識が共有されていると見ることもできるだろう。しかし私たちの視線は、ここでは漫画批評ではなく、物質的側面に着目するという行為の背景にある社会的な変化にこそ向けられることとなる。

漫画を描くこと。それは記号を描くことだ。そしてここでの記号とは、ペンとインクで描かれた物質的なものである。

浦沢直樹の最新作『BILLY BAT』は、まさに漫画の絵=物質的な記号が主役となる作品だ。多くの浦沢作品と同じように、この作品もまた群像劇として描かれるのだが、そこで作品の中心を担うのは、ビリーという作中漫画のキャラクターであり、彼が人類史の端々に登場して歴史を動かしていく。

なぜ漫画のキャラクターが歴史を語るという役割を担うのか? 私たちはその問いについて思考することで、現代社会における「記号」と「時間」の関係の構造を発見することになるだろう。

 

 

 

「昭和90年代」は奇妙な言葉である。例えば、ボードゲーム『大怪獣と異能建築家』では、SF的な作品世界を用意するための用語として「昭和90年代」を用いている。この表記は非常に現代的である。もしこの作品が1990年代の作品であれば「20xx年代」と書かれていたかもしれない。20世紀にはよく使われた表現だが、21世紀の今日ではフィクションとしての魅力に乏しいと言わざるを得ない。理由は明白だろう。私たちが生きる時代が、まさにその「20xx年代」だからだ。

しかし実はこの理屈はおかしい。なぜなら、「昭和90年代」もまた、2015年以降の10年間を表す言葉であり、やはり現実の時間と一致してしまう。では両者には本質的な違いはないのだろうか?

「20xx年代」は近未来的な想像力を持った言葉であり、「昭和90年代」という言葉は偽史的な想像力を持った言葉であると考えることはできるだろう。偽史的な想像力とは、つまりは歴史を物語として捉えようとする働きである。これは昭和的なものを常に支配してきた。例えばそれは、戦時下の大東亜戦争という物語であったり、20世紀末に流行したノストラダムスの予言のような終末思想であった。

そしてそのような「大きな物語」に支えられた時間性は、ポストモダン的な世界観が力を持つことと反比例して弱体化していく。しかし弱体化はしても、新たな歴史の捉え方は登場しなかった。ポストモダンはすべてが相対化される世界観を提出したが、それは単に「大きな物語」を終わらせたにすぎず、私たちが生きる時間性を更新したりはしなかった。

しかし我々が生きる現在は、すでに時間性の更新は行われていると言える。どういうことか。二つの歴史的な転機を挙げよう。

一つは、2001年にアメリカで発生した同時多発テロである。ニュース映像として流された、ハイジャック機が巨大建築に激突する光景を、多くの人々が映画のような映像として受け止めた。歴史的な事件が、ハリウッド映画のようなフィクションの後追いをしているような奇妙な非現実感がそこにはあった。物語が現実の歴史に先行する。それは過去に起きた歴史を物語として語り直す偽史的な想像力とは大きく異なっていた。それは物語が歴史的事件化していくような逆説的な現実だった。もはや歴史的事件を物語化することは困難となった。私たちが生きる現実の時間を、物語化することの困難と言ってもいい。

そしてもう一つの転機は、2011年に発生した東日本大震災である。この災害は非常に大きな被害の爪痕をいくつも日本に刻むこととなった。中でも最大級のものが原発事故による放射能汚染である。私たちの国は、これから長い長い時間をその被害とともに生きていかなくてはいけない。これは物語に依らない、きわめて物質的な時間性を、私たちの現実にもたらすこととなった。

私たちは今、偽史的な想像力=物語による時間性の次の時代、物質的な想像力による時間性を生き始めている。

私たちは「昭和90年代」を、このことを考えるための梃子として利用していく。そして、物質的な時間を生きるということがどのような現実を作り出すのか、それを考えるために、記号と歴史の緊張関係を描いた『BILLY BAT』は私たちに多くの示唆を与えるだろう。

この漫画が手塚治虫『火の鳥』をモチーフの一つとして描かれていることも重要である。『火のとり』の時間性から、『BILLY BAT』の時間性へ。そしてその時間制をさらに深く考えるために、私たちは現代的な過渡期の時代を考える伝奇的な作品についても考察を向けることとなる。例えばそれは「クトゥルフ動画」と呼ばれるニコニコ動画などに投稿されるTRPG動画にも向けられている。

 

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