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言葉は音楽の何を真摯に語るのか

音楽を言葉によって語ることにより、いかに音楽に対する新たな見解と深い見聞を与えられるか。この点において、音楽に関するテクスト、およびメディアの役割はネットの発達以前/以後も変わらないように思う。

現在の音楽メディアの役割は大雑把に言って、三つの次元に腑分けできるだろう。この三つの次元とは、音楽に関するニュース配信、アーティストなどのインタビュー、そして音楽作品のレビューである。この三つの次元の中で取り上げたいのは、音楽レビューの言説の問題である。音楽レビューの役割は、レビューの対象となる音楽作品の紹介が主であろう。なお、たとえレビューといえどもジャーナリスティックな視点や批評性を欠いた、ただの「感想」の域を出ないものであった場合、それが音楽メディアとして失格であることはいうまでもない。言葉で音楽を伝え、語るものは、つねに音楽に対して真摯に向き合うことが使命なのである。したがって、この真摯さこそが音楽に言葉を与えるうえで、もっとも必要不可欠なものなのだ。

しかし、音楽を真摯に語ることを求められるメディアの言説に「正しさ」が全く欠いていないかと言われればそうではないだろう。実体なき、未知の怪物のような存在を前にして「言葉」が時に間違いを犯すことあるだろう。いや、そもそも音楽に関する言説に「正しさ」など果たしてあるのだろうか。仮に間違ってなかったとしても、それを受け取る読者やリスナーの見方によっては文字通り「誤認/誤読」と受け取られてしまう可能性を常に孕んでいる。これは音楽に関するあらゆるテクストの宿命かもしれない。何故ならば、音楽には映画や小説のように目に見えるような実体があるものではないからだ。そしてこの宿命にもっとも不可避的に直面するのはジャンルの定義、および見解や音楽の体系づけと文脈の紐解きである。

そこで、かつてあった音楽メディアのある 「誤認/誤読」とされる事例を一つ取り上げたい。それとは『スタジオ・ヴォイス』の2007年11月号の特集「NEW MUSIC CONTEXT オールジャンル・ディスクガイド250」に掲載された、アメリカのドローン・バンド、Sunn O)))に関するテクストである。このテクストをめぐっては、当時物議も起こったのだ。その物議とは、Sunn O)))を「現代のブラックメタル・ブームを作り出した伝道師」と評した言説をめぐるものだった。この言説に対する多くの反論は、Sunn O)))はブラックメタルでもないし、ブラックメタル・ブームなども作り出していないというものだ。筆者自身も当時はSunn O)))に対するこの言説に多少なりとも頭を傾げたものだ。

だがしかし、本当に「現代のブラックメタル・ブームを作り出した」というのは、全く間違った見解なのだろうか。今となっては、あながち間違えでもないように思える。何故ならば、おそらくSunn O)))に対するこの言説の根拠には、当時のブラックメタル・シーンの傾向と動向。そして Sunn O)))が2005年に発表した『Black One』というアルバムが背景として関係しているからだ。どういうことか。

2000年代前半から中期ぐらいまでのブラックメタルは新たな次元へと突入していた。90年代のブラックメタルはヨーロッパのアンダーグランド・レベルで隆盛を極めていた。その後ブラックメタルは反キリスト原理主義などに基づく言動で、犯罪なども引き起こしたバンドやメンバーの存在が原因で次第に下火になっていたのだ。そして2000年代に入り、ブラックメタルがもっていた音楽的ラディカルさと異端性はアメリカへと舞台を移すこととなる。アメリカへと舞台を移した次世代のブラックメタルは、反キリスト思想、精神といったハイプとは無縁であった。あくまで音楽的に独自の進化と変化を遂げていったのだ。そしてこの次世代のブラックメタルを代表とするのがSunn O)))の『Black One』にもコラボレーターとして参加したXasthurのマレフィックやLeviathanのレストなどである。彼らの音楽性の特徴はブラックメタルの特徴であるトレモロリフを基調としながらも、アンビエントやインダストリアルなどの要素を取り入れ、プログレッシヴな展開の楽曲構造など、独自の解釈と発展を加えていた。典型的なブラックメタル原理主義者のように、思想や精神性などに癒着し、表出するのではなく、あくまで音楽そのもの可能性 の追求と探求心をおこなっていたのである。そしてXasthurやLeviathan等はブラックメタルマニア以外のリスナーの支持も獲得していくことになる。この次世代ブラックメタル勢をより多くのリスナーに広めることにSunn O)))が一役買っていた側面もあるのだ。というのは、Sunn O)))が『Black One』にXasthurらを招き入れたという事実だけではない。Sunn O)))のメンバーであるグレッグ・アンダーソンが主宰しているSouthern loadというレーベルからも彼らのブラックメタル作品を発表していたからだ。また『Black One』もブラックメタルに対するオマージュとして制作したとSunn O)))はインタビューで語っている。

これらの事実からもわかるようにSunn O)))に対する「NEW MUSIC CONTEXTオールジャンル・ディスクガイド250」の言説と見解はあながち間違えではないことがわかるだろう。もしSunn O)))がブラックメタル・バンドだとするならば、それは間違いなのかもしれない。ただし、この場合はSunn O)))が当時の先鋭的なブラックメタルの認知と見聞をより多くのリスナーに届ける役割をした見解の言葉として受け取るべきだったのではないだろうか。そもそも特集の題がNew Music contextである。音楽を特定のジャンルにだけ縛りつけて語ることは、それこそ音楽の「タコツボ」化を引き起こす要因とさえなってしまうのではないか。音楽それ自体は、現在もあらゆるジャンルの音楽と結合し、融解し、新たな姿へと変貌を遂げているにも関わらずに、だ。

例えば、ブラックメタルの現在の様相をざっくばらんに眺めてみてもそれは明らかだ。2000年代後半からは、フランスのAlcestやアメリカのDefheavenなどを発端とするポストロックやシューゲイザーとブラックメタルの組み合わせによるポストブラックメタルなる音楽ジャンルも誕生している。これらの音楽とバンドはブラックメタルの音楽的要素を備えつつも、シューゲイザーやインディーロックなどの文脈でも語るべき音楽性なのである。しかもこれらのバンドの多くは、ブラックメタルの邪悪な精神性とは無縁の、明朗で陽気な音楽を奏でている。さらにはLturgyのようにヒップホップやマスロックの要素などを取り入れるなど、突然変異体ともいうべき、異形のブラックメタル・バンドも存在しているのだ。これらのバンドの多くはブラックメタル原理主義者のような保守的音楽観しか持たないものや、形骸化したブラックメタルを新たな音楽として生まれ変わらせているともいっていいかもしれない。

このようにブラックメタルのように保守的な音楽、およびリスナーを抱えるジャンルにおいても、本来ならありえない他の音楽要素との組み合わせなどによって新たな音楽は次々と生まれている。いや、音楽の進化とは常に様々な音楽の組み合わせの変遷じたいにあると言っていい。したがって、音楽に関するテクストや言説も音楽の文脈の再考しなければならないし、ジャンルそのものへの見解も音楽に合わせて変化し、進歩していかなければならない。

これまで音楽を取り巻く環境が幾度と変われども、音楽はつねにブリリアントに存在して来た。音楽メディアや音楽に対する言説は、もしかしたら音楽そのものの可能性を言葉によって殺してしまう可能性を孕んでいるかもしれない。しかし、それと同様、あるいは以上に音楽が言葉によって新たな発見や深い造詣を与える可能性を秘めているのだ。

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