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米兵の末路とわれわれの行方について 〜東京国立近代美術館の巡回を通じて〜

現在(二〇一五年九月十九日から十二月十三日)の東京国立近代美術館の所蔵作品展「特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示」における『ソロモン海域に於ける米兵の末路』(1943、以下ソロモン)について書くならば、単に『ソロモン』についてではなく、それが「いまその場に位置している」ということも含めて考えていかなければならないでしょう。

この作品展は美術館の四階と三階のフロアにて開催されています。観覧者はまずエレベーターで会場の四階に上り、『自画像』(1929)と対面します。つづけて、『パリ風景』(1918)や『五人の裸婦』(1923)、さらに『タピスリーの裸婦』(1923)というように、パリで活躍した藤田嗣治を年代順に追っていくことになります。そして、『自画像』のある部屋より四番目に位置する部屋において初めて戦争画が姿を現します。図1はその部屋の見取り図になるが、三階へと続く階段が『南昌飛行場の焼打』(1938—39)と『哈爾哈河畔之戦闘』(1941)の間に位置していることが分かるでしょう。

図1
図1

そして、それぞれの作品に描かれている日本兵進撃の方角が、観覧順路である階段へと向かう方角と一致しています。観覧者は戦争のもっとも生々しい場面、つまり「人が人を殺す」ところを、二つの作品にいざなわれながら、突き詰めていくことになるのです。その探求的な行動は「階を下る」という身体の動作と連動しています。階数を示す表記はもはや目に入らず、深層へと身を落とし込んでいきます。「四階から三階へ」という意識はなく、むしろ地下へと向かっていく心持ちでしょう。着いた先に現れるのは『十二月八日の真珠湾』(1941)、『シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)』(1942)、そして『血戦ガダルカナル』(1944)です。作品に黒みが増し、『南昌飛行場の焼打』や『哈爾哈河畔之戦闘』の時には全面に降注いでいた陽の光も部分的になっています。『血戦ガダルカナル』においては、陽は完全に消え、光は激しい落雷によってもたらされています。そして、同室の奥へと進むと、色彩の多様さが極度に抑えられ、全面土色で描かれた『アッツ島玉砕』(1943)が現れます。丁寧な説明文も手伝い、観覧者はここでしばし足をとめることになります。探し求めていたものはここにあったのかもしれません。『アッツ島玉砕』によってある程度の探求心は満たされていきます。そうして探究心の弱まった者が次に向かうのは「出口」でしょう。

『ソロモン』は次の部屋にあります。同室には『神兵の救出到る』(1944)、『大柿部隊の奮戦』(1944)、そして『ブキテマの夜戦』(1944)が展示されています。これらは作品展の中で終盤のはじめに位置しています。タイトルこそ「末路」、「奮戦」、「夜戦」という言葉が用いられているが、どの作品にも「人が人を殺す」描写はありません。ここでは、『アッツ島玉砕』にて戦争のもっとも残酷な場面を目の当たりにした観覧者に対し、奇しくも一抹の休息を与えてくれるかのような空間が形成されています。『ソロモン』はこの休息的な空間の一番奥に配置されている作品です。三階フロアの入口を通過し、『アッツ島玉砕』を観てきた者にとっての擬似的な「出口」といえるでしょう。『アッツ島玉砕』が一番の山場であれば、『ソロモン』は谷間であるということです。しかし、「出口」としての『ソロモン』の指し示す方向は二つに分かれ、一方は美術館の順路(右手斜め奥)、もう一方はその逆方向(左手斜め奥)を示しています。示される方向の違いは、この作品展特有の解釈を『ソロモン』に見出します。どういうことでしょうか。では、作品を見ていきましょう。

 

 

荒れ狂う波漂流する米兵の船。この作品を端的に言葉で表そうとしたらこうするほかないでしょう。これを「荒れ狂う波の上を漂流する米兵の船」とすることには抵抗を感じます。なぜなら、高い波は画面上部にしかなく、船の周りの海面は水平を保っているからです。船へと焦点を合わせると、途端に荒れ狂う波の音は聞こえなくなります。それと共に左側上部いる六匹の鮫も排除されます。林洋子が米兵の様子について「不憫であるよりもロマンティックな雰囲気」(★1)と述べていることにもすんなりと同意できるでしょう。波と鮫は迫りくる「死」を象徴しているようだが、船との間にはまだ幾分か距離があるようです。

米兵に着目しましょう。船上には七人います。図2は米兵の配置を表し、それぞれに番号を付与しています。頭部が少し黒くなっているのは判別し易くするためです。

図2
図2

この中で人の輪郭が海面に触れているのは五人。触れていないのは⑤と⑦の二人になります(①は船の縁に伸ばした手が海面と接しています)。海面と人の輪郭との間には白い霧の線が人の輪郭に沿って流れています。作品をよく見ると、その霧は⑤の人の頭部にも触れており、彼の髪は霧の流れに沿うようにして逆立っています。霧の流れは立っている⑥の頭部から胸部へ続き、船の縁に沿って⑤と④の頭部をかすめ、③の頭部を包むように盛り上がり、①の左手を通過し、②へとたどり着きます。そして、霧はその流れのまま海面へと降り立ちます。②の左側の海面がもっとも「白」の多い領域であり、そこは人の輪郭に沿って空中に漂う霧が海面へと入り込む地点になっています。海面上の白は緩やかな弧を描きながら画面上部の鮫へと続き、弧が右側へと入り込むのを防ぐように飛び跳ねる鮫にならい、そのまま最上部左端へと跳ばされていきます。それはまるで米兵の死骸、あるいは魂のたどる道を示しているかのように見えます。さらに注意深く見てみると、②の目線の先が海面上の「白」であり、④の目線の先が「白」の到達点になっていることが分かります。一見すると②と④は鮫を見つめているようだが、そうではありません。②と④の目線の先に鮫がいないとなると、船上の米兵の中で鮫を見つめている者は皆無となります。彼らの目線の先に鮫がいないということは、死への「恐怖」がないということです。むしろ彼らは既に亡くなっているとも考えられるでしょう。そうであるならば、そこで表現される感情は、生前への後悔(①)、自身の魂の行方への好奇心あるいは不安(②と④)、無関心(③)、無気力(⑤)、自身の死に対する名誉あるいは尊厳(⑥)などといった死後の世界(もし、それがあるのだとしたら)で抱かれるであろうものへと弁別されていくでしょう。

 

彼らは既に亡くなっています。そして、彼らの向かう先は画面の最上部左側。作品の遠近を考慮するなら、左手斜め奥の方向です。つまり、美術館の順路とは逆側になります。しかし、そこには生きている者には通り抜けることのできないキャンバス、そしてその背後には美術館の壁があります。観覧者は彼らとは逆の方向へと進まなければなりません。そして、その方向は船自体が示している方向であり、⑦の頭が向いている方向なのです。

 

⑦の生死は判別がつけられません。しかし、ここは敢えてその生死について考察してみましょう。彼の輪郭は海面と接する所が無く、また、白い布地にくるまることで霧からも逃れています。霧の流れに逆らう様子は他の六人にはみられません。また、突き出した足は画面下部の海面上でもっとも黒い部分へと伸ばされています。しかし、素直にその「黒」へと吸い込まれる様子も霧と同様にありません。かかとを船の縁に対して垂直に立て、屹然とした足の裏を「黒」へと向けることで、吸い込まれることを拒否し、船の向かう方へと身を任せていくようにみえます。彼のこのような態度は、まるで「死」を拒否しているかのようです。船に乗っているのは彼一人。彼のみが生きているのだとしたら、描かれた鮫の数が六匹であることと、亡くなった兵士が六人であることが、きれいに重なります。船上のうち六人が鮫に殺された亡霊であり、一人が生者であると(そう考えると、他の六人が鮫を恐れない理由も分かってくるでしょう)。そして、彼の行く先は、観覧者と同じ右手奥。生きている者が進むべき方向です。

しかし、絵の中の住民である彼の行く先は『〇〇部隊の死闘—ニューギニア戦線』(1943、以下〇〇部隊)か『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』(1945)の中でしょう。その二者択一であれば、『〇〇部隊』の下部右側にて青ざめた顔で死に絶えている兵士と結び付けたいという誘惑の方が強い。『ソロモン』と『〇〇部隊』は両方とも一九四三年の第二回大東亜戦争美術展に出品された作品です。当時の展示順序については分かりかねるが、観覧者の中には『〇〇部隊』の死者を『ソロモン』の船に乗せていると考えた人もいたかもしれません。しかし、現在の東京国立近代美術館で観る『ソロモン』と『〇〇部隊』の関係は以上に示したような見方のほうが自然だといえるでしょう。

 

東京国立近代美術館にて『ソロモン』を観たわれわれは、共に生者の方向へと歩んだ⑦の死を確認しつつ、さらなる先へと進んでいかなければなりません。本当の出口はまだ少し先ですが、われわれはその出口を通過した後も足をとめることはできない。今後、様々な分岐点に出くわすであろうが、そのとき、⑦のように生者の道を歩もうとする意志だけは持っていたいものです。

 

★1林洋子『藤田嗣治作品をひらく 旅・手仕事・日本』(2008)名古屋大学出版会、p.425

 

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