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ハサミから導かれる身体の動きと形の更新について

日常の何気ない行動を観察すると、人がモノを動かしているのか、モノが人を動かしているのかを判断する規準は曖昧なのかもしれません。例えば、紙を切るためのハサミ。持ち手にある二つの穴のうち、小さい方の穴に親指を入れて大きい方の穴にその他の指を入れる。そして、親指とその他の指を閉じたり開いたりする(握ったり開いたり)ことで、それに連動して持ち手の反対側にある刃が開閉し、紙が切れる。人がハサミを使おうとするときには、だいたい以上のような身体の動きを伴うでしょう。逆にいえば、ハサミは人にそのような動きを強いるのです。しかし、アマルティア・センが「財には様々な特性が備わっている」と述べたように、ハサミには「切る」以外にも、「打ち付ける」、「砕く」、「売る(交換する)」、「芸術作品の一部になる」などといった使用価値が潜在しています。これらの使用価値は必ずしも「親指とその他の指を閉じたり開いたりする」という動きを伴うわけではありません。あるいはまた、「紙を切る」という目的はハサミを使わずに達成できる場合もあるでしょう。人が「ハサミを使って紙を切る(親指とその他の指を閉じたり開いたりする)」といった動作をするとき、そこにはもっと多種多様な「力」が働いているはずです。染谷昌義は、生態心理学の創始者であるギブソンの「アフォーダンス」という概念を用いて詳しく説明してくれていますが、本稿では統一して「使用価値」という言葉をそのまま用います(★1)。では、人に特定の身体の動きを強いていくような多種多様な働きとはどのようなものなのでしょうか。引き続きハサミの例で説明すると、「紙を切る」という目的を達しようとした時に、ハサミに潜在する種々の使用価値の中から「切る」が選択されるためには、近くにハサミが配置されていること、そこが紙を切るための作業場であること、スケジュールや作業手順の流れのなかでその時に紙を切る必要があることなど、「モノ」や「空間」、そして時間的な区切りを持った「出来事」といった環境が存在しています。そのような一連の環境が「ハサミで紙を切る」ことを選択させ、人は「親指とその他の指を開閉する」という動きをとるのです。図1は、より具体的に、人がハサミを利用する際に記述すべき周囲の環境を示しています。自宅であるということはハサミを使っても問題無い空間であることを示し、近くにハサミもあり、さらにスケジュール上朝食前に郵便物を確認する必要がある。こういった環境が人にハサミを使わせるために整えられています。そして導き出される動きが「親指と他の指を閉じたり開いたりする」というものです。

図1

 

私たちの先祖は、自身の生活を快適にしていくために、周囲の環境やモノを直接変形させ、適切な使用価値が効率的に引き出せるようにしてきました。それが「労働」のひとつの側面でもあります。染谷昌義は労働について「アフォーダンス(使用価値)の探索と配置を評価し、その教訓を未来の探索と配置換えに活かす機会」(★2)と述べています。モノにどのような使用価値が備わっているのかということを、解体したり再構築したり、あるいは置き場所変えるなどして研究してきたのです。それは、人の動きに対する探求でもあるでしょう。私たちの身体がどのように動いていくのが最も望ましいかについて考えることは、周囲の環境やモノをどう形作っていけば良いのかを考えるのと表裏一体なのです。しかし、現在の資本主義社会においてはモノを変形させること(生産)と、モノを利用すること(消費)が分断され、私たちは自分のためにモノを作らず、誰かのために作り、そして誰かが作ったものの中から自分に合った使用価値を選んでいます。使用価値に対する探求的な試みが薄れてきているのです。モノに備わる使用価値への視点はせばまれ、本来備わっているはずの他の使用価値の存在はますます無視されるようになりました。染谷昌義はこのことについて「財貨の生態学と人々の生活学は大きな宿題を抱えている」(★3)というように、他のありえたかもしれない使用価値を発見する可能性について言及して文書を結んでいます。

 

ここで「人」ではなく「個人」へと視点を移していきたいと思います。この視点の移動は「人」についての一般的な想定を脱することを意図しています。モノには複数の使用価値が潜在していますが、モノ自体は画一的です。一方で人は、相互になにもかもが全く同じということはありえません。身長、体重、目や鼻や口の形、代謝、アレルギー、好み、使用言語、考え方、など違いを上げればキリがありません。手の形や筋肉の質量は「ハサミで紙を切る」という動作にとっては決定的なものでしょう。握力の弱い人は、いくら周囲の環境が「ハサミで紙を切る」ことを選択するよう促していたとしても、その選択は困難を伴う可能性が高いでしょう。図2は、図1の人の部分を個人とし、その特徴が加えられています。このように、明確化された使用価値を本来の身体動作で導き出せない状況に着目することで、「ハサミで紙を切る」に伴って強制させられていた「親指とその他の指を閉じたり開いたり」という動きの変化に気付けるのです。

スライド2

 

そう考えると、「みんなのはさみmimi(以下、mimi)」は私たちに新たな身体の動きを提供してくれたハサミだといえるでしょう。mimiは日本利器工業株式会社によって発明され、二〇〇五年にグッドデザイン賞を受賞しました。すでに十年もの月日が経ってしまった発明品ではあるが、mimiはまだ十分語るべきことのあるハサミだといえます。その発明の発端は、頸髄損傷し握力が極端に弱い人がモノを切る際にハサミを使っていたという事実への着目でした。その人たちは両手の親指を各穴に通してハサミを使っていたのです。しかし、両手でハサミを動かすということは、対象を抑えられないので安定して切ることができません。また、液の入った袋を空けるときは、液が底に溜まるように片方の手で支えて、もう片方の手と口でハサミを動かします。ハサミの「切る」という使用価値を代替的な動作で引き出しているのですが、そこには困難が生じています。mimiは、こういった状況を改善するために生み出されました。開発目標は「握力の無いユーザーが使えて、誰でも使えるハサミ」。形は、一本の棒を曲げて円を作り、棒の両端を接合せずに交差させ、突き出た余剰の部分を刃にしています。ハサミの柄の部分に幅があり、テーブルや床の上で刃が開いた状態で自立するようになっています。自立しているハサミの柄を上から押し込むと刃が閉じ、引くとバネの力で刃が開くので、指の開閉ではなく、腕の押し引きによって「切る」という使用価値を引き出します。押し引きだと、和バサミの原理を創造する人もいるでしょうが、先端が交差し、支点が力点と作用点の間にあるので洋バサミと同様のてこの原理です。

 

mimiは、「親指と他の指を閉じたり開いたりする」という身体的な動きから人々を解放し、新たな動きを導き出したといえます。さらに、一般的に想定される人の使い方、すなわち「親指と他の指を閉じたり開いたりする」といった動きでも「切る」という使用価値を引き出せます。つまりこの変化は、単に少数派のために作られたわけでは無く、多数派の使用方法を崩していないという点で、パレート最適的にハサミの形を更新したといえるのです。

 

人の身体の動きは、周囲の環境によって想定以上に一方向へと促されています。しかし、この資本主義社会においては、個人が自身のために使用価値を模索していく機会が少ない。誰かが作った使用価値を選ぶといった方法は、明確化された使用価値を引き出せる個々人にしか適応されません。もし、選択肢が無ければ、代替的な動作によってそれを克服せざるをえないわけですが、代替的な動作は、使用価値を引き出すにあたっては想定外であるため、無理が生じてしまう。mimiのようにモノの形状を変え、新たな身体の動きによる無理のない使用価値の引き出し方法を模索していくには、「人」ではなく「個人」にこそ目を向けていくのが良いのではないでしょうか。

 

★1柳澤田実編『ディスポジション 配置としての世界』「行動の資源の配置 財貨の生態学と人々の生活学」2008、現代企画室

★2同上、p.106

★3同上、p.108

文字数:3419

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