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患者はなぜ語ることができたのか 〜『椿の海の記』にみる「憑依」の試み〜

石牟礼道子が初めて憑依させた病者の魂は釜鶴松という漁師のものでした。「釜末鶴のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ」(『苦海浄土』)とあります。

この憑依体質の作家が、もの言わぬ水俣病患者の代弁者となるにあたり、偽善の感じを読者に与えないのはなぜでしょうか。あるいは、江津野杢太郎少年に対する「少年とわたくしの心は充分通いあっていた」という言切りに対して、私たちが違和感を抱かないのはなぜでしょうか。

 

『苦海浄土』以前の時代を描いたものとして『椿の海の記』があります。まだ水俣病がなかった時代。自然と人間が「山の神さん」を介すことで、過度に干渉し合うことなく絶妙なバランスをとっていた時代です。水俣病以外のことに思いを巡らし、悩み、悲しみ、あるいは楽しんでいた姿が、石牟礼道子の視線で描かれています。しかし、奇妙なことに、この時代の石牟礼道子はまだ四歳。四歳までの記憶など持ち合わせてはいないのが普通であろう、という常識的な考察に寄るならば、これは四歳の石牟礼道子という虚構色の濃い視線に依拠しつつ四十半ばの彼女の思考と創造力で書かれたものであると言えるでしょう。そして、その思考と創造力は、彼女に関して言えば、「憑依」と呼ぶにふさわしいものと言えるのです。石牟礼道子のことを「憑依体質」と言ったのは詩人の伊藤比呂美ですが(★1)、「語れぬ者」の言葉を「語れる自分」を媒介にして表現する行為。これが本稿での憑依です。『椿の海の記』は、深い考察に及ばぬ幼女を憑依させ、おのれの原点を探る文章とも言えるのです。対象が失われた過去のものであるがゆえに、それは『苦海浄土』における病者への憑依よりも難しいものでしょう。本稿では、美しい思い出の文学としての『椿の海の記』を「憑依」という視点で読み直し、石牟礼道子の特質を探るものとなります。

 

『椿の海の記』は、過去の自分が登場人物であるがゆえに、ほぼ全編に渡って憑依がなされています。そこでは四歳と四十半ばの心身が融合してしまっているので、それを分かつくっきりとした境界を描くことができません。「自分だとは気づかないほんとうの自分は、誰のところに行って生まれ替わるのか」と、四十半ばの彼女が考えを巡らせているのかと思いきや、その疑問を受けて続く「せつなくなって躰を起し、あたりを見渡せば」という行為主体は幼い方の彼女となっています。これを読むと、さきに巡らした考えはこの幼い方の彼女のものだったのだろうかと勘違いしてしまいそうです。あるいは、幼い石牟礼道子が見ている夢の話だったはずなのに、いつの間にか四十半ばの彼女が出てきて、夢の描写にまつわる解説を始めるのですが、これがまた長く、油断していると夢の中であることを忘れてしまいそうになるのです。このように、作中では今の自分と昔の自分、現在と過去といった時間軸が混在しており、場合に寄っては見分けがつかなくなることもしばしばあるのです。しかし、そのような混在は、憑依によってなされていることを考えると、決しておかしいものではないでしょう。さまざまなことに対して言葉にできなかった過去の自分を憑依させ、改めて言葉で表したのだ、ということです。

 

しかし、憑依は突然終わります。それは幼い彼女が「人間の言葉」を理解し始めるところで終わります。「自分はたれか。父と母がいて弟がいて、(中略)なお自分がだれであるかわからなかった」というこの部分は、憑依ではなく、単に過去の記憶を思い起こして記述されています。なぜ憑依ではないのかというと、前文に「情緒のくるめきのせいかもしれなかった。情緒などというような意味の言葉はまだ知らなかったが(後略)」という情緒を知っている「今の自分」と情緒を知らない「過去の自分」とを明確に切り分ける表現がなされているからです。つまり、難しい言葉は知らずとも、過去の自分はもう語れる者になっているがゆえに、憑依をする必要がなくなったのです。思い出して書けばいいのです。そして、まさに四十半ばの彼女が憑依をやめる時こそが、幼い彼女による憑依が始まる時であり、そこが憑依の原点となります。

 

まず、語れる者となった幼い彼女は、言葉を知ると同時にその限界を知ります。「人の言葉を幾重につないだところで、人間同士の言葉でしかないという最初の認識が来た。草木やけものたちにはそれはおそらく通じない。(中略)言葉でこの世をあらわすことは、千年たっても万年たっても出来そうになかった」というように。物心がつき人間であることを意識するようになるにつれて、「生命界」から離れ落ちていく。そのことに対する嘆きなのでしょう。人間もその「生命界」より生まれたはずなのに、言葉を得るに従ってそれが分からなくなっていく。そのことに対する苛立や苦痛が、石牟礼道子という作家は人一倍強かったのでしょう。そして、この苛立や苦痛を緩和するために見出されたのが憑依なのです。ここでは、彼女の憑依の最初は草や木、麦や雪といった人間ではないものとなっています。これは、人間になるにつれて「生命界」のことが分からなくなってしまうことを避けるためになされています。そうすることで彼女は安息を感じ、こころが和んでいくのです。

 

そうであるとするならば、憑依は言葉とは切り離された世界との接続を保つために見出された手段だと言わなければならないでしょう。対象が人間ではないということを考えると、「語れぬ」とは「語ることが出来ない」というよりは、むしろ「語ることをしない」、つまり「語らぬ」という表現の方があっています。憑依は、言葉とは異なる次元で、その存在を感じ取ろうという試みなのです。そのため、これを言葉にして表すことに意味は無く、仮に表したとしても、それはもはや代弁ではなく、恣意的な「語り」となります。もちろん著書の中で、そういった人間ではないものが彼女を通じて何かを語るということはありません。このように考えていくと、石牟礼道子の憑依は、水俣の危機を知らせるために身につけた手法というよりは、彼女自身の個人的な感性により鍛えられてきたものだということが分かります。

 

しかし、『苦海浄土』における憑依は、恣意的な「語り」ではなく、間違いなく代弁としての機能を備えています。それは、もちろん憑依対象が人間であるということに起因するのですが、人間を憑依させる場合、自然物を憑依させるのとは事情が異なります。人間の場合は、やはり、他者に対して何かを伝えようとします。そのため、憑依は言葉を生み出します。

では、石牟礼道子が人間の魂を捕らえ始めたいつなのでしょうか。『椿の海の記』には、「おもかさま」と親しまれつつ「めくら」、「狂女」、「神経殿(どん)」と表現される祖母が出てきます。渡辺京二が「あれは石牟礼道子さんとおばあさんとの魂の世界だ」(★2)と言ったように、祖母については魂が描かれています。祖母の振る舞いは「天皇陛下の行幸」の際、「浮浪者、挙動不審者、精神異常者の恋路島への隔離の措置」の対象となるもので、このような祖母の魂はというと、「ひとにはとらえられぬ魂」となっています。ひとたびその魂が往還道を彷徨いはじめれば、それを追うのは幼き石牟礼道子の役目。彼女は祖母について、魂の次元でとらえていこうとするのです。そして、彼女にとって「語れぬ者」との対峙は、この祖母が初めてであったのではないでしょうか。眠っている祖母の懐に這入ってくと、祖母がわなわなと震えているのに気づく。次の引用の長い一文は、「語れぬ者」の魂に触れた時に感じた、悲しみとも悔しさともとれる感情を表しています。

 

 そのようにふるえている躰に抱かれていると、この魂のありかたは尋常のものではなく、やさしげな雪空のはたての雪婆女が身じろげば、人は自分のかなしみさえ語ることができないで、雪の夜に火のない火鉢を抱えて、ぺっしゃんこにひしゃげていねばならないのかと、ふるえているおもかさまのふところでわたしは涙をこぼしていた。

 

人間であっても全てを語り訴えることのできないものがある、ということを理解したのはきっとこの時なのでしょう。憑依は、科学的には証明できないもので、それは百パーセント憑依をおこなう側の恣意的な解釈に他ならないとも言えます。しかし、幼い頃に「語れぬ者」の存在を知り、悲しみ、あるいは悔しさを感じた彼女にとっては、そこで紡がれる言葉はまぎれもなく代弁であり、そこに私たちの疑いを挟む余地はない。それが、『苦海浄土』における言い切りの強さと、妥当性を担保している憑依というものです。『椿の海の記』は単に悲劇の前の美しかった町並みを記述したものではなく、石牟礼道子の持つ「憑依」という特質を際立たせた、『苦海浄土』を支える文学であると言えるでしょう。

 

★1 岩岡中正編(2006)『石牟礼道子の世界』弦書房

★2 石牟礼道子 他(2013)『石牟礼道子 魂の言葉、いのちの海』河出書房新社

文字数:3694

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