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Minecraftから映画が生まれるまで 〜物語の映画への昇華〜

「マインクラフト映画がどのような物語であっても、それは数ある物語のひとつでしかない。それはちょうどゲームとしてのマインクラフトにおいて正しいひとつの遊び方が存在しないのと同じである」[注1]。これはゲーム制作会社Mojang ABのCOOであるVu Bui氏へのインタビュー記事からの抜粋です。二〇〇九年に開発が始まったサンドボックスゲーム「Minecraft(マインクラフト、以下マイクラ)」がWarner Bros.によって映画化されることを受けてのものでした。

この映画プロジェクトは大規模な予算で三年ほどで制作していくようですが、にもかかわらず、マイクラから生まれた他の物語と同等に扱おうとする姿勢がみてとれます。物語が巨大スクリーンでの上映に耐え得るかどうかに関係なく、「映画的」な作品間において絶対的な優位性を保つことは認めないのだ、というような。このような姿勢は、東浩紀の「データベース・モデル」に象徴されるポストモダンな社会に従順であろうとする意志のあらわれであると言えます。つまり、マイクラは徹底的に物語を排除しデータベースとしての役割を担うことで、逆説的に物語を生み出す力を孕もうとしているということです。そして事実、マイクラにおいては、単に物語を生み出すだけではなく、そこに渡邉大輔のいうところの「映画的なもの」(慣習=規則性)が移植されることでブレイクスルーを引き起こし、「ほかの凡庸なイメージから相対的に差異づけられ、人々の注意を集める『映画的』な何らかの『作品=コンテンツ』として結晶化して」いったものが数々存在しています[注3]。先のインタビューでの「物語」とは、この「映画的」な作品群を意識していると考えてよいでしょう。ならば、大量生産される物語の中で、何が「映画的」で、何が「映画的」でないのかというところまでマイクラを通して考えることができるし、物語が「映画的」な佇まいを獲得するとは、どういうことなのかということも考えることができるでしょう。

 

まずは簡単にマイクラについて説明しましょう。マイクラとは、様々な色や模様を纏った立方体ブロックを破壊したり配置したりして造形を「ただ」楽しむゲームです。プレイヤーはランダムに生成されたバイオーム(草原、森林、砂漠、海洋、ツンドラなど)に突如として放り出され、木を切り、土を掘り、石を削って素材を集め、再配置していきます(素材となる木や土、石などはほぼ全て立方体のブロックで形成されています)。集めた素材は加工することが可能で、武器や防具、道具、そして食糧などあらゆるアイテムを作ることができます。プレイヤーはマイクラの世界での自由を謳歌し、巨大建築に挑んだり、ひたすら炭坑作業に従事したり、家畜を飼育したり、作物を栽培したり、バイオームを冒険したりして時を過ごすのです。そこには軸となるような「大きな物語」(大塚英志)も果たすべき目的もありません。ただ気の向くままにやりたいことをやるだけなのです。

 

では、マイクラはいかにして物語を生み出してきたのか。以上に述べたように非常に自由度の高いゲームですが、そこから物語が生まれるには、自由なだけでなく、固有のキャラクターや世界観等についての「設定」が必要になります。その「設定」を形作るのに役立つのが数々のMOD(モッド、Modification)です。MODとは改造データのことですが、そもそもマイクラはMODの導入がし易いため、二次創作可能性の高いゲームとなっています。テクスチャー(ブロックやアイテム等の模様)を変更できるだけでなく、全く新しい機能が付与されたアイテムやモブ(Mobs、生物)をプログラミングし導入することができます。それらのMODは「僕だけの/私だけのマイクラ」を生成していくのに役立ち、物語の土台となる設定や世界観を可視化させるのに大きな役割を担っています。もちろん、そこで導入されるMODは、マイクラの世界観を前提あるいは踏襲したものであって、マイクラ的な要素(荒めのドット絵であるとか、ブロック単位で破壊可能である等)はしっかりと残されます。オタク文化的にはそれはデータベース上に収納されている「萌え要素」と役割的には同じものとなるでしょう。しかし、固有の「設定」を組み立て表出するだけでは「映画的」な作品は生まれない。

さらに、もうひとつ、物語生成に欠かせない要素があります。それは、動画撮影MODです。このMODは、マイクラの世界の中にビデオカメラを設置し、カメラの移動ルートを指定して撮影をすることができるものです。ちなみに、ゲームのプレイ画面を撮影し公開する行為は、任天堂の家庭用ゲーム機ファミリーコンピューターが発売された三年くらい後の一九八六年くらいから、『高橋名人の面白ランド』や『ファミっ子大作戦』といったテレビ番組に見受けられます。しかし、これらは新作ゲームや攻略方法の紹介であり、プレイ画面を撮影するにとどまっています。この動画撮影MODでは、プレイヤーが操作しているキャラクターを別の視点から、しかも撮影位置を縦横無尽に変更しながら撮ることができるのです。さらに撮影後はH.264という規格に動画をエンコードしてくれるため、編集やソーシャルメディアへのアップロードがし易く、「映像圏的公共性」(渡邉大輔)を簡単に獲得することができます。つまり、固有の「設定」や物語を「映画的なもの」で撮影し、それを一応は「映画的」な作品として不特定多数の人々に公開することができるようになったということです。

 

ここで一つ作品を紹介しましょう。ここでは日本語の「映画的」な作品を紹介するためニコニコ動画を参照します。簡単に歴史的な経緯を説明すると、ニコニコ動画内で現存する最も古い動画は二〇一〇年八月十日で、初期は基本的には造形物やMODの紹介が中心になっています。二〇一一年中頃から「茶番」と呼ばれる寸劇的なやり取りが含まれる動画が生まれ、「Minecraftストーリーリンク」というタグがつけられていきます。その後、徐々にストーリー性が強くなっていくに従い「Minecraft映画部」というタグがつけられるようになりました。「Minecraft映画部」のタグがつけられた動画で最も古いものは二〇一二年三月六日です。ストーリーリンク内の動画も茶番の領域を超える物語を孕むものがあり、映画部との差別化ができていないことなども考えると、わずか一年ほどで「映画的な」作品を獲得してきた分野であると言えます。

今回は「Minecraft映画部」の中で最も再生数の多い(約三〇万再生)『ニュータウン監獄物語』[注3]を紹介します。

冒頭は暗転した状態で、二人のニュースキャスターの本番前の会話が流れる。ニュース番組の本番開始五秒前のカウントダウンの後、ニュースの読み上げと共に不穏なBGMが流れ、マイクラ風の町並みの映像が映る。といった感じなのですが、そこでのカメラワークやカット割りはまるで「映画」のそれそのものであって、観るものにこの動画が「映画的」であることを強く認識させます。さらに、映画撮影に使用したソフトの紹介がまるで「映画」のスタッフロールのように画面上に流れることも、動画全体が「映画的」であることを強調しています。それから、ここでは一貫して登場人物の会話は合成音声によるテキスト読み上げソフト(通称ゆっくり)によってアテレコされているのですが、聞き取りづらい部分も多いためテロップによって補完されています。それはさながら洋画の字幕のような役割を担っており、こちらも「映画的」な作品として昇華していく要素となっています。このように、この動画では「映画的なもの」の移植がそこかしこでなされていることが確認できます。

しかし、この動画が「映画的」な作品としてのブレイクスルーを達するには、ニコニコ動画でのマイクラをめぐるコミュニケーションにも注目しなくてはならない。なぜなら、そこで展開されている物語は、そのコミュニケーションがあったからこそ成り立ち得たもので、そのコミュニケーションを前提とするからこそ多くの人に受け入れられたからです。どういうことでしょうか。

例えば、マイクラではランダムに「村」が生成され、そこには無害なモブである「村人」が多数存在しているが、「村」はしばしばMODで作成された兵器の実験台として標的になる。視聴者は村が破壊されていく様をみて、開発された兵器MODの威力に感嘆する。そのような破壊行為は、物語の中では犯罪となっていて厳罰化の対象として描かれています。こういった皮肉的な描写は、それを賞賛してきた視聴者やプレイヤーの側に向けられています。ここでのコメントに「俺か...」(俺のことか)といったコメントが複数流れることも興味深い点です。また、他の動画で紹介している建築物の宣伝が、登場人物の台詞の中に違和感なく挿入されているところに「宣伝乙」というようなコメントが流れているように、視聴者が過去のコミュニケーションを前提として楽しんでいる様子が伺えます。これはこの動画が「映像圏的リアリティ」(渡邉大輔)に支えられていることのあらわれと言えます。

以上のように、『ニュータウン監獄物語』は、「映画的なもの」を挿入することで「映画的」な作品としての様相を整え、ソーシャルメディアでのコミュニケーションを通じて育まれてきた「映像圏的リアリティ」によって人々の注意を引きつけることで「映画的」な作品へと登りつめたのです。そして、このような現象を踏まえると、Warner Bros.の制作するマインクラフト映画が他の作品に対して絶対的な存在として君臨し得ない理由も分かるのではないでしょうか。

 

 

[注1]「Minecraft movie will be ‘large-budget’ but unlikely to arrive before 2017」の筆者訳

http://www.theguardian.com/technology/2014/oct/08/minecraft-movies-youtube-mojang-licensing?view=desktop

[注2]渡邉大輔 (2012)『イメージの進行形 ソーシャル時代の映画と映像文化』人文書院 p.33

[注3]『ニュータウン監獄物語』http://www.nicovideo.jp/watch/sm23084721

 

その他参考

東浩紀 (2001)『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社現代新書

大塚英志 (2001)『物語消費論』角川文庫

 

 

 

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