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「見たことないでしょ、教科書では。」

高橋由一の『鮭』と、「見たことあるでしょ、教科書で。」というキャッチコピーを組み合わせたものが、東京藝術大学の大学美術館の一般公開のはじまりを知らせるポスターだった。いったいどこの教科書にその絵が掲載されているのか未だにわからない。

 

気になる思い出がもう一つある。「おとうさん、おかあさんが子どもだった頃は、どのような部屋で暮らしていたのか聞いてみよう」という課題が、小学校のクラスで出された時だ。児童と保護者の関係は必ずしも良好でないことや、話しかけるべきでない人物へのインタビューを強制することで児童の生活環境が悪化するというDVへの懸念が、どうして課題の出題者になかったのだろう。模範的な回答を両親から引き出せなかった私は気まずい思いをしたのだが、人はそう簡単に惨めな過去を明かしてはくれないことを示唆するものとしてだけは優秀な課題であった。つまり、その課題は児童の保護者達に、日本全体が高度経済成長の波にすっかり乗る前の、まだ貧しかった生活を思い出させる必要があったのである。保護者の年齢にもよるのだろうが、私のケースでは、生前の両親の様子などからも、彼らのトラウマに触れようとする課題であったと言って間違いない。

 

我々は明治維新から敗戦、もしくは高度経済成長の開始までという、そう遠くない過去を近代と定めているが、トラウマと結びついてしまうこの時期の記憶は、政治的にだけでなく個人的にも抑圧され、アクセスしにくいことが、以上の体験談から窺える。それと同じように、近代日本美術も戦意高揚のための戦争画と結びつき、触れたくない過去となり、戦後の屈折した精神性と共に人口に膾炙しなくなったのは、近代と同時に誕生した「日本画」が、今では終わったものとされていることからも明らかだ。

 

近代以降の日本の美術が、クールジャパンと言い換えてもサブカルチャーにしかなれない失敗の原因はここにある。祖父母や父母の世代が、子孫や弟子にあまり語らないので、彼らが作り上げた技術が継承されていないのだ。先の例の「日本画」や、それと対にした「洋画」といった言葉やジャンルが廃れた理由も、西洋やアメリカへの劣等感に加えて、東京美術学校から始まる師弟制度の中で、美術に於ける技術が暗黙知として扱われて明文化されなかったことに大きく起因している。近代の日本美術が、不文律を仄めかしながら脅迫めいた人間関係を強いる体制と、それを良しとする価値観に支えられたブラックボックスであったことは、大学美術館のキャッチコピーが「見たことあるでしょ、教科書で。」と同意を求める文言で開始された事実に象徴されている。こうして近代日本美術に威厳や自信を持とうとする運動だったはずの「日本画」は惨めな過去となり、一度も日本のメインカルチャーの座に就くことなく消滅した。

 

近代日本美術にあったとされる優れた技術はほとんど途絶えたのだが、美術教育の現場ではその名残が往々にして見られる。美術予備校や美術大学、芸術大学での講師、教授が、学生が提出した課題作品に一瞥をくれただけで「ま、いいんじゃないの」といったコメント、あるいはアーティストらしく気取った言葉だけを残すという、中身のない講評会が横行している点だ。この時、まるで「説明しなくてもわかるでしょ、直感で。」と言わんばかりの圧力と、仮に学生が講師、教授に異論を唱えたならば、受験や進学に必要な知識、情報を講師から聞き出せなくなったり、学閥内での地位を教授から与えられなくなったりしてしまうという脅しが含まれている。

これはなにも、講師、教授陣に、学生と対話するつもりがないこと、指導スキルがないことといった理由だけではなく、そもそも美術は言葉を尽くして説明しないものだという近代日本美術の慣習が根強く残っているからである。師匠や先輩にあたる人物からほとんどの技術や知識を継承しない体制を現代まで続けているのだから、21世紀に入ってからの世界のアートシーンで日本が完全に遅れをとり、蚊帳の外となっているのも当然の結果だ。

 

明治維新や敗戦といった、日本の文化的伝統の断絶と共にあるトラウマに加え、近代日本美術が作った、美術に於ける技術は明文化して説明しないものだという悪習により、近代日本美術をなかなか聞き出すことができなくなった現代人が、継承すべき日本の伝統を探した場合、後期徳川時代のものを参照することが、最もやりやすい。そこで、ヨーロッパをあっと言わせたと言う浮世絵や根付などを持ち上げて、「これこそが我々の祖先が作り上げた芸術だ」と手本にする傾向があるのだが、浮世絵は色彩と描画に於いては熟練の域に達してはいるものの、そもそもサブカルチャーなので、そこに日本美術の基礎である理想性は反映されていない。日本美術の継承すべき伝統を探すならば、東洋の精神性の表現を守り通していた足利時代のハイカルチャーにまで遡る必要がある。

 

ところが足利という時代は中国やインドからの影響を色濃く受けていた時代であり、西洋に圧迫されていた近代にも、アメリカに服従している現代にも、かなり馴染みにくい相手となってしまった。そうなると、足利時代の劣化コピー、もしくはサブカルチャーである江戸時代の日本美術の中から手本を探すという、安易な方向により流されやすくなる。そういうわけで、どうしてもサブカルチャーに傾いてしまう日本美術が、ハイカルチャーとサブカルチャーのクレオール化をはかって世界にアピールしたのが所謂クールジャパンなのだが、虚勢に満ちたこの政策は、強固なハイカルチャーの伝統を継承することに成功した諸外国に簡単に見透かされた。ごまかしが効かないならば、どうにか日本美術もハイカルチャーの座を復権するしかないではないか。

 

日本は311の震災という新たな歴史的断絶を迎えた。しかし、311は明治維新や敗戦の頃の断絶とはやや内容が異なり、文化的には断絶の前後にそれほどの乖離がない。となると、ここに近代日本美術が成し得なかった、日本美術のルネサンスの可能性も開けてくる。西洋美術のルネサンスは、オスマントルコの勃興によって西洋が圧迫されたこと、中心主義を取り除こうとする新しい信仰や自由の観念が台頭してきたこと、科学が発展してきたことなど諸々の条件によってもたらされたものであるが、それら要素の揃い方は、現代の日本が置かれている状況と似通ってはいまいか。近代日本美術が目指し、そして頓挫した、芸術における最高の努力としての精神の表現に到達し守り抜いた足利時代の日本美術の復興が、技術を暗黙知として明文化しない老害「日本画」が消滅した震災以降ならば、今度こそ可能ではないのか。

 

繰り返しになるが、近代日本美術が犯した最大の過ちは、美術に於ける技術は暗黙知であると見做したことである。だからこそ、他の要素も相まって近代美術はブラックボックスとなった。それがわかっている今、近代日本美術が興し、そして失敗したジャンル「日本画」とは異なる、もう一つの日本のハイカルチャーを創り出し、目指せるのではないか。決して「見たことあるでしょ、教科書で。」などという空気を発して萎縮を強いる必要のない、談論風発の日本美術が。

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