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忍者・シャドウ全開ヒーロー

小説などのコンテンツには魅力的な登場人物が溢れ、読者や観客を魅了する。ドラマに憧れてキャラクターに近づこうとすることも多々ある。そこから産まれた夢を叶えて教師や医師といった専門家へ成長する者も珍しくない。そんな中で異彩を放っている職業が忍者だ。

何を言う、忍者になれるわけがないではないかと一笑に付すことができるのは、今ここにいる我々が忍者について一定以上のイメージを有しているからにすぎない。それは実のところ、昭和から始まる90年を通じて我々自身が培ってきた財産の姿であると同時に、長い時間と多くの人の手によってシュミラークルとなっている。歴史を紐解けば忍者が黒装束を着ていたかどうかは怪しいし、手裏剣を携行しているとも考え難い。しかし、黒装束で手裏剣を打つNinjaは確かに実在するのだ!…ではどこに?

 

2016年2月22日、横浜のビジネスインニューシティーに「外国人がイメージする間違った忍者」の装飾を施したカプセルホテルが登場したというニュースがあった。これがもし「間違った侍像」なら合点が行くが、忍者とはどういうことか?それらを「間違った」と発言する人々が共有しているはずの「正しい忍者像」はどこにあるのか?その答えは、ない。忍者の活動を一次史料の中から見つけ出すのは難しいのだ。忍者と呼ばれる、オリジナルがないコピーのコピー、今風に言うシュミラークルは、以下のように作られた。

 

江戸時代までに作られた忍者像は自来也や石川五右衛門といったファンタジックなもので、今更の説明はいらない。ドゥルーズが産まれる1925年より前の時代に、日本のシュミラークル・コンテンツの元祖のように歌舞伎の演目のトップの一つに忍者が位置していた。次に、時代が昭和に近づくと、開国や文明開化といった時代感覚に合わせ、忍者のイメージも荒唐無稽すぎる妖術や人智を超えた技芸の使い手から、当時の人々の腑に落ちるものへスライドしてゆく。それから昭和に入り、1945年(=昭和20年)の終戦を迎えると、神秘主義に頼りすぎたから負けたのだという反感が生まれ、忍者像はいよいよ人間らしく変容する。1958年(=昭和33年)には『甲賀流忍法帖』から山田風太郎の忍法帖シリーズが展開し、この頃から物語の中の忍者達はすっかり等身大の悩める人間の姿をあらわしはじめた。戦中、戦後直後を生きた人々の歴史観や死生観を反映したこのシリーズは一大ベストセラーとなり、1960年代の空前の忍者ブームへと繋がった。

その頃、戦勝国のアメリカでは白人のガンマンを主人公として”インディアン”と戦う映画(いわゆる西部劇)がヒットしていたが、70年代にフェミニズムの波が訪れると同時に有色人種の権利に関する運動も台頭し、ハリウッド映画の主役はブルース・リーのカンフー・アクションへと推移する。そのアメリカで、東洋人の格闘のイメージが忍者と結びつき、80年代から、日本の忍者ブームに後続する形で、全米で忍者ブームが起きたのだ。1981年(=昭和56年)公開の『燃えよニンジャ』(Enter the Ninja)が火付け役となったことは明白だが、無論これは『燃えよドラゴン』(Enter the Dragon)(1973年=昭和48年)からの流れである。こうして忍者ブームの本場は昭和の国内からアメリカへ移った。更に中東、東南アジア、旧ソ連へと拡大し、昭和に換算すると90年代に当たる2015年以降も、世界のどこかでブームの再燃が繰り返されている。

 

つまり、現代人が「正しい」と感じる日本の忍者像は、昭和に入る時期から派手でファンタジックな妖術使いではなく地味な服装のものへと変化し始め、文明開化に合わせて大人しくなり敗戦で等身大になるという流れで、昭和90年代に当たる今日の、黒装束や手裏剣を身につけて集団で戦うそれに至るのだ。

 

一方、「”間違った”忍者」は、フェミニズムの隆盛の影響でヒットしたブルース・リーの『燃えよドラゴン』に端を発する東洋人のカンフー・アクションや、その後の、日本国内でブームになった黒装束の忍者のイメージを踏襲した『燃えよニンジャ』で、日本人唯一の百万ドルスター、ショー・コスギが演じたようなものだ。それらの忍者のエッセンスは、主人公が父殺しを行ったり、孤児だったりするというアメリカの歴史観を反映した設定のコンテンツである『スターウォーズ』や『バットマン』などと共鳴もしている。ブームが世界中に広まるうち、忍術は武道の一つであるとされ始め、世界中に忍術道場があらわれた。忍術道場のカリキュラムは主に格闘技であるから、この時期にニンジュツという名称の創作格闘技が新たに考案され、広まったと考えれば、日本人にもイメージが容易い。そういった現象を背景に、『忍者タートルズ』(1984年=昭和59年〜のアメコミ、アニメ)は道場の師から忍術を習った存在たちが、師の敵討ちをしてゆく筋書きの忍者モノとして大ヒットしたのだった。

 

こうしてみると、確かに日本国内の、一族の秘伝や一子相伝で忍術を伝える忍者像と、開かれた道場で学んだ忍術で、父殺しを行ったり孤児だったりするヒーローとしてのアメリカ的忍者像の間には乖離があるかも知れない。しかし「正しい」とされる忍者像も、先に述べたように、歴史の一次史料の中でほとんど確認できない、オリジナルが有耶無耶なものである。また、時代感覚に沿いながら絶え間なく変容、多様化していった、オリジナルとは懸け離れたシュミラークルでもあるのだ。

しかしこの場合、我々にとって学問的に裏付けられた史実の忍者はどうでも良い。世界は必ずしも書籍やネットなどの情報が整っているわけではなく、断片的な情報を頼りに「将来は忍者になりたい」と願いながら忍術道場に通う人物が偏在する。そして同時に、「忍者になれるわけがない」と発言する者がイメージする忍者も、別のあやふやな像でしかなく、実際の忍者を知らないまま、「忍者にはなれない」と決めつけているのにすぎない。言い換えればドングリの背比べだ。

『動物化するポストモダン』が発行されたのが2001年(=”昭和76年”)。形式化した萌え要素を追いかけるのが当たり前となった今、黒装束で手裏剣を打つスパイや暗殺者としての「しのび」もキャラクター化し、動物的な欲求を手軽に満たせる即物的な道具となっている。それも、心理学者のカートランド・ピーターソン『Mind of Ninja』によれば、暴力と残酷さを有した忍者は、我々がずっと抑えてきた自分の暴力と残酷さの表れであり、だからこそ我々は無意識に忍者に惹かれるのではないかと解釈される。つまり忍者はいわば現代流の新しいシャドウの表象にもなっており、同時に「ヒーローとシャドウの共存」という存在でもあるのだ。現代人が即物的に求めては充足するブームのイメージの一つを「ヒーローとシャドウの共存」であるとすると、それは正にNinjaが最もしっくりくるキャラクターであり、忍者/Ninjaの特殊性はそこに尽きる。以上のような見方をしていくと「忍者になりたい」と願う者が欲しているものがどういう欲求なのかも、違って見えてくるだろう。シャドウとヒーローのせめぎ合い、つまり日常生活でヒーローの役割を担いながら、ヒーローになるために手放さねばならなかった要素への回帰願望も断ち切れない戸惑いと、その迷いを解決する妙案として、その人物の中に忍者は在るのだ。

 

いま、イスラム圏のイランで、忍者や忍術が大ブームとなっている。それは決して、忍者モノと呼ばれるコンテンツを視聴して楽しむといったものではなく、みずからが忍者になろうとする活動のことだ。そう言ったニュースを見聞きして呆れて笑い飛ばすのがいわゆる一般的な日本人のリアクションかも知れないが、本当にそれだけでいいのだろうか?「外国人の間違った忍者像だ」という笑い方をした場合は、日本人でも五十歩百歩なのは本稿で明らかにした。イスラム圏の、どうやら女性の比率が高いらしいが、とにかく大勢が忍者になりたがっている現象を、これは抑圧された要素の承認への切実な欲求だという視点から考えれば、もう看過はできまい。彼、彼女達の中にある、抑圧を受け入れながらも戸惑う気持ちが忍者という表象と一致し、戒律が厳しい中でも参加可能な新しい創作格闘技という形で噴出しているとなれば、この忍者ブームは重大な社会現象の一種にカウントしておかしくないムーヴメントである。奇しくも全米忍者ブームのきっかけがフェミニズムの潮流であったように。

 

それでも海外の忍者と日本の忍者はまるで別のものだという主張があったとしても、今後どうなるかわからない。なぜなら2000年代から、ドイツ、イギリス、アメリカ、ウクライナなどで、日本に昔から残る忍者や忍術の、「正統の秘伝書」に当たる文献が、次々と出版されているからである。日本で、忍者に興味がある者なら誰でも一度は調べてみたことがある『正忍記』や『万川集海』をはじめ、『忍秘伝』や『甲賀流忍術伝承』『軍法侍用集(忍びの巻)』他諸々の、今まで国内にしか存在しなかった専門書が、様々な言語に翻訳されたのだ。

日本人がイメージする忍者像が、かなりあやふやではあっても、まだ史実に近い方のものだったのは、以上のような忍者に関する文献に恵まれていたからでもある。だが忍術古典著作が海外にも渡ったこれからは、海外での忍者研究が盛んになり、日本人がイメージする忍者像より、海外の人々がイメージする忍者像の方が「本物の忍者」に近い状態になることだって充分にあり得る。そうなっても、まだ日本の人々は「外国人がイメージする忍者は間違いだ、そもそも忍者になれるわけがない」と嘲笑していられるだろうか、いや、できない。既に世界では、忍者は日本特有のものではなくなっている。忍術は道場に通えば習うことができる。忍者の研究が進めば忍者像も変化してゆくに相違ない。

忍者像だって、昭和レジームにのっとりながら、歌舞伎の自来也や石川五右衛門のイメージからどんどん変化していった。”昭和90年代”にもなった今、そろそろ新しく更新されておかしくない。そしてその頃、忍者研究や忍者像、忍者ブームのメッカは、おそらくもう日本国内ではないだろう。

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