印刷

ハロウィーン化する現代

かつて祝祭という言葉は「非日常」という言葉とセットで語られてきたが、現代においてはもはや日常/非日常の境を自明なものとして語ることはできず、祝祭と日常にはっきりとした境目を認めることはできないだろう。それどころか、現代の我々は「祝祭と一体化した日常」を超え、祝祭のネガとしての――それも現代的な祝祭のネガとしての――日常を生きているのではないだろうか。

いうまでもなく、twitterやFacebookに代表されるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)はもはや日常の一部となっており、またSNSは日常と祝祭の境目を消失させるツールでもある。例えばtwitterの場合、TL(タイムライン)には自らにとって親密である対象(友達・好きな芸能人など)の「つぶやき(ツイート)」のみが流れてくる。まれにRT(リツイート)という形でノイズが入り込むが、多くの場合RTされたツイートよりも、「なぜ親密な誰かがそのツイートをRTしたのか」という、親密な対象の意図のほうに興味が向けられる。このようにSNSはあくまで日常の再生産にこそ奉仕するツールであるのだが、同時に「炎上」や「トレンド」による「祭り」が常時おこり続けている場所でもある。日常の中で行われたつぶやきが、意図せざる形で拡散され「トレンド」入りし、場合によっては「炎上」までしてしまうSNSという場を、「祝祭と一体化した日常」と名指したとしても、言い過ぎではないだろう。

SNSの広がりが、日常のための祝祭ともいうべきデモの広がりに貢献したという事実は、だから全く驚くに値しない。むしろここで問題とすべきなのは、ここまで上げられた固有名「twitter」・「Facebook」や、現在最も盛んにおこなわれている「デモ」である安保法案に反対するデモが、ことごとくアメリカとかかわりがある、という事実である。全く作為を働かせずとも、現代における日常と祝祭の問題を語る際には、必ずアメリカと深くかかわる固有名を持ち出さねばならないだろう。さらにいま日本には、SNSの発展とともに規模を拡大し続けている(あのクリスマスをも超えそうな勢いで!)アメリカ由来の祝祭がある。それがハロウィンである。

ハロウィーンは明確な起源を持っていない。ケルト人のサムハイン祭が起源であるとされているが、「ハロウィーン」という単語自体はカトリックの祝祭である「万聖節(all saints’ dayが正式な名前だが、しばしばall hallows’ dayとも呼ばれる)」の前夜(all hallows’ eve)に由来している。なお、カトリックを含めた多くのキリスト教はall hallows’ eveおよびハロウィーンを祭日として認めておらず、時代や地域によっては異教や悪魔の祝祭としてハロウィーンを弾圧していたこともあった。とはいえ、現代の我々が想像するようなハロウィーン――カボチャを切り抜いて作ったジャック・オー・ランタンやお化けのような案山子を飾り、子供たちが怪物の衣装をまとい、家々を巡ってお菓子をねだるハロウィーン――が成立したのが、19世紀後半に多くのスコットランド人が移住した新大陸においてであったことは間違いない。「Trick or treat」というハロウィーンの代名詞とも言いうる文句も、1930年代のアメリカで定着した(注1)。

現代のハロウィーンの大きな特徴の一つである「商業主義」も1980年代のアメリカ由来である。特に日本には、まさに商業的な目的のためにハロウィーンが輸入された。1979年における映画『ハロウィン』の公開(アメリカでは1978年公開)を除けば、日本におけるハロウィーンの最初の本格的な導入は1997年における川崎ハロウィンパレード、そして同年に東京ディズニーランドで行われた「ディズニー・ハロウィーン」というイベントであり、どちらも商業的な手段としてハロウィーンを導入している。このように日本においてハロウィーンは初めから商業的なアイコンにすぎなかったのだから、お盆と比べて明らかに、悪霊を含めた死者が現世にやってくる日である、という認識が薄いのも当然であるし、また1990年代に一般恐怖症として認知された「サムハイン祭フォビア」(バレンタイン恐怖症)が日本においてなじみが薄いのは、異教徒の祭りとしてのハロウィーン(悪魔や髑髏といった表象と近しいものとして扱われたハロウィーン)というイメージを日本人が持たず、ただ空虚なアイコンとしてのみハロウィーンを認識しているからだろう。とはいえ消費社会における商業的なアイコンとして日本にやってきたハロウィーンは、すぐに日本に定着することはなかった。しかし水面下で日本の様々なカルチャーと結びつき、今となっては「ハロウィーン」は(ずいぶんと形を変えてしまったとはいえ)日本の重要なカルチャーの一つとなっている。

ここで、ハロウィーンを「アイコンとしてのハロウィーン」と「カルチャーとしてのハロウィーン」の二つに峻別しよう。「アイコンとしてのハロウィーン」とは、ジャック・オー・ランタンや案山子、ゾンビといったハロウィーンらしいアイコンのことを指し、他にも毎年十月になると百貨店などで売られる「祝祭としてのハロウィーンそのものとは関係がないが、ハロウィーンっぽいアイコンによって装飾された品々」も広義の「アイコンとしてのハロウィーン」に含む。それに対して「カルチャーとしてのハロウィーン」とは、祝祭としてのハロウィーンを指し、最も想像しやすいものでいうと「Trick or treatと言いながら家々を回りお菓子をもらうこと」などを指す。日本の場合、「カルチャーとしてのハロウィーン」は決して定着しているとはいいがたく、一部の自治体などで行われているにすぎない。それにたいして「アイコンとしてのハロウィーン」が街にあふれていることは、わざわざ言うまでもないだろう。

この事実には何も驚くべき点はない。「川崎ハロウィンパレード」にしても「ディズニー・ハロウィーン」にしても、「アイコンとしてのハロウィーン」を身にまとっただけの、「カルチャーとしてのハロウィーン」とはまた別のカルチャーであったのだから、そもそも「カルチャーとしてのハロウィーン」は日本に定着するはずがなかった。それどころか現代の日本において「ハロウィーン」は、「仮装とパレードが一体となったもの」としか認識されていないのではないだろうか。例えば東京ディズニーランドは、2002年から「ディズニー・ハロウィーン」をキャスト(スタッフ)のみならずゲスト(来場客)も全身仮装して良いイベントとしたが、そこでゲストに求められた仮装はハロウィン的なアイコンの仮装ではなくディズニーキャラクターの仮装であった。さらに、少なくない数の観客がディズニーともハロウィーンとも無関係な仮装をするようになったために、2005年に「ディズニー・ハロウィーン」における全身仮装が禁止されてしまった。

ここで、ハロウィーンそのものを峻別する必要に迫られた。祝祭としてのハロウィーン(「カルチャーとしてのハロウィーン」)と、日本型「ハロウィーン」である。日本型「ハロウィーン」は先のディズニーランドの例に限らず、コスプレイベントと変わりなくなってしまったハロウィーンのことを指す。とはいえ、ハロウィーンとコスプレの結託は日本だけに限らず、アメリカにおいてもハロウィーン衣装の過激化(露出の多い衣装)が問題となっており、日本においてコミケのコスプレイヤーの服装が年々過激になっている事態とパラレルである。日本のように「ハロウィーン」そのものがコスプレイベントと変わりなくなってしまうほどではないにしても、ハロウィーンの仮装とコスプレは全く違う起源をもちながら、似たような道を歩んでいることも、疑いようのない事実である。

「アイコンとしてのハロウィーン」や日本型「ハロウィーン」は、もはや日本のカルチャーにおいて大きな位置を占めており、現に東京ディズニーランドは2015年から「ディズニー・ハロウィーン」におけるゲストの全身仮装を再び認めるようになった。先に述べたとおり日本型「ハロウィーン」の拡大にはSNSが大きな役割を果たしており、毎年のように十月には「アイコンとしてのハロウィーン」をとりいれたコスプレ画像がtwitterやFacebook、instagramに挙げられる。無論コスプレ画像の中には、ハロウィーンとは関係のないキャラクターに「アイコンとしてのハロウィーン」を取り入れただけのものも多い。

このように日本型「ハロウィーン」とは、内実のない、ファッション=形式だけが重視される空虚な祝祭である。その空虚さを埋めるように、「アイコンとしてのハロウィーン」ばかりが映像や画像を通して増殖され、各々のアイコンの由来・意味・イメージはすべて捨象され、ただそのアイコンが我々の情動を惹起させるかどうかだけが問題となる(先に挙げた、ハロウィーン衣装の過激化が良い例だ)。日本型「ハロウィーン」のこういった空虚さは、まさに「スノッブな動物」としての、つまり形式としての「猫耳」に情動が惹起されてしまう、現代の日本人の性とパラレルなものであろう。しかし、同じく空虚な形式であるアニメが東浩紀が『動物化するポストモダン』で指摘した通り、アメリカ由来のものであるならば、同じく空虚な形式である「ハロウィーン」もアメリカ由来というのは、いったいどういうことなのか。

今となっては混ざり合ってしまった両者であるが、形式としての「ハロウィーン」のほうが、形式としてのアニメよりも歴史が古い。すると、われわれの空虚な生を規定したのは、むしろハロウィーンのほうで、我々はハロウィーンのネガとしての生を生きているのではないだろうか。

 

(注1)「Trick or treat」という言葉自体は中世紀ヨーロッパのAll souls’ dayに由来し、ハロウィーンにおける最初の「Trick or treat」の使用例はいたずら好きな若者たちが「Trick or treat」と言いながら家々を回る、という1927年にカナダ中西部のアルバータ州で起こった事件に見いだせる。とはいえ、「Trick or treat」がハロウィーンの習慣として定着したのは、アメリカにおいてであるようだ。詳しくはリサ・モートン著、大久保庸子訳『ハロウィーンの文化誌』(原書房、2014年)第三章を参照のこと。

文字数:4275

課題提出者一覧