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さらされたる詐術―「Mindscape」(邦題「記憶探偵と鍵のかかった少女」)について

「Mindscape」(2013)につけられた「記憶探偵と鍵のかかった少女」という邦題は、明らかに間違っている。そう、「明らかに」間違っているのだ。しかし、ここで問題とすべきなのは何が間違っているのかではなく、何故間違えてみせたのか、である。どういうことか。結論を先取りするならば、「Mindscape」に仕掛けられた二つの詐術を見事に読み取った人間が仕掛ける、三つ目の詐術こそ「記憶探偵と鍵のかかった少女」という邦題なのである。

そもそも「Mindscape」は、記憶探偵が少女の心の鍵をアンロックし、隠された記憶を手に入れるという物語ではない。ヒロインのアナは、充分すぎるほど自らの記憶をさらしているからだ。むしろ「Mindscape」は主人公であるジョンが挫折(アナと出会い、彼女の拒食症の治療をするうちに彼女に「感情転移」してしまい、利用された挙句殺人の寝れ衣までかぶせられ、刑務所に入れられる、という出来事)の果てに元妻への未練を断ち切り、新しい女性と再スタートを切る物語である、というほうが正しい。彼を挫折から立ち直らせたのは、ジョン曰く「真実」である。物語の結末部において「記憶とは妙なもの 完全には信用できない」と視聴者に語りかけるジョンは、その言葉と対置させる形で「時として あなたを救えるのは真実だけ」とも語る。作中何度もヒロインであるアナの記憶と周囲の証言、また状況証拠との食い違いが起こるという「真実の確定し難さ」が描かれるこの作品において、それでも客観的な「真実」はあり、そのような「真実」に救われたのだと語ってみせる結末は、まさに韓国や中国との歴史認識のずれという「真実の確定し難さ」に悩む現代日本において、希望のメッセージとなるだろう。

「真実」について詳しく見ていこう。「Mindscape」は三つの世界から構成される。一つ目は現実の世界。作中人物達が実際に暮らす世界である。二つ目は主人公であるジョンの記憶の世界。他人の記憶を覗き見る能力を持つラグレン(そのような能力を持った人物は作中「記憶探偵」と呼ばれる)がのぞいている世界。三つ目はヒロインであるアナの記憶の世界。二つ目の世界の中で、記憶探偵であるジョンがのぞいている世界である。注意が必要なのは三つめの世界だ。アナの記憶の世界は、しばしば脚色されている。例えばアナの記憶の世界に現れた「マウシー」と呼ばれる少女。彼女は実際に居た短髪の少女に、別の少女のあだ名である「マウシー」を組み合わせることによって生まれた存在である。つまり、記憶の中で「マウシー」と呼ばれていた短髪の少女は実際には違うあだ名で呼ばれており、「マウシー」と呼ばれていたのは別の少女だったのだ。また短髪の少女は、実際には居合わせなかった事件の現場に、アナの記憶の中では居合わせたことになっていた。つまり実際にあった事件と過去に存在した無関係の人間が組み合わされているのである。このように、実際にあった事や実際にいた人物同士のパッチワークを用いて、アナは記憶を脚色し、虚構化してしまう。

このように記憶の世界とは、脚色可能な疑わしいものである。そのため物語内においても、記憶探偵の見た記憶の疑わしさが社会問題となっているのだが、重要なのはこのような事実が逆説的に「現実の世界」を「客観的な真実」として保証する点である。ここに疑わしい記憶と客観的な現実という二項対立が生まれ、ジョンのいう「真実」とは「客観的な真実」(ジョンが冤罪であること)を指すことになる。

しかし「真実」という言葉の意味は、また違った方向にも差し向けられる。どういうことか。

ジョンがアナの記憶を覗く理由は、彼女の拒食症の治療である。そして治療のために過去の記憶から拒食症を誘発したトラウマを探るという方法や、ジョンが記憶を覗く一連の過程を「セッション」とよぶことなどから、あからさまな精神分析への目配せを見て取ることができる。すると拒食症の原因であるトラウマ(記憶)を持つアナが、症状の「真実」(原因)の保有者となる。しかし「セッション」において、アナは次第に、実際にあった出来事や実際にいた人間同士を組み合わせ、虚構の記憶を作りだすようになる。言い換えるならば、真実の保有者であるアナは、真実と真実のパッチワークによって虚構を作り上げるようになるのだ。無論ジョンは彼女の記憶の真偽を疑う。しかし結局は「感情転移」を利用され、アナの記憶を信じ込んでしまう。ここで注目すべきなのは、アナの記憶をジョンが信じ込む、つまり本物だとお墨付きを与えることによって、真実と真実のパッチワークでできた虚構が、再び真実となっている点である。アナによる虚構の自立化(真実化)、これこそが一つ目の詐術である。

図式的に整理しよう。アナの記憶の真偽を判定するのは、ジョンの記憶の世界におけるジョンのみである。アナの起こした事件が父親の圧力によって不起訴処分となっており、ジョンのほかには調査する人間がいないからだ。ジョンは結局、虚構であるアナの記憶を真実だと認める。この構図を敷衍しよう。ジョンの記憶の世界において、アナは両親を殺害した後、ジョンを犯人に仕立て上げる。そのための方法論は先と同じく、事実の断片をつなぎ合わせることによって、ジョンが人殺しをしたという虚構を作り上げる、というものである。その虚構は、司法によって真実と認められ、ジョンは逮捕される。

このように真実と虚構がめまぐるしく交代する「Mindscape」において、客観的な真実など想定できるのだろうか。いや、「Mindscape」の大半を占めるジョンの記憶の世界すらも、客観的な真実だとは呼べないだろう。しかし、結末部において彼は「真実」こそ人を救うのだといったではないか。「真実」とは何か。この場面が、ジョンによる観客への語りかけであったことを思い出そう。ジョンが保釈されたのが、ジョンの記憶を調査することによってであったことを考えれば、彼はここで自らの記憶を指して「真実」といっていることになる。そう、ジョンの目的とは、「時として あなたを救えるのは真実だけ」というメッセージを納得させることによって、観客に自らの記憶を「真実」だと保証させることにあるのだ。

整理しよう。客観的な真実を認めるかのようなジョンの語りに注目したとき、ジョンの言う「真実」とは、彼がアナの両親を殺していないという事実を指す。それに対して、真実と虚構の交代劇に着目した場合、「真実」が指すのはジョンの記憶の世界それ自体である。重要なのは、「真実」という言葉の意味が「同時に」二つの方向に差し向けられているという事実である。前者のメッセージは現代日本において希望のメッセージとなりうるものであり、そのために鑑賞者に受け入れられやすい。しかし、前者のメッセージを受け入れたとき、同時に後者のメッセージ―私の記憶が真実であることを保証せよ、というメッセージ―を受け取ってしまっているのだ。これが、二つ目の詐術である。

では、邦題が仕掛ける三つ目の詐術とは何か。

先に述べたとおり、アナの記憶には鍵がかかっていない。たしかにアナはジョンに記憶を見せるとき、しばしば脚色を加えていた。しかし脚色を加えようとも、都合の悪い記憶までしっかりとさらしていた。例えば彼女の起こした殺人未遂事件。犯行の瞬間こそ省略されてしまっていたものの、彼女の犯行であると疑えるだけの情報は晒していた。つまり「セッション」において、アナの「抑圧」はほぼほぼ機能していなかったのだ。それだけではない。アナは、「マウシー」が虚構の人物であるという証拠の卒業アルバムをジョンに渡していた。さらにジョンに濡れ衣を着せるため、彼のパソコンにポルノ画像をダウンロードした時も、彼のパソコンをいじくり、何かしらのファイルをダウンロードしたという事実そのものは晒していた(バラのスクリーンセーバー)。アナという少女はまさに、ツイッターやFacebookで自らに都合の悪い(はずの)犯罪までをも晒すことによって自らのナルシシズムを強化するという、「抑圧」の機能しない現代―立木康介が「人々が自分の『心』を公開しあう時代」(注1)と呼ぶ現代―を、反映したような人間なのだ。彼女にとって大事なのは隠すことではなく、むしろどのような形で晒すか、なのである。

邦題は「Mindscape」の中心を、ジョンによるアナのトラウマの発見という、物語冒頭の「セッション」においている。そのことによって起こるのは、典型的なドラマの失効である。どういうことか。「真実」の指す一つ目の意味、客観的な真実がジョンを救ったという意味は、挫折→元妻への未練を断つ→再出発という、典型的であるがゆえに心地よいストーリーから発せられるシンプルなメッセージとして、非常に納得しやすい。そのことが第二の意味の目くらましとなるのだが、邦題は「セッション」に注目させることによって、典型的なストーリーではなく、第二の意味を生み出す、真実と虚構の交代劇にこそ注目するように強いる。三つ目の詐術とは、「明らかに」間違えて見せることによって、物語の中心をずらし、隠された第二の意味を「明らかに」する運動そのものを指すのだ。

 

(注1)立木康介『露出せよ、と現代文明は言う―「心の闇」の喪失と精神分析』(河出書房新社,2013年)

 

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