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「汚辱」という名をつけられた者たち

”普遍的ないかなる真理も主張せず、思想におけるパラドックスをとりだし、哲学を絶え間ない問いだという限りにおいて、懐疑的な思想家であり続ける”——あるインタビューで指摘されたこの人物像は、ミシェル・フーコーという哲学者像を的確に表している。名だたるフーコーの著作には、どの時代にも通用するような絶対的な主張は登場しない。例えば『監獄の誕生』では近代以前の処罰から近代以降の監視を、『知への意思 性の歴史Ⅰ』では17世紀以降の性との関わり方を、それぞれ当時を生きた人々の記録を丹念に観察するが、そこには恵まれない人々を憂う言葉やあらゆる時代に適用せんとする力強い主張は見られない。事実や主体をあらゆる力の総体だと考える彼は、特定の生き方や考え方を賛美することはない。だからこそ、当時の人々を取り巻く権力の関係を描くことによって世界のありようを解読しようとしたのである。

ところが、1977年に古文書研究企画の序文として寄稿した「汚辱にまみれた人々の生」では勝手が異なる。彼はここで、ある種の人生を最も報われることのない「汚辱」な生だとはっきり言い切っている。それは実在しなかったかのように扱われ、それでも生き延びるためにやむなく権力と衝突せざるを得ない、それが英雄譚としてでも大罪人としてもでない失敗者としてたまたま我々の時代にテクストとして伝わってしまった生のことだ。フーコーはこれこそが厳密な意味での人間の生における決定的な「汚辱」だと強く言い切るのである。

内容を詳しく見てみよう。「私が望んだのは、常に実在する者に関わることだった」と言うフーコーは、名もない人物の姿を捉えたディスクールを論考対象に選ぶ。とはいえ、いかなる偉大さとも関わりを持たない人々は後世に残るようなテクストを残すことも、その活動に焦点を当てた記述が残されることもない。名もなき者に歴史の光が当るのはたった一点、彼らが何らかの形で権力と関わりを持ったときである。そんな場面の一つとしてフーコーは、1660年から1760年というごく限られた時期に見られる「請願状」に注目する。請願状は「王の気まぐれ」に訴えかけることで、名もなき者たちに「厄介な人物を監禁してもらう権利」を与える。彼らは王に悩みを告解することで暴力を振るう夫を、酒癖の悪い隣人を処罰の場に送る、間接的な権力を行使する立場に立てたのである。しかしフーコーは、同時にこのディスクールの中に異彩な閃光を見て取っている。扱われる事実があまりに些細であり、それに返答する権力者の文言も定型的なのに対して、下賤な身でありながら主張を聞き遂げてもらおうとする彼らの告解は過度な荘厳さ、そして悲痛さを帯びるのである。

かくも担い難き煩悩に押しひしがれ、一商人たる私デュシーヌは、畏れかしこみ申し上げる信頼とともに、厳粛なるいと高き王の御膝元に身を伏せて、ありとある女どもの中でも較べる者なく厄災の妻に対する正義の決戦を請願致したく。……(中略)四人の子どもらを父より無秩序の恐るべき範例をしか授けられませぬ。いと高き正義の御殿、子どもらをかくも恥ずべき教育からの放免を願い奉り。この私及び我が家族をこの恥辱からの放免を願い奉りまして、御社会に災い以外の何者も成すことなきかの悪しき市民たる者に、いかなる不正を成す辞退からお解き放ちたまわらんことを!

キリスト教における神前での告白、近代警察制度における告発、そして日常にまで行き渡る調査と記録の中で行われる語りや精神分析で行われるトラウマの語り……。人々は権力者によって語ることを強制され、それを通して規律化された主体を形成する。一方で請願状での告解は、名も無き者が下から権力に働きかける。フーコーと親交の厚かったドゥルーズは、高位が下位に与えるという一般にイメージされる権力とは異なる力関係の表れに焦点を当てた「汚辱にまみれた人々の生」を高く評価する。権力が発生するのは権力者からだけではない。力関係が存在するところならいかなる場所でも、権力は生まれうるのである。

しかし一方で、フーコーは同書の中で主体を、社会を、世界を、全てを権力の関係として処理してしまう自己の哲学を憂慮している。「私たちは一線を越えること、別の側に移動することができないままでいる……相変わらず同じ選択、権力の側に、権力が言うこと、言わせることの側にいる」――『知への意思 性の歴史Ⅰ』以降のフーコーはこの問いに答えるかのように倫理学や道徳など自己の統御について考えを巡らせることになる。また同じく、ドゥルーズによるフーコー論(「褶曲あるいは思考の内」)もこの言葉を出発点に思索を展開する。ここでドゥルーズは、ディスクールを探ることで汚辱の存在でしかないはずの名も無き人々のどこかに偉大さを見つけようとしたフーコーを『快楽の活用 性の歴史Ⅱ』内の表現「自分自身からの離脱」と結びつける。自己から離脱して広い世界の力関係から主体を構成すること、これは逆の視点をとれば外部としての世界を内部化することだ。これを同一のものの再生産ではなく異なるものの反復としての「分身」と呼び、それがフーコーという思想家を貫く主題だと指摘したドゥルーズは、それを足がかりに主体像をあらゆる像が折り畳まれた地層だと形容した。曰く主体は自身の物質的な部分、力関係、知、外との間としての襞に囲まれ、絶えずうねりを繰り返すことで主体化を行うのである。

だが、この分析は「汚辱」に関するフーコーの興味の半分を、完全に捨象してしまっている。名も無き者の中でも請願状にまつわる人々がフーコーの目を引きつけたのは、何より彼らのディスクールが歪だったからに他ならない。どうあがいても現実に対処する力を持たない無名の人間がそれでも権力者に必死に訴えかける、下からの権力としてのディスクール。しかしその必死さが溢れるからこそ、そこには場違いに格式張った、大げさな表現が飛び交う。狭い世界に生きる矮小な主体が慣れない筆をとって綴った言葉は、だからこそ異様な形で現実に接近しようと試み、結果として悲壮でありながらもコミカルな哀れさを醸しだしてしまう。もちろん、フーコーが彼らの言葉を借用したのは、ドゥルーズが言うように下からの権力の一例を示してみせるためだろう。しかし、これを専制君主の気まぐれではない複雑な力関係の所産だといえるのは、紛れも無く哀れで救いのない人生が文字の向こうから染み渡ってくるこの請願のディスクールのためではなかったか?故にフーコーはその生に「汚辱」という名前を付けた。上下が入り乱れる力関係の現れが主体ならばその生に優劣などない。それは丹念に記述を追わんとするフーコーの文章からも明らかだ。なのに彼は、下からの権力の一例にすぎない人々に名前を与えるほどに感情を揺り動かされているのである。

だとすれば、ドゥルーズのフーコー論には決定的な見落としがあったことになるのだろうか。ドゥルーズが示したダイアグラムには、主体という地層に組み込まれない二つの外部性が存在する。その一つが言表である。ならば、単なる言説以上の関心をフーコーに抱かせた請願状を主体の領野に囚われない言表だと仮定してみよう。「可視性」(もう一方の主体に組み込まれない外部性)と「言表」の区別こそがフーコーの全著作に渡る関心だったとドゥルーズは考える。故にこれらのはっきりとした定義付けは容易でないが、ドゥルーズは言表を様々な水準を貫通し、時間と空間の中に具体的な内容を備えてそれらを出現させる、主体を三人称として派生的な機能としてのみ保存する多様体だと定義する。それは直接的な言説として目に見える存在ではないが、隠された存在ではない直接的な機能として主体に働きかける。つまりそれは、まさにフーコーが長年観察を続けていたテクスト群の中に見出そうとしていたものに他ならない。

ここで我々は奇妙な結論に達したことになる。フーコーが汚辱という普段にない接触を試みた請願状を、ドゥルーズの論にならってその主体に取り込まれないもの=言表だと考えた。しかしそれは、一人称の個人に還元されない主体に働きかける言葉なのである。言い換えれば、日の目を見ないものに光を当てるというフーコーの願いは成就した。絶対に救われない者たちの独りよがりで必死な言葉は、それ故にフーコーに並々ならぬ関心を抱かせ、だからこそその言葉は今も私たちの目に届いている。フーコーという丹念な系譜学者の心を揺さぶったディスクールは、それによって歴史の日が当たる場所に姿を表した。まさにそのことこそが、名も無き者たちの請願状が言表として、歴史を構成する語となった証左なのである。

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