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幹線道路を走っても、どこにも辿り着けない ――僕らはどうして、CDショップの棚に手を伸ばすのか――

 

2015年10月、日本でも満を持して開始したマイナンバー制度だが、世間の評価は芳しいとは言えない。これまでの政府組織の度重なる情報漏洩に加え、これを国民総背番号制――監視社会の始まりと結びつけるからだ。とはいえ、諸情報と個人の結びつきは資本主義の次のステージと考えることも出来る。目に見える差異から購買という陽動を駆動させるのが従来の資本主義だとしたら、自分にも見えなかった個人情報の集合から欲望を駆動させるのがビッグデータだ。ビッグデータは未だ見ぬ遠い世界ではなく、最も近くにいる自分の中から新たな欲望を喚起させるために存在する。

ところで、そのビッグデータを最前線で扱う企業がカルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下CCC)だ。CD・DVDレンタルのTSUTAYAで有名なこの会社は1983年、レコードレンタル兼カフェの蔦谷書店としてオープンした。レンタルショップに過ぎないCCCがなぜ、知の最先端たるビッグデータひた走るのか。本稿が扱う論点はここにある。

 

レンタルレコードは1980年に立教大学生の大浦清一が開始。瞬く間に話題を呼び、翌年末に店舗数は1700にも及んだ。とはいえ、違法ともいえる事業に反発がなかったわけではない。1983年、大手レコード会社13社がレンタル会社4店に著作権の侵害として貸し出しの禁止を訴え、日本音楽著作権協会を巻き込んだ「貸レコード問題」が勃発する。最終的にレンタルは認可され、1989年には現在に近い形で著作権にCDやレコードの貸与権が認められ騒動は終結した。レンタル業界発展の歴史は、著作権をめぐる争いの歴史でもあったのだ。とはいえ、この1989年を境にレンタル店の数は減少の一途をたどる。原因はレコードの衰退や貸与権に伴うレンタル禁止期間やメーカー・アーティストの支払いなど様々だが、レンタルビジネスの栄華は80年代というごく限られた時代にとどまってしまった。

では、80年代の象徴であるTSUTAYAは現在どのように受容されるのか? それは地方の均質化(=ファスト風土化)の象徴としてだ。都会にも大都市にも満たない、しかし田舎とも言い切れない半端なロードサイド。地域性が存在しない、どこに行っても似たような風景。『ここは退屈迎えに来て』冒頭で、この景色は次のように描写される。

大河のようにどこまでも続く幹線道路、行列をなした車は時折ブレーキランプを一斉に赤く光らせ、道の両サイドにはライトアップされたチェーン店の、巨大看板が次々と連なる。ブックオフ、ハードオフ、モードオフ、TSUTAYAとワンセットになった書店、東京靴流通センター、洋服の青山、紳士服はるやま、ユニクロ、しまむら、西松屋、スタジオアリス、ゲオ、ダイソー、ニトリ、コメリ、コジマ、ココス、ガスト、ビッグボーイ、ドン・キホーテ、マクドナルド、スターバックス、マックスバリュ、パチンコ屋、スーパー銭湯、アピタ、そしてイオン。(山内マリコ,2012『ここは退屈迎えに来て』)

『ここは退屈迎えに来て』は、現状に満足できない女性の姿を紡いだ8つの短編だ。新星堂もタワーレコードもない街で、小さなTSUTAYAのCDで満足する人々に物足りなさを覚える彼女たち。けれど、そんな自分も周囲と変わらない退屈な人生を歩むはずだし、歩むべきだとも分かっている。とはいえ、必ずしも後ろ向きな姿勢ばかりが描かれるわけではない。東京に行けば、あの人とつきあえれば、私の人生はきっと輝く。震災の心細さから里帰りした30歳のライターを革切りに、年齢の異なる8人の姿が時代を遡航するように描かれる。

そんな彼女たちの心情は、内田樹がいう「辺境人」の姿勢にピタリと符合する(※1)。内田は、ルース・ベネディクト『菊と刀』に描かれた日本兵のアメリカ軍への態度に辺境人としての心性を見出す。米軍の捕虜となった日本兵は、自ら進んで米軍に協力したという。

その場において自分より強大な者に対して、屈託無く親密かつ無防備に協力してみようとする傾向は軍国主義であることと少しも背馳しない。……つねにその場における支配的な権力との親疎を最優先に配慮すること。それが軍国主義意泥ギーが日本人に繰り返し叩き込んだ教訓だったからです。(内田樹,2009,『日本辺境論』)

日本人の辺境思想は、軍国主義時代に限られたものではない。古くは邪馬台国女王卑弥呼の朝貢から近年ではアメリカに続こうとする社会改革まで、地理的にも政治的にも日本人は圧倒的な強者を前提に指針を決定する。

『ここは退屈迎えに来て』の8つのエピソードは、椎名という男の存在によって貫かれる。ときには都会の象徴として、ときには恋心として、ときには安定した父親像として、憧れの対象としての椎名をきっかけに物語は駆動する。辺境人たる彼女たちにとって、椎名はまさに「中心」だ。

物語は2011年に30歳を迎えるライターから徐々に、時代を遡る形で描かれる。椎名との関係を見るに同時代を生きているであろう彼女たちが生まれたのは1981年、蔦谷書店創業とほぼ同じ年だ。最も多感なティーンエイジを90年代という「失われた20年」の中で生きる彼女たちは、全盛期のTSUTAYAを知らない。ファスト風土の象徴として描かれるTSUTAYAは、レンタルの栄華を極めた80年代の姿をはぎ取られているのだ。

 

ファスト風土小説が80年代のTSUTAYAを描けなかったのなら、当時のTSUTAYAはどのような存在だったのか。バブル隆盛の80年代、自己は消費によって表現された。これまで高性能を謳っていた大衆広告は、この頃から購入者の自己表現を照準を対象にするようになる。次々に登場する新製品を身にまとうことで他者との差異は表出し、モノを持つことでアイデンティティを満足させたのだ(※2)。一見、モノを所有しないレンタルビジネスは時流に反するようにも思える。しかし、当時のレコードレンタルはテープへの録音を前提に成り立っているおり、モノを所持できない人でもダビングすることでヒット音楽を聞き漏らさずにいれる。換言すれば、レンタルは中心を消費が物を言う世界で金銭に余裕がない辺境人が、手軽に中心=ヒットチャートに食らいつくためのサービスだ。消費最盛期の80年代だからこそ、TSUTAYAは大衆に必要とされた。消費を繰り返すことでたどり着く中心に乗り遅れまいとする辺境人の欲望をTSUTAYAは見事につかみ取ったのである。

 

以上、80年から今に至るまでTSUTAYAが日本人の辺境思想を象徴する様を観察してきた。しかし、2006年にCCCから事業分割されていた株式会社TSUTAYAが2009年に関連会社を吸収合併、社名を株式会社CCCに変更、これをCCCが吸収し、さらには2011年には上場を廃止した。これらは、レンタル事業の業績悪化というよりもTポイント事業並びにこれを活かしたビッグデータ事業への転換だとする見方が強い。2011年はアメリカ国債が最上級のAAA+から格下げになった年でもある。

辺境の地・日本の中心に君臨し続けたアメリカはかつてほどの威厳を保っていない。それを端的に表したのが、CCCの事業転換ではないだろうか。いまや、ヒットチャートというアメリカを頂点するピラミッドの影は、日本全土を覆い隠すほどの力を持っていない。とはいえ、我々にはアメリカが象徴する資本主義に変わるイデオロギーを見つけることはできない。辺境人は自らルールを創出するのではなく、定められたルールの中でより強い存在を目指すことで成長するからだ。辺境人としてCCCが見出した次なる中心は何か? それは自我という日光が当たることのない陰としての無意識だ。ビッグデータは無意識の活動に光を当てて新たな欲望を駆動させる、いわばヒットチャートを見ても何も感じない我々を購買に駆り立てるための代替システムなのだ。いずれにせよ、辺境人としての日本人は新たなルールを創り出せないのかもしれない。だとしたら、あの子に淡いあこがれを抱きながらも何も起こせない、気晴らしにTSUTAYAを物色していただけのあの頃と何が違うのだろう?

 

 

 

(※1)内田樹,2009,『日本辺境論』

(※2)浅野智彦,2013,『「若者」とは誰か』

文字数:3374

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