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ただいま五里霧中

1857年、黒船来航。人々は西洋を意識することになった。1868年、明治改元。人々は西洋のものを貪欲に取り込もうとする。シャツを着て、ズボンを穿き、髷を落として帽子を被る。そして牛肉を食らい、ビールを飲む。東京に変わった街に人力車が現れ、蒸気機関車が走り出す。庶民の生活が江戸から東京になることで一気に変わったのだ。だが、西洋の技術だけを求めたのではない。西洋の音楽、文学、思想まで取り込もうとした。その結果、多くのものが翻訳される。明治15年までに1000を越える翻訳があるらしく、政府から庶民が読むべき翻訳が提示される程だったのである。

 

福沢諭吉は、欧州の力の強さは自由闊達な個人の力が集まっているからだ、庶民が学習をして力をつけなければならないと判断し、一般庶民にも理解できるように平易で具体例を示しながら「学問のすゝめ」を著した。「学問のすゝめ」は300万部のベストセラーとなった。当時の人口が3000万人程度であるため、10人に1人は購入したことになる。それほどに普及したのは、西洋化とは何かを理解するための手引き書が必要だったと考えるべきであろう。だが、それを読み、呼応するように、自由民権運動が発生し、薩長体勢から大日本帝国憲法の制定、帝国議会の開設、民衆の選挙権の獲得へと動いていく。そして男女平等、部落差別解放へと続いていく。このように、自由とは何かを知った民衆は自分たちの意見を世の中に対して訴える行動を頻繁に行い、獲得していったのである。

 

つまり、明治、大正の多くの人々も自分の考えを伝えるために行動していたのである。なので、自分の考えの元に行動することが戦後教育の結果であるというのはちゃんちゃらおかしいのだ。それは明治以降の人々が獲得してきたものを否定するものでもある。

 

だが、その行動の行動は我々の性質にあっているのだろうか。夏目漱石はそのことに懐疑的なものを示す。西洋思想は、西洋人の内的要因で獲得したものであるが、日本の西洋化は外的要因からなされたものであり、日本人に合わないのではないかというのである。なるほど、狩猟民族である西洋人は、自らの考えで獲物を追ったり、逃げたりする判断を迫られることがあるので、自立した考えを持たなければならなかった。そしてその自立した個が集まって集団を形成するからこそ、臨機応変に物事が対応できるからこそ、世界の覇権を握ることができたのだ。それに対して農耕民族である日本人は、強烈なリーダーのもと集団で行動を取ることを得意とする。それは聖徳太子の十七条憲法の序文に「和をもって貴しとす」に置き、十条には他者に寛容になって和を乱すなということが書かれている。集団に所属する個という立ち位置となるのであろう。儒教の教えもこれに当たるのだ。日本的な性質と西洋的な思想。それを結びつけるために多くの人が挑戦するが、これぞという思想がなかなか現れない。

 

私たちは集団と個の間で行き来をしている。それは有史以来ずっと答えのない命題なのである。正解はなかなか得られない。しかし、正解が得られること信じて、仮の答えを積み上げていくしかないのである。そしてその課程こそが人間の成長なのであろう。

 

しかし、私たちの住む現代は、近代の思想と繋がっているのだろうか。戦前と戦後という線でばっさりと切られてしまっている。戦前を過去として切り捨ててしまっているのだ。戦後に入ってきたアメリカ文化を無批判に取り込んでしまっているのではないだろうか。そして戦後という線も1995年にばっさり切られてしまっている。windows95の発売とインターネットの普及により、現実とネット世界という境界線で我々は新たな社会性を身につけることを求められてしまった。そのため、ネット倫理という新たな倫理観を確立しなければならなくなった。

 

私たち日本人は先達達が積み上げてきた仮の答えを失ったのだ。多くの日本人が抱える日本的なものの根拠のなさはそこにあるのかも知れない。今まで積み上げてきたものを改めて獲得するため、近代、そして近世の思想を知る必要があるなと痛感させられる。

 

恥ずかしながら、今はこの程度のことしか言えない。

 

 

 

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