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理想と現実の二人三脚

熱海の海岸で大きな花火が鳴り響く。そんな中では彼らの言葉が届かない。届いたとしても彼らの言葉は反感を買ってしまう。「オモロイ」と思ってもらない。そんな彼らに明日はあるのか?

 

このように始まる「火花」はお笑い芸人の又吉直樹が著した小説だ。売れないお笑い芸人の実態が描かれていると言われているこの作品は、第153回芥川賞を受賞。そして発行部数をどんどんと重ね、200万部を突破した。来年にはネット配信のドラマ化も決定した。「火花」は社会現象になっている。

 

そのような「火花」は漫才コンビ「スパークス」の徳永が、熱海の花火大会で出会った「あほんだら」の神谷と師弟関係を結び、彼との交流、別れ、そして再会を描いている。

 

漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん

 

だから、唯一の方法は阿呆になってな、感覚に面白いかどうかだけで判断したらいいねん。他の奴の意見に左右されずに。

 

このように飲み屋の席で、居候先の真樹の家に向かう途中で、真樹の家で神谷が語る。それを徳永は盲目的に受け入れていく。だが、この三人以外はほぼ描かれていない。神谷の相方の大林も徳永の相方の山下ですらほとんど登場しない。徳永の後輩に当たる芸人やお笑いイベントの他の出演者、スタッフは固有名詞すら与えられない。唯一名前が与えられているのは、キャラクターが受け入れられて人気者となっていく「鹿谷」だけである。そのうえ「スパークス」や「あほんだら」がどのようなお笑いをやっているのかが全く分からない。

 

一本目の漫才であほんだらはおおきな笑いをとった。そして二本目では一本目と全く同じ内容のかけ合いをスピーカーから流し、二人は口を動かしながら動くだけの漫才を演じた。

 

すごいと思っている「あほんだら」の漫才ですらこのように要約と漫才として評価されなかった結果しか描かれていない。ちゃんと漫才として描かれているのは「スパークス」の解散ライブだけなのだ。そのため、読んでいても「あほんだら」が世間に受け入れられない事実と「スパークス」が深夜番組のレギュラーに選ばれるぐらいの人気を獲得したことしか分からない。これは本当に売れない芸人の実態を描いた小説なのだろうか。とてもそうは思えないのだ。

 

「火花」で描かれているの神谷のみである。最初に宣言しているように、この作品は神谷の伝記なのだ。徳永も語り部にほぼ徹している。徳永自身の事を語っていても、神谷を物差しとして語っているため、神谷が引き立つ形となっている。

 

神谷は、裕福な家庭で育った上、勉強もできて大学に進学し、おそらく中退している事が伺える。そんな彼は自分の力で何かをしたという実感がなかった。そのため、彼は何かをしたという実感を得るために、自らが生み出したもので評価されようとする。徳永はその神谷の姿勢に心酔し、弟子となったのだ。それは神谷の挑戦に対する承認でもある。

 

弟子を得た神谷は、自分を認めてくれる徳永のためにも、芸人としての自分の姿勢を貫き通さなければならない。そして徳永も、売れていなくても神谷の姿勢がぶれないからこそ、自分の姿勢を安心して貫くのだ。お互いがお互いを理由に変わることを避けている。自分が売れない理由から目を背けている。そしてずぶずぶと泥沼から抜け出せなくなっている。つまり、「火花」は売れない芸人の実像を描いた小説であると言えるだろう。

 

彼らのお笑いは自己表現なのである。神谷は自分のありのままをさらすことが芸だと信じており、それを徳永にも求める。スパークスが解散する際の漫才は、徳永の今まで積み上げてきた全てへの感謝が込められている、ありのままの気持ちがそのまま表現されていたことで、神谷もスパークスのファンもここまで読み続けていた読者も感動するのだ。だが、これをスパークスの漫才を初めて観たとしたらどうだろう。とても面白いとは思えない漫才である。いきなり解散する想いをぶつけられても困ってしまうよと。そもそも「さよならドラえもん」と「帰ってきたドラえもん」のパクリじゃないかと感じるはずなのだ。つまりこの漫才を良いと言えるのは、スパークスを知る人物に限られる。それはもはやお笑いだとは言えないのだ。

 

そして、又吉直樹のことを調べると、このようなものが現れる。

・実家は貧乏であった

・中学生の頃に芸人になると志し、そのことに邁進した

・インターハイに出られるほどのサッカーの実力を持っている

 

また、このようなものも現れる

・上京した又吉は、お笑いだけに集中するためにアルバイトを一切せず、貧乏暮らしをしていた

 

神谷は上京したばかりのお笑いに対する理想に燃える又吉であり、徳永は中学生のころから今に繋がる又吉なのである。あまり登場しない山下は芸人に憧れる中学生の又吉だと言って良いだろう。神谷は変わらないが、徳永ら変わっていく。「火花」で描かれている神谷と徳永の関わり合いは、又吉自身の理想と現実の心の葛藤そのものなのだ。クライマックスで徳永は中学生のころから一緒だった山下と別れ、芸人をやめる。そして不動産会社の営業としての現実の生活に入るのだ。そして面白さを追求した結果、巨乳になっている変なおじさんとなった神谷を否定するのである。これは中学生からの「芸人」という夢と別れ、上京した時の「芸人」という理想を捨て、「芸人」という職業を選択した又吉自身の覚悟と受け取ることも可能であろう。「火花」とは又吉直樹の自伝と言えるのだ。

 

自伝であるのなら「火花」で語られているものはすべて又吉直樹の言葉そのもので、そこには作為がない。

 

何もできずに時間だけが過ぎていく焦りも、自分の夢を自分で諦める恐怖も、同時代の芸人に対する感謝もすべて彼の言葉なのだ。

 

そして、このような事を徳永は言う。

 

僕達は自分で描いた絵を自分で展示して誰かに買ってもらわなければいけないのだ。額縁を何にするかで絵の印象は大きく変わるだろう。商業的なことを一切放棄するという行為は自分の作品の本来の意味を変えることにもなりかねない。それは作品を守らないことにも等しいのだ。

 

これは又吉はエンターテナーになることの覚悟を示していると言えるだろう。ここで観客に対する意識がはっきりと現れている。だが、エンターテナーに徹する気もないのだ。

 

徳永は神谷のことを如何に独善的かを突きつける。だが、徳永は神谷を拒絶せず、彼を連れて熱海の花火大会に向かうのだ。その花火大会では大きな花火が上がる。夜空に大輪の花を咲かせ、パラパラと消えていく。するとその花火のスポンサーが読み上げられるのだ。花火大会は芸能界であり、花火は芸人を表している。鹿谷は大きな花火となって、芸能界で輝いている。鹿谷はデビュー当時から芸ができていない。その特異なキャラクター性が受け入れられて人気者となっているに過ぎない。その鹿谷を人気者に祭り上げたのは、テレビ局、出版社といった企業なのだ。そして打ち上げた花火が消えた時、また新たな花火を打ち上げる。消えてしまった花火が綺麗だったかどうかはすぐ忘れられてしまうのだ。

そんな中、パッとしない花火が上がる。その花火は個人がプロポーズのために上げたものだ。それが分かると、会場からは拍手が上がる。徳永は派手さに想いが反映されない現実をまざまざと感じるのだ。しかしその花火の価値を高めようと、会場中の人々が力を合わせる。それに神谷が「これが人間やで」とつぶやく。

エンターテナーの又吉は商業的な部分に絶望し、アーティストの又吉は人間的な部分に可能性を見い出す。NHKのEテレでオイコノミアという経済番組をやっている又吉が経済に対してそのような想いを吐露するのは何とも面白い。

 

その花火大会で素人による漫才トーナメントが行われる。すっかり乗り気となった神谷は、締め切りを過ぎているからだめだという徳永の言葉も聞かない。徳永の制止も聞かずに二人でやる漫才を考えるのだ。

 

生きている限り、バッドエンドはない。僕達はまだ途中だ。これから続きをやるのだ。

 

そのような状況で、徳永はこのように言うのである。「僕達」が続きをやるなのだ。これは神谷と徳永の二人が一つのコンビになることは、又吉直樹自身となることである。エンターテナーという意識と、アーティスティックな意識。その二つの面を持って芸能界に大きな花火を上げられなくても、自分なりの想いの込もった花火を上げるのだと宣言しているのだ。そんな二人と関係なく、ボブ・マーリーのEverything’s gonna be allrightが流れ、全て上手くいくよと後押ししているのだ。これはなんの保証もない世界に挑むものたちへのエールなのだ。

 

このように、自分なりの想いの込もった花火を上げるぞと宣言した「火花」はなんと芥川賞を受賞してしまった。本は200万部を越え、ネット配信のドラマ化も決定。又吉へのインタビューもどんどんと行われている。出版不況の救世主とも目され、作家としての又吉をどんどん露出させている。「火花」は社会現象となってしまっている。その社会現象に多くの人々が反応をしている。

 

「芥川賞受賞おめでとうございます」

 

その言葉の元、又吉直樹は出版社やテレビ局によって「大作家先生」と祭り上げられ、大きな花火となってしまったのだ。それは又吉の想いとは別の場所でのお祭りである。火花に込められた想いではなく、芸人の又吉が芥川賞を受賞したという事実が広まっていく。エンターテナーの又吉は、 それを仕方のないこととして受け入れているだろう。だが、アーティスティックな又吉は、それをいかがなものかと思っているだろう。

「ありがとうございます」

又吉直樹自身はこのような状況にちゃんと対処をしつつも苦笑を浮かべているに違いない。

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