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無限に広がる箱庭宇宙

「もし地球が無くなるとしたら、君ならどうする?」そう問われた時、自分はなんて答えるだろう。『インターステラー』を観終えた時、ふとそう思うのである。

 

2014年の秋に公開された『インターステラー』は、地球と人類の滅亡が間近に迫る時、人類存続の為に新天地を求めるという話である。モールス信号に導かれたジョセフ・クーパーは、滅亡する人類を、愛する子供たちを救うため、仲間のアメリアたちと共に第二の地球を求めて旅立っていく。

リミットのある冒険は何とも残酷なものだ。光速に近い速度で移動するジョセフ達と地球上で流れる時間の速さは違う。ジョセフ達にとっての数日が地球上では数年なのだ。定期的にジョセフ達に送られてくる地球からのビデオレターには、あっという間に歳を取っていく家族の姿が映し出されているのである。

地球でも人類を救う計画が進行していた。人類を載せた宇宙ステーションに乗り込ませ、地球を脱出するという計画が。成長したジョセフの娘のマーフィーはジョン博士の助手として、脱出に必要な計算式を導く仕事に従事している。しかし、その計算式から求められた答えは、高次元の定数が分からないことによる『脱出不可能』という答えだったのだ。それをジョン博士はすでに知っていた。だけど黙っていた。人類の希望の火を消さないためにあえて秘密にしていたのだった。

ジョセフ達は先遣隊のヒュー博士と移住先の候補の星で出会う。だが、その星も人類の生存に適していなかったのだ。そしてジョセフ達は本当の計画を知らされる。それは人類という『種』を生存可能な惑星に持っていく一方通行の旅だったのだ。

しかし絶対的な孤独に苛まれていたヒュー博士は、宇宙船を奪って一人で地球を目指しだして飛び立ってしまう。それを追いかけるジョセフ達はヒュー博士に追いつくも、ヒュー博士が事故を起こして制御不能に。ジョセフはアメリアの乗る部分を切り離して救うが、自身はブラックホールに飲み込まれていく。

ブラックホールの中に飲み込まれたジョセフは、数字が流れる空間の中を漂っている。その中はいろんな空間と繋がっていた。その中の一つが過去のマーフィーの部屋と繋がっている事に気がついたジョセフはマーフィーに語りかける。でも言葉は届かない。しかし信号は届くのだ。ジョセフは過去のマーフィーと自分に、冒険に出るきっかけとなったモールス信号を送るのであった。

ジョセフの前に広がる風景が変わった。同じ部屋だが、そこには大人になったマーフィーがいる。ジョセフはブラックホールの中で手に入れた高次元の定数をマーフィーに伝えるのであった。そしてブラックホールから放り出されるのである。

そしてジョセフは帰還した。そこは地球の風景に似ているが宇宙船の中だった。そしてマーフィーとようやく再開するのである。マーフィーは老婆となっていた。想うこともあるだろう。だけど会うことだけで分かり合う。そしてマーフィーは彼女の子供、孫達に見守られて息を引き取る。そしてジョセフは宇宙で独りぼっちとなってしまったアメリアの元に向かうのである。

 

まずこの映画で語られているのは『時間』である。時間の流れは平等ではない。それが平等なのは地球上にいる場合に限られるのだ。不変だと思われている時間の流れも重力によって変わるものである。コールドスリープから目覚めたジョセフが確認する家族の映像には、子供だった息子のトムが、成長し、結婚し、父親となり、父親であるジョセフの帰還を諦めるまでが映し出されている。距離以上に深い断絶がそこにあるのだ。ジョセフにとっては数日のことだけど、トム達にとっては数十年のことなのだ。その時間の差が重みとなってのしかかるのである。

この時間のすれ違いはそのままジョセフとマーフィーのすれ違いに置き換えられる。ジョセフが宇宙に旅立つ時、マーフィーは腹を立てて自分の部屋に閉じ籠もっていた。喧嘩別れなのだ。その後も彼女はなかなかジョセフにメッセージを送らない。兄がメッセージを送っているだけにその怒りの深さを知ることができる。そして彼女も大人となり、父を追いかけるかのように地球脱出のための研究に没頭するのである。だが二人の時間はどんどんと離れていく。二度と交わる事のないほどに離れていくのである。その時間的な断絶をジョセフが四次元空間を通って時間を遡ることでクリアしてしまう。そして最終的に出会うのである。ジョセフとマーフィーにとって、俺、娘、世界という『セカイ系』と言っても良いだろう。

 

だが、ジョセフは何も成し遂げていない。彼はヒーローではないのである。娘と出会ったのもたまたまであり、人類が救われたのもたまたまなのである。成し遂げたと言えるのは、娘との再会だけとも言えるだろう。作られた『セカイ』はとても強固なものだ。時間の流れの違いも物理法則でしかない。四次元空間もまだ認識できていない物理法則でしかない。物理法則という強固な『現象』の前に翻弄されながらも選択している人々の姿が現されていた映画であると言えるだろう。語られているのは物語ではないのだ。

インターステラーの世界では宇宙に目を向けないような教育がなされている。そして農業技術者となることがエリートである世界である。ジョセフに畑を任せられたトムは一生懸命それを護ろうとする。自分達の家族の健康を度外視してまで。だがマーフィーは隠れた存在となったNASAで働いて宇宙を目指している。だからこそ兄の家族を護るため、その畑に火を放つのである。

ジョン博士も人々の希望を護るため、脱出不可能という答えを黙っていた。ヒュー博士も人々の希望の礎となる覚悟を決めたが、絶対的な孤独の前で保身に走ってしまう。これらの行動を『悪』とも『正義』とも語っていない。それらをただの『行動』と語っているのである。それもまた『現象』なのだ。

 

宇宙船の中でジョセフとアメリアの台詞の中にこのようなものがある。

「地球が滅ぶからといって自然が悪とは言えない」

 

冒頭にはドローンが黄金色の畑の上を飛んでいるシーンがある。戦争で使われる兵器が優雅に飛んでいて、とても美しいのだ。そこには『人殺しの道具』というものを提示させていない。ただ機械が存在しているのみである。そしてたどり着いた星々は人類が生きていくことのできない厳しさだ。それらの星は『人殺しの星』と言えるかもしれないが、とても美しい。ただあるがままに存在しているという『現象』を提示していると言っていいだろう。それには時間も含まれる。

 

ノーランは『現象』を客観的に映し込むことに注力した。ジョセフとマーフィーの物語ですら、ドキュメンタリーを観ているような感覚がある。彼、彼女を通して感じる強固な世界をはっきりと認識させられる。その認識は我々を通して現実と地続きとなるのである。その結果、インターステラーという作品は、いつか地球のどこかの現実を切り取ったという感覚に陥る。ノーランは箱庭を作った訳だ。そして彼はこの箱庭を提示して、鑑賞者にこのように言っているように思えてならない。

「君ならどうする?」

ジョセフもマーフィーも鑑賞者と置き換え可能なのだ。ジョセフやマーフィーに憑依するのではなく、鑑賞者自身がジョセフやマーフィーのようにインターステラーという現象を体感することになる。物語を楽しむのではなく、鑑賞者は破滅に向か世界という箱庭の中に放り込まれてしまうのだ。

 

ノーランはおそらく人間というものを信じている。そのため世界しか提示しないのだ。その世界の中に放り込まれた鑑賞者は、ジョセフやマーフィーという人物を通して自分の物語を堪能するのである。その結果、鑑賞者の数だけ物語が生まれだす。映画の完成を鑑賞者に委ねているのである。そして映画の世界と地続きの世の中と繋がっていく。映画を観ることで更新された鑑賞者は、新たな認識を持って世の中を見るだろう。その結果、世の中を変えていくことを切望しているのではないだろうか。ふとそんなことを思うのである。

 

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