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声、感情、身体は呼応するのか

『強く儚い者たち』(1997年)は、Coccoの初期のヒット曲であり、現在においても彼女の代表曲のひとつとなっている。Coccoは1997年にデビューし、2001年に歌手活動を休止、2006年に活動を再開し現在に至っている。彼女の多くのヒット曲は2001年までの時期に多く出ており、その初期が歌手として全盛期となったといってもよいだろう。本稿で初期の歌をとりあげたのは、その時期にヒット曲が多かったからであるが、彼女にとって歌がヒットし、売れるかどうかは、あまり重要ではないようだ。それについては後に述べたいと思う。

ところでCoccoは沖縄出身であるからか、海のイメージが強い。曲名だけみてもそれは分かりづらいが、歌詞をみると例えば、「瑠璃色の波」(『水鏡』)、「潮の音」(『晴れすぎた空』)、「宝島」(『強く儚い者たち』)など海の描写が多い。彼女の歌声をイメージするときも、海の波を思い浮かべる。例えばこれもヒットした曲であるが『樹海の糸』(2001年)は伸びやかに、語尾は波のように上がり静かに消えてゆく。冒頭の彼女の声を聴くと「悩める胸にぃー↑/あなたが触れてぇー↑」と、↑の部分で、伸びあがりふっと消えていく。

彼女の身体の動きも波だ。ライブでは前後左右にゆらゆらと身体を揺らしながら、まるで海上に浮かび上がってくるようだ。このようにCoccoの声、身体の動きは「海」というひとつのイメージで結びつくように思える。だが、その一方で彼女の身体と歌声が完全にリンクしていないようにみえる。

前述したように、『樹海の糸』は声に伸びが感じられるが、一方『強く儚い者たち』は伸びがなく、歌詞の語尾が途切れるように消えていき、声に抑揚はあまりない。か細い感じがするほどだ。本稿では歌詞の内容には触れないが『強く儚い者たち』は「宝島」を目指す男を主人公とする物語性がある内容であるが、彼女の声には歌詞の内容に合うような、強く訴えるようなダイナミックさはあまり感じられない。ライブ映像をみても、体を動かしながらも、歌声にはその運動性の影響がないようにみえる。動的な身体に対して、彼女の声は逆に静的である。また感情も表れない。なぜ彼女は身体と歌声そして感情をリンクさせないのだろうか。

そのヒントは彼女のインタビューにある。彼女は他の歌手のレッスン風景をテレビで見ていて、そのときの印象を述べている。

「そしたらさ失恋した歌を歌ってるみたいなんだけど、感情がこもってないって怒られてるわけ。「失恋したことある?」って聞かれて「ないです」って言うわけ。「うん、だったらとっても悲しい気持ちになって歌ってみて」って「失恋するのはとっても辛いんだよ」って教えられるわけ」(※1)

Coccoはそのような歌い方に納得していない。失恋してもいないのに失恋した歌を悲しく歌う必要があるのだろうか。急いで付け加えるなら、このように考えるのは彼女だけではないだろう。一々幸せな内容の歌をうれしそうに歌い、つらい内容の歌を悲しそうに歌う歌手は多くはないだろう。歌手は俳優とは違う。Coccoも「別に痛くない時に痛いって言う必要はないし。なのに本当の痛みを想像して歌ったりとか、そういう余裕はCoccoにはない」(※2)と述べているように、歌手は必ずしも歌詞の内容に沿って感情を込めて歌っているわけではない。『強く儚い者たち』で声に感情を乗せず抑揚を抑えているのは上述したような彼女の思いがあったからだ。

それにしても彼女のライブ映像をみると彼女は身体をよく揺らす。振り付けではないが、バレエを習っていたからか、それはダンスのようにも見える。歌手が身体を揺らすのはリズムに乗るためや、感情を表現するためなど様々な意図があるが、彼女の場合、上述したように感情を込めているわけでもなく、リズミカルでもない。少しぎこちなく声と別の運動をしているようにも見える。再び彼女のインタビューから。

「音楽ってさ、音を楽しむって書くんだよってよく言うけどさ、みんな。Coccoは音を楽しんでなくてさ、別に歌ってる時楽しくないし、歌った後が楽になるだけで、だからCoccoは音を楽しむんじゃなくて、音を利用して楽になってるわけ。」(※3)

彼女の上述したことを踏まえれば、彼女の身体の動きは、音楽を楽しむため、音楽にのるためではなく、楽(ラク)になるための動きであるといえる。確かに海に揺られているような彼女の動きは、身体の隅々の凝りをほぐすような動きにもみえる。あるいは、身体の動きは「歌手モード」への切り替えスイッチのようにもみえる。Coccoは人前で話すことは苦手であるといわれており、多くのオーディエンスの前で話す言葉はぎこちなく、緊張している感じにみえる。それが曲のイントロが流れると彼女は人が変ったかのように「歌手モード」へ切り替わる。彼女の体の動きはそのモードを保つためのものではないだろうか。

また彼女の音楽の対する姿勢はクールで情熱的ではない。彼女にとって音楽はあくまで生計のため選択したものであり、必ずしも大好きな仕事というわけではない。彼女は歌をとるか、コメ(米)をとるかとの質問に、米を取ると述べた。CDショップのキャッチフレーズ風にいえば、彼女にとってNO MUSIC, NO LIFEという考えはなく、あくまでNO RICE, NO LIFEが基準なのだ。そのような姿勢によって、かえってラクになって歌えるのではないだろうか。

声・感情・身体。これらの3つは互いにつながりながらも、ぴったり完全にリンクしているわけではない。Coccoの声は、必ずしも感情がこもっているわけではないし、身体の動きを声に合わせているわけではない。ただ、完全に切り離されているわけではなく、身体がラクになっていくからこそ、彼女の声に浮揚感が生まれていく。また歌声があるからこそ、身体が楽になるように動き、その動きからわずかな感情が生まれていく。3つの要素が相互に働きかけ、細波のように歌が少しずつ聴く者に届いていくのである。

 

 

 

※1新井敏記『人、旅に出る 『SWITCH』インタビュー傑作選』講談社、2005年、87頁

※2同上87頁

※3同上89頁 ちなみにCoccoは自分の事を一人称(私)でいわず、「Cocco」あるいは「あっちゃん」という。あっちゃんというのは、すぐあきれてしまうからだという・・・

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