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「スクラップ・アンド・ビルド」とアメリカ

今年2015年の芥川賞は、芸人の又吉直樹が受賞した事により、近年まれにみる盛り上がりをみせた。その影に隠れてしまいそうだが、もう一人同時受賞した羽田圭介の「スクラップ・アンド・ビルド」は一般に介護小説もしくは、家族小説として評価される事が多い。たしかに物語の主軸は主人公の青年とその祖父が多くを占め、介護の描写はリアルで説得力がある。しかし介護小説としてありがちな、老いへの悲壮感や介護することの負担についてはほぼ書かれていない。しかも終盤に、主人公の青年は介護を放棄し、就職してしまう。家族小説としても、母親のキャラクターは立っているものの、いわゆる家族ものとしての描写はあまり多くない。

したがって本作は介護小説や家族小説として読まれるのは一面的なものにすぎない。ここに別の見方を入れてみたい。それは戦後日本とアメリカが描かれているということだ。この作品は単なる青年とその祖父との愛憎劇に収斂されない物語がある。ここには、日本人がこれまでアメリカとの関係をどのようにとってきたか、捉えたものがある。

そもそも芥川賞に限った事ではないが、芥川賞作品にアメリカとの関係性を描いた作品は少なくない。例えば、大江健三郎の「飼育」は戦時中のアメリカ軍の黒人兵との交流を描いた作品であり、村上龍「限りなく透明に近いブルー」は米軍基地がある福生を舞台にしている。もはやアメリカとの関係をどう描くかが、芥川賞作品の定番のモティーフのひとつとして存在している。

芥川賞作品にアメリカが主題としてもしくは部分的に出てくるのは、当然ながら戦後の日本とアメリカとの関係が大きな問題として存在しており、芥川賞をねらう新人作家の多くがそこを嗅ぎつけて作品を書いていったからである。戦後から現在の安保法案デモに至るまで、政治的な問題をつきつめていくと、結局は、「日本はアメリカとどうやっていくのか」にいきつく。そして誰も正面から言いませんが、加藤典洋は「日本文壇(?)は、日本はいまアメリカなしにはやっていけないという思いをいちばん深いところに隠しているが、それを、アメリカなしでもやっていけるという身ぶりで隠蔽している」と述べている。文壇に限らず、事実上アメリカに従属しながらそれを隠しながら主体的にみせて、やってきたのが日本の状況である。

では、「スクラップ・アンド・ビルド」にはどのようにアメリカとの関係が描かれているのだろうか。まず、本作において最も重要な人物は祖父である。この祖父がアメリカに従属する日本を表象しているといっていいでしょう。

本作には食べ物が数多く出てきており、そこからアメリカ的なものが見えてくる。戦争を生き抜いた祖父は、典型的な日本人男子のように見えるが、実際好んで食べているのは和食ではなく、アメリカ的な食べ物である。彼が好んで食べるのはトースト、バウムクーヘン、ピザ、ミートローフなど「やおい食べ物」である。反対に(和食とは必ずしもいえないが)ほうれん草や豚の角煮などは「かたか」と言い食べようとしない。

典型的な日本人である祖父が好んでアメリカ的な食べ物を食べるのは、戦後の日本人そのものであるといえる。まさにアメリカナイズされた日本人の姿そのものである。食べ物だけでない。周囲との関係をみてもそれを感じさせる。

祖父の日常的な態度はいわゆる頑固親父的なものでなく、妥協的な態度である。周りが強く主張するとそれに従うというようなものである。それはアメリカに対して従属してきた日本の姿と重なる。「ごめんなさい、すんません」と口ぐせのように謝る祖父は、ペコペコ頭を下げる従順な日本人像そのものである。

そんな主人公は祖父を反面教師するかのように体を鍛える。それはアメリカなしでもやっていけるという新しい日本人像にも見えるが実際の彼は、無職で金があるとはいえない立場である。見た目は立派になっても実は誰かの世話にならなければならない状況なのである。ここにも現在の日本が表されており、日本がアメリカなしでやっていけるかどうかの見込みはない。

ラストは青年が飛ぶセスナを見上げるところで幕を下ろす。そのセスナは調布飛行場から飛び立ったものだ。調布飛行場は本作に簡潔な記述がされているが、元々は東京都(当時は府)が開設したもので、敗戦後米軍に接取された。日本に返還されたのは昭和48年である。ラストシーンでかつて米軍基地であった調布飛行場を描くのは意図的なものが感じられる。調布飛行場についてはこう記述している。

在日米軍から日本政府、東京都へと変遷する中で調布飛行場はその存在意義を薄れさせ、個人所有のセスナばかりが離着陸する道楽用みたいな空港になった。

ここでのセスナはアメリカそのものであり、かつての日本人にとって憧れであり、戦後の豊かさの象徴的なものであったはずであるが、今日では単に「道楽」として飛んでいるにすぎない。

あらゆることが不安だ

セスナが雲に隠れるのを見届けながら青年がつぶやく。ここには様々な不安が内包されている。祖父は元気に生活できるだろうか、青年に代わって介護することになるであろう母親、そして将来の自分と日本。アメリカを象徴するセスナが雲に隠れると不安が生じる私たちは、どうするべきであろうか。セスナがなくてもやっていけるのか、それともこれからもセスナが発着できる飛行場をずっとアメリカのために持ち続けるべきなのだろうか。

 

【参考文献】

加藤典洋『アメリカの影』講談社文芸文庫

市川真人『芥川賞はなぜ村上春樹にあたえられなかったか』幻冬舎新書

文字数:2269

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