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アジアへの眼差し

自己を愛し、自己の優位性を保とうとすることと、他者を蔑むことは、コインの裏表のようなものと考えることができます。無論自己愛がただちに他者の排斥につながるのかといわれれば、そうとはいえません。他者への哀れみという形もあり得ます。しかし、他者がどのようなものであれ、そこには権力関係が生じることは避けられません。日本という国にとっての他者となる存在は大きく二つあります。一つはアメリカ、もう一つはアジアです。日本は開国以来アメリカに羨望の眼差しを向け、反対にアジアを蔑んできました。それは100年以上経った今日においても変わりありません。

アジアに対する蔑視と哀れみ。これらは異なるものであると同時に自己と他者を分けるものとしては同じものであるといえます。私は学生時代とあるアジアの国(いわゆる後進国です)へ行き、電気やガスがない村で、様々な作業をし、古着などを配る活動をしました。子ども達の笑顔はよく覚えていますが、大人達はどう思っていたのでしょうか。今から思うと私自身熱心に活動したわけではなく、どこか冷めていました。それはアジアの人々を援助することは当然ながら援助する側と、される側に分断され、そこに権力関係が否応なく生じるものだからです。ただ勿論全ての援助が権力関係をもたらすわけではありません。両者が他者ではない場合、同じ共同体の内側である場合です。例えば、同じ日本人同士が援助する場合、そこには同じ日本人同士という「絆」が生じ、権力関係は普通は顕在化しません。

奇妙にみえますが、日本はアジアの一国でありながら、日本人は日本とアジアを区別します。同じアジアの一国であるにも関わらず、アジアから離れた距離にいます。こうした態度は開国当時から現在まで続いています。

そもそも日本がアジアとの関係を意識し始めるためには、日本人自身が日本という国を意識しなければなりません。それはペリー来航まで遡ります。形式的かもしれませんが日本人はペリーという他者によって日本人であることのアイデンティティが形成されていくことになりました。それまで「国」というのは自分たちが居住している藩であり、地域、故郷でした。廃藩置県によって「国」は日本をさすようになり、他国に目を向けるようになりました。日本人であることのアイデンティティ形成のために用いられたのが教育とマスコミです。日本全国でおなじようなカリキュラムによって子ども達は心身ともに日本人としての振る舞いを行えるようになり、新聞の流通によって地方に住んでいる人も他の地域の話題を知ることが出来るようになりました。また天皇とそれを巡る神話も日本人の奥底に刻み込まれるようになりました。日本を一つの民族、一つの国家であることを認識させること、それは半ば幻想でありますが、日本を一つにまとめあげ、発展させることに功を奏しました。さらに日本の選民思想、日本人は特別であるという考えが日本人の一人ひとりに埋め込まれていきます。

開国後、日本は西洋をモデルとした国づくりを始め、そのためにアジア諸国からは距離をとり、逆に植民地化が進められ、日本はアジアの一等国に短期間でなることができました。さらに戦後は経済成長によりアメリカに次ぐ経済大国となりました。

歴史的な記述をするのはここまでにしましょう。ともかく日本は現在までアジアの一国でありながら、他のアジアではちがうという自負をもってきました。大和魂という言葉をはじめ、日本を特殊化し、日本文化やその意匠を海外が賞賛する事に日本人は快感を得るようになりました。今日のテレビ番組でも、NHKの「cool Japan」をはじめ、「Youは何しに日本へ?」「世界ナゼそこに?日本人」「クイズ!それマジ!?ニッポン」「所さんのニッポンの出番」「アメージパング!」など日本を賞賛する外国人(何故か白人が多い)、海外で活躍する日本人が積極的に取り上げられています。ただ穿った見方をすれば、このような番組を必要とするほど日本人自身の自尊心が揺らいでいるのかもしれません。それは隣国へのバッシングにも表れているようにみえます。賞賛とバッシングの同時進行によって日本人自身のアイデンティティの喪失を免れているようにみえますが、このまま保たれるかどうかはわかりません。だからといってここで隣国と仲良くしようという楽観的なことはいえません。そこに至るまでにはクリアしなければいけないいくつもの障壁が存在します。そのひとつがアメリカとの関係です。

 

アジアとの関係をどうするのか、そこで対比としてアメリカとの関係が出てきます。アメリカとの距離のとり方がやじろべえのようにアジアとの関係につながっていきます。前述したようにアメリカとの関係はペリー来航から今日までつづいており――戦中は鬼畜米英とよんだりしましたが――よく喩えられますが、まるで父子関係のようです。日本人の中には日本はアメリカの属国だと批判する声もありますが、沖縄の米軍基地の状況をみても、それは強ち過激な発想ではありません。アメリカとの同盟関係をどうしていくかという選択は、常に日本人に向けられています。まさに本稿を書いている現在(2015年9月)、安保法案に関する国会での成立を巡り、連日国会前には老若男女、様々な人々が集まり反対運動を起しています。ここで安保法案に関する記述をする余裕はありませんので乱暴な言い方になりますが、軍縮をするアメリカ軍の肩代わりとなるべく有事の際に行動するというのがざっくりした法案の中身です(異論はあるかと思いますが)。日本政府がアメリカとさらに密な関係にしようとすることは、アジアとの距離をさらに遠くにとるということです。そこにはアジアの、特に東アジアの国々に対する敵対心、猜疑心が反映されています。アメリカとの親密な関係が続けば、アジアとの距離はさらに遠くなるかもしれません。しかし、それは日本が開国以来アジアに対し、とってきた態度です。アジア諸国の一国に埋もれまいとする抵抗です。これからも日本はそのような態度をとっていくでしょう。しかし、中国をはじめアジア諸国は著しい発展を遂げようとしています。まさにグローバル社会となる中で、人口を含めて経済的に縮小する日本が、どのようにアジア諸国に対し振舞うか、どのように変化していくか、いや変化せざるをえない状況になるでしょう。

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