印刷

甘えられない時代をサヴァイヴする

今回与えられたテーマは、「昭和とは何か」という事である。最初私はどう書けばよいか分からず途方に暮れ、ウンウン唸っていた。そんな中、しだいにこんな疑問が浮かんできた。何故昭和を語るのは難しいのだろうか。そこから考えてみた。

まず単純であるが、私はあまり昭和を知らないという事である。私は生まれは昭和であるが、物心ついた時はすでに昭和天皇は崩御され、平成が始まっていた。気づいたら総理大臣は細川になっていた。現在20代の人びとにいたってはほとんどが平成生まれで昭和など知る由もない。したがって、昭和を知らぬ者が昭和を定義する場合、昭和を生きた人が書いた物、あるいは作ってきた物から自分なりの昭和を感じ取り、想起するしかない。

2つめであるが、厄介な事に、日本に住む多くの人びとが昭和を生きてきて、今なお健在なのである。いわば生き証人が多いのである。もし、これが平安時代や江戸時代を語るのであれば、多少ラクかもしれない。何故なら同時代を生きた人間はもうこの世にいないのだから。それらの時代に関して少々間違った言説があってもまかり通る事が許されている(江戸しぐさがまさにそうである)。

私を含め平成以降を多く生きる若い人にとって、昭和を語る難しさは、今現在昭和を生きた人びとが健在で大多数であり、昭和を語る上では彼らの語りの方に力がある事にある。いくら若い人が考証した昭和を語ったところで、昭和を生きた年配の人の方が当然だが昭和を長く生き、昭和をよく知っているのであるから、彼等に「それは昭和ではない」と言われたら終わりである。昭和を知らぬ者が昭和を語るよりも、私の祖母を連れてきて語ってもらった方がよいのではないだろうか。昭和を知らぬ者が昭和を語る事に意味はあるのか?

インターネットによる社会の変化をここで述べる余裕も知識もないが、ひとつ言えるのは、今まで発言できなかったあらゆる人びとが自らの言葉で発言できるようになったという事である。性的マイノリティ、少数民族、老若男女あらゆる人々の思想や意見が、ネットを駆け巡るようになった。

そこから変化していったのが「当事者の語りの力」である。以前ならば、ある問題の当事者の声は届けにくく、伝える事ができるのは新聞などのマスコミだけに限られていた。だがネットの登場により、有名無名問わずあらゆる問題の当事者達が自ら主張できるようになった。やがて、ある問題や事象を語る上で、部外者よりもその問題等の当事者が語るものが重要視されはじめた。

当事者の語りの前に、批評は力を持たなくなった。批評を一言で定義すればある事象について語る事である。だが、その事象の当事者が直接事象を語れるようになれば批評の必要性はだんだん失われる。小説については小説家が、映画については映画監督が直接語れば済んでしまう。かつては当事者が語ることは簡単ではなかった。だが、ネットにより今度は当事者以外の、部外者が語ることが困難になってきた。例えば、震災や原発事故以後、まず現地の人々の意見が重視された。逆に何の関係もない部外者が震災や原発事故について語ると「何も知らないくせに」とバッシングを受ける。無論当事者が語る事は大切な事であり、社会を善き方へ導くためには当事者の声が必要である。だが、当事者性を強くする事は、当事者がいなくなった後に急激に力を失いかねない。

戦争体験者から直接話を聴き、その体験を語り継ごうという運動が各地にある。戦争体験者が語る事は、説得力があり、生々しく、聴き手である戦争を体験していない者にとっては、大きな意義があるだろう。運動の根底にあるのは「戦争をよく知っているのは戦争体験者である」ということである。この考えは説得力があり正しい。しかしながら、この考えが強くなるほど、運動はやがて途絶えてしまうのではないだろうか。今年は戦後70年目であるが、戦争を知る人は年を経ることに少なくなる。30年、40年後にはほとんどいなくなるだろう。そうなった時、戦争をどのように後世に伝えればいいのか。「戦争をよく知っているのは戦争体験者である」という考えは、体験者がいなくなれば力を失う。当事者性が強いゆえに、当事者がいなくなると体験を語る事が困難になるという自己矛盾を生む。

当事者が語る事の重要性は言うまでもないが、当事者と部外者との間に亀裂を生んでしまい、また当事者がいなくなった後、その問題や事象を説得力を持って承継していけるかどうかが課題となる。

批評は当事者でない部外者が語れるものである。そこにどのような意味があるかはよくわからない。昭和の人びとが多くいる今現在、昭和を知らぬ者が昭和を語る事に不毛さを感じるかもしれないが、「当事者絶対主義」に抗するには批評が力となるのではないだろうか。

 

本題にいこう。

昭和も終わろうかという1988年、子ども4人を置き去りにして40歳の母親が失踪するという事件が起きた。「巣鴨子供置き去り事件」である。この事件をモチーフに是枝裕和監督は2004年に『誰も知らない』という映画作品を作った。

映画に登場するのは、母親と小学校高学年にあたる長男、長女と幼い次男と次女の5人家族である。家族は新しいマンションに引っ越してきて(子どもが多いと追い出される、ということで母親と長男以外はこっそりと新居に入る)、そこでの生活が始まるが、やがて母親は家を空けがちになり、しまいには家を出たきり帰らなくなってしまう。4人は警察などに助けを求めず、自分たちだけで生活を続ける。

近所の人々に気づかれず、こっそりと子ども達だけで生活することは、もしこれが昭和半ばであればできなかったと思う。周りに気づかれずに生活できるのがまさに昭和と異なる平成における生活環境ではないだろうか(ただ実際の事件は場所が巣鴨であり、都市という場所の問題かもしれない)。

彼らは近所や警察などに助けを求めようとしなかった。理由として周りに知られると自分達がバラバラにされるからと長男は言うが、それだけだろうか。周りに助けを求めるような「甘え」が許されない風潮があったのではないだろうか。

土居健朗は『「甘え」の構造』の中で、「甘え」という言葉を日本独特の言葉として捉え、「甘え」というものが人間関係を円滑にするために重要なものだと説いた。ここでは「甘え」を肯定的なものと私は捉えるが、本書が発行された1971年から36年後の2007年に増補普及版が発行され、そこに付け加えられた「「甘え」今昔」と題された文章で土居は「甘え」の変化について「今や「甘え」といえば人々は一方的な「甘やかし」かひとりよがりの「甘ったれ」のことしか考えなくなった」と甘えという言葉が否定的な意味になってきたと述べている。

実は、残された子ども達が全く甘えをみせなかったのかといえばそうではない。他の同世代の子ども達とも付き合い、長男は何度も母親に連絡を取ろうと奮闘している。ここで気になるのは父親の不在である。

この映画のネット上などのレビューで少なくないのが、YOU演じる母親が何故実の子ども達を残して逃げるのかと憤るといったものである。結局母親は特に断罪されることなく、映画は幕を閉じてしまうのでこの母親に対するフラストレーションはさらに高まる。だが、母親が許せないのなら、父親はどうなのだろうか。たとえ父親に親権がないとしても、子ども達を捨てた父親に非はないのだろうか。是枝監督は作品の中で母親を糾弾しようとしなかった。それは彼の問題意識が父親にあったからである。その事は後に作られた『歩いても歩いても』や、タイトルからして明確だが『そして父になる』を観てもわかる。

さて、「甘え」についてだが、昭和から平成に変わりだんだん「甘え」が許されない社会になっていったと感じる。それは宇野常寛の言葉を借りれば「不自由だが暖かい社会」から「自由だが冷たい社会」へ変化し、「サヴァイヴ感」が広まっていったからであろう。つまりこの社会で生き残るためには「甘ったれた」態度は禁物なのである。そのために、辺見庸が指摘するようにどんなに落ち込んでいようと、どんなに困窮した状態であろうとこの社会を生き残るためには「すこぶる健やかなふりをしていなければならない」のである。

長男が生活費を得るため「二人の父親」(おそらく次女と三男の父)に会いに行くシーンがあるが彼らは頼りなく、しまいにはあれは俺の子ではないという責任放棄するかのような言葉が出てくる。長男は彼らに一度会ったきり、それ以来彼らから援助してもらおうとはしなかった。そして長男は、ダラダラ「甘ったれた」父親達に反発し、なるべく甘えをみせようとせず、自分達で生きようとする事を選択する。ただ当然子どもだけで「サヴァイヴ」することは不可能だ。おそらく長男本人も薄々わかっていたはずだろう。終盤ついに子ども達の中に犠牲者が出てしまうのだが、それでも長男は自分たちだけで生活する事を継続するのである。

繰り返すが是枝監督が注目したのは母ではなく、父の存在である。父親達は「甘ったれ」ており否定的な見方をしてしまいそうだが、彼らは甘ったれる事で逆にサヴァイヴしているようにも見える。現代は甘ったれる事を否定し、人々はどんなに苦しくても健やかふりをしてサヴァイヴする事を余儀なくされている。だがそれはキツい。そして今そのような生き方は限界にきているような気がする。長男が忌み嫌っていた父親達にこそ、この社会を生き残るヒントがあるのではないだろうか。

 

文字数:3878

課題提出者一覧