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新しい想像力の先へ

【1】批評は衰退しているのか

 

2016年2月に公表された大学生協(全国大学生活共同組合連合会)の調査によると、全く本を読まない大学生の割合は前年よりも高まり約45%で、1日の平均読書時間は約29分で30分を切っている。調査対象は大学生のみだが、全体的にみて読書時間は減っているとみてよいだろうと思う。(*1)

このような状況のなかで、批評というジャンルは瀕死の状態、動物でいえばレッドリストに載っていてもおかしくない。筆者が参加した「批評再生塾」は、再生とつくように、批評が死にかけていると(もはや死んでいるかもしれない)との認識の上に成り立っている。なぜこのような状況になったかは、詳細に語る知識がないが、現在まで批評・評論を牽引してきたのが文芸評論であったことと関係があるといっていいだろう。すなわち、批評の衰退は言い換えれば文芸評論の衰退である。そもそも何故、文芸評論家とよばれる人々が社会・政治・思想・文化・風俗を語るのだろうか。文芸評論家は文芸評論が専門ではないのか?小説などの文芸以外に口を出すのは何故なのだろうか。本論では宇野常寛の記述の中心に扱うが、その宇野は次のように述べている。

 

なんで文芸評論家が明治以降、社会批評家として力を持ってきたかというと、一つは彼らが総合知識人として、輸入業者として必要だったからだと思う。でも、もう一つは、日本の場合、目に見えない「空気」のようなものが実際に社会を動かしていくことがすごく多くて、そこに言葉を与える役目がジャーナリズム上、重要だったのだと思う。そのとき社会科学よりも文学の言葉の方が有効だったと思うよ。(『PLANETS vol.8』)

 

ここでは文芸(文学)が力をもつようになった要因として、①明治期において西洋からの知識の輸入(翻訳など)が必要になり、そこに言葉の使い手が必要であったこと、②科学よりもその場の空気、雰囲気が社会を形成していき、それについて表現する手段として文学が存在したと上げられている。裏返せば、文芸評論の衰退はそれらの要因に重要性がなくなったということになる。確かに空気のようなものが社会をつくっているという状況は現在でも残っているが、それは社会学や心理学など人文科学によって分析できるようになり、文学で表現する必要性は乏しくなっている。

さらに付け加えるならば、思想や社会を表現するものとして文学以外のジャンルが力をもつようになったといえるだろう。文学はその中の一つでしかない。批評再生塾でも扱われたものでいえば、映画、音楽、哲学、美術または漫画、アニメなど多種多様なジャンルが大きな影響力をもつようになり、文芸評論家だけの手におえるようなものではなくなってきた。そのような状況の中で、今日の批評を牽引し、一人勝ちしているといっていいのが、宇野常寛ではないだろうか。次のパートでは何故宇野が現在の批評の世界で勝つことができたのか考えてみたい。

 

(*1)学生生活実態調査の概要報告http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

 

 

【2】なぜ宇野常寛は一人勝ちできたのか

まず宇野が、他の批評家とは特異な位置にいるということについて述べておこう。ここでは佐々木敦の著書を参考にしながらみていきたいと思う。

佐々木は『ニッポンの思想』にてゼロ年代の評論は東浩紀の一人勝ち状態であったと述べている。それにならえば2010年代は(今のところ2016年であるが)宇野常寛の一人勝ち状態であろう。それは、テレビ・ラジオ等のマスメディアへの出演だけでなく、著書においても難解な専門用語、ジャーゴンを極力排し、非常に明晰な文章になっており、また批評対象が仮面ライダー、AKB48、ウルトラマン、ガンダム等のポップカルチャー、文学では村上春樹などとなり、読者にとってもとっつき易く多くの読者を獲得することができた。このようなポップカルチャーを扱うことは以外にも評論では少ない。

マスメディアへの過剰な露出に中には眉をひそめる人もいるだろう。話している内容もアイドルなどの趣味の話が多く(?)、評論になっていないという意見があるかもしれない。しかし、このように大衆に言葉を伝える手段としてマスメディアに出ることは悪いことでないと思う。

宇野の出自、立場も日本の評論界では実はユニークなものになっている。佐々木が述べるように日本の思想・批評を牽引してきた人々は「皆「アカデミズム」の人間、すなわち「大学人」であったということ」がいわば常識であった。

 

浅田は京大、中沢は東大、丸山は東大、今村は京大、栗本は慶応、宇波は東大、岸田は早稲田、上野は京大をそれぞれ卒業しており、(中略)浅田と中沢は当時は助手、他の人たちは教授や助教授の地位にありました。(『ニッポンの思想』)

 

90年代以降をみても例えば宮台真司、大澤真幸、内田樹は東大、ゼロ年代を一人勝ちした東も東大である。また例外もあるが、多くが大学で常勤の教員として活動をしている。対して宇野は関西の有名大学を卒業しているが、東大を頂点とするアカデミズムとは無縁であり、講義をする機会があるが大学教員としての活動はしていない。

以上のことは宇野が何故ポップカルチャーを扱い、他の批評家が扱わないかにつながる。近年は高低差がなくなっているが、アカデミズムではハイカルチャーに親和性があり、ポップ音楽、漫画、テレビなどはいわゆるサブカルチャーとして、明言はされなくてもアカデミズム界隈では扱われていなかった。思想家の鶴見俊輔は戦後の早くから漫画、漫才、通俗小説など批評してきたが彼のような存在は例外といっていいだろう(鶴見はテレビが好きでよくみていたともいわれる)。

またアカデミズムに所属しているがゆえにポップカルチャーを扱えないという事情がある。社会学者の佐藤俊樹は、なぜ社会学者はサブカルチャーを論考の対象としてあつかわないのか疑問にもったが、その答えは非常に単純であった。

 

作品がたくさんありすぎるのである。(「サブカルチャー/社会学の非対称性と批評のゆくえ」『思想地図 Vol.5』)

 

これは映画評論でも問題となるが、特にサブカルチャー(ポップカルチャー)は日々新しい作品が生産され続けられている。佐藤は漫画を例に次のように述べる。

 

だから、現代のマンガを解読するには、作品がもつ文脈を詳しく知っておかなければならない。そのためには、たくさんマンガを読む必要がある。例えば、魅力的な主題やキャラクター、世界設定はすぐに模倣され伝播していく。その派生関係を知るにも多くの作品を読まないといけない。それをふまえずに作品の時代性を論じたり、外部の出来事と対応づけたりできないからだ。アニメやライトノベル、ミステリでも、もちろん同じことである。(同前)

 

マンガを論じるためには当然ながらマンガを読まねばならない。同じ作者の他の作品も読まねばならないだろう。だが大学に所属する人にとってそれは簡単でない。

 

社会学からサブカルチャーの作品を語るのはむずかしかった。サブカルチャーと社会学の両方で、多くの作品を読まねばならないからである。批評に比べて、手間が二倍以上かかる。(同前)

 

佐藤は学問論文と批評を分けているが、批評として扱うにしても手間はかかるだろう。ラジオパーソナリティとしても活躍するヒップホップグループRHYMESTERの宇多丸も自身の番組で映画評論をしているが、毎週その作品を二度以上鑑賞し、その作品の監督作品や関連文献を読みこんだうえで、評論に挑んでいる。大学に所属している人間にとってサブカルチャーを扱うのは難しい。日々の講義、講義のための準備、文献の精読、論文執筆、学生の指導、その他大学の事務・・・宇野がサブカルチャーを批評できるのは彼自身がアカデミズム/大学に属していないことから生まれている。

批評に限らず、デビュー作というものは重要である。デビュー作によって新たな読者を獲得できなければ続けて作品を出していくことは困難になる。どのようにして読者の心をつかむか。自分の世界にひきこんでいくか。佐々木はやり方のひとつとして以下のように述べる。

 

たとえば、あるひとつの「思想」が新たに登場してくるときに、もっとも効果的なのは、それ以前の「思想」とはまったく違っていること、少なくとも他者の目にはそのように映るということです。もっと突っ込んで言うならば、そのときどきに斬新な「思想」として認識され、またそのことによって一定以上の影響力を及ぼすことになる「思想」としてのひとつの重要な条件とは、その出現によって、すでにそこに在った「思想」が、更新される/乗り越えられる/終わりを宣告される(ことによって終わらせる)と思わせる、ということです。その時々の「思想読者」に、その時点ではまだメインストリームにあるとされていた誰某の「思想」を「もう決定的に古い」という気持ちにさせられれば、大成功だというわけです。(同前)

 

今まで通用していたもの、常識とされたものを古いものとして切捨て、新たなものを提供する。商業的でもあるが、宇野もこのようなやり方を効果的に使っている。『ゼロ年代の想像力』の冒頭をみてみよう。

 

かつて村上春樹がそうしたように、私もまずノートの中央に一本の線を引こうと思う。右側には古いものを正しく葬送するために配列し、左側には今を生きるものを、それと併走しやがて追い抜くために刻み付ける。(省略)

誤解しないでほしいが、私は前者(注:「古い想像力」)を否定し、後者(注:「新しい想像力」)を肯定するために線を引くのではない。時代が後者に移行しているにもかかわらず、ゼロ年代も終わろうとしている現在に至っても怠惰な批評家たちによって「古い想像力」ばかりが批評の対象となっている現状を、私たちが生きる現実に追いつかせるために線を引くのだ。そして、後者は前者を否定するものではなく、むしろ前提として取り込むことによって出現した想像力である。九〇年代の「古い想像力」の反省的な発展として、ゼロ年代の「現代の想像力」が成立している。時代は既にこの「現代の想像力」を検証し、その可能性を検討する段階に突入しているのだ。(『ゼロ年代の想像力』)

 

宇野はまず、古い/新しい想像力という二項対立を提示し、本書を通じ、それらの想像力について述べ最終的に新しい想像力を肯定する(するしかない)という結論で締めくくる。このような二項対立的な構造は非常に明確で分かりやすい。政治の場面でもしばしば登場するパターンであるが、宇野自身もこのようなパターンを強襲しているといっていいだろう。では、彼のいう古い/新しい想像力とはなんだろうか。

 

 

【3】新しい想像力とは~『ゼロ年代の想像力』から考える~

『ゼロ年代の想像力』では映画やドラマなど膨大な作品が扱われているが、本筋は古い想像力から新しい想像力への変遷となっている。まず古い想像力について2つの特徴があるという。まずひとつは、自己実現への信頼低下である。頑張れば夢がかなう、頑張れば豊かになれるという「経済成長神話」がバブル崩壊後に瓦解し、「頑張っても豊かになれない」と認識される社会になる。ここで宇野が参照したのが1995年より放映された「新世紀エヴァンゲリオン」である。この作品に古い想像力が見出せるという。

 

従来のロボットアニメがそうであったように、「ロボットに乗って活躍すること」は父親に象徴される社会に認められること、つまり「社会的自己実現による成長」の暗喩に他ならない。

だがこの物語はそうは進まなかった。物語の後半、碇シンジ(注:主人公)は「エヴァ」に乗ることを拒否して、その内面に引きこもり、社会的自己実現ではなく、自己像を無条件に承認してくれる存在を求めるようになる。(同前)

 

何故主人公は、「エヴァ」に乗ることを拒否して引きこもってしまったのだろうか。それはエヴァに乗れば必ず誰かが傷つくからである。何が正しいのか分からない。自分の行動に自身がもてなくなってくる。そしてもう一つの特徴となる、何もしない/引きこもるという事態を生じさせる。しかもこのような引きこもり的なものが、90年代後半に広く共有されるようになったという。それは経済的な状況も原因として挙げられるが、いわゆるポスト・モダンにおける大きな物語の消滅によって、かつてのような明るい未来を描くことが困難になったからではないだろうか。そしてその後セカイ系作品が多く生み出されるがセカイ系も宇野によれば古い想像力である引きこもりと同系であるといえる。ではそのセカイ系とはなんだろうか。その前にもう少し『エヴァ』について言及したい。

 

宇野によればTV版『エヴァ』と劇場版『エヴァ』ではテーマが異なる。劇場版はTV版の完結版として1997年に公開された『Air/まごころを、君に』である。この劇場版の結末で、それまでTV版を通じて描かれていた「引きこもり」が拒絶される。宇野は次のように述べる。

 

だが、『エヴァ劇場版』の結末において、碇シンジはこの母親的承認(注:無条件の全承認)のもとに全能感が確保される内面(自己愛)への引きこもりを捨て、互いに傷つけあうことを受け入れて他者と生きていくことを選択する。そして、碇シンジはヒロインのアスカとともに滅亡した世界にただふたり残される。だが、アスカはシンジを「キモチワルイ」と拒絶する――これは、たとえポストモダン状況下においても、人は時には傷つけあいながらも他者に向き合って生きていくしかないのだ、というシビアだが前向きな現実認知に基づいた結末だったと言える。(同前)

 

周知のとおり劇場版のクライマックスは、ただシンジとアスカのみが生き残り、シンジがアスカの首を絞めようとするところで、アスカが一言「キモチワルイ」と言ったとたんに終わるという、私も当時劇場で観たが、衝撃的なものであった。だが、宇野はそれを「前向き」としてポジティブに捉えているのは、宇野が「古い想像力」をコミュニケーションを肯定するからだ。コミュニケーションは当然ながら誰とでも出来る訳ではない。中には無視され拒絶されることも多いだろう。それでも人はコミュニケーションするしかない。コミュニケーションについては後でも触れてみたいと思う。

 

『エヴァ劇場版』はその空虚さを受け入れた上で、他者とのコミュニケーションを模索するしかないという回答を用意した。この態度はゼロ年代の現在、前提として既に共有されているものにすぎないが、『エヴァTV版』に象徴される「引きこもり/心理主義」的なモードが支配的だった九〇年代後半の当時としては、極めて優れた時代に対する回答だった。(同前)

 

以上のように宇野は劇場版を高く評価したが、「キモチワルイ」なんて言われたくない!そんなの言われて傷つくくらいより、自分を肯定してくれる女の子がいいという人々がセカイ系に流れ込んだ。

ここではセカイ系とは何か宇野の記述からみてみる。まず宇野はセカイ系の定義として2つの要素を取り出す。まず①自分を全肯定してくれる女性の所有と、②「この世の終わり」「世界の危機」といった大きな物語が主人公らに直結している、ということである。なぜ世界の危機のような巨大な物語が挿入されるのだろうか。またセカイ系と引きこもることがどのようにつながっているのだろうか。

まずセカイ系の作品では、世界が終焉を迎えようとする中で、その世界を救う役目を負うのがヒロインであるパターンが多い。そしてそのヒロインは無条件で主人公を肯定してくれる。つまりセカイ系では、世界=ヒロインであり、ヒロインに肯定・承認されるということは、世界から肯定・承認されることと同意となる。ここではコミュニケーションや決断は必要とされない。なぜならばヒロインは主人公が何もしなくても、無条件で肯定してくれるからだ。したがって、たとえ引きこもっていたとしても、承認を得る事が可能となる。具体的な作品として宇野は、『最終兵器彼女』(2000~2001)や『ほしのこえ』(2002)などを挙げている。

 

今まで述べてきたセカイ系のような作品を「古い想像力」として宇野は捉え、決断することを「新しい想像力」とする。「新しい想像力」を考える上で重要になるのがコミュニケーションである。このコミュニケーションについて考えてみたい。

『ゼロ年代の想像力』ではコミュニケーションについて東浩紀を批判している。宇野と東ではコミュニケーションに対する捉え方が異なっている。東はコミュニケーションについて、オタクはインターネットで他者とコミュニケーションしているのでは、「動物化」しているのは一面的だとする批判を受けて次のように述べている。

 

なるほど確かに、ポストモダンのオタクたちも「人間」であり、欲望と社交性を備えている。しかしその欲望と社交性のありかたは、やはり、かつての近代的な人間からずいぶんと離れているのである。(省略)彼ら(オタクたち)の社交性は、親族や地域共同体のような現実的な必然で支えられているのではなく、特定の情報への関心のみで支えられている。したがって彼らは、自分にとって有益な情報が得られるかぎりでは社交性を十分に発揮するのだが、同時に、そのコミュニケーションから離れる自由もまたつねに留保している。(省略)そのような「降りる」自由は、オタク系文化にかぎらず、九〇年代の社会を一般に特徴づけてきたものだ。(『動物化するポストモダン』)

 

コミックマーケットの会場で、相手のことを「あなた」でも「Aさん」と呼ぶのでなく「おたくは~」ということに衝撃を受けた中森明夫が「おたく」と命名したが、東は従来のコミュニケーションとオタクのコミュニケーションは異なっていると捉えている。すなわち、従来の大きな物語的なコミュニケーションでなく、特定の小さな共同体の中で完結するコミュニケーション(しかも好きなときに降りることができる)が一般化してきたと説く。このような姿勢は宇野にとってコミュニケーションを軽視しているかのように映る。美少女ゲームを例に挙げて宇野は次のように本当にコミュニケーションが必要なくなったのかどうか疑問を呈している。

 

私たちは、「動物化」して他者を回避して生きていくことが可能な世界を手に入れている。しかし、そんな世界に生きていても、いや、いるからこそ、コミュニケーションへの世億棒と他者と出会うことの必然性はむしろいまだかつてないほどに強く、私たちを動機づけているのだ。(省略)

コミュニケーションによる意味の備給を断念したはずの人々が、なぜパズルゲームでもアクションゲームでもなく、擬似恋愛(萌え)を、美少女キャラクターの「所有」による擬似的なコミュニケーション選択したのだろうか。(同前)

 

そもそも新しい想像力としての決断主義を採る時点で、コミュニケーションの否定はありえない。コミュニケーションを否定し美少女ゲームに耽る人々こそがコミュニケーションを渇望していることになるのである。コミュニケーションを重要視しない東は『一般意志2.0』において、人々の議論・コミュニケーションを必要としない政治体制を抽象的ながらも制度設計を試みている。この一般意志はルソーの著作から着想されたものでる。

宇野は引き続いて以下のように述べている。

 

それは、現代を生きる私たちは、(東の言葉に添えば)動物と人間の間を揺れ動いているからだ。そのため、動物化した人々が渇望するものが人間的なコミュニケーションへの欲望の代替物である、という皮肉な結果をもたらしている。私たちは動物のように生き得る世界に生きているが、人間的な欲望を断念することはできない。そのため社会に拠らない、自発的なコミュニケーションを成功させた人間だけが、コミュニケーションへの欲望を充足させ、敗れた人々はルサンチマンを沈殿させるしかない――私たちはそんな社会を生きている。(同前)

 

例えコミュニケーションを否定し動物的に生きていても、完全に人間的なコミュニケーションを否定することができない。宇野はルソーを参照したような表現で、コミュニケーションの必然性を説いているが、それにしても宇野、東が共にルソーを参照していることは興味ぶかい。そこにルソーの両義性もしくは魅力があるのかもしれない・・・

 

 

【4】ポスト・オリンピックを考える~難民化する人々~

引きこもりから、決断主義へ・・・ではその先に何があるのだろうか。2020年のオリンピックからそのことを考えてみたい。なぜ、オリンピックをここに持ち出したのか。それはオリンピックが一つの物語を形成しており、それが昭和オリンピックを再興しているようにも見えるからである。いまだに昭和が残っている・・・このような感覚から、今を昭和90年と表す事もできるのではないだろうか。

2015年は昭和になってから90年となる。仮に昭和が続いていれば2015年は昭和90年ということになる。2020年東京オリンピックはちょうど昭和95年となり、昭和90年代の中間におかれる。昭和90年を2つに区切れるとしたら、その境目はちょうど2020年となる。オリンピックを持ち出したのはこのような事情からである。昭和90年を2つで区切ると前半をプレ・オリンピック、後半をポスト・オリンピックとよぶこともできる。

オリンピックに関しては現状様々な問題が噴出しており、私見では開催することがはたして可能なのか疑問があるが、今回はそのような問題に立ち入らない。問題としたいのははたしてポスト・オリンピックを想像する事は可能なのかどうかということだ。

賛否はあれど、現在日本全体が東京オリンピックへ向け何かしらの期待感と云うものをもっている。それは政治的・経済的なものに留まっているが、ともかくオリンピックに向け何かしら活気付いていることは確かである。しかしながら、オリンピックはたかだか2週間あまりのスポーツイベントにすぎない。それが終わった後、東京オリンピック以上のものが果たして生まれるのであろうか。今のところそのような状況はまだ見えていない。オリンピックへの期待の高まりの反動が、オリンピック後に来るのではないか。そう悲観的にならざるを得ない。ではポスト・オリンピックをどのように今から描くべきだろうか。それが昭和90年代を生きる上でも参考になろう。

 

ところで今アメリカは「二周目の近代」を経験しているという。二周目の近代とはなんだろうか、池田純一は次のように述べている。

 

現代のアメリカ社会は、百年前の社会的記憶をたよりに、当時の動きを現代的に再稼動させようとしている。レーガンが金メッキ時代を演出し、オバマが改革主義(プログレッシブ)時代を再演する。百年前の近代をやり直す「二周目の近代」を経験している。(『〈未来〉のつくりかた』)

 

日本でも昭和リバイバルとして、高度経済成長期を懐かしむ風潮あるが、アメリカの場合、単なるノスタルジーに留まらない。そこにはアメリカ独特の考え方がある。それはプラグマティズムである。

 

「二周目の近代」にとって、反省的思考は決定的だ。なぜなら「二周目」という認識は、反省的態度がなければ生まれようがないからだ。何であれ最初の試行の段階ではそれを「一周目と認識することはない。なにしろ初めて行うことだからだ。「一周目」という認識は「二周目」を認識した後に、事後的に生じるものだ。(省略)

「二周目の近代」を具体的化するには、反省的思考が必要になる。そして、この点で注目すべきものが、アメリカオリジナルの思想と呼ばれるプラグマティズムだ。(同前)

 

単に「あの頃はよかったね」だけでは駄目なのである。再帰的に自問自答し、反省と改善をすることによってさらに進歩的な社会にすることができる。ITはこの再帰的な思考(試行)に効果的なツールとなっている。ここにアメリカ特有の楽天主義があるようにみえるが、ともかく、このようなやり方でアメリカが今の地位を築いてきた。では日本はどうだろうか。昭和90年と2020年のオリンピックを「二周目の昭和」とよんだとしても、そこに反省的な視線はあるのだろうか。むしろもう一つの新しい物語を形成しようとしている。それを分かりやすく表現したのが映画『ALWAYS 三丁目の夕日』であったのだろう。もちろん過去を振り返るのは悪いことではない。しかしそこにもう一つの物語をつくるのと、反省的になるのでは、全く異なってくる。宇野はそのような昭和ノスタルジーを「安全に痛い」ものと捉えている。それを自己反省とよんでも、アメリカ的な自己反省とは異なるようにみえる。昭和ノスタルジーに対し宇野は「「安全に痛い」レベルの自己反省(パフォーマンス)がよりその暴力性を強化温存する一方で、「自分は一度反省したのだから倫理的である」という免罪符を与え、より無自覚な依存へと人々を導く」と述べ、安全で痛い昭和ノスタルジーを批判的にまた、仕方ないものとして捉えている。昨今の東京オリンピックの騒動をみると、自己反省どころの状態ではないと危惧している。そこにはオリンピック後を見据えたプランというものがたてられていないと感じざるを得ない。昭和90年代を「二周目の昭和」と位置づけてみても、それはアメリカの「二周目の近代」と全く異なっているとみえる。人々がオリンピックに賛否はあれ、ひきつけられるのは、結局「二周目の昭和」を象徴するものがオリンピックのみであり、物語を形成してくれるものが他にないという貧しさからきているといわざるをえない。しかし昭和をノスタルジーでなく、真面目に捉えなおすことは困難で、自己反省し、発展させるところまで行き着いていないのが現状であろう。

新しい想像力としての「決断主義」、もっともであるが筆者としては「決断主義はキツい」と考えてしまう。確かに引きこもっていても仕方ない。何か「あえて」選択して、行動し自ら道を切り開いていくことは真っ当な考えである。しかし、それでも引きこもらざるを得ない人々も現実にいる。そのような状況で、どのように行動していけばいいのか。答えを出すのは簡単ではない。

 

ところでこれからの社会を考えるうえで、オリンピックや原発などの問題を考えなければいけないのは当然であるが、付け加えて考えなければいけないのが難民問題であろう。20世紀が戦争の世紀であるなら、21世紀は難民の世紀になるかもしれない・・・そう思わせるほど現在大量の難民が中東を中心にあふれ出ている。日本では相変わらず難民に対しては消極的な姿勢をとり続けているが、対策を変更せざるを得ない時期がくるだろうと推測する。難民と一口にいっても様々であるが、ここではもっと拡げて考えてみたい。つまりもっと身近なものとして捉えてみたい。『東京難民』という映画があるが、ここで描かれているのは、貧困に陥るのが誰にでも起りえるということを示唆している。無論それは私自身がある日路上で暮らす難民になり得るかもしれないということだ。難民は簡単に祖国へ変える事ができない。見知らぬ国の見知らぬ街で暮らすしかない。そのときにアイデンティティとなるものは一体なんだろうか。見知らぬ国で真っ当に暮らすためにはその国からの承認が何らかの形で必要になる。それがなければその国で生きていくのは困難である。難民と移民を混合するかのように書いてしまっているが、ヨーロッパで起きたテロ事件の犯人の多くは移民であるといわれている。その国に馴染めず、宗教的表現を禁じられ、何を拠り所にすべきかもがいた上での犯行ではないだろうか。そのような状況は今後もつづいていくだろう。

住む、という行為はこれまであまり重要視されてこなかったように思える。地方に生まれれば、東京に上京し結婚して、郊外に一戸建てを買って住む、というのがこれまでの典型的なパターンであった。だが格差問題が浮上し、とても家など買えない人々も出てくる。賃貸を移り住むというのが普通になっている。日本は住宅についてあまり考えてこなかった。住むという当たり前のことが困難になりつつある。難民を受け入れるかどうかは別として、様々な境遇の人々が共同し住み、流れてゆくというのが常態化しつつあるように思える。

近年の宇野常寛は、カルチャー批評を行うと同時に地理について論じる機会が多くなった。それは昭和的なライフスタイル未だにモデルケースとして提示する国家に対する不満から来ているが、宇野が住む場所について考え出したのは意外にも思われる(ただそれは宇野自身に家族ができたからというプライベートな事情があるかもしれないが)。現在のところ東京のみにスポットライトを当て論じているが、今後どう論じていくか注目される。付け加えるならばぜひとも宇野には『テン(10)年代の想像力』を書いてほしいと切に願う次第である。

 

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