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頭文字A ~アマチュア、アスリート、そして伝説へ…~

あの人は今? 的なコーナーで、今まさに、新井和響が元競技者のプライドを口にしながら寿司を2貫食いし、赤阪尊子がご飯を欲しがる様子が放映されています【※1】。今年5月にはTBS『マツコの知らない世界』に小林尊が出演しましたし、「大食い」文化のリバイバルが来ているのかもしれません。私は年齢一桁後半時代、給食が食べきれなくてよく昼休みに教室に残されたのですが、そこから年齢を重ねるごとに少しずつ食べる量が増えていった経験とリンクして、健啖家の食事風景に、成長、前進といったプラスのイメージがあり、たくさん食べる人を見るのが好きです。『孤独のグルメ』に始まり『たべるダケ』、『ラーメン大好き小泉さん』など美味しそうに量を食すことに主眼が置かれた漫画がドラマ化して人気を博したことから、このように考えるのは私だけではないようです。日本に住む若者の多くが、そのことを意識する最初の経験は「大食い」というコンテンツの視聴にあったのではないでしょうか。私の場合、原風景はおそらく“学食クイーン”伊藤織恵です。
伊藤織恵は日本の「大食い」というジャンルにおいて、最初の価値観転換を果たしました。「大食い」について、まだ巨漢信仰が残っている時代に、小柄で細身、かつ綺麗に食べて、男性参加者をなぎ倒していったのです。ジャンル勃興期に、そのジャンルが成長していくためにはスタープレイヤーの存在が不可欠ですが、特別番組だった大食い選手権がTVチャンピオンの1大会となったのは、伊藤が女性限定の『第4回全国大食い選手権』(1990年)に続き、男女統一戦の『全国大食い選手権チャンピオン大会』(1991年)を制覇したことと無関係ではありません。その伊藤はTVチャンピオン『(第1回)全国大食い選手権』(1992年)の優勝後、留学することを理由に引退します。

明白なことのように語り始めてしまいましたが、日本における「大食い」の歴史を語るうえではテレビ東京(以下、テレ東)の大食い番組の存在は避けられません。この点について異論は出ないでしょう。
2015年9月からジャンプ+にて始まったうすた京介の新連載『フードファイタータベル』第1話の最終ページは、主人公タベルの「いっちょ目指したろか! フードファイターの聖地 “テレビ凍狂”【※2】を!!」という台詞で締められています。日本で一般的に「大食い」と言えばテレ東なのです。1989年に日曜ビッグスペシャル『全国大食い選手権』が初放映されてから26年。途中、番組名を変更しながら同様の主旨の番組の放映は継続され、2016年1月にも次回放送が決定しています。この一連の番組を軸に「日本大食い史」を振り返りつつ、話を進めていきます。

留学を理由に伊藤が引退した後、テレ東『全国大食い選手権』は群雄割拠の時代に突入し、ジャンルとして堅調な歩みを見せます。後に「大食い第一世代」と呼ばれる、この頃の有名競技者は、赤阪尊子、中嶋広文、藤田操、岸義行、新井和響などでしょうか。回によって優勝者が入れ替わりながらも、個々の選手が自己記録を更新し、「大食い」は世間への認知度を高めていきます。その間、1916年から続く国際ホットドッグ早食い選手権に日本人が参加し始めたことにも触れておきます。中嶋による当時の世界記録を打ち立てつつの3連覇(1996~1998年)や、世界記録を更新した新井含め、藤田・赤阪と上位3位を独占したこと(2000年)などは、一般のニュースでも「大食い」が紹介される契機となりました。この頃までが、日本大食い史の前半部と呼べるでしょう。
そして、日本大食い史を2つの時期に分けるとするなら、その契機は間違いなく2000年、小林尊の出現です。大食いウォッチャーを自認していたコラムニスト・ナンシー関の言葉を借りるなら日本大食い史には間違いなく「小林尊以前/以後」があります。“プリンス”小林は「大食い」における最大の価値観転換者でした。2000年11月の『全国大食い選手権』では初出場ながら、赤阪、岸、新井といった、それまで何度も接戦を繰り広げていた常連出場者を破り優勝。その際のことを小林は「一滴も水を飲まないことで、胃の容量で上回る岸さん、赤阪さんにラーメンで勝利しました」【※3】と述懐しています。翌2001年の国際ホットドッグ早食い選手権では、それまでの参加者と違う全く新しい食べ方で、前年の新井の優勝記録25本をダブルスコアで塗り替える50本を食べて優勝【※4】。多くの「大食い」関係者の「○○はどれくらい食べることができるか」という目線ではなく、「○○はどのように食べると最も多く食べることができるか」という目線を導入しました。

彼が成し遂げたとても大きな価値転換は、大食いのスポーツ化、大食い競技者のアスリート化という流れを産みます。日本において「大食い」関連の番組放映数が最も多かったのはおそらく2000~2002年頃で、2001年に始まったTBS『フードバトルクラブ』の演出に顕著ですが、フードファイターという呼称も出現して大食い大会参加者のタレント化が加速、「大食い」=スポーツ・参加者=アスリートと捉える考え方が発生しました。
小林は「いくら凄くてもどこか間抜け」【※5】で「最大の誉め言葉は『おかしいよ』」【※6】であったバラエティ路線のテレ東『全国大食い選手権』に出演しなくなり、日本大食い史は2つの異なる価値観の歴史が編まれ始めるように見えました。
どちらが正史となっていくのか、世間の大食いファンは関心の目を向けていましたが、2002年に起きた愛知県の中学生による早食い競争の死亡事故により、キー局は大食い関連番組の制作を取り止め、ここで日本大食い史は一度、完全に途切します。

狼煙を上げたのは、テレ東でした。3年後の2005年『元祖!大食い王決定戦』により大食い番組を再起させます。歴史断絶前に何度も小林を破っていた“ジャイアント”白田こと白田信行、その白田と同期デビューで2001年のデビュー戦では白田を抑えて優勝した“ドクター”射手矢(西川)こと射手矢侑大(西川廣幸)も復帰し、幸運にも2005年デビューのギャル曽根というタレントにも恵まれ、「大食い」は2007年に「新語・流行語大賞」のトップテンに入選するなど、人気が回復します。
対抗馬であった純然たるスポーツ競技然とした大食い番組は復活しなかったため、日本大食い史はキャラクター重視のバラエティ路線が正史となりました。競技中の参加者に司会がコメントを求めることや、炎天下で熱々のラーメンを食すといった試合方法などは、「大食い」をスポーツとして捉えた場合には是正されてもよいものですが、むしろ積極的に推進されました。日本においては、大食いをスポーツと捉える考え方は育たなかったのです。お笑いコンビ・ラバーガールがソロライブ『T/V』(2014年)で披露した買い物コントにおいて、ベッド販売の店員が、このベッドはアスリートも利用していると言い、客がそれが誰かを尋ねると、ジャイアント白田さんですと返すというやり取りが、笑いとして機能していることからもそれは読み取れます。
なお、アスリート志向だった小林は日本大食い史断絶頃から現在に至るまで、活動の軸足を完全に海外に移しています。

価値転換はもはや起こらず、「大食い」は今後も日本においてはテレ東の独占状態で、バラエティ番組の一ジャンルとして消費されていくように思われました。しかし、2014年よりテレ東が『国別対抗!大食い世界一決定戦』をスタートさせたことにより、少しだけ様相が変わってきます。2014年、2015年と日本代表が団体戦形式で圧倒的な敗北を喫したことで、勝つために「大食い」のスポーツとしての側面に着目する層が増え、日本の最も強い層を出場させるべきだとして“伝説”として引退していた参加者の復活を望む声が挙がるようになりました。
2016年1月放映予定の『大食い世界一決定戦』の日本代表メンバーは現時点でまだ明らかにされていませんが、伝説の選手の復活という情報もあります。2015年9月放映の『元祖!大食い王決定戦 新絶対王者襲名戦』では、予選ラウンドでジャイアント白田の記録を塗り替え、全ラウンド1位通過して完全優勝する新人“MAX”鈴木こと鈴木隆将が登場するなど、強い競技者・勝つ競技者志向は、テレ東内部でも高まっているのかもしれません。

限界間近です。大食い競技に必ず制限時間があるように本稿にも〆切があり,それは刻一刻と迫っていてこの文章は今にも提出されようとしています。ここまであえてその名前を一度も記述しませんでしたが、伊藤織恵の留学先であり現在の小林尊の活動場所、テレ東における各選手のニックネームの言語使用国、国際ホットドッグ早食い選手権の開催場所であり大食い世界一決定戦の優勝国……本稿に通底するその存在に気づかれましたでしょうか。
そう,日本における大食いの歴史には,あの国が……

※1:テレビ朝日「いきなり!黄金伝説」2015年10月15日19時から放映。

※2:凍狂は東京の当て字か。凍狂という表記は、うすた京介の前連載作品『ピュ~と吹く!ジャガー』でも登場。

※3:小林尊のブログ「Kobi’s BLOG」2015年1月2日の記事より引用。

※4:ベストセラー『ヤバい経済学』(東洋経済新報社、2006年)の著者スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナーの新刊『0ベース思考』(ダイヤモンド社、2015年)の原題は『Think Like a Freak』で、小林尊のこのエピソードを「既存の価値観を変えた例」として多くの紙幅を割いて紹介している。

※5・6:ナンシー関『テレビ消灯時間6 天地無用』文藝春秋、2002年より引用。

文字数:3996

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