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『インターステラ―』における半透明なもの

本棚。カメラはその表面をゆっくりと、舐めるようにスクロールしてゆく。本棚には、だいぶ前から砂埃が積もり続けている。カメラは、その砂埃の一粒一粒を、光の肌理に至るまで鮮明に映し出す。画面を覆い尽くす砂埃は、時折不自然なほどに歪な軌道を描きながら、ゆっくりと舞い降りてゆく―――

 

クリストファー・ノーラン監督の映画『インターステラ―』の冒頭である。2014年度最大のSF大作とも称された本作は、現代物理学の知見に立脚した難解さで話題を呼んだ。

異常気象により、人類の存続が危ぶまれる近未来。元宇宙飛行士のクーパーは、義父と息子のトム、娘のマーフとともにトウモロコシ農家を営んでいる。マーフは、かねてより本棚から本が勝手に落ちるのを不審に思っており、それが幽霊のせいではないかと考えていた。しかしクーパーはそれが何者かによる重力波を用いた二進法のメッセージではないかと思い至るようになる。クーパーとマーフは、そのメッセージを解読し、秘密組織にたどりつく。それははるか昔に無くなったはずのNASAであった。そこでクーパーは、ラザロ計画という計画の存在を知ることになる。それは土星近くに、何者か(クーパーらは「彼ら」と呼ぶ)によって設置されたブラックホール・ガルガンチュアからワームホールを抜けて、別の銀河に人間の新天地を探す計画であった。宇宙飛行士になるよう打診されたクーパーは、人類を救うために、反対する家族を地球に残したまま、宇宙飛行士のアメリア、人工知能ロボットのTARSとCASEとともに宇宙へと旅立っていく。

このように書くとあたかも凡百のSF映画のあらすじとあまり変わらないように思われるかもしれない。しかし本作のサスペンスフルな点は、むしろそうした天文学的なスケールの中で引き裂かれた家族の絆を描こうとしている点にある。

 

一般相対性理論をかじった人ならお分かりだろうが、私たちの時空間は一定ではない。たとえば強い重力場においては時間がゆっくり進む。端的に言えば、重い(質量が大きい)星の周りでは時間は相対的に遅く流れるのである。これはこの映画の場合も例外ではない。

数人の仲間を失いながらも最初の星・水の惑星での探索を終え命からがら宇宙船に戻ったクーパーは、水の惑星での数時間の探索の間に地球で約23年もの月日が流れていたことを知らされ、愕然とする。23年の間に溜まったメッセージを再生するクーパー。まずは息子のトムが映り、高校を卒業したこと、子供が生まれたこと、そしてともに暮らしていた義父と祖父が亡くなったことを伝える。そしてマーフ。彼女は自分が旅立った時のクーパーと同じ年齢になったことを伝える。クーパーは彼らの言葉に反応を見せるが、彼らにはもはや届かない。彼らは既にイメージでしかない。その証拠に、彼らが動く度に映像には縦のジャギーが入る。まるで引き裂かれた傷のように。そして、クーパーの頬を伝う涙のように。

この映画において、クーパーとマーフたち家族との間を分かつ隔たりは、あまりにも深く、二度と取り戻すことのできないものである。三浦哲哉が述べるように、サスペンスとは「イメージに対する観客の絶対的な受動性」※1であるとすれば、この映画を観ている観客にとっても、ビデオメッセージを観ているクーパーにとっても、これほどのサスペンスフルな状況はほかにないはずだ。しかしここで注目すべきは、結果的にはこのジャギー、つまり引き裂かれた傷こそ、彼らの溝を埋めることになるのである。一体どういうことか。まずは、話を先に進めよう。

 

水の惑星を脱出したクーパーら一行は、次の惑星でラザロ計画の発案者であるマン博士に出会う。しかし単身での地球帰還を企てたマン博士の暴挙により宇宙船は損壊し、地球への帰還の道は絶たれてしまう。ガルガンチュアへと接近する宇宙船。クーパーは、アメリアに残りのミッションを託したまま、自らを宇宙船と切り離し、TARSとともにワームホールへ突入していく。クーパーがワームホールの中で見たものは、なんとマーフの部屋であった。五次元超立方体テサラクト。「彼ら」が設置したその空間においてクーパーは、自分がマーフの部屋を通じて、地球のあらゆる過去・現在・未来と連結していることに気づく。

このテサラクトは、この映画においてもっとも象徴的な時空間である。それはこの時空間が、その五次元としての特異性ゆえに、この映画全体の説話構造を一挙に開示するだけの可能性を秘めているからである。こうした五次元時空を私たちはジル・ドゥルーズが『シネマ2*時間イメージ』の第4章「時間の結晶」に登場する〈結晶イメージ〉になぞらえることができる。

 

ドゥルーズは、『シネマ』において、映画表現の進化について論じている。彼によれば、第二次世界大戦を境に、映画は従来の感覚運動的な作用反作用を通じて間接的に時間を表象する〈運動イメージ〉から「純粋に光学的・聴覚的な状況」を導入することで直接時間を表象する〈時間イメージ〉の表現へと舵を切ったという。感覚と運動という作用・反作用の連関を断ち切られたイメージは全て等価になり、アクチュアルなものとヴァーチャルなもの、現実と想像、物理的なものと心的なものが識別不可能となる。これが〈結晶イメージ〉である。だから、ドゥルーズの〈結晶イメージ〉は、決して透明ではない。その光の肌理によって、絶えず「不透明」と「透明」を横断し続けるのである。そう、冒頭のあの砂埃のように。

潜勢的イメージが現勢的になるとき、そのイメージは、鏡の中のように、あるいは完成した硬質な結晶におけるように、可視的で澄んでいる。けれども現勢的イメージのほうが潜勢的となり、他方へ送られると

きには、かろうじて大地から抜け出た結晶のように、不可視で不透明で暗くなる。したがって現勢的-潜勢的という対は、不透明―透明という対へと、すなわち両者の交換の表現へと、じかに延長される。

※2

テサラクトの内部は、先ほどのビデオメッセージにおけるジャギー同様、縦横に直交する糸状の物体で構成されている、そこから垣間見るマーフの部屋は、まるでこの糸で編まれたヴェールから覗き見るように、半透明である。ここにも私たちは、ドゥルーズの〈結晶イメージ〉と五次元時空との間の一致を見ることができる。

 

しかし、五次元時空と〈結晶イメージ〉においては一点だけ異なる点が存在する。それは、〈結晶イメージ〉と五次元時空とにおける主体の役割の違いである。ドゥルーズは、〈結晶イメージ〉を「水晶」になぞらえ、次のように述べる。

幻視者、見者とは、水晶の中を見る者のことであり、そして彼が見るのは、二重化、分裂としての時間のほとばしりなのだ※3

しかし本作におけるクーパーの役割は、ドゥルーズの言うような「幻視者」「見者」のそれに留まらない。なぜならテサラクトの内部では重力を操作することで個々のイメージにアプローチすることができるからである。

テサラクト内部に閉じ込められたクーパーは、張り巡らされた糸を押すことで、重力波を操作する。そして本棚の本を落とすことで、ミッションに出発する自分を思いとどまらせるよう信号を送る。そう、マーフが見た「幽霊」とは、クーパー自身であったのだ。またクーパーは、同じくマーフの腕時計の秒針を操作することでTARSが集積したブラックホール内部のデータを送信する。ビデオメッセージにおけるあの傷のようなジャギーが、ここでは遠く隔たった家族との、唯一の接触手段となるのである。

このように五次元時空においては、〈結晶イメージ〉すら感覚運動イメージの作用を通して操作することができるのである。理論物理学者のリサ・ランドールによると、根本的な秩序が四次元時空以上にならないと解明できない「準結晶」と呼ばれる結晶が存在する。※4このような〈運動イメージ〉を介して〈結晶イメージ〉にアプローチする在り方を、彼女の言に従って〈準結晶イメージ〉と呼んでおこう。

 

そして〈準結晶イメージ〉における操作可能性ゆえに、テサラクトは、複数のサスペンスが折り重なったサスペンスフルな時空へと変貌する。第一にクーパーは、この五次元時空の中で文字通り「サスペンス」(=宙吊り)の状態で、マーフの部屋を見つめている。第二に、この時空自体が事前にちりばめられたありとあらゆる「サスペンス」(未決定)の発端となるような空間でもある。またそうした未決定の事態は、より高次の次元においてはじめて解決されるような事態であった。そして最後に残された、いったい誰がワームホールを作り、いったい誰がクーパーにテサラクトを用意したのか、という問題。クーパーが重力波を用いてマーフにメッセージを送った後、「彼ら」はゆっくりとテサラクトをたたみ始める。そこでクーパーは交信していたTARSに向かって次のように述べる。

「彼らじゃない 俺たちだ」

つまり、これまでクーパーたちを誘導してきたのは、すべて全て重力を操れるようになった未来の人類であったのだ。ここには私たちが見ている〈準結晶イメージ〉でさえ一つのイメージであり操作可能であるという、イメージそのものが持っているサスペンス(不安定性)が露呈している。

 

 

 

1 三浦哲哉『サスペンス映画史』みすず書房、2012年、p9

2 ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』宇野邦一他訳、法政大学出版会、2006年、 p97

3 同上、p112

4 リサ・ランドール『ワープする宇宙 五次元時空の謎を解く』向山信治他訳、NHK出版、2007年、p22

 

 

 

 

 

 

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