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2016.1.18 新中野のファミレスにて

だいたいハイテンションってなんだよ

 

まず課題をこなすことに集中しなければ

 

それにしても前にいる人の会話が気になる

 

自分の言葉を文字にするってなんか変な感じだな。文字にすることでパソコンの画面に自分の思想が固着していく感覚にひどく違和感を感じるなぁ

 

でもその感覚は多くの批評家先生は乗り越えているものなのかな。批評の歴史を振り返る、共同討議を見ると批評の世界の関係性が見えた様な気になる

 

どう見えた?

 

批評家という人々が生息しているということ

 

社会に?

 

そうだね。社会の観測者という感覚に近いのかも。

 

そもそも君は人と会話することで自分の考えをまとめていくタイプだから、こういう脳内会議みたいなスタイルも以外と無駄ではないのかも。

 

二時間の、PCの上で繰り広げられる会議ね(笑)

 

そういえば、対談っていうかああいう、思想的なものを語り合っている文章を見ると、他人同士が話しているっていうより一つの共同意識のようなものに感じるね。

 

そうそう。特に君みたいに登壇者のパーソナリティをしっかりと認知してない場合は特にそうだろうね。

 

そう。難しいことを言う人たちの集合体みたいな(笑)

みんなが話してるんじゃなくて一人の小難しい人が話しているような感覚。

 

それはゲンロンカフェとか批評再生塾であなたが感じているものとも似ているよね。

批評再生塾っていう大きな一つの生き物が形作られていって、自分はその共同体の一部にはなれないんだろうなって感覚。

 

でもそれは自分の知識不足が主な原因だろう?

 

そうだね。根本的に不真面目なことで不勉強ゆえに生じる知識不足(笑)

 

じゃあなんで批評再生塾なんか参加したの?

 

いやぁ怖いもの見たさっていうか勢いっていうか、無駄に挑戦しちゃったよね。

 

完全に始まる前の説明会みたいなやつにアジられたよね(笑)

 

そうそう(笑)

今も東さんが言っていた「ヤンキーみたいなガッツが必要」みたいなことを勘違いして食らいついてる感あるよね。

 

でも渡邊大輔さんの時の「批評に怒りが必要」みたいなことはハッとしたね

 

自分自身に怒りがないからね。ぼんやりと発言欲があるだけっていうか(笑)

 

批評っていう外部からものを言うことへの憧れはあるのかな?

 

うーん、言葉を使って何か表現したいっていう意味ではあると思うよ。

 

でもこの塾に通って、批評界というかゲンロン界っていうものなのかな、それに触れ合うことによって自分の指針というのはある意味わかったかも。

 

どういうこと?無理やりいい感じにまとめようとしてない?(笑)

体のいい自己正当化にも聞こえるけど。

 

うーん向いてないっていうか、この先に行くにはやっぱり努力しないといけないなって感覚。

そもそも楽しんでできればそれが最良なわけで。でも現状楽しめないなら勉強するしかない。でもそこまでの努力ができない。そして批評を遠くに感じる、と。

 

だから今回こういう形で分けがわからない、そのままの言葉の発露を書き出しているわけだけども。(笑)

 

そもそももっと時間をかければいいだけじゃないかな。

 

そうだね。時間をかけられない時点で、批評に向いてないんじゃない?

 

そうかもしれないねぇ

 

『昭和批評の諸問題』を読んでどうだった?

 

うーんよくわからなかった(笑)

 

だよねぇ。

 

でも所々琴線に触れるっていうのか、おぉって思うところはあったよね。

蓮見のテマティスムな批評が日本の、漱石とか小津とかのミニマリズムに合っていた、ってとことかね。

 

それは映画のことなら少し知っているからでしょう?(笑)

 

そういう前提知識が要らないサブカルチャー批評の潮流があることは討議の中でも言及されていたね。そういう意味で君自体、批評界の外周に位置しているマジョリティの一部であるってことかもね。

 

わかることなら楽しいっていうなら、やっぱり勉強したら楽しいんじゃないの?

 

でも今まで批評文のようなものにほとんど触れてこなかったからなぁ。そういう意味では批評的外部に自分は位置できると思って、悪あがきのように書いたりはしてみたんだけどね。

 

なんだか自戒みたいになってきたね(笑)

 

この文章自体、自分の諦めっていうかやけくそ感が強い。

 

それでもひねり出せば何か生まれると信じてる、と?

 

うーん、そう甘いものではないとは思っている。けども、批評という文脈自体が多様なものを取り込んできたっていう流れがあって、今こういう風に批評の新しいあり方を模索してる時に、自分のやり方がどこにどういう風に引っかかるかわからないっていう、希望的観測はあるかも。

 

さて、2015年は今までの批評再生塾を通してどうだったかな?

 

僕的にはやっぱり「批評はどこ必要とされているのか」ってことにいつも帰結していたかな。具体的な内容はあまり理解できなかったから(笑)

 

そこから繋がって、「自分の言葉はどこで生きていけるのか」ってことも考えたね。

そうそう。こういうとりとめなく吐き出した言葉は苦虚に消える無駄なものなのか、それともどこかで何かに拾い上げられるものなのか。

 

そう考えている時点でどちらかといえば無駄なものになるんじゃないかな。少なくともいつも上位三人に選ばれるような人に比べれば、情報量も内容も稚拙すぎる。

 

「拾い上げられる」という他人任せなところも(笑)

 

でも君は結局こういう言葉を通して自己言及したいんじゃないかな。結局は自分が何が言えるのか、ってことを自問している。

 

批評は外に向けることに意味があるんじゃないの?そうなら意味がない。

 

でも、折り返して結局は自分の内部に返ってくることはあるんじゃないかな。よく言われる「折り返す」(笑)

 

一応批評の歴史、みたいなものを見て結局どう思うの?

 

とりあえず専門用語が多い(笑)

 

それを全部理解できる人たちにしか意味がないのが、批評の一端なのかな。

 

そんなことはないでしょう。それじゃ批評が先細る。

 

うーんこのくらいの知識量じゃここまでの議論しかできないね。

 

知識は結局最低限の引き出しとかそういうところなんだろう。

 

あ、もう飽きてきてる。

 

そういう意味ではやっぱり向いてないのかな。

 

適性がわかっただけでもめっけもんかもよ?

 

適性ねぇ。こうやって見返してみると、そもそも批評ってコンテンツに対する接し方がわかってないのかも。批評したいのか読みたいのか。好きなのか嫌いなのか。

 

事実この文章はどこにも向かってないものね。

 

これを読んだ人に何も生み出さない。社会との接続だってもちろんないだろうし、自分自身にも生み出してないんじゃないの?

 

うーん、でもこういったものも何か漠然とした批評的なものにもなるんじゃないかな。

 

そんな都合のいいことはないよ(笑)。駄文だね。

 

あー難しい。

 

 

 

文字数:2683

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