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「かたちなきもの」の「かたち」をめぐって

 同じ産道という経路を通りながらも、我々が異なった性別で生まれてくるのは至極当然のことである。「男」には男性器が「女」には女性器がありその「かたち」は異なる。我々「人間」には大まかに2種類の「かたち」があり、成長を重ねることでその「かたち」の変化はより明確になる。もちろん個々人の差はあれど、「男」と「女」の「かたち」、その非対称性が目に見えるものとして現れてくる。

その「かたち」の差は家族の、社会の、「かた」をつくってきたということは周知の事実であろう。「かたち」が人間の生き方の「かた」を精錬してしまう。もちろん社会の中でその「かた」に従う者もいれば従わない者、「かたやぶり」なものも当然でてきた。そうした「かたやぶり」なものたちが、今までと異なる社会、新しい「かた」を産み落してきたのもまた事実であろう。

だが我々は「かた」を変えようとしていないのにもかかわらず、自分の意志とは関係なく「かた」を変えられてしまうことがある。「かたち」を変えられてしまうことで「かた」を変えられてしまうのである。それはたまたまの出会い頭のようなもので、なぜそのようなことが自分の身の上に降り掛かったのかわからない、理不尽な出来事のようなもので、不可逆的に「かたち」が変わってしまう。

我々はなぜそれが起こってしまったのかを、あまりにも沢山の言葉並べて考えてしまうが、その全てを精神という「うつわ」に納めることはできない。あまりにも沢山の言葉が入りすぎると「うつわ」から言葉が溢れ出す間もなく、それ自体が壊れてしまう。我々は沢山の言葉を飲み込む「うつわ」が必要なのである。それが割れることがあってはならない。つまりその「うつわ」は、「かたちなきもの」としてあらねばならない。

冒頭で男と女の「かたち」の非対称性を指摘したのと同様に、男と女の「かた」も非対称である。それが最も顕著に現れるのが生殖の場面であろう。そしてその非対称性の狭間で生まれ落ちるのが「あかご」である。生まれてきたばかりの「あかご」の姿を思い浮かべてみよう。血液や羊水を纏っているその姿は一見すると明確な「かたち」をもたない「あかいかたまり」である。それらは性器の「かたち」により、性別を判断されるのだが、その違いを除けば、「あかご」の時期は性別の差異を見てとることができないということでもある。我々は「男」であるか、「女」であるか判別のつかない姿をしている時期がある。限りなく同じような「かたち」をした「あいまいなかたち」をしていたのである。

「あかご」は「あいまいなかたち」として我々、男と女のあいだに立っている。そして「あかご」という存在が「男」と「女」が〈かつて「おなじようなかたち」をしていた〉ということの記憶を呼び覚ます機能をもっている。

〈「あかご」はどこから来たのか?〉を問うことは、〈「あいまいなかたち」以前の、「かたち」はどのようなものだったのか?〉を問うことと同意である。かつてそのかたちを我々は直視し認識することはできなかった。その経験の欠落とも欠落の経験ともよべる経験は「かたちなきもの」という「かたち」を生み出した。それゆえに「あかご」を遡ることが「かたちなきもの」へと通じる通路である。「あかご」は「女」の身体に宿るとき、そのへその緒は母体に、何よりも「かたちなきもの」とのあいだにも繋がれているのである。

「あかご」が「男」と「女」のあいだに位置していると同じように、まさに「あかご」は「かたちあるもの」と、「かたちないもの」とのあいだに「あいまいなかたち」として存在するのだ。それは「かたちあるもの」と「かたちなきもの」を繋いでいる。

「かたちなきもの」は「みえないもの」として想定されなければならない。なぜなら「めにみえるもの」には全て「かたち」を形成する輪郭線があるからだ。しかしながら「かたちなきもの」や「みえないもの」を我々は思考することができるだろうか。「かたちなきもの」を思考するためには、それを指し示す言葉、存在が必要である。それは「かたちなきもの」に明確な「かたち」を与えないものとして存在すると同時に、明確な「かたち」をもつ我々に「みえるもの」でなければならない。見ることができるからこそ、名付けることができる。「かたちなきもの」と我々を媒介することができる。

我々を社会と紐帯するための(その「かた」が強固で隙間無くある場合も、バラバラに隙間だらけの場合も)装置として、「かたちあるもの」である「男」や「女」はその役割を果たすことができない。「父」や「母」では我々の言葉を全て受け止めることはできない。「歴史」という「うつわ」では足りないのである。未分化の場所から、中途半端に、そしてやがては我々と同じ「かたち」に分化されることが潜在している存在としてその「かたち」があらわれていなければならない。そうでなければ我々は「かたちなきもの」に遡逆することができない。遡逆するための「あかご」とはたった1人ではない。そしてその名も決してひとつではないのである。

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