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戦争画にみる二つの末路

藤田嗣治の戦争画には二つの末路が描かれている。一つは『アッツ島玉砕』<アッツ島google画像検索>である。もう一つは『ソロモン海域に於ける米兵の末路』<ソロモンgoogle画像検索>(以下『ソロモン』と明記)である。この二つの絵はほぼ同時進行で描かれた。まずは『アッツ島玉砕』について見ていこう。

『アッツ島玉砕』は1943年5月の北太平洋アリューシャン列島アッツ島での戦闘を描いたものである。雪が降り積もった山々を背景に銃剣と日本刀で米兵に切りかかる日本兵たちが描かれている。日本兵と米兵が現実ではあり得ないほど密集し、背景までもが茶色を主調とした色調で描かれることですべてが渾然一体となって一つの塊のように感じられる。日本兵たちの最後の抵抗がものの見事に描かれている。藤田の戦争画なかでもとりわけ評価が高い作品で、藤田自身も「数多くかいた画の中の尤も快心の作」と評したほどの作品である。『アッツ島玉砕』には「玉砕」という末路が描かれている。

『ソロモン』は1942年8月から11月まで行われたソロモン諸島をめぐる日本とアメリカの海戦の一場面を描いたものである。この海戦では両軍共に多大な損失をもたらし、多くの兵士が遭難の末に命を落とした。この絵ではこれからまさに遭難によって命を落とすのではないかと感じさせる絵となっている。画面前方には荒波の中、小船に乗った男たちが描かれ、画面後方にはうねる海と鮫の群れが描かれている。まさに死と隣り合わせの瞬間を切り取った絵に見える。

ただここで一つの素朴な疑問が浮かぶ。これは戦争画なのだろうか?戦争画とは戦争を記録し、また民衆がその絵を見ることで戦意高揚を図るというのが戦争画の、少なくとも建前だったはずだ。しかしこの絵は題名によって戦争画と明示はされているものの、絵だけを見ると一見して戦争を描いたものだとは分からない。仮に海戦で遭難したとこだと説明されても、なぜ敵兵が遭難している様子を描いたのか、そもそも絵の男たちはアメリカ人かどうかもはっきりしないし、たとえアメリカ人だったとしてもその中の一人が片腕を無くし、遭難しながらも精悍な顔つきでじっと舟の前方を見つめる様子を描くことは到底理解できない。

ここで少し話は逸れるが、藤田という人間をよくあらわすエピソードを紹介しよう。ある日、藤田のアトリエにある一人の軍人が訪れた。その軍人は陸軍中将・萩須立兵といい、ソ連軍の戦車を迎撃したノモンハンで指揮を執った男で、多くの部下が死にその霊を弔うために藤田に絵画を依頼してきた。藤田は彼の話に感銘を受け快く承諾した。その描かれた絵が『哈爾哈河畔之戦闘』<哈爾哈google画像検索>である。それは『アッツ島玉砕』と違い、澄んだ青空の下、戦車相手に果敢に戦う日本兵の姿があった。しかし、『哈爾哈河畔之戦闘』はもう1枚あった。それは前者のものとは打って変わって、戦車に踏み潰される日本兵を生々しく描いた絵であった。藤田にとって戦争画は戦争を美化するだけでなく、戦争をまっすぐに捉える目を持った画家であった。

では、絵に戻ろう。まず画面前方には7人の男たちが小船に乗っている。絵を右手から見ていくと、一人はうずくまって寝ている。その左にはその男の足を跨いで、立っている片腕の男、その横に俯いて座っている男、海面を見て座っている男、3人が横に並んでいる。その左にはうつろな目をした男が座っている。その前には海面を見て波間に鮫がいるのに気づいた様子の男が座り、その隣には顔を片手で覆い仰向けに横になっているものがいる。
次に画面後方には6匹鮫の群れが波間にいる。右から1匹の鮫の背ビレが見える。その左には1匹の鮫の背ビレがみえ、さらに左に背ビレが見えその横には波間から飛び跳ねた鮫が見え、ほぼ3匹が横に並んでいる。その左には1匹の鮫の背ビレがある。さらにその左には1匹の鮫の背ビレが見える。
この男たちと鮫の群れは対応関係にある。ただ一つ違うのは男たちは7人いるのに対し、鮫の群れは6匹しかいない点だ。死を象徴している鮫が男たちより1匹少ないのは男たちのうちたった一人だけ生き残る者がいることをこの絵は暗示しているのではないだろうか。このように考えると疑問が氷解する。この絵は戦争において生き残ることを描いた作品だったのだ。それは当時一億総玉砕が叫ばれた日本では描けなかったテーマに違いない。しかし生き残るということは紛れも無い戦争の一面であった。『哈爾哈河畔之戦闘』の依頼で相手が求めたものだけではなく、戦争の紛れも無い真実のである側面を描いてしまう藤田が玉砕だけを描くはずない。ただそれは描いてはならないものであった。そこで一見分かりにくい方法で藤田は戦争のある側面を絵に描いたのだ。『ソロモン』には「生き残り」という末路が描かれている。

私たちは戦争というと死んでいった者たちのことばかりに思いをめぐらせがちだ。戦争で生き残った者たち、その者たちに思いをめぐらせることこそ、今私たちが戦争を考える際に最も必要なことなのかもしれないそのことを藤田は一億総玉砕と叫ばれていた当時、『ソロモン』によって暗に示したのだ。

 

 

参考文献
林洋子監修 『藤田嗣治画集 異郷』 2014年 小学館
近藤史人 『藤田嗣治「異邦人」の生涯』 2002年 講談社
椹木野衣 他 『戦争と美術1937‐1945』 2008年 国書刊行会

文字数:2214

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