印刷

「時をかける少女」が隠した死

〈タイムリープ〉とは破壊である。これまでの時系列を解体し、その先の未来を否定し、あの時あの場所へと帰る魔法。眼前の風景を粉々に砕いて、生が生そのものに超越的に生まれ変わるイメージ。
細田守の劇場版長編アニメ『時をかける少女』は、まさに〈タイムリープ〉による日常世界の破壊を描くアニメであり、多くの謎を保留にしたまま、青春の勢いそのままに疾走するように幕を閉じる。主人公のマコトは最後にやりたいことを見つけるが、ここではそれが何であるかは語られない。

マコトが見つけたやりたいこととはなんだろうか。それはなぜ語られなかったのか。

そして、この映画が冒頭と終わりで円環となる構造をしておきながら、冒頭のシーンが「夢だった」として描かれているのはなぜだろうか。
冒頭から終わりへ、終わりから冒頭へ。その流れに沿って何度もこの映画を巡り、解体し、再構成し、マコトが隠した夢を辿ろう。

物語はマコトの死から始まる。
いつもと同じように、自転車は急斜面を駆け下りる。ただ、ブレーキの故障で加速が消えない。暴走が群衆を切り裂いていく。鋭い断続音。警告する踏切。黄と黒の遮断機が降りてきて。宙を舞う自転車。人形たちが鐘を打つ。線路の果てから、黄鉄の死が迫ってくる。
薄赤に光る無数の球体に囲まれて、空を背景に宙を浮遊し、時間はゆっくりと静止する。

「アタシ、死ぬんだ。こんなことになるのなら、もっと早く起きたのに。寝坊なんかしないし、遅刻もしない」

マコトは生来の欠点を呪い、そして突如発動した〈タイムリープ〉によってマコトはその死を回避する。
『新約聖書』において、一度死んだ後に復活を遂げた「イエス・キリスト」は、神として認められることとなるが、〈タイムリープ〉によって死を回避し、新たな生を引き受けることとなったマコトもまた、超人的な宿命を担うこととなる。何度でも過去に遡ってやり直せる絶対的な選択権を手に、その特権に相応の責務を背に。
いかなる〈タイムリープ〉においても、その行為は破壊を内に秘めている。死という現実を乗り越え、粉々に砕き、マコトは自分自身を乗り越えるべく新たに生まれ変わっていく。

突き抜ける夏空。校舎。高校の制服。活発な少女マコト、不良のチアキ、元野球部の秀才コウスケ。三人だけに閉じられた奇妙な関係性。言えない孤独。いつまでも続きそうな夏。
三人は放課後のグラウンドで野球ごっこをして遊ぶ。チアキはカラオケで「Time waits for no one.(時は君を待たない)」をいつまでも歌い、コウスケはマコトが一人にならないようにいつも気にかけている。

そして、
ある些細な出来事が三人の日常を破壊する。

コウスケが後輩の女の子に告白された。その帰り道にチアキはマコトに告白する。マコトは動揺し、それをなかったことにしてしまう。想いを〈タイムリープ〉で破壊した。
だが三人の関係性は戻らなかった。告白をなかったことにした世界で、マコトはチアキからの告白を忘れることができない。
「後でやっぱ付き合っときゃよかったーって泣いてもおせぇぞ」
この台詞はチアキからコウスケに向けられたものだったが、その直後にマコトがチアキに交際を迫られたときに動揺して〈タイムリープ〉を行うことで反復され、それ故に〈タイムリープ〉以前と以降では台詞の意味するものが異なってくる。台詞の意味合いはマコトのなかで複数化され、それは秘密となって不和を生む。

Y字の道を三人バラバラに帰っていく。三人が別れたあと、「ここから」と書かれたY字の「どちらか一方にしか進めない」という意味を持つ標識だけが、意味深に数秒間クローズアップされ続ける。「Time waits for no one.(過去はやり直せない)」

ここではマコトがチアキの告白を受け入れた場合のもう一つの結末が暗示されている。本作はマコトがチアキの告白をなかったことにした結果の延長として、チアキとマコトが永遠に別れるというバッドエンドで終わっているが、それら二つの結末を対比したとき、マコトがチアキの告白を受け入れればハッピーエンドになったのではないかと、後悔を伴う希望を鑑賞者は抱くこととなる。
だが、本当にこの映画の結末はバッドエンドだったのか?ここで忘れてはならないある重要な事実がひとつある。マコトは「それ」を拒んだのだ。

この件以降、マコトの日常は少しずつ壊れていく。
マコトはある男子高校生に、自身が引き受けるはずであったトラブルを〈タイムリープ〉によって肩代わりさせたが、それが原因でその男子高校生はイジメられることとなる。男子高校生はイジメた者たちへ復讐を遂げたあと、錯乱し、マコトへも復讐しようと消化器をマコトに投げつける。それをチアキが庇い、マコトはチアキを守るために〈タイムリープ〉を使用する。二人は消化器を避けることができたが、代わりにマコトの友人が消化器に当たり怪我を負う。
マコトは告白を忘れられずチアキを避け続け、チアキはその事件を機にマコトの友人と付き合うこととなる。やがてチアキは二人から緩やかに離れていく。コウスケは「俺が彼女つくったらマコトが一人になっちゃうじゃん」とマコトの側に居続けるも、マコトが〈タイムリープ〉でそれを破壊し、コウスケと後輩の女の子をくっつけると、後に二人とも事故で死んでしまうことになる。マコトが死ぬはずだった日に、マコトの自転車に乗った二人は、マコトの代わりに死んでしまったのだ。

怪我を負った友人は体に傷が残ることを心配する。マコトは「そしたら、私がなんとかする」と決意を込めて部屋を出る。

わたしはあなたがたに、精神の変化の三段について語ろう。
続いてニーチェ(ツァラトゥストラ)は超人になるための過程を説明する。
まず重いものを自ら引き受けることで精神は駱駝に変わり、更にそれらを我が物にせんと精神は獅子に変わり、最後に無垢な幼子となり聖なる肯定によって自分の世界を獲得する。
自身を取り巻くあらゆる人々の幸と不幸を一手に担い、それらをなんとか束ねようと奔走するマコトは、獅子に変わろうとしているようだ。

マコトはなぜ、戦わなければいけないのか?

コウスケは坂を堕ちていく。そのブレーキは壊れている。マコトは彼を助けようとして、ボロボロになりながら倒れている。マコトは叫び、鐘が鳴る。そしてコウスケは死んでしまう。

チアキは〈タイムリープ〉してコウスケを救う。

世界はモノクロに凍りつく。時は止まって、流れは散在する点となり、波紋は円に固まって、音はなく、色もなく、鳩の群れは死骸のように地を埋め尽くし、石灰のような灰色の街を二人で歩きながら、チアキは遠い未来からやってきたことをマコトに打ち明ける。
「川が地面を流れてるのを初めて見た。自転車に初めて乗った。空がこんなに広いことを初めて知った。なにより、こんなに人がたくさん居る所を初めて見た」
チアキの住んでいた未来は、途方もなく大きな戦争を経て、荒廃した、色のない世界なのだ。
どうしても見たかった一枚の絵を見るためにこの時代へやってきたと言う。だが、あまりにも楽しくて、すぐに帰るつもりがいつの間にか夏になってしまったと、秘密を語ってしまったチアキはマコトの前から永遠に去らなければならなくなる。

「あの絵、未来へ帰って見てね。もうなくなったり、燃えたりしない。千昭の時代にも残ってるように…なんとかしてみる」
マコトは最後の〈タイムリープ〉をして、チアキにきちんとお別れを言う。

彼女ら三人はそれぞれが視えない傷を負っていた。だからこそこの奇妙な関係性、偽物の家族関係が形成され、ギリギリの距離感で維持されてきたのだ。
細田守の作品では『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』など、「家族」のテーマが一貫して執拗に描かれているが、それは本作においても同様である。『時をかける少女』とは、初恋によって破壊された家族関係をどう修復するか、どう傷を乗り越えていくかという物語なのだ。
物語終盤で、マコトはチアキを救うために疾走する。マコトにチアキが救えるのか。

なぜあの時マコトはチアキの告白を受け入れなかったのか。それはチアキに永遠の秘密を強要する行為だからだ。秘密を話せば未来へ帰らなければならないが、秘密のままではチアキの傷は癒せない。だからマコトはチアキとの別れを選ぶ。
そして、マコトはチアキに絵を未来へ残すことを宣言しているが、それは何を意味するのか。

この絵は遥か昔に描かれたもので、その修復作業に携わったのがマコトの叔母である和子なのだが、和子もまた子供の頃に<タイムリープ>を経験している。
「あなたは、私みたいなタイプじゃないでしょ? 待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょ?」と和子はマコトを諭すのだが、ここではこの二人が明確な対比関係にあることが示唆されている。絵そのものを守るのが和子なら、マコトが守るものはまた別のところにあるはずだ。

一念は無限を満たす。

こうして終わらない夏は終わった。
平凡なマコトは努力を重ね、全国模試で優秀な成績をあげるようになっていた。
黒板にはチアキの残した落書き、「Time waits for no one.←(゜д゜)ハァ?」

世界の破滅から絵を守ること。
世界の破滅によって傷ついたチアキの傷を癒すこと。

マコトが見つけたやりたいこと、守るべき一番大きなものは、既に自明のことであろう。

参考文献

イマヌエル・カント『永遠平和のために』(宇都宮芳明訳、岩波書店、1985)
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(氷上英廣訳、岩波書店、1967)
ウィリアム・ブレイク『ブレイク詩集』(松島 正一 編、岩波書店、2004)
日本聖書協会『聖書』

文字数:3943

課題提出者一覧