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DNAの細部

2011年に発表された円城塔の小説「これはペンです」のDNAに関する記述は不正確である。

物語中で、「姪」である「わたし」に「叔父」から手紙が送られてくる。以下は手紙がDNAの断片として送られてきた場面である。DNA断片がウイルスである可能性はあるかと「姪」が「准教授」に問いかけ、「准教授」は次のように答える。

「ウイルスとか」

念のために訊いておく。

「一〇〇パーセントDNAだけでできたウイルスというのはちょっと聞かないかな。DNA自体はそれほど危険な分子じゃない。遥かに膨大な周囲の他のものと整然と協働してようやく機能を現すものだから。昔は放射性元素とかに比べて廃棄の基準も緩かった。気をつけておけば流しから捨てても問題はまず起こらない。捨てないけどね」

一〇〇パーセントDNAだけでできたウイルスは存在しない、ということは正しいだろうか。もちろんこの文脈において「准教授」の言わんとしていることは間違いではない。問題は、何らかの方法で保存され送られてきたDNA断片がウイルスのように振る舞うことができるかということなので、それがウイルスのように振る舞うことはないということを伝えることがコミュニケーションの目的である。その意味では「准教授」の返答は正しい。しかし、この返答の文字通りの意味において、ウイルスがその生活環の中で一〇〇パーセントDNAとしてのみ存在する状態というのはないとは言いきれない。
ウイルスは、一般的にタンパク質で出来た殻と、その内部に核酸と種類によってはタンパク質をもつ構造物とされている。しかしこの構造はウイルスの生活環の中で一定ではない。ウイルスは宿主となる細胞の内部に入り込んだあと脱殻、つまり殻が分解されて核酸、RNAまたはDNAだけの状態になる。このときのウイルスは一〇〇パーセントDNAだけでできたウイルスと言うこともできるだろう。何らかの媒体中で保存されているDNA断片を、一〇〇パーセントDNAだけでできているものとする、という前提で議論するのであれば、細胞質という媒体に存在するDNA断片は一〇〇パーセントDNAだけでできているといっても良いのではないだろうか。
この状態のウイルスは、ウイルス本来の姿ではないので、これをウイルスと呼ぶことは不適切であるという反論があるかもしれない。確かに、一般的なウイルスの定義は入れ物としての殻と中身としての核酸による構造物であり、それがウイルスの基本的な姿と見なしている。しかし細胞質に存在するDNA断片(やあるいは宿主細胞中に組み込まれたDNA断片)がウイルスの本来の姿ではないとする根拠も明確ではない。もちろんおそらく直観的には多くの人がウイルスについて、殻をもち、ざまざまな空間中に安定して存在できる状態が基本の姿として認めるであろうことは理解できる。しかしそれはおそらく、ウイルスを自分たちのような細胞を基本とする生物観をウイルスにも当てはめようとしているからではないだろうか。であれば、それは単に私たちにとってそれが理解しやすいかたちであるから、そう理解しているにすぎない。
あるいは、宿主細胞の細胞質中のウイルスDNA断片は、その存在を周囲りの環境、細胞質に依存しているのだから、一〇〇パーセントDNAだけでできているとは言えない、という反論も考えられる。つまりこのときのウイルスは、一〇〇パーセントDNAだけでできているウイルスではなく、宿主細胞の細胞でできているウイルスではないか、ということだ。しかしだとすると、ここで言われている細胞とは何か、ということが問題になる。ウイルスがDNA断片だけでなく周囲の環境に依存して存在しているなら、宿主細胞という細胞もまた周囲の環境に依存しているのではないだろうか。真空中の細胞というものを想定してみれば、それは環境から独立した存在に近いが、地球上であればそこに例えば重力という環境は存在する。果たして環境から独立した細胞というものを考えることができるだろうか。それが出来なければ、私たちはこの議論において細胞の概念を問い直さなければならない。細胞の概念の我々の今日における一般的な理解を認めるならば、細胞質中にDNA断片として存在するウイルスを、一〇〇パーセントDNAだけでできているウイルスとして認めなければならないのではないだろうか。
筆者は冒頭で、「これはペンです」のDNAの記述は不正確であると述べた。なぜそれが不正確であるかといえば、生物には細部しかないからだ。したがって何かしらの不正確さを探せば指摘することは容易である。そしてそうであるならば、いかに効率よく省略するかということが問題になる。

「これはペンです」の記述には多くの省略が含まれる。

DNAのフルスクラッチと言ったって、一言で言うほど簡単なものではないらしい。ここで言うフルスクラッチとは、塩基を一個一個並べていって、DNAの並びを一から製造することを指す。そんな分子をピンセットで摘まんで糊づけするわけにはいかないから、作業は当然確率的な手段によって行われる。ビーカーに入れてひたすら振るとか。歯車を入れた箱を揺さぶるうちに計算機ができあがるみたいな話で、少し不思議だ。既存のDNAを切り貼りしてみせるのではなく、鍋で振るって雑多なものを作っておいて、望む形のものを漉しとる。結合がゆるめの塩基の並びというのも存在し、好きな場所に好きな文字を並べるのには、やっぱり技術的な難しさが存在するとか。鎖の長さとともに合成の難しさも増大していく。

ここには一見DNAの配列を合成するについての記述が並べられている。しかし実際に読み進める上で気になるのは、細部の欠落である。鍋で振るって雑多なものを作る、というときに振るうものは何か。望む形のものを漉しとるというときに、その漉しとるものは何で、漉しとるものにおいて望む形はどのように表されているか。結合がゆるめの塩基の並び、というときに結合とは何と何の結合で、結合がゆるい塩基の並び、というときの塩基の並びとは何の塩基の並びか。こうした細部がここには欠けている。もちろんそれがあったとして、十分であるという保証もない。というよりもそれで不十分であることはわかりきっている。結局不正確さというのは程度の問題でしかない。であるならば細部を欠いたとしてもそれは問題ではない。「これはペンです」におけるDNAの記述に注目するとき、そこにあるのは欠落した大量のテクスト外の細部である。

文字数:2658

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